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道を渡りし者(2)

その恰幅のいい男は、私を無理やり人垣からひっぱり出すと、そのままどこかに連れて行こうとするのだった。

「さあ、早く行きましょう!」

私は腕を掴んだ男の手を振り払おうとしたが、彼はいっかな離さなかった。

「こっちです!」

「いったいどこに行こうというのです。私は駅に行かなくてはならないのです」

時計を見ると午後3時まであと少しだ。だが、男は「見てください」と、後からついてくる人々を目で示した。いつの間にか増えたようで、人々は私を指差しながら、「奇跡だ!」「神業だ!」「魔法だ!」と口々に叫んでいるのだった。

「もうこうなったら無理でしょう。しばらく私の家で待つしかありません」

「しばらくって!」

「町の人々が落ち着くまでです。大丈夫、今日中に電車に乗れますよ。あんがい忘れっぽいんですから。ただ、今、ひとりで駅に行こうとするのだけはやめてください。危険ですよ」

「危険だなんて! いったいどういう危険が?」

私は尋ねたが、男はそれきり口をつぐんでしまい、ただ私の腕を掴んだまま、群衆から逃げるように歩いていくのだった。

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道を渡りし者(1)

ある仕事で、とある地方都市に行ったときのことだ。

意外に用が早く済んで、どうやら午後3時の電車に乗れそうだった。そうすれば、暗くなる前に東京に着くだろう。私は急いで駅へと歩いたが、途中、目の前で信号が赤に変わった。

左右を見るが車が来る気配もなかったので、私は立ち止まらずに横断歩道を渡った。そのとき、周囲から叫び声が上がった。

前の歩道で信号を待っていた男が叫んだ。「なんてことだ! 赤なのに渡ってるぞ」 私の背後でも誰かが叫んだ。「すごい! すごい!」

私が渡りきると信号が青に変わり、その瞬間、どっと人々が私を取り巻いた。私は自分の行為を咎められるのかと思い、恐怖に襲われたが、人々の顔にはいかなる怒りも憎しみなかった。ただ、そのかわり、驚きと興奮があった。

人々はみな顔を上気させながら私を質問責めにした。「いったいどうやったんです?」「どこからおいでになったのです?」「私にもできるでしょうか?」

しまいには「なんという勇者だろう!」「ヒーローだ!」「魔法使いだ!」などと私を褒めそやしだした。手を打ち鳴らす者もいた。もしここで、ひとりの恰幅の良い男が私を人々から引き離さなかったら、胴上げが始まっていたかもしれない。

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花束

医師たちによればもって数日ということだった。そんな状態にもかかわらず、老人の家族は誰ひとり来なかった。それも、彼がこれまでしてきたことを考えれば当然だった。

「看護婦さんよ」 私がやってくると老人は言った。彼は絶対に「看護師」とは言わなかった。たとえ私が男でも。彼は人をいやな気持ちにさせることならなんでもした。「まだそいつは来やがるのか」

「ええ、今日も花束を持ってきました」 彼はいまいましげに叫んだ。「ちくしょう! なんだってんだ!」

この世のすべての人間からきらわれ、憎まれ、蔑まれて死にたい。それが彼の望みだった。そして、それにふさわしいあらゆる悪事を彼は成し遂げてきたのだった。だがいま、この「花束」がそのすべての業績を台無しにしようとしていた。彼は陰険な目つきで私に言った。

「それで、俺が言った通りにしただろうな」

「もちろん、目の前で花束を踏みにじり、罵倒しました。ですが、その人は明日もまたくると言っていました」

「そいつをぶっ殺してやってもよかったのだ! よし、明日来たら、そいつを死ぬほど酷い目に合わせてくれ!」

その日の夜、老人の病状は急に悪化し、昏睡状態に陥った。彼がわずかなあいだ意識を回復したのは、翌日の昼頃だった。よく言われることだが、まるで炎が消える寸前に一瞬強く輝くのと同じだった。

老人は私がいるのを見ると弱々しい声で尋ねた。「そいつは……また来たのか……」

私は彼が聞き取れるよう大きな声で言った。「ええ、来ましたよ! 花束を持って、あなたを愛していると!」

これを聞くと老人の目にちらりと怒りが浮かんだ。だがたちまち、その目はにわかに温和になり、唇に笑みが漂った。

「花束か……悪くない」

それが老人の最後の言葉だった。

この世でもっともきらわれ憎まれ蔑まれている男に、花束を持ってくる人間などいようはずもない。老人の人生をかけた望みの実現をまんまと阻止したことに満足しながら、私は遺体の処置に取りかかった。

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安楽死の戦い

その老人は恐ろしい病に侵され、もはや動くことも話すこともできなかった。田舎の小さな病院の医療用ベッドでひとり横たわり、死を待っていた。

老人の身の回りの世話は、医療用ベッドが受け持っていた。基本的な医療処置のほか、食事・排泄・清拭などすべてをこなすのだった。老人は耳はしっかりしていたから、ベッドはときどき話しかけてやりもした。

ある日、老人のもとに見知らぬ客がやってきた。その客はこう老人に語りかけた。

「ついに見つけたよ」 客は銃を取り出した。「お前の死を望んでいる人々が私をここに送り込んだのだ」

老人が口を動かした。するとベッドが話し出した。「私を殺すことはできないし、お前の雇い主たちも死ぬことはできない」

暗殺者は銃を構えた。その瞬間、ベッドからまばゆい閃光が走り、暗殺者は黒焦げになった。すると別の暗殺者たちが窓ガラスを蹴破って病室に飛び込んできた。ベッドは老人を包み込むと、格納されていたアームを伸ばして、目にも止まらぬ速さで敵どもを薙ぎ払った。

耳鳴りのような高音が上方で響いた。かと思うと、すべてが炎に包まれた。

暗殺者の依頼主たちは、ミサイルが病院に命中したのを見て、歓喜の声を上げた。病院は爆発で吹き飛び、炎と黒煙に飲み込まれていった。

「私たちの安楽死を拒んでいたあいつがいなくなった!」 「これで私たちは死ねる!」 「さあ! 死のう!」

その瞬間、炎の中から、飛翔体に変形したベッドが浮上し、老人を乗せて地球のどこかに飛び去っていった。

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八重洲の髭剃り屋

東京駅の八重洲の地下街の一角で、髭剃り屋を営んでいる貧しい男がいた。髭を剃り忘れたあわてんぼうの紳士たちのために、彼は朝から晩まで働いていたのだった。

ある夜、一日の仕事を終えて帰り支度をしていると、上品な老人がやってきて、こう言った。

「すまないが、ひとつ仕事をお願いできないかね」

髭剃り屋は老人の顔が非の打ちどころなく剃られているのを見ながら答えた。「もう店じまいですし、私にできることはないようです」

「いや、私ではないのだ。それに店じまいするところならなおさら都合が良い。今からおいで願えないかね」

「こっちから出向くというのならば、割り増しをいただきますよ」と髭剃り屋は引き受けることにした。

老人は彼についてくるようにいうと、歩き始めた。彼は八重洲の地下を熟知しているようで、いつの間にか、髭剃り屋が見たこともないようなほの暗い地下道を進んでいるのだった。まるで迷路のような道のりで、どれくらい歩いたかわからないが、ある暗い地点で老人は壁に手を当てて操作をした。すると、壁が静かに割れ、光が差した。その中を見た髭剃り屋は思わず驚きの声を上げた。大きな部屋が広がっていたからだ。その部屋は美しく飾られ、まばゆく輝く照明がぶら下がっていた。

そして、部屋のソファに、ひとりの立派な男性が座っていた。髭剃り屋がおっかなびっくり足を踏み入れると、男性はやさしく微笑んだ。その顔には控えめな口髭があった。

「私の髭を剃り落としてほしいのだ」とその男性はさっそく告げたが、髭剃り屋はその表情、声、口調にいわく言いがたい悲しさが潜んでいるのを感じた。

「承知いたしました」と髭剃り屋は答えた。「ですが、どうしてお剃りになろうだなんて。とても似合っていらっしゃるのに」 

そう言いながら髭剃り屋が準備を始めると、客は静かな声で語り出した。自分には立派な兄がいて、その兄と区別するために髭を生やしてきたこと、だが、その髭のせいで、縁もゆかりもない人々から不当な非難や中傷を浴びていること、そして、自分と家族を守るために髭を剃る決意を固めたこと……。

髭剃り屋の支度が終わり、美しく磨がれたナイフがその手に握られた。

客はふるえる声で言った。「さあ、きれいさっぱりやってください」

髭剃り屋はナイフを顔に近づけたが、「やっぱりやめておきましょう」と言ってナイフを置いた。

「私は剃れと言われたら剃りますが、お客さまは心では剃りたくないとお考えのようです。それでは私は気持ちよく仕事をすることができません」

男性は紅潮した顔で見返した。

「それに」と髭剃り屋は続けた。「どんなに意地悪を言う人がいても、きっと応援してくれる人はいますよ。いや、味方はたくさんいるんです。たとえば、この私です」

髭剃り屋は道具をしまうと、一礼して部屋から出た。髭剃り屋は再び老人に連れられて地下迷路を歩き回り、馴染みのある八重洲の地下街に戻ることができた。

老人はいくばくかの手間賃を渡そうとしたが、髭剃り屋は、これがまた無駄遣いだとバッシングの種になってはと、気持ちだけ受け取ることにした。

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マスク・パフォーマー(2)

吉田さんはこの「マジック」のために、周到な準備を行う。今回のステージのある都市では、人々の顔つきはどうか、どんな顔が多いか、出身の著名人はどんな顔か、それこそ、駅前の銅像の顔まで徹底的に調べ上げる。さらに、地域の産業、経済状況、政治的傾向、歴史、文化なども重要だ。これらの情報により、この都市とその周辺でどのような顔が期待されているかが浮かび上がってくる。

そして、最後に仕上げが施される。吉田さんは、化粧術、変装術、そして顔の筋肉の調整など、持てる技術を駆使して、最終的な「顔」を作り上げるのだ。

こうしたことのすべては、私がこの稀代のパフォーマーを直接取材して聞くことができたのである。思い出すのだが、ある都市での公演を控えて、楽屋にいる吉田さんを訪ねたことがある。もちろん取材のためだ。

吉田さんはすでにマスクを着用し、準備は万端といったようすで静かに座っておられた。そして、その「芸」についてインタビューする私に、落ち着いた声で丁寧に説明してくださったのだった。

ステージの時間が近づきつつあった。私は立ち去る前に、こんなお願いをしてみた。

「今回のステージでも、徹底的に調査をし、顔を完成させたと伺いましたが、もしよろしければ、そのお顔を今、拝見することはできないでしょうか」

すると吉田さんは、こう柔らかく断られたのであった。

「いえ、このマスクの下の顔は、今、あなたにお見せすることはできません。これは、今夜、このホールで、ここに集まったお客さんのためだけの顔ですから」

インターネットのどのサイトにも、どの SNS にもあげられることのないこの「顔」をライブで体験したい方は、ぜひ吉田六郎さんの公演に足を運んでほしい。

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マスク・パフォーマー(1)

コロナのあいだ、私たちは美男美女に囲まれて生活していた。だが、コロナ禍が落ち着いて、人々がマスクを外しはじめたとき、私たちはがっかりしたものだった。というのも、マスクに隠されていた本当の顔は、さほど美しくはなかったからだ。中には「マスク詐欺」などという言葉を吐く人もいた。

だが、そうした失礼な人でも、観客のひとりとして吉田六郎さんがマスクを外す瞬間を見たら、感嘆せずにはいられないだろう。このパフォーマーのマスクに隠されていた顔は、ちょうどその人が思い描いていた顔とまったく同じなのだから。

「まさに思っていた通り!」「想像と同じ!」「そう思っていた!」

吉田さんのパフォーマンスが観客たちに与える満足と喜びを考えれば、日本の各地で行われる彼の公演がどこでも満席なのは容易に納得できる。「マスク詐欺」どころではない、人々は喜んでチケット代を支払っているのだ。

もっとも、これがパフォーマンスだということを忘れてはならない。マスクを外した吉田さんの顔が、人々が想像した通りの顔だというわけではない。そうではない。彼は、マスクを外すと、人々がこれぞ自分たちが想像していた顔だと信じ込ませる技術を持っているのだ。ちょうどマジシャンが、トランプをめくると、観客がもっとも見たいと思っていたカードを見せることができるのと同じように。

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ジェネリック

先日、薬局で私は薬をもらおうと処方箋を出したのだが、出てきた薬がいつもと違うのだ。不審に思って尋ねると、薬剤師は「ジェネリックになります」と答えた。

私はムッとして「勝手に変えられては困ります」と抗議した。すると「成分も効き目も同じです」というのだ。

「いやそうかもしれないが、本物にしてください」 私がこういうと薬剤師はおかしな表情をして「成分も効き目も同じです」といくども繰り返すばかり。

私はだんだん怖くなってきた。挙動がおかしいのだ。もしかしたら薬剤師もジェネリックかもしれない。私はゾッとして、薬局を飛び出た。振り返ってあらためて薬局を見る。妙に安っぽいではないか。さては薬局もいつのまにかジェネリックに! 大慌てで逃げ出す。

それからはどこに行っても何を見ても、ジェネリックに見える。はっと私は自分の体を見た。ジェネリックだ! 手も足も目も鼓動もすべて! 私はそこから記憶がない。

今、私は小さな病室にいる。これも、すべてがジェネリックだと気がついてしまった報いなのだ……

毎日、院長が私のところにやってくる。「先生もジェネリックですか?」と私はいつも尋ねる。すると先生は答える。

「ええ、私もジェネリックです。この病院の二代目ですから」

「成分も効き目も同じですか?」

「もちろん」

私は安心して眠りにつく。

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問診票

私たちの町の病院はまるで城みたいだ。10階建てで、広大な敷地に囲まれている。

私たちはこの病院で診察を受けたいとき、受付にいく。すると、初診受付用紙を渡される。これに住所や名前を書かなくてはならない。

用紙を提出してしばらく待つと、ファイルを渡され、次にどこそこに行くように、と指示される。そこに行くと、別の受付がある。ファイルを見せると、問診票をくれる。記入しろというのだ。

問診票には必ず正面と背面の人体図が描かれていて、「症状のある部位に丸をつけよ」とある。どんな病気でもこれに印をつけなくてはいけない。

問診票を書き終わって提出すると、今度は2階のどこそこに行くようにと言われる。

階段を登っていくとやはり受付があって、ファイルと引き換えに別の問診票を渡される。丁寧に答え、人体図にも丸をつける。

これを受付に出すと、別の指示が出される。上の階のどこそこの受付に行け、というのだ。そして、そこでも問診票に記入することになる。

こうやって私たちは病院中を上から下まで移動させられ、そのたびに、問診票を仕上げていく。次第に、私たちは疲労し、目が回ってくる。問診票に記入する手も震えてくる。

そして、人体図がもはや人間に見えなくなってきているのに気がつく。頭が破裂しそうなほど巨大だったり、手足の代わりに無数の触手がついていたり、太ったナメクジのような形だったり、奇怪な生き物の図になっているのだ。だが、私たちは疲れ果てているから、そんなことにお構いなしに、適当な部位に丸をつける。

そのあとも私たちは問診票を書き続ける。描かれる図はますます異様になり、最悪の悪魔のようだ。私たちは怯えながら悪魔の角に丸をつける……

やがて最後の紙を渡されるときが来る。そこには「病院の対応はいかがでしたか」などと書かれていて「よかった、ふつう、よくなかった」のいずれかに丸をつけるようになっている。

この紙を箱に入れると、「もう二度と来ないように」と最後の受付がいう。病院の外に追い出された私たちは、足取りも軽く家に向かう。