研究

ベルベル語の動詞活用

2025 年 11 月 22 日、私は日本言語学会第 171 回大会(岡山大学)で「ベルベル語ターウジュート方言(南部チュニジア)の動詞活用」というタイトルでポスター発表を行った。これは、私にとって、ベルベル語についてのはじめての発表だ。よく知られていない言語について、まったく実績のない無名の人が発表するのだから、閑古鳥だと思っていた。しかし、会場はあたたかかった。知り合いの方々や関心を持っている方々が来てくださった。これは本当にありがたいことだ。

発表は、2025 年の 3 月と 8 月の調査をもとに動詞の活用をまとめたものだ。ターウジュートというのは、私にベルベル語を教えてくれた S さんの出身地だ。私は当初、そこのベルベル語という意味で発表タイトルのように「ベルベル語ターウジュート方言」と呼んでいた。だが、方言といってしまうと、標準語があるようにも聞こえる。そこで、現在は英語での一般的な命名法を参考にして、「ターウジュート・ベルベル語」と呼ぶようにした。

ターウジュート・ベルベル語の動詞活用には、少なくとも 7 つの動詞形がある。完了形、未完了形、アオリスト形、命令形の 4 種に、アオリスト形以外の 3 つに対応する否定形がある。だから、完了形、否定完了形、未完了形、否定未完了形、アオリスト形、命令形、否定命令形の 7 種ということになる。

アオリスト形というのは、ベルベル語学でよく用いられる用語で、完了も未完了でもない状態を表す。フランス語などの接続法の使い方にも似ている。

さらに、これらの 7 つの動詞形が、人称・数・性によって変化する。ぜんぶで活用形は 9 つだ。

7 つの動詞形があり、そのそれぞれに 9 つの活用形(ただし、命令形と否定命令形には 3 つのみ)あるということは、単純計算で 1 つの動詞に 51 の活用形(45+3+3)があることになる。

51 という数は、英語の動詞活用からすれば多いし、フランス語からすればそれほどでもない。いずれにしても、覚えるのは大変だ。

(写真:チュニスのメディーナの香水屋)

苦い文学

危険な川遊び

演歌でも有名な「矢切の渡し」は東京の柴又と千葉の松戸をつなぐ江戸川唯一の渡しだ。ちなみに演歌では「やぎり」だが地名は「やきり」だ。

柴又といえば「男はつらいよ」だが、その1作目の冒頭で、故郷に帰還する車寅次郎が乗っているのがこの渡し舟だ。

渡賃は大人200円(「男はつらいよ」当時は大人30円)。夏期は毎日運行していて、冬期は休日だけ、荒天の場合は欠航だそうだ。乗り場は帝釈天の近くだ。だが松戸側は松戸駅から遠く、バスを使うしかない。

この間、帝釈天に行ったとき、私はこの矢切の渡しに乗ってみることにした。

江戸川の乗り場に行くとすでに何人かの乗客が並んで待っていた。舟は松戸側の対岸でちょうど人を下ろしたばかりのようで、しばらくするとゆっくりこちら側に戻ってきた。舟が桟橋に着くと、船頭の男性が、明るいがクセのある声で乗客たちに声をかけ、次々と乗せていった。渡賃はこの時に支払う。

舟が岸を離れ、対岸に向かう。すると、予想外のことが起こった。船頭の方がそのクセのある声で、独自の漫談を始めたのだ。私はその漫談を聞いて、ヒヤリとした。

江戸川の流れは静かで、風も穏やかだったが、どんな激流川下りよりもハラハラさせられた。

機会があれば、ぜひみなさんも体験してほしい。

苦い文学

東京の青空

私は電車に乗り、ドア横のスペースに立って、埴谷雄高の『死靈』(講談社全集版)を読んでいた。駅に止まるたびに、私の方のドアがいつも開いた。乗客が次々と乗り込んでくる。だんだん混み合ってきた。乗り降りする人々が肩で勢いよく『死靈』にぶつかってくる。そのたびに、この896ページのハードカバーが私の手から弾き飛ばされそうになった。

私は本を閉じ、胸に抱くと、体の向きを変えて座席の方を向いた。その席には男が座っていて、携帯を眺めていた。禿げかけた頭頂部だけが見え、顔は見えない。抱えていた『死靈』を開く。その大著はまるで男の頭の上に張り出したテラスのように広がった。

するとその時、下から伸びた手が、埴谷雄高の畢生の大作を押しのけた。男が見上げて睨みつけている。

「東京の空は、アメリカ軍が管理しているのを知っていますか」と早口で言った。

「横田空域と呼ばれる1都9県にまたがる広大な青空が、他国に奪われ、好きなように使われているのです! これで独立国家と言えるでしょうか。私たちの上に広がる青空は、私たちのものではありませんか。私は空を取り戻す戦いに加わっている愛国者の一人です。今、私の空を侵犯し、奪おうとしているあなたには、私は絶対に負けるわけにはいかないのです!」

電車が急ブレーキをかけた。乗客たちがいっせいに慣性の法則を思い知る。後ろにいる誰かが私の背中に倒れかかった。はずみで『死靈』は私の手から滑り落ち、この重厚な書物のちょうど角を下にして落下していき、男の鼻の付け根を直撃した。

「あっは!」 男が短く大きく叫ぶ。「ぷふい!」

私は東京の空がいつまでも平和であればいいと思う。

苦い文学

ある訓練

最近は、人の往来も活発になり、長い間ご無沙汰していた人々との再会の機会も増えた。

先日、たまたま友人に会ったが、コロナ以前とまったく変わってしまったのに驚いた。以前は、痩せていたのだが、今見る彼はでっぷりと太っているのだ。

その理由を聞くと、毎日のように二郎系のラーメン店に通っているのだという。私はこれにも驚いた。

「食べ物などに全然興味がなかったのにジロリアンとは! いったいどうした心境の変化だい?」

「それだがね、ロシアのウクライナ侵攻がいっさいを変えてしまったのだ」

「というと?」

「日本のマスコミは不思議に報じていないが、この戦争はロシアが勝つ可能性が高いのだ。ロシアが勝つとどうなるかというと、次は日本だ。中国と手を組んで、ロシアは我が国を瞬く間に占領してしまうだろう」

「だが、アメリカは? 最強の同盟国は?」

「トランプが何かしてくれるとでも?」

「なるほど!」

「さて、ロシア占領下の我が国で何が起こるだろうか? もちろん、連中お馴染みの粛清だ。あちこちに強制収容所が建設され、疑わしい者は全員放り込まれるだろう! この私も間違いなくだ!」

「たしかに、余計なことばかり言うからな」

「で、そのロシアの収容所ときたら! かねてからソルジェニーツィンを愛読している私は、どれだけ劣悪な環境か知り抜いているのだ。食事だって、ろくなものは出ない。よくて豚の餌、しかも、高圧的な看守たちからネチネチ意地悪を言われながら、大急ぎでかっこまねばならないのだ」

「ははーん、それで」

「そのとおり、前もって訓練しているというわけだ」

私は彼の言葉に同意はしなかったが、彼のような人がいる以上、「収容所の臭い飯専門店(ヒドクサイ店)」をフランチャイズ展開するのも悪くはないかもと思った。

苦い文学

皇種危険物取扱者

火災を引き起こす危険性が高い物質は、消防法により「危険物」と指定され、「危険物取扱者」とは、この危険物を安全に取り扱う専門知識と技術を有する者である。この資格がないと危険物の取扱いや、定期点検・保安監督はできない。

危険物には、ガソリン、灯油、軽油、硫黄、カリウムなどさまざまな種類があり、危険物取扱者は取り扱える危険物の種類に応じて甲種、乙種、丙種に分かれている。

このたび、法改正が行われ、従来の3種に「皇種」が加わることとなった。

これは、皇族の安全を守り、過剰なバッシング、誹謗中傷を抑止するという観点から、かねてから資格化が要望されていたものだ。

この皇種が、他の3種と異なるのは、「皇室への敬意」という危険物1種のみを取り扱いの対象としている点だ。

今回の改正では、街宣車などで「皇室への敬意」を運搬する場合や、集会などでこの危険物を貯蔵・使用する場合には、皇種危険物取扱者の立ち会いが義務化されることとなった。

「皇室への敬意」は、管理が非常に難しいことで知られ、温度の調節を誤るとたちまち「過激な憎悪」に変質してしまう。そうなると、あっという間に炎上し、大爆発を引き起こすおそれもあるほか、アメリカ移住の引き金となった事例も存在する。

皇室の健全な維持のためにも、「皇室への敬意」の危険性を熟知した上で、くれぐれも安全な運用を心がけていただきたい。

旅・観察

現代のフダーウィー:チュニジアの語り部(5)

 アブデルアズィーズ・アルアルウィーというチュニジア人のジャーナリスト・作家がいる。彼は1930年代のチュニジアの近代文学運動(タハト・スール)グループのメンバーの1人であり、チュニジア独立後は、チュニジアのラジオのパーソナリティとして活躍した。特に、1950年代から60年代にかけてラジオ番組でチュニス方言で語った物語群は有名で、これらは彼が自ら聞いたり集めたりしたチュニジアの伝統的な物語からなる。彼の死後、これらの物語を採録した4巻本が出版されたほか、テレビドラマ化されたりし、また現在でもYoutubeなどでそのラジオ音源を聴くことができる。

 これらの物語がどのようなものかというと、子ども向けのおとぎ話もあるにはあるが、その多くが、大人向けの寓話や人情話、笑い話、宗教説話、謎解き物語、歴史物、現代物などで占められている。チュニジアの人々の暮らしや考えを知るためには格好の資料だが、なによりも読んでいてとにかく面白い。

 チュニジアには、かつてはフダーウィーという伝統的な語り部がいた。フダーウィーは、市の立つ日やお祭りの日、あるいはカフェで様々な物語を語るのをなりわいとしていた。現代人であるアルアルウィーは、職業的なフダーウィーではなかったが、彼の活動はこうした伝統に根ざしたものだ。

 チュニジアの伝統的な物語の出版は、アラビア語よりもむしろ、フランス語で多くなされており、その中にもいくつかフダーウィーに関する記述を見出すことができる。フダーウィーは、ラジオやテレビの普及により、姿を消していったとも書かれている。

 私はこのフダーウィーというものに会ってみたくなった。姿を消したというが、遠い田舎でひっそり語り続けているかもしれない。そこで、調査に協力してくれるチュニジア人に、今もフダーウィーがいるかどうか聞いてみた。その答えはといえば、

 「いないね。アルアルウィーがフダーウィーを殺したのさ」

 しかし、この「Video killed the radio star」ばりの言葉だって本当かどうか知れたものではない。私はさらにインターネットでいろいろ調べてみた。すると、チュニスから150キロほど離れたスーサという町で、毎年フダーウィーのフェスティバルが行われているというではないか。(つづく)

アルアルウィー物語集第1巻表紙(第2版)