苦い文学

ロックなテスト

僕たちの学校の先生は、先生だけどロックミュージシャンなんだ。だから、授業はいつもロックのライブみたいなんだ。あるとき先生がみんなの前でこう言ったんだ。

「明日はニューアルバムのリリースだ! みんなちゃんと復習してくるように!」

僕たちはもうこれでピーンときちゃったんだ。明日はテストだってことだ。

そして、次の日は本当にテストだったんだ。

「よし始めるぞ!」と、先生は何人かの子にテストを配り始めた。「これは通常盤のテストだ」 配られたのはみんな普通の成績の子ばかりだったんだ。

それから、また先生は別の子どもたちに配り始めた。少し勉強ができる子たちだ。「これはボーナストラック付きだ」 

今度はクラスで頭の良くない子どもたちに別のテストを配り出した。「お前たちは、ブートレグ盤だ」

そして、最後に成績優秀な子どもたちの前に立った。「お前たちには手応えが必要だ」

そういうと、先生は分厚い本を配り始めたんだ。びっくりしている僕たちに先生はこう言ったんだ。

「これはスーパーデラックス盤だ! 通常の問題に加えて、デモやアウトテイクがぎっしりだぞ。ちなみに、100ページにも及ぶ渾身のライナーにもちゃんと目を通すんだ! さあ、テストはじめ!」

だけど、先生ときたら、テストのあいだじゅう、爆音でロックを聴いてたもんだから、僕たちはテストどころじゃなかったんだ。

苦い文学

アウトとセーフ

みなさん、今日ここにお集まりいただいたのは、驚くべき発明をご覧にいれるためです。それはこの扉の向こうにあります。みなさんをそこにお連れする前に、私が何を発明したか、お話ししましょう。

私たちがいつも驚かされるのは、昔セーフだったことが、今はアウトになっていることです。例えば、タバコ。昔は飛行機でも病院でもどこでも吸えましたが、今はアウトなのです。

それに、昔はなんでもなかったことが、今ではセクハラ、パワハラ認定です。子どもの躾が今は虐待と呼ばれるようになりました。なんでもアウトになってしまったのです。

つまり、これがどういうことかと言いますと、時の流れとはセーフがアウトになることだったのです。セーフがアウトになり、また、現在のセーフが刻一刻とアウトになっていく、このアウトからセーフへの流れが、歴史であり、時間の本質であったのです。

ということは、もしアウトをセーフに変えることに成功すれば、時間を逆行できるのではないでしょうか。そうです、私はこの原理を利用してタイムマシンを発明したのです。

そのタイムマシンはこの扉の向こうに広がっております。さあ、過去への旅を体験したい方は、私と一緒にこの扉をくぐろうではありませんか。

タバコの煙が充満し、セクハラ、パワハラ、いじめに虐待、ありとあらゆるアウトなものに満ち満ちたこのタイムマシンに、みなさん、どうぞ……遠慮なく……あの、どちらへ……おーい……

苦い文学

女性アシスタントの墓場

みなさん、不思議に思ったことはありませんか。テレビの女性アシスタントのことです。

メインの男性の脇に立ってボードを出したり、一歩下がって笑っていたりする女性たちです。アシスタント自体は不思議でもなんでもないのですが、しばらくぶりにその番組を見たりすると、私たちはいつの間にか別の女性アシスタントがメインの脇に立っているのに気がつくのです。

いったいあの女性はどこにいってしまったのだろう? その行方はまったくわかりません。もう二度とテレビで見かけることはないのです。そして、新たに入れ替わったアシスタントも、ちょっと目を離したすきに、別のと入れ替わっているのです。

こうやって次から次へと女性アシスタントは現れては消えしていくのですが、メインの男性はいつも同じです。年も取らないように見えます。「むしろ若返っているのでは?」と怖くすらなります。

それにしても、これらの女性アシスタントたちはいったいどこへいってしまうのでしょうか。

有力な情報はほとんどありません。お台場方面で「女性アシスタント捨て場」を見た、という人もいますし、富士の裾野で「女性アシスタント墓場」に迷い込んだという人もいます。また、大田区に女性アシスタントのリサイクルとメンテナンスを行う町工場があるなどと、まことしやかに語る人もいます。

まったく、デタラメもいいところですが、それでも、この日本のどこかで、捨てられた女性アシスタントたちがひっそりと生きているかと思うと、男のロマンがかき立てられますね。

苦い文学

日本で最初の強制送還

今日、日本で初めて、日本人の強制送還が執行され、これまで外国人だけになされていた強制送還制度が大きな転換を迎えることとなりました。入管法に詳しい有識者は「不良日本人や非生産的な日本人を日本国内から追放する道筋が示された」と評価します。

今回、日本史上初の強制送還の対象となったのは吉田六郎さん。50代半ばまで無職で過ごし、東横キッズに仲間入りしようとしたところを逮捕された彼に、「日本には不要」と白羽の矢が立ちました。

「強制退去令を渡されたときは戸惑いましたが、今では頑張って送還されたいと思っています」

と神妙に語る吉田さん、強制送還の朝は品川の入国管理局から、護送車に乗って成田空港に向かいました。沿道には、前人未到の挑戦をする吉田さんを一目見ようと、人々が詰め掛けました。

「まるでパレードのようです」と市民が興奮気味に語ります。護送車から手を振る吉田さんに観衆は喝采を送ります。「いってらっしゃい!」「もう二度と帰ってくるな!」

成田空港でも、この歴史的瞬間に立ち会おうと、人々が押し寄せました。「韓国のスターが来たときの騒ぎですよ」と空港関係者も呆れ顔です。

そして、ついに吉田さんの搭乗のときがやってきました。人々は遠くから固唾を飲んで見守っています。吉田さんがタラップを登り、機内に消えていくと歓声が上がりました。その後、飛行機が離陸したときにはお祭り騒ぎとなり、警官たちが出動する事態となりました。

今回の強制送還の試みについて、有識者はこう語ります。

「これからの日本が、純粋で優れた日本人と、役に立つ外国人だけの国でなくてはならないのは当然です。なので、今後、ますます低劣な日本人の強制送還は増えていくことでしょう」

さて、吉田さんですが、モスクワの空港に運ばれたのち、どこかの国に送還されるそうです。

苦い文学

電車の封建精神

昔、参勤交代の大名行列がやってくると、町人や農民は歩みを止め、ひれ伏したものだった。これは身分が人間を決めていた封建社会だからで、人の平等を尊ぶ現代社会にはもはや見られぬ慣行だ。

ところが、今なおこの封建精神が幅を利かせている社会領域が存在する。

それは電車の世界だ。電車は身分制に徹底的に縛られている。鈍行・快速・特急と明確に分たれ、鈍行は決して特急にはなれない。特急の上には新幹線があるが、これものぞみを中心とする厳格な身分制社会だ。こだまに生まれたら最後、死ぬまでこだまで、のぞみののぞみなどない。

そして、この厳しい身分制がもっとも明確に現れているのが「大名行列」だ。どういうことかというと、電車の社会では、自分よりも身分の高い電車がやってくるとき、大名行列にでくわした農民のように平伏しなければならないのだ。

例えば、鈍行は快速が背後から近づいてきたら、必ず最寄りの駅に停車し、快速が通過するのをじっと待っていなくてはならない。そして、この快速も、特急が接近すれば、駅で通過待ちということになる。

もちろん、電車には電車のルールがあっても構わない。しかし、この電車の「大名行列」のせいで、中にいる乗客が待たされるとしたらどうだろうか。

乗客にはもちろん電車の身分の違いなど関係がない。なのに車内で待たなくてはならないとは、とんだとばっちりではないだろうか。

少なくとも、今の日本では私たちは憲法のおかげで誰もが平等になった。誰にでくわそうと、這いつくばる必要などのない世の中だ。

電車の世界もこうした社会の変化に敏感であるべきだ。特急だの新幹線だの速さに夢中のあまり、封建制という長いトンネルをノロノロ運転しているのではあるまいか。

苦い文学

不死の男

長い間、彼は自分の命をないがしろにしてきた。いつ死んでもいいと思っていたのだ。天才は早く死ぬものさ、そんなふうにうそぶいて、命にしがみつく小市民たちを嘲笑っていた。

だが、彼にも、自分が天才でもなんでもなく、それどころか、小市民以下ですらあることに気づかされるときが来た。そのとき以来、彼のたったひとつの希望は、長生きすることになった。あらゆることに負け続けたこの負け犬は、寿命の長さで勝つという、人生のラストチャンスに賭けたのだった。

彼は長生き健康法ならなんでも実践した。命を伸ばすのに益ありと聞けば、どんな遠くにも足を運んだ。どんなまずいものでも食べた。どんなサプリメントも、どんな薬品も、彼が試さないものはなかった。長生きに関するどんな些細な情報も、彼の研ぎ澄まされた注意から逃れることはできなかった。

あるとき、街を歩いていた彼の耳に「俺はインモータル……」という言葉が飛び込んできた。長生きのために英語の文献すら目を通していた彼はすぐに気がついた。「インモータル」とは不死のことだ。「俺は不死だと? これは究極の長生きじゃないか……そうだ、今この時代、不死が実現しても不思議ではない。俺も不死を目指す!」

彼は歩みを止め、その声がしたほうを振り向いた。青白い顔の痩せた男がいた。時代を超越した謎めいた雰囲気が漂っていた。「もしや、現代のサンジェルマン伯爵では?」 彼の心は高鳴った。

痩せた男は、そんな彼に気づかず、自分の隣に立つ連れに向かって言った。「そう、俺はいつも……胃もたれ」

苦い文学

登場人物たち

『すごい日本語』は、日本語学習者のみなさんが楽しく学び、日本での生活のあらゆる場面で自信をもって日本語を使うことができるように作られた教科書です。さあ、いっしょに学びましょう!

《登場人物》
『すごい日本語』にはたくさんの人々が登場してさまざまな会話をします。登場人物といっしょに会話をすれば、どんどん日本語が上手になりますよ!

グエンさん(ベトナムからの真面目な留学生)
プジュさん(モンゴルからやってきた明るい留学生)
ラオさん(愉快なインド人留学生)
ミンさん(ミャンマーからきた心やさしい留学生)
タパさん(ネパールの気さくな留学生)
ポールさん(冗談好きのアメリカ人留学生)
アンナさん(ヨーロッパからきたノンキな留学生)
ワンさん(中国出身のゲーム好きの留学生)
キムさん(みんなに頼りにされる韓国人留学生)
浜田先生(日本語の先生)
木村さん(グエンさんの友人)
高橋さん(ミンさんの家の大家さん)
皆川さん(近所の大学生)
吉川さん(木村さんの遠い親戚、喫茶店「ミレー」を経営)
南さん(浜田先生の元カノ)
高橋さん(高橋さんの生き別れの兄)
如月博士(ワンさんの師匠)
ススムくん(如月博士が開発したロボット、「ミレー」のウェイター)
佐々木さん(タパさんのバイト先の店長、実は怪盗鼠小僧)

風刺・戯文

フローレス原人

今日、人類学の泰斗、ジェイムズ・シェルドン博士が来日した。博士は、フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス)研究の世界的権威として知られる。

フローレス原人とは、インドネシアのフローレス島で化石が発見された小型の人類だ。推定によれば、身長は1メートル余りだったとされ、その発見は世界を驚かせた。

フローレス原人をめぐる最大の謎は、もともと小型の人類であったのか、それとも現生人類と同じサイズだったのが、フローレス島という特殊な環境により小型化したのか、という問題だ。後者の小型化説を主張するもっとも有力な研究者であるシェルドン博士は、都内のスーパーやコンビニを巡って、さらなる証拠集めを行う計画だ。

「ほら、見てください」とコンビニを訪問した博士は商品棚からシュークリームを取り上げる。「私は、約10年前にも来日したのですが、その頃より半分の大きさになっています。さらに(と精算前のシュークリームを半分に割る)内部のカスタードクリームは半分どころか3分の1になっているのです。もちろん、これだけではありません。ピザ、ドーナツ、パン、あらゆる食品がそうなっているのです」

博士は精算前のシュークリームに齧りつくと顔をしかめながら話を続けた。

「もし、経済的衰退により、商品の小型化が進み、それを摂取する日本人も環境の変化に適応して小型化しているとしたら、フローレス原人にも同じことが起きた可能性があるといえないでしょうか」

博士は今後、都内のコンビニやスーパーの店内に生息する日本人を捕捉し、体長の測定を実施する予定だ。

苦い文学

新たな過ち

駅前を歩いていたら、スーツにオレンジ色のタスキをかけた男が立っているのを見かけた。その男の両脇にはオレンジ色の上着の男たちがいて、日本の旗を掲げているのだった。中央の男の演説が耳に入ってきた。

……核兵器の脅威が今、日本を脅かしています! 私たちは日本が直ちに核を保有すべきだと考えています。核を抑止するのは核、これが真実です。ですが、これは現状では難しいのです。

それは、非核三原則があるからです。なので、ここで、私たちは今できることを考えなくてはなりません。非核三原則のもと、核の脅威に対抗するにはどうしたらよいか、と。

たったひとつ答えがあります。それは、日本人を核に対して強靭化することです。核に負けない体を作ることです。

不可能でしょうか? いや、日本人にはできる、きっとできます。

証拠があります。海苔です! ある科学的調査によると、この海苔を消化できるのは日本人だけなのだそうです。つまり、日本人はこの滋味豊富な海苔を消化できるように胃腸を強靭化してきたのです。

海苔にできるのならば、核にもできるのではないでしょうか? そう、日本人なら、核を消化できる頑健な胃腸を作ることなど簡単なのです。

核煮、核重、核揚げ、核ラーメン、核の軍艦、核巻き、核のおひたし……。これらの核料理に舌鼓を打つ日本人を見たら、北朝鮮も中国もロシアもアメリカも尻尾を巻いて逃げ出すことでしょう!

……この演説を聞きながら私は黙って立ち去った。たとえ過ちを繰り返さないとしても、新たな過ちがこう出てくるようでは、安らかに眠ることなどできまいと思いつつ。

「安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませぬから……」

苦い文学

アポストロフィなう

我が国はいま危機に直面している。絶えずミサイルは落下し、怪しい船が領海内を侵犯しまくっている。いまこそ、鉄壁の防衛を実現しなくてはならない。

では、その鉄壁の防衛を実現するためにはどうしたらよいだろうか? 巨大な軍艦を何隻も建造することだろうか? 核爆弾を全都道府県に配備することだろうか? それとも、我が国の全領域を電磁バリアーで覆うことだろうか?

確かに重要なことだ。だが、それだけでは不十分なのだ。アポストロフィ防衛がなくてはならない。

アポストロフィ防衛とはなにか? 日本語がローマ字表記されるとき、アルファベットの他にアポストロフィと呼ばれる「’」が出現するのにお気づきであろうか? たとえば、以下のような場合だ。

恋愛(れんあい)ren’ai
全員(ぜんいん)zen’in
新横浜(しんよこはま)shin’yokohama

もしも無知な人が「なんだこのゴマつぶみたいなの」と、このアポストロフィを消してしまったらどうなるだろうか。恐ろしいことが起きるのだ。

れない renai
ぜにん zenin
しにょこはま shinyokohama

そう、すべての意味が消え失せてしまうのだ。つまり、このアポストロフィが n と母音が結びつくのを妨げ、身を挺して言葉を守っていたのだ。そして、この捨て身の防御のおかげで、新大久保が「篠窪」にも、新大阪が「篠坂」となる大混乱を未然に回避でき、日本文化、ひいては日本国が守られていたのだ。

強大な兵器や防御は確かに必要だ。だが、これらの装備も、アポストロフィ防衛がなければなんの役に立とうか。

国民たちよ、今こそこの小さなアポストロフィになろう。そして、全身を捧げて、日本を守ろう。