散文

地獄の言語学入門(12)

日本語話者にとっては、ハ行はハ行だ。「ハ」も「ヒ」も「フ」も「ヘ」も「ホ」も皆、ハ行の一味だ。つまり、ローマ字で書けば、ha, hi, hu, he, ho だ。だが、本当のところは別物だ。ここで音声学がものをいう。

まず「ハ」「ヘ」「ホ」だが、これらは音声記号で書くと [h](無声声門摩擦音)だ。発音(調音)してみればわかるが、喉の奥で鳴っている。これに対して「ヒ」を調音してみてほしい。これは喉の奥ではなく、口の中の真ん中あたりの音、正確にいえば無声硬口蓋摩擦音 [ç] だ。そして、「フ」、こいつときたら、もっと前にまでしゃしゃり出てきて、唇でフーフー鳴ってやがる。無声両唇摩擦音 [ɸ]、つまり上下の唇で作る音というわけ。

要するに、ハ行のハヒフヘホが h でできていると思っているのは、日本語話者の頭の中だけで、実際には異なる音の寄せ集めだったわけだ。ある言語の話者の頭の中にあるこうした「音」を、実際の音と区別するために「音素」と呼ぶ。

この事情をまとめると以下のようになる。なお、音素は // で囲み、実際の音を表す IPA は [ ]で囲むのが決まりだ。

【日本語のハ行音の音素と実際の音】

音素 /h/ 実際の音  [h], [ç], [ɸ](ただし、ほかにももっと種類がある)

牢獄でも同じように表すことができる。

犯素 /犯罪者/ 実際の犯 [殺人犯], [強盗犯], [窃盗犯], [政治犯](ただし、ほかにも無数の犯罪がある)

なお、日本語のハ行音の [h], [ç], [ɸ] のうち、どれが政治犯なのか、「ホ」なのか「ヒ」なのか「ヘ」なのか、という問題は、獄中でゆっくり取り組むべき課題だ。外にいられるあいだは、ほかの問題に集中することをおすすめする。

苦い文学

喫煙できる場所

私は昔タバコを吸っていたが、やめてもう何年にもなる。しかし、最近、苦しいことがあって、タバコでも吸わずにはいられないと、コンビニに駆け込んで、タバコとライターを買った(そして値段に驚かざるをえなかった)。

外に出て、封を切り、一本取り出して口に咥える。ライターをつけ、タバコの先に火を向けた瞬間、私は周囲の視線に気がついた。私がタバコを吸っていたときは、路上ならどこでも吸えたが、今はもう違うのだ。私はタバコをしまい、喫煙できる場所を探して歩き出した。

公園、路地、裏通り……どこを探しても、吸えそうな場所はなかった。そこで駅に行くと、駅の外に、薄汚れたガラスに囲まれた喫煙所があった。中に入ると、タバコの煙と、灰皿でくすぶるタバコのイヤな匂いが鼻を突いた。そこに閉じ込められ、口をすぼめてタバコをむさぼる喫煙者たちは、惨めだった。

私は喫煙所を出て、別の場所を探し始めた。すると、駅の近くで喫煙可の喫茶店を発見した。心弾ませながらそのドアを開ける。だが、そこで目にしたのは、喫煙所と変わり映えのしない侘しい光景だった。私は引き返して外に出た。

私はなにも惨めな気分になるためにタバコを吸おうとしているのではなかった。広い空を見ながら、煙を思いきり吐き、悲しみを解消したいのだ。そんな場所はどこにあるのだろうか。私はなおも探し続けた。

日本中を歩き回ったが、ついに見つからなかった。中国のとある山奥ならば喫煙できるという噂を聞きつけ、私は中国に渡った。現地の人さえ足を踏み入れぬ辺境を旅すること数週間、ついに広々とした野原を見つけた。ここなら大丈夫と、タバコに火をつけたとたん、伝説の野人がやってきて、私は追い払われた。

苦い文学

ある悲恋の物語

住宅街を通る細い道に設置された信号機。その下にいつからか花束が手向けられるようになった。人が亡くなるような事故があれば大騒ぎだろうに、近所に住む私はそんな話を一度も聞いたことがなかった。

あるとき、ぶらぶらと歩いていると、その信号機の下にひとりの青年がぽつねんと立っているのが見えた。青年はかがむと、手にしていた花束を置いた。

私は近づき、その若者に声をかけた。「ここで大切な方を亡くされたのでしょうか」

こちらを向いた青年の顔は涙に濡れていた。彼は静かにうなずくと私にこんな物語を語ったのだった……。


私は青信号でないと絶対に渡らないことを誇りとしている人間です。どんな細い道路でも、たとえ車が一台も走ってなくても、青ならば私は絶対に立ち止まるのです。

ですが、多くの人はそうではありませんね。みな、赤でも渡れるときには渡ってしまうのです。もっとも、これらの犯罪予備軍(こう私は呼んでいるのです)もそれができないときがあります。この私が青信号で堂々と立っているときがそれです。これらの人々は、私の姿が目に入るや否や、足を止め、恨めしげな顔をしながら、信号が青になるときをじっと待つのです(まるで私に相手の動きを封じる魔術が使えるかのようではありませんか)。

さて、一週間ほど前のこと、私はこの信号機の下に立ち、道路の向こう側の信号機が青に変わるのを待っていました。そこに、ああ、彼女が道路の反対側に現れたのでした。

彼女は道路を渡らずに足を止めました。はじめ、この私を見て止まったのだろうと思いました。ですが、彼女の顔にはいら立ちも恨めしさもありませんでした。むしろ、赤信号で歩みを止めた自分に対する誇らしげな様子がありました。そうです、彼女は私と同類だったのです!

私は彼女を見つめました。道路の向こうの彼女は私の視線に気がつき、恥じらいながら下を向きました。勇を奮ってなおも見つめていると、彼女は私のほうをチラと見るではありませんか。私はそこに胸踊るものを感じました。彼女もきっとそうだったでしょう。赤信号によって私たちは隔てられていましたが、私たち二人の心の通い路は青信号だったのです!

ああ! ですが、その時、ひとりのバカが彼女の後ろから現れ、その脇を通り過ぎました。ぬけぬけと道路を渡ろうとしたのです。いつもなら睨みつけて動きを封じてやるところでしたが、恋に夢中になっていた私は気がつかなかったのです。

そして、悲劇が起きました。あろうことか、彼女はこのバカに引かれて道路を渡ってしまったのです。私というものがありながら、通りすがりの男についていくとはなんとふしだらな女でしょうか!

私はそのときから悲しみに打ちひしがれ、この信号に花を手向けるようになりました。そうせずにはいられません。私の恋心が、愚かな人間によって引き起こされた交通事故によって、亡くなったのですから……


こいつは正真正銘の赤信号だ、と私は逃げ出した。

苦い文学

心のエコノミークラス症候群

心のエコノミークラス症候群の予防を心がけましょう。

【心のエコノミークラス症候群とは】
教養や判断力、思いやりが十分にない状態で、安っぽい本を長時間、大量に消費すると、精神の滞留が生じ、心が凝り固まりやすくなります。その結果、悪性の凝り固まり(心の血栓)が意識の健やかな流れを阻害し、想像力・批判力の欠乏を招き、重篤な反知性主義、陰謀論、危険なヘイトスピーチを誘発する恐れがあります。

【予防のために心がけると良いこと】
 予防のためには、以下の行為を行いましょう。

(1)ユダヤ人が世界を支配しているという類の本は買わない。陰謀論だから。また、ユダヤ人富豪を持ち上げている類の本も買わない。これも逆の陰謀論だから。
(2)コーチングなどの疑似科学には手を出さない。また、不安を煽り、弱みにつけ込むタイトルの本は極力控える。
(3)これらの本を読むくらいならば、軽い体操やストレッチ運動を行うほうがはるかにマシ。
(4)「マスコミの報じない真実」という類の本は手に取らない。真実が書かれているためしがないから。
(5)それでもこの世界の真実が知りたいのならば、この世には次の言葉以上にいつも真実である言葉はないことを知るべき。
(6)こまめに水分を取る。

苦い文学

善人なおもて

地獄の運営団体が記者会見を行い、今後は、善人のみが地獄に落ちることになったと明らかにした。

今まで悪人のみを受け入れてきた地獄にとって大きな転換だ。

この真逆の方向転換について、地獄の運営団体は「悪人を地獄に落とすよりも、善人を地獄に落とすほうが、社会がより良くなることがわかった」と述べ、以下の3点にわたりその理由を説明した。

① 悪人はずる賢く、逃げ足もはやい。それゆえ、悪人を捕まえるのには多大な費用と労力が必要となる。いっぽう、善人は、圧倒的に捕まえやすく、費用もほとんどかからない。そして、捕まえられた善人の中には、一定数の悪人が善人のふりをして身を潜めている。すなわち、善人を大量に逮捕すれば、悪人を単独で捕まえるよりも、容易にしかも安価に悪人を捕まえることができる。

② 善人がいなければ、悪人を捕まえるのはもっと容易だったはずである。すなわち、善人は、悪人の逮捕を妨害しているのであり、それゆえ、善人であること自体、地獄に値する罪であると考えられる。

③ 善人を地獄に落とすことは、悪人が悪をなすのを抑止する効果がある。悪人だけを地獄に落としていた時代は、悪人は悪知恵を働かせることによって、うまく逃れることができた。そのため、地獄の犯罪抑止効果はゼロに等しかった。しかし、善人でも地獄に落ちるとなれば、悪知恵があろうとなかろうと、どの悪人にも地獄に落ちる可能性が生じる。その結果、地獄の刑罰への恐れが生まれ、その恐れが犯罪抑止につながる。

会見の終わりに、地獄の運営団体は、鬼たちの公募で決まった地獄の新キャッチフレーズ「善人なおもて地獄に落つ、いわんや悪人をや」を発表した。

旅・観察

おもてなさぬの品川入管記(6)

 この質問票は、日本ですでに何らかの在留資格を持っている人を対象としている。だが、永住者や配偶者ビザの人が難民申請をすることはまずない。念頭に置いているのは、留学生や技能実習生だ。つまり、この2つのカテゴリーの人々の申請が増えたがための質問票だ。

 そんなわけで、質問1の「現に有する在留資格に該当する活動(以下「当該活動」といいます。)」の「当該活動」とは「留学」もしくは「技能実習」となる。

 この「当該活動」を行っている場合、「はい」と答えてそれで終わりだ。だが、大抵の場合、申請者は学校を辞めるか、技能実習先を出てしまっている。したがって、ほとんどが「いいえ」となり、残りの質問2と3に答えなければいけないことになる。

 質問2はこんなものだ。「あなたが当該活動を行わなくなったのはいつからですか。」 これは、留学生の場合なら「学校を辞めた日付」、技能実習生の場合なら「実習先をためた日付」を書けばよい。

 問題なのが「3」だ。これがひっかけなのだ。留学生なら例えばこう書くかもしれない。

 「まともな授業が行われていなかったから」
 「学費が払えなかったから」
 「アルバイトができなかったから」
 「周りの学生のビザが出なくて不安になったから」

 技能実習生なら例えばこうだ。

 「来る前に聞いた話と異なるから」
 「給料から何万と差し引かれるから」
 「不当な扱いを受けたから」
 「ハラスメントを受けたから」
 「危険な仕事だったから」

 いやはや理由はごまんとある。

 だが、これらの回答はすべて間違いなのだ。0点だ。なぜなら、難民であるかどうかの問題とはまったく関係ないから。

 むしろこれらは、入管が、難民認定をしないための材料にしかならないという点で有害なのだ。つまり、入管はこれらの記述をもとに、留学生ならば「学業を怠って逃げた結果難民申請をしたにすぎない」、技能実習生ならば「実習先を逃げ出して難民申請をしたにすぎない」というお好みのストーリーをたやすく作り上げることができる。「連中は偽装難民だ!」と。だからこその「この質問票を私の在留審査の資料として使用しても構いません」だ。これが味の決め手だ!

 しかし、驚くべきことだ。「偽装難民」を生み出しているのは入管だったのだから。入管がメディアと一緒に盛んに喧伝しているあのイメージ、つまり、自分たちが「偽装難民」の軍勢に包囲され、いまにも陥落せんばかり、というあのイメージの背後には、こんなカラクリが隠されていたのだ。