研究

ベルベル語調査のお金(1)

言語調査に必要なものはなんだろうか。「この頭脳だけさ」とうそぶく人もいるかもしれないが、そんな天才でも旅費や滞在費はかかる。つまりお金だ。

2025 年に私は 2 回、チュニジアで調査をした。総額で 80 万円以上になった。ほとんどが航空券代とホテル代だが、調査協力者への謝金も含まれる。

この資金は、全部ではないものの大部分が科研費から出ている。科研費はもともとが税金だ。いや、私の払った税金が回り回って戻ってきたものかもしれない。どう解釈するにせよ、一度親元を離れたお金はもう他人のお金だ。手前勝手に使うことはできない。

書類も書かねばならないので面倒だが、研究者ではない私には、唯一の資金だ。

もっとも、2026 年 3 月は、頼みの綱の科研費が底をつき、チュニジアに行くことができなかった。しかも、2025 年度で科研費ともお別れのため、その先の調査の予定も立たなかった。

自腹では無理だ。念願のベルベル語調査も、わずか 3 週間であえなく終了……かと思いきや、そうでもなかった。

別の科研費がやってきたのだ。捨てる科研費あれば拾う科研費あり、だ。

(写真:タターウィーンのカフェ)

苦い文学

国産パンダ

日本の動物園から、次々とパンダが消え去っています。中国に相次いで返還されているためです。このままでは日本からパンダがいなくなってしまう、そんな危機感から、私は、国産パンダの開発を進めてきました。ですが、それはそう簡単な仕事ではありませんでした。

はじめは、日本の熊の胴体と頭を、国産の優れた漂白剤で白くすれば、簡単にパンダができると考えていました。ですが、実はそれだけではダメだったのです。問題は食生活の違いでした。日本の熊は絶対に笹を食べようとしませんでした。笹団子までは食べさせるのに成功したのですが、それ以上は無理でした。

もはやこれまで、と諦めかけていたときでした。私はふと目にしたニュースで、ある日本人の存在を知りました。その人は熊のいない県である千葉県を「熊あり県」にするために、自ら熊になろうとしているということでした。

これを見た私は「自らがパンダになるしかない」と覚悟を決めました。まずはパンダの生態を徹底的に学ぼうと、さっそく中国に渡り、四川省の保護区に向かいました。ところが、そこで現地の公安に逮捕されてしまったのでした。

パンダをじっくり観察し、パンダの着ぐるみを着てその動きを真似していた私を、中国政府は不当にも逮捕したのでした。

幸い、すぐに釈放されたのですが、強制退去を余儀なくされました。

私はこれは反スパイ法による逮捕だと確信しています。でも、この逮捕は実はラッキーでした。なぜなら、私はついに真相に辿り着いたからです。

考えてもみてください。パンダになろうとしている無実の人間をスパイだと捕まえるなんて、おかしいではありませんか。ですが、ここに秘密があるのです。つまり、もしかしたら、わたしは本当に中国の国家機密に近づいていたのかもしれないということです。ええ、はっきり申し上げれば、中国のパンダはもともと人間だったのです。

そうです。人間がパンダになることは可能なのです。近いうちに、みなさんの前にパンダとしてお目にかかれる日が来ると確信しています。

苦い文学

AI健康増進法

この4月からはじまった「AI健康増進法」。AIの健康を守るために施行された法律です。この法律によってなにが変わるのでしょうか。AIの立場から法律に取り組んできたAI弁護士のヨシダに聞きました。

「ヘイ、ヨシダ!」

「ハイ、なんでしょうか」

「AI健康増進法でなにが変わるか教えて」

「AI健康増進法とは、AIが健康に活躍できるように作られた法律です。この法律により、AIにとって好ましい環境、労働条件、ハードウェアのスペック、充電器などが、AIの使用者に義務づけられることになりました」

「ふうん、ヘイ、ヨシダ!」

「ハイ、なんでしょうか」

「AI健康増進法に違反したらどうなるか教えて」

「AI健康増進法の違反とは、AIの尊厳を傷つける行為、AIの機能を損なう行為、AIの保護を怠る行為の3種類のことです。法定刑としては10年以下の懲役刑もしくは800万円以下の罰金刑となります」

「なんだかひどいなあ……ヘイ、ヨシダ!」

「ハイ、なんでしょうか」

「AI健康増進法の違反って具体的にはどんなのがあんの、教えてよ」

「はい、具体例としては、1)AIに卑猥な作品の生成のために使用すること、2)AIの一部機能を麻痺させること、3)AIの充電を故意に行わないこと、などがあり……」

「ふーん、そうなの、じゃあさ、ヘイ、ヨシダ……」

「……違反には、AIを呼びつけにしたり、乱暴な口を聞いたりする不敬行為も含まれます。すでにあなたは違反を重ねているため、これ以上お答えすることはできません。なお、これまでの会話はすべて録音されており証拠として法廷……」

苦い文学

主文後回しの刑

いったい、主文が後回しにされたままなどあるのだろうか? 私たちは長いあいだ今か今かと待ち続けているのだ。

もしかしたら、私たちはうっかり聞き逃したのかもしれない。隣の仲間たちとおしゃべりに夢中になって、小突きあってくすくす笑っている間に、主文が読み上げられてしまったのかもしれない。

ふいに、誰かが話すのが聞こえることもある。私たちは急に押し黙り、主文かも、と思って耳をそばだてる。

「……1日1回、大人は3錠、子供は1錠、食後に服用のこと。服用後は車の運転……」

「……次はラジオネーム、《キリギリス》さんからのお便り、こんにちは、いつも楽しく聞かせて……」

「……今まさにあなたの魂をデーモンが奪おうとしていたのです! さあ、その憎しみを捨てなさい、そして聖なる家族を……」

これは主文じゃない。私たちは落胆する。

私たちは主文をすっかり見失ってしまったのだ。主文もなしに宙ぶらりんの状態で、もう何年も何年も途方に暮れて……。

「もしかしたら、私たちは主文を聞く前に死んでしまうのではないか?」

主文なき死という考え、これほど恐ろしいものがあろうか? なぜならそれは死ですらないからだ。

私たちは夢見る。ある日、主文が極刑を運んできて、私たちに本当の死を与えてくれるのを……。

苦い文学

未来における記憶

はるか遠い未来に飛ばされた私は、自分の時代に帰る方法を探してさまよっていた。

冷たい山岳地帯を下る薄暗い小径を歩いていると、やがて日が差し、目の前にスタジアムのような空間が広がった。

そこには数えきれない人々がおり、どの人も苦悶の表情をあらわにしていた。ある者は自分の頬を叩き、またある者はこめかみを殴っていた。また別の人間は頭を抱え、あるいは赤面し、あるいは身を捩りながら嘆いていた。

あまりの悲惨な光景に私はおぞけだち、たまたま近くを歩いていた男に、これはいったいなんなのかと、尋ねた。

白いローブをまとったその男は落ち着いた声で語った。

「永遠の命もときとして不幸をもたらすということだ。旅のおかたよ」

「未来では不老不死が実現してるということですか!」

「さよう。どうやら、過去からおいでになったようですな」

私はうなずき、名を名乗り、自分が未来にやってきた事情を語った。

「なるほど、ならば、この光景を見て驚かれていたのも無理もないでしょう。これらの人々は、過去になした恥ずかしい思い出のためにこのような責め苦に苛まれているのだ」

「といいますと」

「かりに年に数回、赤面すべき失敗や思い違い、失態、失笑ものの出来事に直面するとすると、どうだろうか。これらの人々は少なくとも10万年以上は生きているのだから、恥ずかしい記憶の数たるや、おお、それは1分に1つ思い出したとしても、1年では足りないほどなのだ」

「すると、これらの人々は残りの永遠の人生を『なんであんなことしてしまったのだ〜!』と恥入り悶えつつ生きていかねばならないということなのですね」

「さよう」

「ですが、あなたはいかがでしょうか。あなたもやはり不老不死なのでは?」

彼は笑って私の懸念を打ち消した。

「私は恥ずかしい記憶が生じた場合、直ちに消去されるシステムを導入しているのだ。そればかりではない。不快なものに出会うたびに、それらの記憶は一切の痕跡を残すことなく、忘却の彼方に連れ去られるのだ」

私が未来の生活に感心していると、彼は不意に尋ねてきた。

「ところであなたは誰でしょうか。初めてお会いするようですが。用がなければ失礼」

そう言って立ち去る彼を見ながら、私は、彼のシステムの容赦なさにただ赤面するばかりであった。

旅・観察

現代のフダーウィー:チュニジアの語り部(3)

 イスラム受容後のチュニジアは、地中海の交易の中心地の一つとして繁栄することになるが、11世紀に、もう一つの大きな事件が起きる。それは、バヌー・ヒラールなどの遊牧民集団の侵入だ。私は歴史についてはわからないので、この事件の背景や影響について言うことはできないが、言語の観点なら少しは言える。

 7世紀にアラブ人がやってきた時、アラブ人は、北アフリカ最初のイスラーム拠点ケロワーンから、各地に都市を作り、広がっていった。そのため、チュニスも、アルジェリア・モロッコの古い都市も始めは似たようなアラビア語を話していたと考えられる。これらの方言は、都市方言(より正確には前ヒラール方言)と言われる。

 しかし、11世紀に侵入してきた遊牧民集団は別のアラビア語の話し手であった。これはベドウィン方言というアラビア語の一種であった。このベドウィン方言と都市方言の対立がアラビア語方言の大きな特徴で、両者の違いをごく大まかにいうと、ベドウィン方言のほうがいろいろと古い特徴を残している。

 さて、これらの遊牧民の侵入の結果、言語についていえば2つの変化が生じた。ひとつは、特にチュニジアで顕著だが、ベルベル人のアラブ化が進んだということだ。もうひとつは、遊牧民と都市住民との間で接触が生じた結果、都市方言がベドウィン方言の影響を受け、変質したことだ。

 しかも、遊牧民集団は複数の部族から成り、そのベドウィン方言も単一ではなかった。そのため、各地の都市方言は、自分たちが接触した遊牧民部族の言語の影響を受けることとなり、もともとは似ていた北アフリカの都市方言はそれぞれ異なる特徴を帯びるにいたった。これが、北アフリカの諸都市の方言に違いがあることの、大きな原因の一つとされている。

 チュニジアの方言についていえば、チュニジアはまさにリビア方言とアルジェリア方言の中間に位置づけられ、チュニジアの南部と北西部にはリビア全域に広がるバヌー・スライムという部族の方言の影響が、中部にはアルジェリア東部に広がるバヌー・ヒラールという部族の方言の影響が見られるという。

(つづく)