散文

地獄の言語学入門(3)

研究には、なにが必要だろうか。理系ならば、データが必要だ。そしてデータを集めるための観測機器、実験道具、データ処理のためのコンピュータもなくてはならない。これらは刑務所内では決して手に入らないものだ。

では、文系ではどうだろうか。心理学にしても、社会学にしても、経済学にしても、理系と同じだ。データがなくてはなにもならない。そして、その他の法律・政治・哲学・文学は、文献がなくては手も足も出ない。

あらゆる研究には対象があり、その対象を捉えるための環境が必要だ。だがどんな研究であれ、刑務所内に必要なものを持ち込むことはできない。たったひとつ、言語学をのぞいては。

なぜなら、言語学の研究対象は、言語そのものであり、言語学者自身がその言語の使用者であるからだ。

言語学者はどんなに厳重な牢獄でも、言語を難なく持ち込むことができる。刑務所のどんなに高い壁も、恐ろしい番犬の群れも、激しく動き回るサーチライトも、見回り兵たちの銃撃も、言語を怯ませることはできない。

言語は、囚人たる言語学者の頭の中にすっぽり収まって、頭蓋骨に護送されながら、堂々と正面から検問を突破する。

散文

日本語教育能力検定試験やよのさ(5)

 音声学を初めて勉強する人は、遠慮会釈なく現れる口腔断面人間に恐れをなすことだろう。

 恥ずかしげもなく口の中を晒すこの人物はいったい誰なのか。IPAの回し者だろうか。それになぜいつも左を向いているのか……。だが、この問題には決して立ち入るな、と警告させていただこう。なぜなら、試験には決して出ないから。

 そんな暇があったら、口腔断面図を何枚も書いたり、用語や謎めいた音声記号を覚えるのだ。だが、もっと大事なのは、実際に発音したり、音声の違いを自分の耳で聞き取ったりすることだ。

 私が大学で音声学を学んだときに、上達するのには「頭の柔らかさ」が必要だと告げられた。まさしくその通りだ。我々は日本語の発音を無意識に行なっているが、その無意識に行なっていることを意識化するには頭が柔軟でなくてはならない。

 だから、発音や聞き取りの上達には、学歴とか年齢とかは、あまり関係ない。先入観にとらわれずに物事を捉えているか否かがものをいう。それができれば、有声摩擦音の「ザ」と有声破擦音の「ザ」の区別などお茶の子さいさいだろう。

 私は残念ながら、頭が硬いのでいまだに「巻き舌」の「ラ」には苦労させられる。頭が硬いと舌も硬くなるのだ。柔軟な人は舌も柔らかい。極上タンだ。

 しかし、一番安いサービス・タン塩だからといって、諦めてはいけない。口さえあればどこでも練習できるのだ。外を歩きながら、電車の中で、そして、買い物中に、「巻き舌」の「ラ」や「軟口蓋鼻音(鼻濁音)」の「ガ」を練習するのだ。人にどう思われたってかまやしない。むしろ人が遠巻きになるので、安全なぐらいだ。

 ただし、「コ」と「ロ」と「ナ」をセットで発音練習するのは今のところ自粛しておいたほうがいいだろう……。

こいつは付き合い方によっては頼もしい味方だ。