散文

普遍人間発生装置(1)

私は結局、大学には受からなかったのだが、昔、予備校に通っていたことがあった。そのとき、現代文の読解問題に「話すように書くことなどできない」と主張するものがあった。誰の文章だかはっきりしないが、そのとき「精神の運動」という言葉が出てきたような気がするから、石川淳かもしれない。

それはともかく、この主張の内容は確か、話し言葉と書き言葉の論理は違うからというようなものだったと思う。それももちろん大事だと思うが、私が今、話すように書くことはできない、と考える理由のひとつは、当たり前のことながら、口から出た言葉を全て文字に表すことはできないからだ。

日本語話者は慣れてしまっていて気がつかないが、日本語の書記法はアクセントを表すことができない。ビルマ語やタイ語にはアクセント(の一種)を表す補助記号があるのと対照的だ。とはいえ、それで日本語を読むとき困るということはない。ひとつには漢字があるからだ。「はし」だけではどう読めばいいかわからないが、「橋」「箸」と漢字を使えば発音するのには困らない。漢字がアクセント記号の代わりにもなっているともいえる。また、漢字がなくても、文脈があればたいていわかる。「このはし渡るべからず」と書いてあれば、一休さんでなくても「箸」ではないことぐらい察することができる。