苦い文学

決裂の危機

イケメンは私にとって長い間、不倶戴天の敵であった。なぜなら、私は、人格的な高潔さや、見た目の美しさや、肉体の健やかさとは無縁の人間であり、なおかつそうした存在であることを峻拒してきたからである。

しかし、年をとったせいか、それとも、娘を得たせいか、最近、イケメンにそれほど激しい憎悪を感じなくなった。

それどころか、韓国のドラマに出てくる多種多様なイケメンを見るのにいささかの躊躇も感じないのだ。いや、進んで観るのだ。いや、むしろ、観るのを楽しみにしているのだ。

私は2015年、ミャンマーで行われた全国的停戦協定の調印式に、チン民族の代表団の一人として参加したことがある。この協定は、残念ながらとっくの昔に反故にされてしまったが、私はこのときの経験を生かして、イケメンとの停戦協定を全国に先駆けて行おうと思っている。

はたして停戦は実現するだろうか。それは、イケメンたちが、私の提示するたったひとつの条件を呑むかどうかにかかっている。

それは、私をイケメンの仲間に入れることだ。

苦い文学

町の恥

コロナのせいなのか、それともアベノミクスのせいなのか、私の住む町に、おかしな連中がウロチョロするようになった。

くたびれたトレンチコートをまとい、黒縁の眼鏡をかけた男は、いつもこの格好で、何やブツブツつぶやきながら、町のあちこちに出没する。今日だけで私は、朝に2回、昼前に2回、午後から夕方にかけて4回、さらに夜には2回、駅・スーパー・商店街で見かけた。

こいつに劣らずおかしなのは、身なりのよい年配の婦人で、なんと見るたびにかぶっている帽子が違うのだ。今日、朝7時ごろに見かけたときは、白い花の飾りがついた丸い帽子だったが、午後3時にはつばの広い黒い帽子を載せていた。そして、午後8時に私が駅の地下道ですれ違ったときには、茶色いニット帽を目深にかぶっていた。一人でファッションショーでもやっているつもりなのだろうか。

この町に巣くうおかしな連中について語り出すとキリがないが、もう一人だけ挙げておこう。そいつは、いつも駅のデッキにいて、ギターともウクレレともつかぬような奇怪な弦楽器を抱えている。そして、驚くなかれ、決してそれを弾くことはないのだ。私は今日も始発前からこいつを見張っていたから、本当だと断言できる。この「ギタリスト」はただ立っているだけなのだ。なんたる時間の無駄遣いであろうか。

どいつもこいつもたいした暇人で、頭のおかしい連中だ。こういう連中が徘徊しているとは、町の恥ではないか。政治家は何とかすべきだと思う。

問題:この町で、もっとも暇で、もっともウロチョロしていて、もっとも頭のおかしい住人は誰か答えなさい。

風刺・戯文

侵略

どうも、こんにちは。

まずは自己紹介をさせていただきますね。私はプロのプログラマーで、自由時間ではハッキングを専門にしております。

今回残念なことに、貴方の星は私の次の被害者となり、貴方の星のオペレーティングシステムとデバイスに私はハッキングいたしました。

数ヶ月間、貴方の星を観察してきました。

端的に申し上げますと、貴方の星がありとあらゆる破壊に夢中になっている間に、貴方の星のデバイスが私のウイルスに感染したのです。有機的・無機的を問わず、貴方の星のあらゆるデバイスへのフルアクセスとコントロールを私は獲得しています。

近頃、貴方の星が殺戮の大ファンで「戦闘動画」鑑賞を楽しんでいることを知りました。

意味はお分かりですよね……貴方の星が勢いよくミサイルを発射するいくつかのクリップを編集して、マスター・オペレーション中に閲覧していらっしゃった動画を組み合わせることにしました。

画面の左側では貴方の星がご自分を楽しませている様子、そして右側ではその時に遂行されていた作戦を表示するようなビデオクリップを作成いたしました。

数回マウスをクリックするだけで、とても簡単にこの興味深いビデオを太陽系どころか、銀河中に送信したり、インタギャラクティック・ウェブ上に単に投稿できたりすることはもうお分かりでしょう。

朗報は、まだ抑止することができることです。ただ 1,800,000 光年相当の量子コインを私の量子ウォレットに送金いただくだけで……

苦い文学

エンダーのあれ

学生はオンライン授業中は必ずカメラをオンにしなくてはならない、という通知が出された。昨年私が教えていた学校でのことだ。もっともらしい理由が書かれていたが、要は学生を信じていないのだ。

しかし、学生にカメラをつけさせるのは至難の業だ。なんども呼びかけたあげく、ようやく一人の学生がカメラをつける。そこで次の学生にカメラをつけるよう働きかけ、これがつけてくれたと思ったら、最初の学生のカメラがオフになっている。もしやと思って、2番目の学生に目を向けると、こっちもオフだ。まるでモグラ叩きのようなのだ。

あるとき、私のオンライン授業に視察が入った。もちろん、カメラのチェックだ。

私は必死になって学生一人一人にカメラを付けるように要請した。ひとたびつけた学生にはもう消さないように頼むと同時に、まだの学生には厳しい声で促した。もう授業などそっちのけだ。私はめまいがしてきた。喉がかれた。歯を食いしばりすぎて奥歯が割れた……だが、ついにその時がやってきた。私のスクリーンに60人全員の学生の顔が映し出されたのだ。壮観だった。

と、その画面が暗転し、ひとりの見知らぬ男の顔が現れた。微笑みながら彼は言った。

「おめでとう。君はついにやったのだ。これらの学生は本当の学生ではなく、実は世界中で行われていたコロナとの戦いを象徴していたのだ……そして、君がひとり学生にカメラをつけさせるたびに、コロナが敗れ去っていったのだ。そうだ、君は世界を救った……さあ、ログアウトするがいい。世界中が英雄を待っている……」

などと考えながら、学生に呼びかけたが、もちろん誰一人つけるものはなかった。

授業後、責任者のひとりが「これは大問題ですよ」とメールを送ってきたが、「うるせー、お前の学校の方針のほうが大問題だ」と思った。

苦い文学

瞳を閉じて

日本語教師になるための手段のひとつとして、日本語教師養成講座を受講するというものがあるが、私は以前その講座で文法の授業を担当したことがある。

日本語の「が」と「を」などの助詞と動詞について説明していて、私はその組合せの例として「〜を渡る」を取り上げた。

「『道を渡る』『海を渡る』の『〜を渡る』には、渡る前の出発点と、渡った後の着点が含まれている。『海を渡る』なら例えば出発点の日本から着点のアメリカにという移動が表わされている」

私がこんなことを言うと受講生からすぐさま質問がきた。

「じゃあ松任谷由実の『埠頭を渡る風』の風はどこからどこへと渡るのですか」

私はことばに詰まった。埠頭のこちらとあちら……とは?

当時の私は松任谷由実など聞かなかったのだが、その後すべての曲を愛聴するようになり、コンサートにまで行くにいたった。

なので、現在の私ならば、まず「瞳を閉じて」は「まぶたを閉じて」であるべきと問題提起し、ついで「昨晩お会いしましょう」の時制の誤用を糾弾する。さらに「恋人がサンタクロース」の「ガ格」に疑義を呈し、とどめとして「ルージュの伝言」は「ルージュという人が書いた伝言」と解釈される恐れがあるので、「ルージュによって書かれた伝言」に改めるべきだとまくし立て、松任谷由実の日本語の信頼性を動揺させて、その受講生を黙らせたことだろう。

(なお、「〜を渡る」で意識されているのは出発点や着点などではなく、経路であること、そして「瞳を閉じて」というのは「店を閉じる」と一緒で誤用でもなんでもないことを申し添えて、パソコンを閉じたい)。

苦い文学

ブライアン

失業中の私にはもはやブライアン・フェリーになるしか選択肢は残されていなかったのだ。

しかし、どのようにしたらなれるのか。ネットを検索したら、日本ブライアン・フェリー協会というものがあり、そこで簡単な講習を受ければいいのだという。とはいえ、あくまでもそれは初級ブライアン・フェリーであり、協会認定のブライアン・フェリーになるためには、2年間のブライアン・フェリーの実務経験を経て試験に合格しなくてはならない。道のりは遠い。だが、食いっぱぐれのない仕事だ。

私は緊急事態宣言が解けるとすぐに、都内某所にある日本ブライアン・フェリー協会に向った。白い上下のスーツをまとったのは意気込みを示すつもり。ところが、その住所にそびえ立つビルを前にして私は愕然とした。日本ブライアン・フェリー協会は8階にあるのだが、エレベーターが点検中で使えないというのだ。

階段を上ると私はめまいがしてくるのでいやだったが、しかたがない。なんとか上りきって受付を済ませ、ぜいぜい言いながら講習を受けることとなった。

「この講習ではみなさんがブライアンになるために必要な基礎知識を学びます。みなさんは彼になるためには何が大事だと思いますか」

講師の言葉に受講生たちが口々に答える。「ロキシー・ミュージック!」「グラム・ロック!」「キーボード!」

私も負けじと元気に叫ぶ。「乱れがちな前髪!」

「……いろいろな意見が出ましたね……ですが、ブライアンになるために一番大切なのは……」

講習が進むにつれ、私の中で違和感がつのっていった。それもそのはず、慣れない階段で疲れ果てた私は、うっかり7階の日本ブライアン・イーノ協会に講習を申し込んでしまったのだった。

どうりで私が「乱れがちな前髪!」と言ったとき、講師が睨みつけたわけだ。

苦い文学

未生の存在

ビルマ関係で知りあった日本人にNさんという人がいる。私からすると二〇以上年上だ。とある有名大学で哲学を専攻していて、修士課程を出たが、その先は進まなかったのだという。当時盛んだった学生運動のほうを選んだのだった。

彼が博士課程に進学しないという話を聞きつけた教授が家にやってきた。説得するためだ。だが、「エスタブリッシュメント」との闘争に対する彼の決意を翻すことはできなかった……この逸話が本当かどうかは私にはわからない。ただ、70歳に近い彼は何度もその話を私にした。彼にとっては今なお自慢のタネだったのだ。

彼は自分より立場の弱い人と見るや怒鳴りつけたり、恫喝したりするので、私はやがて彼に近寄らないようになった。だが、彼との同席を回避できないことがあった。彼は私が博士論文に取り組んでいるということを、誰かから聞いたもののようだった。私に顔を近づけるとこんなことを言ったのだった。

「俺は教授が強く望んだにもかかわらず博士論文を書かなかったが、あんたはそうじゃない。期待されたのに書かれなかった博士論文と、期待されもしないのに書かれた博士論文では、どちらが博士論文として価値が上だろうか」

私は回答を差し控えたが、もちろん期待されて書かれたほうに決まっている。

音楽

【ネタバレ注意】悪魔を憐れむ歌

「悪魔を憐れむ歌」はローリング・ストーンズの代表曲のひとつだ。

ストーンズの活動は長いが、この曲を冒頭に置いた 1968 年のアルバム『ベガーズ・バンケット』から、1972 年の『メイン・ストリートのならず者』までの 5 年間が、このバンドのもっとも創造的な時期であったことに異論を挟む人はそうはいない。「悪魔を憐れむ歌」はそうした時期を象徴する一曲だ。

この曲の英語のタイトルは「Sympathy for the Devil」というもので、sympathy に「憐れむ」などという意味はない。だが、これ以上の邦題はなかなかないだろう。

歌は「自己紹介させてくれ」という男の言葉からはじまる。そして、誰も「どうぞ」とも「ぜひ」とも言っていないのに、自分はイエスの磔刑に居合わせたとか、ロシア革命やケネディ暗殺の現場にいたとかいう自慢話を並べ立てるのだ。そして、そのたびにしつこくこう聞いてくる。

「私の名前を当ててごらん」と。

いや、当てるもなにも、曲名を見れば、誰だかすぐわかる。そんなことも気がつかないウカツな悪魔に私は、憐れみどころか軽蔑すらおぼえるのだ。

苦い文学

愚かなり、わが脳

私は現在仕事を探しているが、どこに当たっても難しく、気づけばもはや三つの選択肢しか残されていないのだった。

ひとつは「ユーチューバー」だ。しかし「ユーチューバー」とはなんだろうか。中国人の名前(劉忠馬??)のようだが、私にはまったくわからない。

もうひとつは麻薬密売人だ。なるほど、繁華街の電柱の陰に隠れて道行く人々にこっそり薬物をお届けするというのは、けっして楽ではないが、手堅い仕事だ。しかし、問題は麻薬をどこで仕入れるかだ。警察とか成田空港にたくさんある印象があるが、分けてくれるとは思わない。神奈川県警なら可能性はあるかもしれないが……。

3つ目はブライアン・フェリーだ。

ブライアン・フェリーはロキシーミュージックの中心人物で、最後のアルバム『アヴァロン』はロック史に燦然と輝く名盤だ。ソロ活動でも知られ、「スレイブ・トゥ・ラブ」「レッツ・スティック・トゥゲザー」「トーキョー・ジョー」など、名曲も多い。

私はかねてから、彼の深い余韻を湛えた音楽と、抑制の効いたダンディズムに関心をもっていた。もうすでになにを始めるのにも遅い年齢になったが、ブライアン・フェリーなら今からでも目指せそうだ。

時給がよさそうなのも魅力だ。

苦い文学

立派な心

私は今年の三月末にそれまで4年いた職場を離れた。そのいきさつになにひとつ恥ずべきことはないが、今ここで語ることではない。

いとも簡単に人を切って捨てることのできる職場で、人々は内心に脅えを抱えて働いていた。私の事情を知る人は多くはなかったが、薄々感づいている人は私に近づかなかった。

私はひと月かけて、退去する準備をした。「盗撮事件を起こして懲戒解雇になる人間でも、私よりもっとニコニコしているにちがいない」と私は思った。

退去する日に、二人の同僚が食事に誘ってくれた。そのうちの一人が、とっておきの店だといって、パキスタン料理店に連れていってくれた。どうせカレーの一種でしょ、と思っていた私は、その予想を裏切るカレーに感動した。

また、私にあたたかく声をかけてくれた二人にも私は感動した。もしかしたら、今日の食事会は、出ていく私のためというよりも、残される自分たちのためだったかもしれない。だがかえってそれが、この(元)同僚たちが人間らしい立派な心の持ち主であることを証明しているように思えた。

店を出て、二人と分かれた私は、夜道を歩きながらつぶやいた。

「盗撮魔にはこんな友人はいないだろう」

だが、しばらくして思い直した。

「いや、盗撮写真を交換するお仲間がいるかもしれないな……」