風刺・戯文

マンの言葉

【コラム】
「おんなこども」という言葉に如実に現れていますが、私たち男は「社会の主役として女性や子どもを率いねばならない」という考えを、意識的に、あるいは無意識のうちに刷り込まれてきました。

そうした考えはかつての同質的な社会では通用していたかもしれませんが、多様な人々がそれぞれの幸福を追求する現代社会ではかえって批判の対象となっています。

たとえば、マンスプレイニングという言葉があります。「男(man)」と「説明する(explain)」をくっつけたものですが、これは、男性が得てしてしがちな、女性に対して得意げに説明したがる行為を表すものだそうです。

また、マンスプレッディングという言葉もあります。「男(man)」と「広げる(spread)」を合わせたこの言葉が批判しているのは、男性が電車の中で足を開いて座る行為だとのことです。

「わかった、もう女になんか説明してやらん」「なんだデカくて悪いのか」とそうお怒りになる方もいるかもしれません。ですが、この二つの言葉が指摘しているのは、私たち男がしばしば相手の気持ちを考えずに物事をしがちだという傾向です。そして、いわゆる「男性中心社会」の中で、そうした傾向の恩恵を許されてきた私たちが批判されているのです。

私たちは態度を変えるべきときに来ているようです。相手、とくに女性に配慮し、互いの関係が対等になるように調整し、協力関係を打ち立てるように努めることが、今後ますます大切になってくると思います。そして、そのような協力的な男性となってはじめて私たちは、マンスプレイニングやマンスプレッディングではなく、マンコーポレイティング、マンコーディネーティングと声を大にして言えるのではないでしょうか。

風刺・戯文

アポストロフィなう

我が国はいま危機に直面している。絶えずミサイルは落下し、怪しい船が領海内を侵犯しまくっている。いまこそ、鉄壁の防衛を実現しなくてはならない。

では、その鉄壁の防衛を実現するためにはどうしたらよいだろうか? 巨大な軍艦を何隻も建造することだろうか? 核爆弾を全都道府県に配備することだろうか? それとも、我が国の全領域を電磁バリアーで覆うことだろうか?

確かに重要なことだ。だが、それだけでは不十分なのだ。アポストロフィ防衛がなくてはならない。

アポストロフィ防衛とはなにか? 日本語がローマ字表記されるとき、アルファベットの他にアポストロフィと呼ばれる「’」が出現するのにお気づきであろうか? たとえば、以下のような場合だ。

恋愛(れんあい)ren’ai
全員(ぜんいん)zen’in
新横浜(しんよこはま)shin’yokohama

もしも無知な人が「なんだこのゴマつぶみたいなの」と、このアポストロフィを消してしまったらどうなるだろうか。恐ろしいことが起きるのだ。

れない renai
ぜにん zenin
しにょこはま shinyokohama

そう、すべての意味が消え失せてしまうのだ。つまり、このアポストロフィが n と母音が結びつくのを妨げ、身を挺して言葉を守っていたのだ。そして、この捨て身の防御のおかげで、新大久保が「篠窪」にも、新大阪が「篠坂」となる大混乱を未然に回避でき、日本文化、ひいては日本国が守られていたのだ。

強大な兵器や防御は確かに必要だ。だが、これらの装備も、アポストロフィ防衛がなければなんの役に立とうか。

国民たちよ、今こそこの小さなアポストロフィになろう。そして、全身を捧げて、日本を守ろう。

風刺・戯文

元気ちがい

日本を元気に……

日本全国に元気を届ける……

元気……元気……元気……

いつから私たちはその言葉を耳にし始めたのだろうか。ずっと昔すぎてもうわからない。中には生まれる前から、元気……元気……産声もきっと元気がなかったのだ……

いったいいつ日本は元気になるのだろうか。こんなに元気元気と言われ続けているのに……

これから10年先、20年先、100年後までも、元気……元気……元気……と言い続けるつもりなのだろうか。だが、そんなにもして元気にならないというのならば、この日本はもう元気にはならないのではないだろうか。死んだ人間が生き返りでもするような……

はっ、それとも、本当は元気なのでは? そうだ、決して空元気などではない。元気だ。ただ、この国のことだ……国が認めないのだ……国産じゃなきゃって……

「出る元気は打たれる」というわけ……

いや、もしかしたら、元気判定師みたいなのがいるのかも。そいつがそんじょそこらの元気じゃウンと言わないのだ。縦に振らないのだ、首を……

これは別の元気です……元気ちがいです、と。

いつか、元気ちがいのこの国から「日本を元気に」と言う元気がなくなるまで……

風刺・戯文

死に至る病

哲学倶楽部の先輩から、「君はこれを読むべきだな」と、ゼエレン・キェルケゴオルのその本を渡されたとき、私たちの友人は「死に至る病……?」とそのタイトルを口にしたきり、絶句したそうだ。

そして、その時から、彼の人生は大きく変わった。かつては市街のあちこちのカフェで、旧制高校の制服と学帽を得意げに着た彼の姿を見かけたものだが、そんなこともなくなった。

それどころか、街外れや田園地帯を彷徨い歩く彼の姿が目撃されるようになった。着物はズタズタに破れ、蓬頭垢面のそのありさまは、狂人さながらであった。いや、そうだったのかもしれない。もともと、細かいことに拘泥する質の彼だったから、それがついに度を越してしまったのだ。

しかも、さらに異常だったのは、甲高く、耳障りな声で始終叫び続けていることだった。まるで怪鳥が同類を求めて鳴き続けているかのようだった。

そして、ある日、彼が道端に倒れているのが発見された。その時にはもう虫の息で、ただかすかな声で鳥のように鳴くのだった。彼が息を引き取ったのは、それから数時間後のことだった。

私たちは、死んだ彼が『死に至る病』を固く握りしめているのを発見した。私たちは苦労して彼の手からその書を外した。彼の死の秘密を探るべく、パラパラとめくった。だが、秘密どころか、1ページも読んでいないようなのだった。その真新しい書物を見て、誰かがポツリとつぶやいた。

「彼は……『キェ』の発音から先に進むことができなかったのだ……」

小説

主語なき時代へ

主語賛成派と主語反対派の抗争はますます激化していきました。状況をさらに悪化させ複雑にしたのは、海外諸国の介入でした。

主語反対派は、主語のない言語が用いられている国々から強力な支援を受けていました。これらの国々は、主語を自国の政体を脅かす危険成分だと分析していたのでした。

いっぽう、主語のある言語が使われる国々はこぞって主語賛成派の支援を表明しました。多くは民主主義の確立した国々であり、我が国での主語をめぐる争いを主語退潮の危機と捉えたのでした。

両勢力とも拮抗した状況が続き、このまま内戦に突入かと思われましたが、あるできごとが事態を大きく変えました。

主語反対派の勢力と我が国の保守勢力とが合流し、大きな政治勢力となったのです。反主党と名乗るこの勢力はたちまちリベラル勢力と主語賛成派を駆逐し、とうとう権力を掌握しました。

反主党は政権を奪うや、主語廃止令を発布し、主語の粛清に乗り出しました。そして同時に、これまでどの政治勢力もなしえなかった改憲に取り組みました。日本国憲法は GHQ の指示により、無数の主語で汚染されている不純な憲法だというのです。

その結果、我が国の憲法は次のように純化されました。

(旧憲法前文) ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
(改正憲法前文) ここに存することを宣言し、この憲法を確定する。

新しい憲法が発布されたこの日、私たち国民から主語と主権が永遠に奪われたのでした。

小説

主語の抗争

日本語の主語の有無をめぐる壮大な社会実験は、被験者が急に英語しか話さないようになったため失敗に終わり、その後、主語賛成派と主語反対派の対立は深まるばかりでした。

この対立がついに暴力沙汰を引き起こしました。学会での議論の最中、主語賛成派がカッとなって主語反対派の頭をポカリと殴ったのです。そして、こう怒鳴りました。

「主語がないというのなら、お前は誰が殴ったかもわからないはずだ!」

そして、殴られてフラフラしている主語反対派に追い打ちをかけました。さらなる一発をお見舞いしてこう叫んだのでした。

「覚えとけ! これはお前たちが否定した主語の分だ!」

主語反対派たちはほうほうのていで逃げ出し、学会主流派となった主語賛成派は勝利宣言を出したのでした。

ですが、この事件からしばらくすると、主語賛成派の幹部たちが次々と襲撃を受け、殺害されるという事件が発生しました。これがいわゆる「主語なき殺人事件」です。こう呼ばれるのは、犯人はいかなる手がかりもの残さなかったためでした。

警察の懸命の捜査にも関わらず、犯人が逮捕されない事態に、ついに残された主語賛成派が行動に出ました。主語反対派の仕業だと確信する彼らは、大規模な報復を開始したのです。

その結果、武力抗争が勃発しました。両者の抗争は拡大し、ついには無辜の市民が攻撃の目的語になる痛ましい事件すら発生したのでした。

小説

主語の実験

日本語に主語があるのか、はたしてないのか……これまでこの問題について数々の議論がなされ、論文が発表されてきました。

主語があるという主語賛成派はこう言います。「どんな行為にもそれをなす人がいるのだから、主語がないなんてありえない」

いっぽう、主語がないと言ってはばからない主語反対派はこう反論します。「日本語には英語のような主語はないし、主語のない文だってある。日本語には主語など必要ない」

この論争に終止符を打つべく、いま大規模な試みが行われようとしています。実験を主催する大富豪、後澤呆作代表は語ります。

「これは壮大な社会実験です」

実験の主役となるのは吉田二郎さん(66)です。地下に建設された空間で、これから1年間のあいだ外部との接触を断ち、たったひとりで過ごす予定です。

「食事も排泄もすべてエコシステムの中で完結しています。退屈じゃないかって? 運動設備も娯楽もなんでも揃っていますから、退屈する暇なんてないでしょうね」

こう笑う吉田さんがこの地下施設でチャレンジするのは、主語なしの生活です。

吉田さんの地下施設での様子は、逐一地上でモニタリングされ、主語のチェックが行われることになっています。

「主語が検出されてもされなくても、この実験によって主語論争に決着をつけることができるはずです」と後澤代表は期待に胸を膨らませています。

風刺・戯文

言文不一致

アジェンダ、コンプライアンス、アカウンタビリティ、エヴィデンシャリティ、オブノクシャス、ヒレイリアス、ペッティング……

日本復活党が政権を握ったとき、悪意に満ちた移民どもと一緒に追放したのが、これら意識の高い系の外来語だった。

そして、日本復活党は、美しい日本語を守るために、日本語純化を宣言した。「日本語は乱れてしまった! 私たちは本当の日本語を話すときに来ている! これからは国会も、学校教育も、公文書も、出版物も、すべて源氏物語時代の日本語に改める! それ以外の日本語を使うものは、反日勢力として処刑する!」

人々は叫んだ。「いとおかし!」 本当はもっと別のことが言いたかったのだが、教養と事情が許さなかったのだ。

ある学者によれば、今や、人々は 2000 通り以上の言い方で「いとおかし」を使い分けて、日々の生活を送っているそうだ。その学者はそのすべてを網羅した辞書も刊行したが、「いとおかし」としか書かれていなかった。

風刺・戯文

エアエアクオート

映画やなにかで、欧米の人が会話中に、両手の人差し指と中指を同時にクイクイと曲げる仕草を見たことがある人も多いだろう。

これは、英語などで用いられる引用符(”ダブル・クオーテーション・マーク”)を表す「エアクオート」と呼ばれるジェスチャーだ。エアクオートを使うと「他の人はそう言ってるけど、自分はあまり賛同していないよ」というようなニュアンスを表すことができる。

私の友人が先日、このエアクオートでギネス記録にチャレンジした。「どういうこと?」と怪訝に思う人もいるかもしれないが、こうだ。

ある言葉に両手でエアクオートをしたのち、すぐにその両手を少し外側にずらして、もう一度エアクオートを行うと、二重にエアクオートが行われていることになる。あえて文字で表せばこうだ。

   ““バカ””

彼はこのエアクオートをどこまで重ねることができるか、引用の限界に挑んだのだった。ギネス公認の記録は 578 回で、まずはこれを超えることが目標となる。

友人はギネス審査員たちの見守るなか、驚くべきスピードでエアクオートを積み重ねていった。まさに超人的な集中力・体力・腕力だった。576 回、577 回、578 回、579 回! ついに世界新記録達成だ! だが、彼のクオートはやまない! 590 回、前人未到の 600 台! そして、619 回! ここで惜しくも彼は力尽きた! しかし、彼こそがギネス記録保持者なのだ。

審査員たちが駆け寄り、左右からエアクオートの数を確認する。1、2、3……。審査員たちが急にざわめき出し、予想外のアナウンスをした。右側のエアクオートのマークがひとつ足りない、と。指を曲げ忘れたのか、それとも、曲げ方が弱かったのか……それにしても痛恨のミスだ。

残念ながら新記録とは認められなかったが、私たちはみんなで彼を “チャンピオン” とエアクオートで褒め称えた。