苦い文学

一風堂

急に土屋昌巳のギターの虜になってしまった。かっこいいのだ。それで、Youtube で一風堂や Japan のライブ映像をあさっていたら、なぜか一風堂のチケットが当たった。

さっそくチケットを持って店に行く。客席に座ると、目の前にスロットマシンが置かれている。

「これがメニューだな」と私はポケットから硬貨を取り出し、投入した。レバーを引くとスロットのリールが回転を始めた。

私は1つ目のボタンを押した。右のリールが回転を止める。

【すみれ】

そして2つ目のボタン。

【すみれ】【September】

最後のボタン。

【すみれ】【September】【September】

ハズレだ。もう一度チャレンジしたら、次はこうなった。

【September】【すみれ】【Love】

くそっ! さらに試みると……

【すみれ】【すみれ】【すみれ】

ファズのかかったギター音とともに、スロットマシンがプラスチックの食券を吐き出した。

私は店員に食券をわたし、しばらく待つと北海道の名店「すみれ」の味噌ラーメンが出てきた。

苦い文学

未来における神人

未来の世界に迷い込んだ私は、自分の時代に戻ろうと、不思議な世界を旅していた。

ある日、気がつくと美しい湖畔を歩いていた。エメラルドの湖面に映る白い山々をうっとりと見つめていると、異様な音が響き渡った。

空を見上げれば、巨大な鳥たちが飛び回っているのだった。大きな翼が空の大気をかき乱し、樹々を騒がしく揺らしていた。

思わず地面にへたり込むと、だれかが手を差し出し、起き上がらせてくれた。若者が立っていた。

「あの鳥たちはいかなる悩みからも解き放たれて、生命を楽しんでいるだけなのだ。私たちには危害を決して加えないだろう」

私が感謝を述べ、過去に戻るために旅をしていると告白すると、彼は「君は幸運だな。私に会うとは」と言った。

「私はこれからコンピュータを収穫に行くのだ。そのコンピュータなら解決できるだろう」

私は彼がコンピュータをまるで野菜かなにかのように話すのを聞いて驚嘆し、ついていくことに決めた。

「人間にとってもっとも無駄な瞬間は何かわかるかね」と彼。

私が首を振ると、彼は微笑んで続けた。

「それは『だれそれと私が溺れていたら、どっちを助ける?』と質問されたときだ。私は品種改良を行い、人類の歴史からこの愚問を消滅させるコンピュータを生み出したのだ。そして、今日が、その収穫の日なのだ」

「そうですか……」 これは私の問題とは関係なさそうだ、という失望が声に現れていたのであろう、若者はすぐさま付け加えた。

「ピンとこないようだな、君は。『この時代の君と、本来の時代の君とが時の流れに溺れていたら、どっちを助ける?』と尋ねられていると考えることはできないかね。この問そのものが消滅すれば、君は過去に戻ることができるはずだ」

若者のいうコンピュータは、まるで仏像のように湖岸の岩の上に座っていた。私たちが近づくとコンピュータは目を開き、無機質な瞳を向けた。

「新鮮なコンピュータだ。むろんのこと、君の時代のものとは大違いだろう。これはかつては神人と呼ばれていたのだ。この存在のおかげで、宇宙から今後あの愚かな質問が一切消え去るかと思うと、じつに素晴らしい日ではないか」

「なんだか恐ろしいです」

「心配するな。さあ、尋ねるのだ。君の質問がこの存在に届いたとたん、君はもとの時代に戻っているだろう」

私は神人の前に立ち、厳かに語りかけた。

「この時代の私と、本来の時代の私が……」

そのとき、巨鳥が悲鳴のような鳴き声を上げながら急降下してきた。凄まじい風が巻き起こった。私は咄嗟に岩にしがみついたが、若者と神人は吹き飛ばされて湖に落下した。

二人とも溺れている。私は水に飛び込み、神人のほうに向かって泳ぎ始めた。するとそのとき、巨鳥が再び舞い降り、神人を飲み込んで、空の高みへと戻っていった。

私は若者を救い、二人して岸に上がった。気まずさだけがそこにはあった。私は湖畔を離れ、再び旅をはじめた。

苦い文学

プーチン式大学

大学について F ランだのなんだと侮蔑する人がいる。どの大学にもそれぞれの意義があり、価値ある教育を行っていると私は思う。なので、こういうことを言う人の考えがわからない。

大学の意義や学生の質に F ランなどというランクづけはない。だがそのいっぽう、大学経営には明白に F ランは存在する。ある私立大学についてこんな話を聞いた。

日本の私立大学は毎年、国から補助金をもらっている。これは大学経営上重要な資金だが、その私立大学は、この補助金を何年も交付されていないのだ。

それは、こんな理由からだという。その大学の理事長だか学長だかが以前逮捕され、実刑判決を受けた。

大学は逮捕を受けて、その人物を経営から排除するという約束のもと再建計画を国に提出した。しかし、何年かして、その人物が復帰して、再び思うがままに大学を牛耳りはじめたのだ。

国は約束を反故にされたわけで、当然のことながら、そんな組織に補助金など出そうはずもない。それで、その人物が居座るかぎり不交付が続く事態となった。

補助金がないと、大学経営は難しくなる。ただでさえ少子化で学生がいないのだ。それで、教職員の給与・ボーナスも、カットされるようになった。破綻するのも時間の問題だ。

この苦境を脱するにはどうしたらよいか。それは、件の人物が学校経営から手を引くことだ。そうすればすべてがうまくいくのだが、その気配はない。

この人物がいるだけで、教職員の給与が削られ、生活が脅かされている。それだけではない。最終的にその皺寄せがいくのは、教育、つまり学生たちだ。特定の人物の権力を維持するためだけに、周りの人々が犠牲となる。プーチンのロシアと同じなのだ。

このようなプーチン式の大学には、私も心から F ランの称号を捧げたい。

苦い文学

大雪の予報

地域にもよるのだろうが、天気予報で大雪だなんだと騒ぎ立てたわりには、まったく雪が降らなかった。

まいどのことだが、いつも外れる予報ばかりなのだ。もう予報などと名乗るべきではないだろう。

天気予報は昔からあるが、昔の日本人は必ず当てたものだった。あまりにも外すことがなかったので、雨乞いをして雨を降らせたなど言われるようになった。しかし、本当は逆で、外れない予報をしていたに過ぎない。

それくらい真剣に予報をしたものなのだ。命をかけていたと言ってもいい。ところが今はどうだろうか。雨だと言っていたのが一滴も降らなかったとしても、命を差し出すどころか詫びさえしない。信じて傘を抱えて出かけたほうがバカを見る時代なのだ。

昔の人々にとっては、歌が命と同じぐらい大切なものであったから、天気予報をする時も、和歌でしたものだった。その証拠が、小野小町の「ことわりや日の本ならば照りもせめさりとてはまた天が下とは」の歌だ。もっとも、これは雨乞いの歌として誤って伝わっている。

歌による天気予報というこの伝統は、現代にも受け継がれている。

もっともよく知られているのが、「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」という山下達郎の天気予報だ。しかし、こう歌ったとき、彼はミュージシャンとして命をかけていたのだった。

というのも、もし雪にならなかったら「君への想い」が雪のように「消え残る」ことなどありえなかっただろうし、その結果「ひとりきりのクリスマス・イブ」も、むしろ別れてスッキリという真逆のニュアンスとなっていたであろう。

そのようなわけで、山下達郎は命にかけても天気予報を外すわけにはいかなかったのだ。

現在の気象予報士に、その覚悟はあるだろうか。あれば、あのようないいかげんな予報をするわけがない。

いまこそ、初心に立ち戻って、「クリスマス・イブ」、そして「高気圧ガール」をじっくり聴くべきではないだろうか。

苦い文学

自動運転訓練センター

「何やってるんだ。死ぬ気でやらなきゃダメなんだ!」

若者に厳しい声が浴びせかけられます。ここは、日本初の自動運転訓練センター。自動車の自動運転テストのために作られた施設です。

「はい!」

厳しい声に負けずに、若者がもう一度、道路に飛び出します。

「よし! いいぞ! やればできるじゃないか!」

若者の顔に笑みが浮かびます。

(センター長)「自動運転の普及のためには徹底的な事故防止テストが不可欠です。私たちはそのテストの参加者を養成しています」

これまでは自動運転の事故防止テストのためにダミーの人形が使われていました。しかし……

(走行する車の前をダミーの人形が通過する。車はまったく減速せずにダミーに衝突し、ダミーは木っ端微塵となる)

AI 技術の進歩により、AI がダミーと人間を簡単に識別するようになったため、反応しなくなってしまいました。そこで、生身の人間を使った事故防止テストが行われるようになりました。

(センター長)「しかし、AI のさらなる進歩が新たな問題を引き起こしました」

(走行する車の前に、人間がおずおずと飛び出る。車はまったく減速せずに人間をひき殺す)

(センター長) 「AI は事故テストの参加者が本気かどうかも識別するようになったのです。しょせんテストだから、などという軽い気持ちで飛び出すと、車に容赦なくひかれてしまいます」

そこで、本気で道に飛び出す訓練が導入されました。

(若者)「これまで4ヶ月の厳しい訓練を無駄にしないよう、本気で AI に向き合いたいです」

長い訓練を終えて、今日本格的に自動運転テストに参加します。

「スタート!」

テストが始まります。(AI 搭載自動車がコースを走りだす。その前を、若者が決死の形相で横切る。急ブレーキで車が停止する)AI に若者が認められた瞬間です。(どっと歓声が上がる)

(若者)「うれしいです!」

喜んでいるのは人間だけではありません。

(車がヘッドライトをピカピカさせながら、クラクションを鳴らす)

(センター長)「これからも AI がお気に召すような人材を続々と供給したいですね」

自動運転訓練センターでは今日も若者の訓練が行われています。

苦い文学

結婚式のマナー

幸せいっぱいの結婚式のスピーチにもマナーがあるのはご存知ですか。知らずにマナー違反のスピーチをしてしまうと、結婚式が台無しになることも。

まず、注意しなくてはいけないのは、忌み言葉と重ね言葉。

忌み言葉とは、結婚式にふわさしくない言葉、「別れる」「終わる」「切る」「離れる」など離婚を連想させる言葉のこと。

重ね言葉とは、「たびたび」「しばしば」や「繰り返す」「再び」などのように、繰り返しに関係がある言葉です。これは再婚を連想させるため、結婚式では禁止されています。

また、忌み言葉と重ね言葉に限らず、「終わり」を意味するような表現を避けましょう。「、」や「。」も区切れや終わりを意味するので、文章では使ってはいけませんし、スピーチでも、息継ぎせずに一気に話すのがマナーです。

文末を「〜です」「〜ます」とする「言い切り」は、「切る」につながるため、これもマナー違反。文末は必ず「〜かもしれないかも」「〜なきにしもあらずといえなくもないかも」とぼかしてください。

これ以外にも、「終わり」を連想させる、動詞の終止形の使用も避けるべきでしょう。難しい場合はすべて連体形で代用するのが正しいマナーです。

苦い文学

招待状

ずっと昔のことです、私の家の郵便受けに小さな手紙が入っていました。

開けてみるとやっぱり小さな文字で「どうぞわたしの家においでください。待ってます」と書いてあります。

「あの人がこんなことを?」と私は首を傾げながら、ジャケツをはおると、森の中をずんずん歩いて、小さな家の扉を叩きました。

その人はうれしげな声をあげて私を招き入れてくれました。私たちはソップを飲みながら、あれこれおしゃべりしました。でも、二人の心の中にはなんだか別の言いたいことがあって、いつしか黙ってしまうのでした。

私は決心して言いました。「どうして家に呼んでくれたのかい」

その人はしばらくむずかしい顔をしてこんなふうに言いました。

「もう、招かれるのはいやなんだ。これからは招くのさ。いつだってみんな勝手に私を呼んで、勝手に私に罪を押し付けるんだもの。そんな自分勝手な人たちはこっちから願い下げさ」

私は何も言いませんでした。その悲しみが痛いほどよくわかったからです。

それで、夕方になって立ち去るとき、こんなふうに言ったのでした。

「いつでも呼んでくれたまえ。すぐに来るよ」

だけど、招待状が再び来ることはありませんでした。もとに戻ってしまったのです。

それから何年も経ちました。その人は今も相変わらず招かれ続けています。もちろん、私はそれを責めたりなんかできません。

ただ、愚かな政治家たちが「誤解を招いたことを謝罪する」と発言するのを聞くたびに、ちょっとだけ悲しくなるのです。

苦い文学

くしゃみ

「くしゃみ(くさめ、くっさめ)」の語源が「くそはめ」だというのはよく知られている。「ハックション」や「クシュン」などはいかにも「くしゃみ」の音のようだが、実際には「くそはめ」から派生したものであろう。

「くそはめ」というのは「糞喰め」のことで、現代語で言うならば「クソくらえ」となる。

これは「くしゃみ」をしたときに唱える魔除けのまじないで、「クソくらえ」といって災いを追い払ったのだと考えられている。

こうした風習は日本だけでなく、世界中に見られる。英語圏では、くしゃみをした人に「(God) bless you!」といって神の加護を求めたり、フランス語では「à vos souhaits!(あなたの望みが叶いますように!)」と祈ったりする。

医療の発達していなかった昔は、風邪が悪化して亡くなったということもあったにちがいない。風邪の初期症状であるくしゃみが気がかりな兆候ととらえられたのは無理もなかろう。

しかし、現在では、くしゃみはそれほど重大なものではない。花粉症だってある。もはや、くしゃみを引き起こす「くしゃみ神」を罵って追い払う時代ではないのだ。

むしろ、コロナを経た今では、電車の中とかで平気でデカいくしゃみをする人そのものを、「クソくらえ」と罵りたい気分だ。

苦い文学

オエーッを追え

何日か前に、私は「オエーッとする人」について書いた。

これは、同性愛者だとかが楽しげにしていたり、見下されている女性がオシャレしたりすると、忽然と現れて「オエーッ」とやってみせる男たちのことだ。

こうした「オエーッびと」について、「最近とんと見なくなった」と私は記し、時代の趨勢に押され、もはや絶滅したのでは、とさえ考えていた。

だが、ここ数日で、状況は完全に変わった。「オエーッびと」がある特定の領域に逃げ込み、ひそかに棲息していることが確証されたのだ。これは、ツチノコ、ヒバゴン、クッシーの発見に比肩すべき大発見だ(たぶんナショナルジオグラフィックにも掲載されるだろう)。

なんと我が国の政権の中枢に「オエーッびと」がいることが明らかになったのだ。ニュースによれば、総理の側近が LGBT など性的少数者について「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」と言ったという。これはオフレコの発言だが、もっとオフレコにすると「オエーッ」となる。つまりこの人物はまぎれもない「オエーッびと」なのであった。

岸田総理はすぐさまこの「オエーッびと」を表舞台から引っ込ませたが、おそらく政権の背後には無数の「オエーッびと」が隠れ暮らしているにちがいない。

これは単なる推測ではない。かつて保守系の団体の式典に参加したとき、参列者たちが実に奇妙な節回しで国歌を歌うのを耳にし、不審に思ったことを思い出す。参列者たちは声を揃えて「やーちーよオエーッにー」、「いーわーオエーッになありーて」というように歌ったのである。それはまったく我が国を侮辱しているかのように響いた。

思えばこれが「オエーッびと」存在の証拠であったのだ。私はこれを見抜けなかった自らの不明を恥じるとともに、以後「オエーッびと」の捕獲と駆除に全力を尽くしたい。

苦い文学

JYOCHOとLITE

今日、渋谷のWWW Xで、JYOCHOとLITEのライブがあった。

私はどちらのバンドも知らなかったが、それでもとても楽しめた。

LITEはインスト・バンドで、抒情的でもあり、激しくもありで、演奏の幅が広い。私はなんでもザッパと比べてしまうのだが、ザッパを思わせる部分もあり、それも良かった。

JYOCHOは、ジョン・レンボーン的な味もあり、また複雑な演奏をするバンドだ。聞き方がわかってくると、楽しい。そして、ギターがすごい。

ところで私は最近ライブに行くと耳がやられてしまい、最後のほうは耳鳴りがしてよく聞こえなくなってしまう。なので、今回はイヤー・プロテクターをつけてみた。

フィルターをつけかえることで、遮音のレベルを3段階に変えることができる。はじめは一番強いフィルターで聞いていたが、途中から、おそるおそる2番目のレベルにつけかえた。

もちろん音は変わるが、それでも耳鳴りがするよりはずっとマシだ。そんなふうに考えて、ずっと耳栓をして聞いていたが、JYOCHOのアンコールで、最後ならいいだろうと、ついに我が耳を開放した。

「夜明けの測度」

素晴らしい演奏だったし、おまけに耳鳴りはしなかった。