旅・観察

カッラーカの臭い

レンタカーの事務所から少し歩くと、ラグレットという海辺の町に出る。海水浴場にはパラソルが並び、泳いでいる人たちがいる。私たちは海辺のカフェでお茶を飲み、チュニスにはない静けさを味わった。

それから町中に入りタクシーを探した。遠くに茶色い壁が見えた。古い城塞のようだ。行きにも見かけたこの建物についてSさんに尋ねると、これはカッラーカといって昔の牢獄の跡だという。今はイベント会場として使われているとのこと。

チュニスに戻ってからネットで調べると、十六世紀にスペイン人が作ったもので、カッラーカもスペイン語に由来すると書いてあった。私はなんとなくこの語にどこかで出会った気がしてきて、手持ちのデータを見直した。すると出てきた。

karraːka(複数 karraːkaːt)刑務所

面白いことに複数形まであった。これはチュニジアの物語集に出てきたもので、こんな例文もメモしてあった。

「カッラーカの臭いが彼から漂っている(=ムショ帰りだとすぐわかる、くさい飯の匂い)」

Sさんによると、カッラーカはあまりにも有名なので、転じて刑務所そのものを表すようになったのだという。このメモは二〇年前のものだが、ようやくその語の生誕の地に至ったというわけだ。

悪いことをした子どもに「そんなことをすると、カッラーカ行きだよ」と脅すこともある、とSさんはまた教えてくれた。

旅・観察

車を借りに

Sさんの故郷、ターウジュート村には車で行くことになった。チュニスから六時間だという。だが問題はその車だ。Sさんは車がないので借りなくてはならない。

去年の八月、やはり車でターウジュート村に行くことを計画していたが、直前になって車がキャンセルされてダメになった。チュニジアではなんでも計画通りにいかない、とSさんは怒っていた。

今回は大丈夫そうだ。午後に車を取りにいくから一緒に行かないか、とSさんが提案してくれた。レンタル料を払うのは私だから自分で行ったほうがいいに決まっている。面倒くさかったが行くことにした。

私たちは待ち合わせ場所に集まり、歩き出した。どこに向かうのかと思ったら、郊外電車の駅だという。てっきり歩いてすぐのところかと思っていたが、目的地はずいぶん遠くなのだ。

郊外電車の駅までもけっこう遠い。駅に着くと、Sさんが言った。「カバンを前にかけて、携帯電話に注意するんだ」 私はこの電車には何度も乗ったことがあるが、そんなに混まないし、スリがいるような雰囲気ではない。現地の高校生たちがワイワイ騒いでいるような電車だ。

Sさんは切符を窓口で買うと駅を出て、その脇に止まっているバスに乗り込んだ。

「路線工事で今は電車は走っていないんだ。それで代わりのバスで行くっていうわけだ」

バスは満員だった。みなおしゃべりに夢中で、携帯を見ている人はわずか数人だ。私も携帯を見たかったが、Sさんの注意を思い出して我慢した。

「工事はいつ終わるんですか」

「チュニスではそういうことはいっさいわからないよ」

満員の上にさらに何人かが乗り込み、バスは動き出した。

もし私が同行しなかったら、車を借りるためにSさんがどんな苦労をしているかわからなかっただろう。そしてそのぶん私は、ちょうど日本の電車が工事だからといって運休しないのを当たり前だと思うのと同じように、Sさんがレンタカーで私を迎えに来てくれるのを当たり前だと思ったことだろう。

私は彼に感謝した。そして揺れるバスの中で考えた。行きは確かに大変かもしれないが、帰りはレンタカーだから楽に決まってる、と。

バスは目的地に到着し、私たちはレンタカーの事務所に行った。壁に大きく会社のロゴと車の絵が描かれ、模型の小さなフェラーリが天井から吊るされていた。中に白い電灯があった。デスクにいた若い女性がビニール袋から車の鍵をいくつも取り出して目の前に並べた。

そして私たちは、車が明日の朝にならなければ用意できないことを知った。帰り際、私がフェラーリの写真を撮りたいというと、女性は隣の部屋にも別の車が吊るされていると自慢げに教えてくれた。

旅・観察

石を拾ってでも

ベルベル語の勉強で私を助けてくれているSさんの出身地、ターウジュート村に行く計画を立てている。Sさんによれば、帰郷する人はなにかしらお土産を買って村に入るのが習慣だそうだ。

チュニスにはそんな習慣はないが、それでもこの村の出身者がチュニスの知人を訪ねるときに、家の近くの食料品店で買い物をしてからやってくるのだという。

「もし村に入るとき手ぶらだったら、石を拾ってでも入れ」という言葉をSさんが教えてくれた。

ターウジュート村にはSさんも同行してくれる。これは心強いことだ。当然のことながら、移動費や宿泊費はこちら持ちだ。いろいろ経費を計算しているとけっこうな額になる。その上、お土産だ。これも私が払わねばなるまい。

私は日本在住のビルマのカレンやカチンの人と一緒にタイや中国に行ったことがある。これらの人は、現地で待っている家族や同胞のために東京でたくさんのお土産を買っていく。それは単にお土産ではなく、現地での生活を助けるためでもあるが、かなりの額がかかる。手ぶらで行くわけにはいかないので、旅費に加えてそのためのお金も貯めなければならない。

そうした経験があるから、ターウジュート村に持っていくお土産がどれくらいの金額になるのか私は気になり出した。

「それで、お土産はいくらぐらい必要ですか?」

「大したものじゃないよ。ジュースとか果物とか、二〇ディナール(千円ちょっと)あれば足りるよ」

私はそれを聞いて安心し、石を掻き集めずに済んだことを感謝した。

旅・観察

手で食べる話

昨日に引き続き、Sさんの体験談だ。私が「指」をベルベル語でなんというか尋ねたら、手で食べる習慣についての話になった。

Sさんがモーリタニアに行ったときのことだ。Sさんはある家に招かれて食事をすることになったのだが、その食べ方を見て驚いた。米を手で掬って、ボール状にして食べる、これだけなら普通だが、面白いのはそれからだ。現地の人は、そのボールをそのまま口に運ぶのではなく、手で米をポイと口の中に投げ入れるのだそうだ。

チュニジアの人も手を使って器用に食べるが、Sさんはさすがにこれは真似できず、スプーンが欲しいと伝えると、その人たちは近所中探してスプーンを持ってきてくれたのだという。

この話からの連想で、あるアルジェリア人の逸話についても話してくれた。

あるアルジェリア人がフランスに行ってレストランで食事をした。するとそのレストランにいたフランス人が汚い食べ方だと文句を言った。

これにそのアルジェリア人、平然と言い返した。

「私が手で食べているのは、自分の手がきれいだからだ。あなたたちがフォークやスプーンで食べるのは、あなたたちの手が汚いからではないか」

もしかしたらこのアルジェリア人は、別の意味でもフランス人の手は汚いと言ったのかもしれない。それはさておき、最初の話も、その次の話も、昔のアラブの逸話集にでも出てきそうなエピソードではないか。

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断食の違い

私は今、チュニジアでベルベル語について教えてもらっている。まだ初心者なので、名詞や動詞の活用についてひとつひとつ記録している段階だ。

教えてくれるのはSさんという男性だ。人生経験の豊富な人で、ベルベル語のことばかりでなく、チュニジアの文化や外国での体験などについても話してくれる。ただしこれは、チュニジアのアラビア語方言でだ。しかし、私は方言についても勉強しているので、これも貴重な資料になる。マグロと一緒で捨てるところがない。

ベルベル語で「なにも〜しない」をどう言うのか尋ねていて「断食中はなにも食べない」という例文をSさんが出してくれた。断食というのは、ラマダーンのことで、この期間は、人々は日中は食事をしない。そこからSさんが、断食に関する思い出を話してくれた。

昔、Sさんがあるレバノン人と食事をしたときのことだ。レバノンはアラビア語圏だが、ムスリムだけでなく、キリスト教徒も多く、その人もそのひとりだった。Sさんがその人に肉を渡そうとすると彼は言った。

「私は断食中だから食べません」

これにSさんは「食べてるのに?」と思ったそうだ。だが、そのわけを聞いて彼は「我々は断食というとなにも食べないことだが、レバノンのキリスト教徒にとっては断食とは肉を食べないことで、それ以外は食べてもいいのだ」とびっくりしたということだ。

これがレバノンのキリスト教徒すべてに当てはまるかどうかはさておき、この話のミソは、Sさんも、このレバノン人も、断食に同じアラビア語の単語を使っていたことだ。同じ単語でも、宗教の違いによって意味が変わってくるということが、当時のSさんにとって新鮮な発見だったのだ。

断食というとダイエットしか思い浮かばない私にとっても、Sさんの驚き込みで新鮮な発見となった。

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機内食

飛行機に乗ると、目の前に据えられたモニターでパズルゲームを始める人もいるかもしれない。だが、そんなことをしなくても、パズルの時間はやってくる。

機内食の時間だ。

それはまるで、木の四角いコマを動かすパズルのようだ。私は小さなトレーの中にぎっしり並べられている正方形や長方形の皿、パンやクラッカー、コップ、カトラリーやナプキンを巧みにスライドさせる。そうしながら、前菜からデザートへと進んでいかねばならない。

このパズルは、エコノミークラスの必修課題だ。そもそもエコノミーとは語源を辿れば、古代ギリシア語の oikonomia、つまり「家の管理」だということだ。古代ギリシア人の家はとても小さかったのだろう。だからタンスやベッド、テレビ台の置き場を決めるにあたり、まるでパズルを解くかのように苦労しなくてはならなかったのだ。

「しかし、それにしても」と私はこの小さなトレーを舞台に知的格闘を繰り広げながら、疑問に思う。「何ひとつ落とすことなく、食事を済ませることのできる人などいるのだろうか」と。

というのも、皿のプラスチックの蓋はまるでUFOのように飛び出していくし、丸めたナプキンは必ず他のゴミを外に弾き出そうと膨張しだすからだ。コップだって、中身をぶちまけてやろうとかねてから虎視眈々だ。

これらのことに気を取られているあいだに、私はフォークを落としてしまった。それは足元の鞄の上に乗っている。まだ大丈夫だ、と手を伸ばすと、それは鞄から滑り落ち、地の底に飲み込まれていった……。

なんとか苦労して食べ終えたが、それからたっぷり一時間、いかなる乗務員も訪れることなく、トレーは私たちのテーブルの前に置かれていた。食後の時間をゆっくり楽しむのも、やはり必修課題とみえる。

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出発

今日は台風だというので、私は朝から羽田空港の運行情報をいくども見ていた。国内便も国際便も欠航と遅延ばかりだ。

だが、私が乗る便はそのリストにはなかった。家を出るギリギリになっても欠航にならない。ならば行くしかない。スーツケースを運び出すとものすごく重い。大雨と荷物と先行きの見えない状況に私の足取りは重かった。

電車の遅延もありうるので早めに家を出た。だが、普通に空港に着いた。

フライトの掲示板を見ると、欠航・遅延の表示に囲まれて、私の乗る便が平然と点灯していた。仕方なくチェックインの列に並ぶ。私の番が来てカウンターにパスポートを渡し、スーツケースをレーンの上に乗せた。

二九キロ。やはりだ。

カウンターの人が二十三キロまでだと告げる。超過料金を払うか、さもなければ、スーツケースから荷物を取り出さねばならない。場合によっては捨てなくては、と覚悟を決める。すると、列を案内しているスタッフがやってきて、話しかけてきた。この便では一人二つまで荷物を預けられて、それぞれ二十三キロまで大丈夫だ、と。

驚くべき言葉だ。だが冷静に確認する。「二つ合わせて二十三キロですか?」

「いえ、一つが二十三キロ以内で、二つまで大丈夫です。荷物の整理はあちらでどうぞ。終わったらお声がけください」

私はたちまち荷物を二つに分け、カウンターに戻った。量ると二十三キロと十キロだ。案内役のスタッフが「でかした」とばかりにうなずいて、立ち去った。

搭乗券の発券を待っているあいだ、隣のカウンターのスタッフたちの話し声が聞こえた。

「手裏剣をお持ちの客様が……」「ちょっと問い合わせてみましょう……」

私は笑いを堪えながら、出国ゲートに向かった。

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安物ガイ(チュニジアへの旅行)

チュニジア行きの航空券には大きく分けて、中東系とヨーロッパ系があり、中東系のほうが二十万円強なのに比べて、ヨーロッパ系だと三十万から五十万円になる。

私は先日チケットを買いに行って、自らの経済状況などを真剣に検討した結果、初めから目をつけていた中東系の安いチケットを買うことにした。エミレーツ航空の二十万円だ。旅行代理店の話だと、中東の情勢次第では便の変更や欠航の可能性もあるという。だが、出発はまだ先のことだ。よくなることだって大いにありうる。安物ガイの消費マインドを支えるのはこの楽観性だ。

今回の旅は、旅費などが研究費から出る。私は旅費の申請のための書類を作成し、これを、研究費を管理してくれているオフィスに送った。書類が整っていないと、研究費を使うことはできない。

次の日、メールの返信が来た。リアリズムのメールであった。

・チュニジア行きの往復でドバイを経由している。
・現在、外務省の海外安全情報では、ドバイはレベル3(渡航中止勧告)となっている。
・経由地であっても、レベル3以上の地域への滞在は許可できない。
・経由地の変更か旅行の延期が必要。

よく見ると「外務省の海外安全情報(危険情報)」としてあった。海外安全情報だから安全だ、と私が言い出すかも、と念を入れたのだ。

もう! 私はすべてキャンセルして、新たなルートで旅程を組み直した。キャンセル料は総額いくらになるかわからない。戦争があると、銭失いも桁がちがう。

(写真:ありし日のドバイ国際空港)

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フティーラ(チュニジアの揚げパン)

チュニジアのパンのことについて書いてきたからには、フティーラのことも取り上げなければなるまい。

フティーラとは、丸くて平たい揚げパンだ。丸めた生地を薄くして、油の入った大鍋で揚げて作る。ピザのようにフチは厚いが、内側はパリパリに揚がっている。

お店の人は、目の前で生地を広げて鍋に放り入れる。そのときにちょっと回転させるのがコツのようだ。それから油に浮いた生地を、カギのついた棒でクルクル回したり、ひっくり返したりする。すぐに揚がり、油を切ってできあがりだ。私はハチミツをたっぷりかけるフティーラが好きで、これしか食べない。卵入りもあって、フティーラの中央のくぼみに卵を割り入れて一緒に揚げる。たぶんおいしいのではないかと思う。

フティーラも、前に書いたラブラービーと同じく朝の食べ物だ。朝、お店に行くと、出勤前の人や、揚げたてを紙に包んで持ち帰る人たちでにぎわっている。

チュニジアの民話にもフティーラの店が出てくる。以下は、召使いが、異国で落ちぶれたご主人を探す場面だ。

「その国に着くと、召使いは旅の宿に、馬を預け、あらゆる市場、あらゆる通り、あらゆる小路を一日中歩いて回った。一日、二日経ち、三日目、フティーラ屋に入ってフティーラを食べようとしたとき、自分のご主人がかまどで薪をくべているのを見かけた。まさにご本人、ボロ切れをまとって、汗まみれで、炎に顔を舐められながら働いているのだった」

もちろん、ガスの普及した現代では、このような危険な労働環境はありえない。安心してフティーラを召し上がっていただきたい。

(写真:揚げたてのフティーラ、チュニス)

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主人への信頼(2)(チュニジアの民話)

犬が喋り出した、というか、神がそうさせたのだ。

犬曰く「私は卑しくなどない。私はあの老人の家で育てられ、家と羊の番をしてやり、彼がくれる粗末な食べ物で十分やってきた。ときには主人がうっかりして晩飯抜きで夜を過ごすこともあれば、主人自身もすっからかんの時もある。そうすると、彼と私は一日、二日、三日、いやそれ以上も食べずにいるのだ。それでも私は一度たりとも家を離れたこともなければ、他の家にも行ったこともない。彼以外の主人を知らないのだ」

こういうと、矛先は男に向けられる。

「お前は、祈りと断食に生きて、いったい何年になるというのだ。なのに、たった一晩、パンが途絶えただけで、もう我慢しきれなくなって、パンを与える神を離れて、人間の門前へと足を向けたのだ。お前こそ主人を信頼していないのだ」

そして、犬は実に無情な言葉を放つ。

「お前が礼拝と崇拝のうちに過ごし、空腹に耐え忍んだこの年月は、今日すべて無駄となった」

犬の言葉は激しさを増していく。

「今さら山に戻ったところでなんになるのか。さあ、町へと降り、人と交わるのだ。人々と金の取引をせよ、常人のごとく、働いて、商って、売って、買って、盗んで、奪い取り、騙して、嘘の誓いをたてよ。そして、死が訪れるその日に神がお前に下す苦しみに備えるがいい」

パンのことを考えると、私はいつも、呪いにも似た犬のこの恐ろしい言葉を思い出す。犬が喋りださないよう、やさしくしたい。

(写真:モスクの階段に寝そべる犬、チュニス)