旅・観察

カッラーカの臭い

レンタカーの事務所から少し歩くと、ラグレットという海辺の町に出る。海水浴場にはパラソルが並び、泳いでいる人たちがいる。私たちは海辺のカフェでお茶を飲み、チュニスにはない静けさを味わった。

それから町中に入りタクシーを探した。遠くに茶色い壁が見えた。古い城塞のようだ。行きにも見かけたこの建物についてSさんに尋ねると、これはカッラーカといって昔の牢獄の跡だという。今はイベント会場として使われているとのこと。

チュニスに戻ってからネットで調べると、十六世紀にスペイン人が作ったもので、カッラーカもスペイン語に由来すると書いてあった。私はなんとなくこの語にどこかで出会った気がしてきて、手持ちのデータを見直した。すると出てきた。

karraːka(複数 karraːkaːt)刑務所

面白いことに複数形まであった。これはチュニジアの物語集に出てきたもので、こんな例文もメモしてあった。

「カッラーカの臭いが彼から漂っている(=ムショ帰りだとすぐわかる、くさい飯の匂い)」

Sさんによると、カッラーカはあまりにも有名なので、転じて刑務所そのものを表すようになったのだという。このメモは二〇年前のものだが、ようやくその語の生誕の地に至ったというわけだ。

悪いことをした子どもに「そんなことをすると、カッラーカ行きだよ」と脅すこともある、とSさんはまた教えてくれた。

旅・観察

ベルリンの信号

ベルリンの街を多少歩き回ってみてわかったのだが、信号の時間がとても短いのだ。青になったから横断歩道を歩き出し、真ん中の分離帯に到達する。さらに残りの横断歩道へと踏み出す。だが、そのときにはもう赤になっている。つまり、ちょっと幅のある道は青一回分では渡り切ることができないのだ。

しかし、だからといって、イライラさせられることはない。赤で待たされる時間もまた短いのだ。だからすぐに道を渡り切ることができる。

ドイツの歩行者信号が日本とまたもうひとつ違うのは、青信号の点滅がないことだ。青はいきなり赤への変わる。2種類しかない。青信号が点滅すると、私たちはどうしても焦って走り出してしまうが、ドイツではそんなことは起こりえない。いかなるためらいもなく赤に変わってしまうので、かえってスッパリ諦められるのだ。

私はドイツの信号を知る前までは、日本の青信号に心から感謝していた。なぜなら、点滅は青信号が私たちに寄り添ってくれていることの証だったから。それは「ほら、もうすぐ赤に変わるよ。急いだらどう?」という親身のチカチカだったのだ。だが、ドイツの歩行者信号を知った今、私はそう思わない。

日本の青信号は、むしろ、点滅で私たちを煽っていたのだ。政治家が国民を煽るときは、支配を強めようとしているときだ。それと同じで、青信号は点滅によって私たちを振り回し、服従させようとしていたのだ。しかも、考えてみてほしい、赤に変わる瀬戸際に、横断歩道を走って渡ることがどれだけ危険なことかを。

私たちを支配するためなら、その命すら犠牲にしてもいい、そんな無慈悲な青信号の言うがままになるくらいならば、赤信号で渡ったほうがはるかにマシというものではないだろうか。

苦い文学

間違い探し

サイゼリヤにしても、ポポラマーマにしても、どうしてこれらのイタリア・レストランは、私たちに間違い探しをさせたがるのだろうか? そんな疑問が、ある起業家に画期的なレストランを思いつかせた。起業家は、なんでも徹底する持ち前の性格を生かして、イタリア料理と間違い探しのシナジー効果をとことんまで追求したのだ。

店の名前は「Individuare la differenza」、その名も「間違い探し」だ。この店では客たちを、あらゆるところで間違い探しが待ち受けている。もちろん、普通の間違い探しだってある。だが、たたみ一畳ぐらいの大きさだ。間違いも 5000 個ある。しかも、メニューも 2 種類置いてある。客は 2 つのメニューを見比べて、500 の間違いを探し出さねば、水一杯も出てこない。

それだけではない。店員もオーダーをとりにくるときと、料理を運んでくるときとでは微妙に違っている。店員そのままで間違い探しなのだ(調理場にいるシェフも帽子の高さを微妙に変えていた)。しかも、運ばれてきた料理も、メニューと見比べて欲しい。少なくとも 10 個の間違いが見つかるはずだ。エビの大きさ、振りかけられたパセリの位置、パスタの太さ……客たちは間違い探しに夢中のあまり、パスタが伸びてしまってもお構いなしだ。

そして、店の内装も、店員の顔ぶれも、供される料理も、毎日少しずつ変わる。だから、客たちは昨日の店と今日の店の間違い探しを楽しむこともできる。しまいには、常連客も微妙に服などを変え始めた。客みずから間違い探しになったのだ。

このような楽しみに溢れた店が繁盛しないはずはない。全国からイタリア料理と間違い探しファンが詰めかけ、もう予約も取れないありさまだ。

こんなに大成功したレストランがあろうか。連日のようにメディアに取り上げられ、経営方針が新書で出ることにもなった。

ところが、半年もしないうちに閉店してしまった。隣に 2 号店を開店して店ごと間違い探しにしようという計画に着手したばかりだった。我が国の行政がこの店で、脱税・産地偽装・不衛生な調理環境・ハラスメント・不法就労など、さまざまな間違いを見つけたのである。

いまでは、空き店舗が残されているだけだ。街の人々は「間違いひとつ見つけた」とその前を通るときにいつも思う。

音楽

ライク・ア・ローリングストーン

「ライク・ア・ローリングストーン(Like a Rolling Stone)」は、ボブ・ディランの代表曲だ。

言わずと知れた名曲だが、そうはいっても、もう 60 年近くも前の曲だ。知らない人も多いと思うので若干の説明は必要だろう。

ボブ・ディランは、アメリカのミュージシャンでノーベル文学賞受賞者でもある。詳しくない人のために付け加えると、戦国武将でいうならば、徳川家康ぐらい影響力のある人だ。

そしてこの「ライク・ア・ローリングストーン」は 1965 年に発表され、大ヒットとなった。戦国武将でいうならば、豊臣秀吉クラスの名曲だ。

歌詞の内容は、セレブ女性の転落を辛辣に描くもので、まるで戦国時代のように混沌とした当時のアメリカの社会状況が反映されている。

参考までに以下に1番の歌詞とその私訳を記す。

Once upon a time you dressed so fine
    昔々、お前は派手に着飾って
Threw the bums a dime in your prime, didn’t you?
    親父の仏前に抹香を投げただろ
People call, say “Beware doll, you’re bound to fall”
    誰もが言ったさ。「大うつけめ、それじゃ先ゆき危ないぜ」
You thought they were all a-kiddin’ you
    お前は連中がからかっていると思ったのさ
You used to laugh about
    お前は焼き討ちしたね
Everybody that was hangin’ out
    比叡山をうろつく奴ら全員を
Now you don’t talk so loud
    いまじゃ、お前は天下布武しない
Now you don’t seem so proud
    いまじゃ、お前は天下人にみえない
About having to be scrounging your next meal
    燃えさかる本能寺で自害するんだからな

How does it feel?
    どんな気がする?
How does it feel?
    どんな気がする?
To be without a home?
    人間五十年
Like a complete unknown?
    下天の内をくらぶれば
Like a rolling stone?
    転がる石のごとくなり

苦い文学

コロナ哀話

友人が遊びにきたので、行きつけの居酒屋に行った。

二人で飲んでいると、彼が離れた席を睨みつけた。

二人の中年の男女が酒に酔って醜態を晒していたのだ。二人だけでやるならまだしも、他のテーブルの客に声をかけたり、テーブルの間をご機嫌にふらついたりしていた。しかも、このご時世を嘲笑うかのように、マスクなしだったのだ。

「こういう連中がいるからいつまでたってもコロナが終わらないんだ!」といまいましげに呟く彼に私は答えた。

「その通り。それがまさしくあのご夫婦の目的なのだ」

「なに、知り合いなの?」

「知り合いではないが、二人はこの店の常連だ。そして、その事情も多少は知っている」

そして、私は友人にこんな話をしたのだった。

「二人の間には、一人息子がいるのだ。彼は中学一年の時にいじめにあって、不登校になってしまった。夫婦はひどく悩んだが、思わぬ方向で事態は好転した。二年生の終わりにコロナ禍がやってきて、学校はオンラインになったのだ。

「息子はこのオンラインが性に合ってたらしく、授業に参加するようになった。友人もできたようだった。彼は明るさを取り戻し、夫婦は大いに喜んだ。

「また、無事に高校に進学できたことも、うれしいことだった。高校では、基本は対面授業だが、事情を配慮してもらいオンラインでの出席を続けているそうだ。

「だが、ある日のこと、息子が悲しそうな顔をしているのに二人は気がついた。心配になって尋ねてみると、こんなことを言って泣くのだ。

『コロナが終わったら、オンラインも終わっちゃうんでしょ。そしたら、学校に行けるかな、また学校に行けなっちゃうかな、またみんなに取り残されちゃうかな』

「その晩、夫婦は話し合い、コロナを終わらせない活動を始めることにした。

「それで、あの夫婦は、毎晩、あちこちにマスクなしで出入りして騒ぎ立て、コロナを一粒でもいいから広めようとしているのだ。その親心や、哀れ、ではないか」

話が終わったとき、私は友人の目に涙が光っているのを見逃さなかった。

彼は、汚らしくはしゃぎ回る夫婦をちらりと見て、私に顔を向けた。まるで「この醜悪なバカ騒ぎの裏に、こんな哀しみが隠されていたなんて」と言いたげな顔つきだった。

私はうなずいてみせた。彼もうなずいた。そもそも情に厚い彼にはそれで十分だった。彼は立ち上がり、マスクを床に投げ捨てた。そして、したたかに酔ったかのような足取りで、夫婦に近づいていった。

私はそれからすぐに退散したので、このホラ話が彼にどんな災難(あるいは幸運)をもたらしたかは、神のみぞ知るだ。