風刺・戯文

ニッポンのモノづくりがあぶない

アナウンサー「では、次のニュースです」(映像が切り替わり、記者が登場)

日本のモノづくりは、高い技術力、品質、製品開発力、きめ細やかなサービスにより、日本の社会と文化を支え、世界のモノづくりをリードしてきました。

ところが、国際化の進行につれ、今、日本のモノづくりが大きな危機に直面しているのはご存知でしょうか。

「これまで当たり前だったモノが今の社会では通じなくなっているんです」と語るのは、日本モノづくり協会の会長、物部守さん。

「例えば、男は命をかけて仕事をするモノだ、という日本の伝統的なモノが今や見向きもされないのです。女は仕事なんかするモノじゃない、家で夫を支えるモノだ、なんて言ったら今ではそれこそ炎上モノですよ」

都内の工場を訪問すると、そこには在庫の山が。「どれもこれも、日本人は、男は、女はこうあるべきモノの売れ残りです。いったいどうしたモノでしょうか」と、製造者は頭を抱えます。

日本のモノづくりをめぐるこうした状況に専門家は「これまでの既成概念にとらわれず、社会の変化に合わせるコトです。このままだとコトによると『それ見たコトか』と笑われかねません」と手厳しい指摘。

変化など知るモノかなどとは言っていられない、と関係者が一様にモノがなしい面持ちの現場からお伝えしました。

アナウンサー「モノがモノだけに、これはコトですね。では次のニュースです」

苦い文学

東京ディズニーランドのビザ

浦安に近づくにつれ、目につくようになるのは、行政書士や弁護士事務所の広告だ。そのどれにも「ビザの取得はおまかせ!」とか「ビザでお悩みの方! ぜひ当弁護士にご相談ください」とか書かれている。もしあなたに経済的な余裕があるなら、こうした専門家に頼むのもいいかもしれない。

だが、東京ディズニーリゾートのビザの取得は、個人でも十分可能だ。ただし、書類集めはかなり大変だ。事前に用意しなくてはいけないのは以下の通り。

・申請書
・入園目的の陳述書
・就労証明書、犯罪経歴証明書
・身元保証人の宣誓供述書(もしくは招へい書)
・経済力を証明するもの:納税証明書か銀行残高証明書(1,000 万円以上)

これらはもちろん、英訳したものと一緒に提出しなくてはならない。許可・不許可の通知が来るのは、申請から1ヶ月ほどだ。東京ディズニーリゾート当局は明らかにしていないが、およそ8割が不許可となる。その理由も非開示だが、過去のネット上の発言、具体的には、ディズニー・キャラクターへの敵対的・侮蔑的なコメント、テロリストへの共感などが問題となった場合も多々あると見られる。心当たりのある方は専門の業者に頼んで削除してもらうことをお勧めする。

運よくビザが取れたとしても、入園当日まではネットなどでの発言にやはり慎重になるべきだ。ゲートの審査で別室に連行され、ミッキーマウスたちから執拗な取り調べを受けた末、強制送還となるケースもしばしば報告されている。

なお、ビザ不許可者の中には、闇業者の船で海から密入国を試みるものがいるが、これはもちろんやめたほうがいい。騙されて東京湾の第一海堡に置き去りにされる被害が後を絶たない。

苦い文学

自然の不思議な摂理

自然というものはまったく不思議だ。枯れ葉のように見える虫や、目のような模様で天敵を威嚇する蝶などはどのように進化したのだろうか。私にはどうも、神のような知性を想定する「インテリジェント・デザイン説」が正しいように思える。

最近、赤ん坊の泣き声に関する研究が公表されたが、これなどもまさしくインテリジェント・デザイン説の新たな証拠となりそうだ。

どんな研究かというと、赤ん坊の泣き声と逆の位相をもつ音波の生成がそのテーマだ。わかりやすくいえば、赤ん坊の泣き声のノイズキャンセリングだ。

さまざまな実験が行われ、ついに赤ん坊の泣き声を打ち消すにもっとも適当な音声が明らかになった。それが驚くなかれ、男性高齢者の怒鳴り声であったのだ。

私たちは公共施設や電車の中で、赤ん坊の泣き声にイラ立って怒り出す男性高齢者にしばしば出くわす。じつはこの高齢者の行動はノイズキャンセリングとして最適であったということになる。

もちろんのこと男性高齢者は自分の声にそのような機能があるとは思っていない。ただ怒り狂っているだけなのだが、結果として逆位相の音声が生じノイズキャンセリングとなっていた。まさに自然の摂理というべきではなかろうか。

もしかしたら、イラ立つ男性高齢者の不機嫌な顔、恐るべき無慈悲さ、偏屈ぶりなども、知性ある存在がこしらえたデザインかもしれない。私たちは自然の不思議に感嘆せずにはいられないのだ。

苦い文学

非対面世界(1)

コロナ禍も出口が見え、多くの学校で対面授業が復活している中、彼の大学だけは非対面授業が継続していた。

いや、実のところ、対面と非対面が選択可能なハイブリッドだったのだが、教室に来る学生は一人もいないのだった。しかし、それでも彼は教室に行かねばならず、誰もいない教室で zoom の画面を見つめる日々だった。

学生たちはみな中国からの留学生だった。確信はなかったが、そのほとんどが中国にいるようだった。受講生として登録されているのは 120 人だったが、授業に割り当てられた教室は 60 人も入らなかっただろう。大学が非対面授業をやめないのは、このせいでもあった。つまり、現実のキャパを超えて留学生を増やすことができるのだった。そして、そのぶん大学は儲かるのだ。

120 人もいると、出席を取るのも大変だった。学生たちは常にカメラをオフにしていたから、顔もわからなかった。なんどつけるように言っても、学生たちは決してつけなかった。小さく分割された黒い画面に向かってひとり話し続ける、彼が行なっていたのはそんな授業だった。

もっとも、彼はときおり学生を指名して、教科書を読ませたりした。大学の方針で学生に発言させなければならなかったからだ。そんなとき彼は学生にカメラをつけるように要求した。

学生たちはあいかわらず拒絶したが、しつこく言うと、何人かはつけた。スクリーンの小さな四角の一つに光が宿り、学生の顔が映し出される。その顔は全体ではなく、あごとか頭のてっぺんとかのときもあったが、それでも、彼はなにか成し遂げたような気分、得体の知れない巨大な生き物をねじ伏せたような気分になった。

苦い文学

令和の山月記

前立腺に異常が見られるというので、大きな病院の泌尿器科に行った。結果としては特に問題がなかったのだが、診察前のアンケートで一日の排尿の回数の項目があり、一日に何回するか考えたこともなかったので、少し多めに書いた。

診察に当たってくれた先生はとても親切な先生だったが、少しせっかちのようだった。彼は診察しながら、私に対してどういう診察をしたかをコンピューターにしっかり記録していくのだが、せっかちのあまり必ず誤入力するのだった。

先生は、私のアンケートを見て、頻尿の症状を読み取った。

「おしっこは一回は我慢してください。そうして膀胱をしつけるのです。これを膀胱訓練といいます。子どもをしつけるようなものです」

魂が肉体の主人であるように、私も膀胱の主人なのであった。

先生は、話し終わるや、さっそくパソコンに入力した。だが、「膀胱訓練を指導」と入力するつもりが、せっかちすぎて早めに変換して「暴虎」となってしまった。

暴虎! 先生はこれまでいくど「膀胱」と入力したかしれないのに間違うとは……

私は夜の山道を歩いていた。

すると、草蔭から一匹の暴虎が躍り出た。虎は、あはや私に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。私は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。「其の聲は、我が膀胱ではないか?」

草叢から声が聞こえた。そして、膀胱は虎に成り果てた由縁を長々と語つたのだつた。言終つて、叢の中から、堪へ得ざるが如き悲泣の聲が洩れた。

「泣いてる、膀胱が!」と気づいた私は、慌てて便所を探した。