旅・観察

機内食

飛行機に乗ると、目の前に据えられたモニターでパズルゲームを始める人もいるかもしれない。だが、そんなことをしなくても、パズルの時間はやってくる。

機内食の時間だ。

それはまるで、木の四角いコマを動かすパズルのようだ。私は小さなトレーの中にぎっしり並べられている正方形や長方形の皿、パンやクラッカー、コップ、カトラリーやナプキンを巧みにスライドさせる。そうしながら、前菜からデザートへと進んでいかねばならない。

このパズルは、エコノミークラスの必修課題だ。そもそもエコノミーとは語源を辿れば、古代ギリシア語の oikonomia、つまり「家の管理」だということだ。古代ギリシア人の家はとても小さかったのだろう。だからタンスやベッド、テレビ台の置き場を決めるにあたり、まるでパズルを解くかのように苦労しなくてはならなかったのだ。

「しかし、それにしても」と私はこの小さなトレーを舞台に知的格闘を繰り広げながら、疑問に思う。「何ひとつ落とすことなく、食事を済ませることのできる人などいるのだろうか」と。

というのも、皿のプラスチックの蓋はまるでUFOのように飛び出していくし、丸めたナプキンは必ず他のゴミを外に弾き出そうと膨張しだすからだ。コップだって、中身をぶちまけてやろうとかねてから虎視眈々だ。

これらのことに気を取られているあいだに、私はフォークを落としてしまった。それは足元の鞄の上に乗っている。まだ大丈夫だ、と手を伸ばすと、それは鞄から滑り落ち、地の底に飲み込まれていった……。

なんとか苦労して食べ終えたが、それからたっぷり一時間、いかなる乗務員も訪れることなく、トレーは私たちのテーブルの前に置かれていた。食後の時間をゆっくり楽しむのも、やはり必修課題とみえる。

風刺・戯文

時間旅行

今回の旅は、カタール航空でドーハ経由でベルリンに行った。成田からドーハに向かう飛行機で私は携帯を充電しておきたくなった。

iPhone 15 なので、USB Type-C のケーブルで充電する。だが、座席のモニター周辺には昔の USB の差し込み口があるだけで、Type-C 用のはなかった。そんなわけで結局、充電することはできなかった。

だが、ドーハの空港に着いてみると、あちこちに充電する場所があった。Type-C 用のポートもあった。そして、ドーハからベルリンに向かう飛行機にも、モニターの下に Type-C 用接続口があった。

ベルリンでの滞在が終わり、私は再びドーハに向かった。飛行機の中で iPhone を充電しながら、ドーハの空港に着き、空港でも充電した。だが、日本行の飛行機の中では充電はできなかった。なぜなら、Type-C 用ポートがなかったからだ。

これはつまり、と、飛行機の中の私は考えた。時間を旅しているということではないだろうか。 Type-C が当たり前の世界と、昔の USB の長方形の差し込み口しかない過去の世界をドーハ経由で行き来しているのだから。

私はそれに気がつくと、スチュワーデスを呼んでコーヒーを持ってこさせ、タバコに火をつけた。

風刺・戯文

読書灯の悲しみ

飛行機に乗るたびに、私は暗い気分にならずにはいられない。機内の読書灯たちの悲しみを思うと、どうしてもそうなってしまうのだ。

昔は、人々は飛行機の中で本や雑誌を読んだものだった。そして、そのために設置された電灯、つまり読書灯を遠慮なく活用したものだった。

だが、時代は変わった。今や、人々は本など読みはしない。機内では映画を楽しむこともできるし、スマートフォンがあれば、動画や読み物にはこと欠かない。そして、これらのデバイスに読書灯は不要なのだ。読書灯たちは、携帯の動画や機内エンターテインメントに夢中になっている乗客たちを見て、どんな思いでいるだろうか。

「いや、私は読書家だ」という人もいるかもしれない。だが、はたしてこの読書家たちに、機内で読書灯をつける勇気がおありだろうか? それぞれの画面を見つめる人や、眠っている人、眠ろうとしている人のただなかで、自分だけ読書灯をつけ、無作法なまでに眩しい光で周囲の人々の安寧を妨げる胆力がおありだろうか? もちろんないに決まっている。悲しいことに、本の虫は弱虫でもあるのだ。

白状してしまえば、この私だって、そんな勇気はないのだ。ただ、暗闇の中ひとり座り、持ってきたが決して取り出すことのない本のことを思いながら、いつしか眠りが訪れるのを待つしかない。せめて、夢の中で本を開くことができると期待しながら……。

そして、今、酷寒の空で、悲しみを抱きながら沈黙している読書灯たちもまた、生まれたての太陽のように輝いてくれることだろう。

風刺・戯文

トワイライトゾーン

飛行機には、必ず魔の存在がいて、人間に悪をなすので、用心したほうがいい。私は子どものころ、トワイライトゾーンというドキュメンタリー映画でこの事実を知った。その映画では、機内の窓から外を見た男が、魔物が翼を破壊しようとしているのを目撃してパニックになった、という実話が報告されていた。

この映画のせいもあり、私は飛行機に乗るときは、魔に魅入られないようにおさおさ用心おこたりなく過ごしている。しかし、気の緩みでもあったのだろうか、ベルリンに向かう飛行機で私はついに恐ろしいものを見てしまったのだった。

機内で私は通路側に座っていたのだが、通路を挟んで数列前にひとりのおじさんが座っていた。私の席は、そのおじさんの背中と後頭部がよく見える場所にあった。

それは真夜中、つまり機内の電気はすべて消され、誰もが眠っている時間に起きた。私も寝ていたのだが、どうしたわけか目が覚め、ただぼんやりと前を眺めていた。そのとき、私は前のおじさんが奇妙な動きをしているのに気がついた。

おじさんは備え付けのブランケットを相手に格闘しているのだった。初めは体に巻き付けようとモゾモゾしていたが、それはすぐにだらりと床に垂れ下がってしまうのだ。おじさんはそれを引き上げて、マフラーみたいに首に巻こうとした。そこで固定して下に垂らせば全身を覆えるという計画だった。それはうまくいったかに思えたが、それも束の間ブランケットはハラリとほどけて、すべて下に落ちてしまった。

それからもおじさんはあれこれ試すがどれもうまくいかない。それほどまでにブランケットで体をすっぽりくるんで安眠したかったのだ。私は半ば眠りながらその様子を見ていたのだが、もしかしたら、そのせいでかもしれない。おじさんの隣に異様な存在が立っているのが見えたのだった。その魔物は、おじさんがブランケットを体に巻き付けるたびに、いやらしい笑みを浮かべながら、爪の尖った指で引っ張るのだった。おじさんの安眠を妨げていたのはこの魔物だったのだ。

魔物のイタズラはそればかりではなかった。魔物はおじさんが体を動かした瞬間にシートに敷かれていた白い枕をつかむと足元に放り投げる。おじさんが枕を拾おうと身をかがめた瞬間、魔物は今度はブランケットを床に落とすのだ。

おじさんの苦闘と魔物のイタズラはそんなふうにずっと続いていた。だが、私のほうでは別の悪魔、つまり睡魔が再び訪れ、そのままぐっすりと眠ってしまった。

私は、客室乗務員につつかれた。目を覚まして、周りを見ると朝食を運ぶワゴンがあった。朝がやってきたのだ。私は伸びをし、その拍子におじさんの姿が目に入った。

おじさんの頭の上には、丸めたブランケットが載っかっていた。

飛行機には魔の存在がいるので、絶対に用心したほうがいい。

風刺・戯文

CA in Progress

今後、さまざまな職業が AI や、AI を搭載したロボットに入れ替わっていくことだろう。飛行機で乗客のサービスなどを行う客室乗務員もそのひとつだ。

もちろん、客室乗務員には、緊急避難や防犯など乗客の安全に関わる大事な仕事があり、これは人間でなくてはならない。しかし、リフレッシュ用のティッシュを配ったり、「フィッシュ・オア・チキン?」と尋ねたり、使用済みのヘッドフォンを回収して大きな袋に入れたりする仕事は、現在の配膳ロボットでも十分可能であろう。

また、客室乗務員にしてみても、エコノミークラスのやかまし屋でわからず屋の貧しい人々の世話から解放され、ファーストクラス・ビジネスクラスの上品でリッチな乗客だけに専念できるので、むしろサービスの向上につながる。航空会社にとっても人件費の節約になるのはもちろんだ。

客室乗務員を盗撮する行為もしばしば問題になるが、配膳ロボットに置き換われば、そのような迷惑行為も、ぐんと減るのではないかと思われる。もっとも、ロボットにスカートを履かせた場合は、話は別だが。

こうした利点を考えると、近い将来、飛行機内の通路を、電子音楽を鳴らしながら配膳ロボットがせわしなく行き来する時代が来るのは確実だろう。

とはいえ、問題がひとつある。

それは、機内アナウンスのとき、配膳ロボットの動きがピタリと止まってしまうことだ。熱々のコーヒーを注いでいるときに、長いアナウンスが始まったらと思うと、我々はおちおち食後の一杯も頼めないのだ。

風刺・戯文

飛ぶゴミ

飛行機に搭乗するとは、なんと素敵な体験だろうか。私たちは飛行機に乗り込むときは希望でいっぱいだ。この素晴らしい機内で何をしようか、何を楽しもうか、プランでいっぱいなのだ。

映画を見よう、本を読もう、寝溜めしよう、いや、ちょっとした仕事を片付けるか……飛行機に乗っている時間というのは、究極のスキマ時間のようなもので、私たちは機内に広がる広々とした時間に胸をときめかせるのだ。

そして、私たちは乗り込むやいなや、思い思いのプロジェクトに取りかかる。本を広げたり、パソコンを取り出したり、ヘッドホンを装着したり、じつに気持ちのいいブランケットにくるまったり……だが、私たちはやがて気がつく。シートの座り心地があまり良くないことに。前の人が座席を倒してくると、パソコンなど開けないことにも。本を読もうと思っても、すぐに機内は暗くなることにも……そして、実際に機内にいる私たちにできることといえば、寝て、飲み食いして、排泄することだけなのだ。

私たちが飛行機に乗り込んだとき、座席の前のポケットには美しいPR誌ときらびやかなカタログと、私たちの思い思いの本やら何かでパンパンだった。だが、今やそこに詰まっているのは、ゴミだけだ。

私たちはまた、機内がそれほどキレイでないことにも気がつく。自分の座席の前のポケットがゴミだらけで、足元が食いカスだらけだったとしたら、他の人の座席もそうでないという保証はどこにあろうか? 

あれほどやさしく見えたブランケットも、もうくしゃくしゃで、はじの部分は通路にだらりと広がって、トイレに行き来する乗客たちの靴がいくども踏みつけていく。

それにしても、乗客たちはどれだけトイレに行けば気がすむのだろうか。機内に設置された使用中のランプはいつだって煌々と赤く灯り、いたずらに便意を刺激するばかりだ。飛行機とは燃料が減る分だけ、糞と尿でいっぱいになっていく乗り物なのだ。

私たちはここでようやく気がつく、飛行機は大きなゴミだったのだ。

そんなわけだからこそ、飛行機が着陸すると、私たちはまだ機内が暗いうちから席を立ち、荷物を引きずり下ろし、通路に押し合いへし合いして並ぶのだ。心の中に浮かぶこんな想念にせき立てられてもう我を忘れてしまうのだ。

《一刻も早くこの汚い乗り物から出なくては。もし、出遅れたら、ゴミと一緒に捨てられる!》