苦い文学

疲れた男のエロトピア

勃起不全回復の秘術を求めて私は荒野をひとり歩いていた。

行手に粗末な民家が現れた。その扉の前に立つと、蛇の紋章、自分の尾を咥え環となった蛇の図案が目に入った。

私が目指していた家だ。これこそマスターベーションの隠者の隠れ家なのだ。扉を敲くと、隠者その人が現れ、私を招じ入れた。

もう日暮れどきだった。隠者は私につましい夕食を提供し、それから、ベッドを指差した。

「私があなたに与えられるのは、食事と寝る場所だけだ。夜明けが来たら、立ち去りなさい」

「しかし、私はあなたに学ぶためにここに来たのです。勃起不全回復のためのウラ技を。あなたならきっと解決してくれるでしょう」

「人違いだ」

「いいえ、私は扉に記されたウロボロスを見逃しませんでしたよ。あれはマスターベーションの達人のみが許される象徴です」

私はなおも言い張り、その固い決意に隠者は動かされたようだった。

「それを教えていた男はもう死んだ。残念ながらな。だが、その男の物語は君に語る価値はあるだろう。聞くがよい。

「その男はマスターベーションを覚えて以来、この術の魅力に取り憑かれ、快楽を極限まで追い求めようと努めてきた。その名声は国中に広まり、奥義を求める者が絶えずやってきた。

「人並みはずれた探求心の持ち主であった彼は、あるとき決意した。ペニスが1本でもこれだけの快楽があるのならば、2本あれば倍になるのではないかと。

「そこで彼は2本目のペニスを自らの陰部に移植した。

「だが、それは大いなる過ちだった。快楽は倍にはならなかったのだ。それどころか、彼はペニスが倍になったその日から、オーガズムに見捨てられてしまった」

隠者の目はぞっとするような冷たさを帯びていた。

「物事を達成するために何が必要だろうか。集中力だ。オーガズムもそうなのだ。なんと愚かであったろうか、彼はそのことを知らなかった。

「つまりこういうことだ。彼はマスターベーションを始めた。まず1本目に意識を集中した。徐々に強度が増してくると、彼は2本目のことが気になり出した。なぜなら、そのとき、2本目はピクリともしていなかったからだ。それであわてて2本目を握り、意識を向けた。ただちにそれは固くなり出したが、どうだ、そのとき、たちまち1本目が萎え出したではないか。彼は急いで1本目を掴んだ。だが、その瞬間に2本目はうなだれ出したのだ」

隠者が口をつぐむと、耐えがたい静粛が辺りに立ち込めた。私は苦しくなって言った。

「あちらを立てればこちらが立たず、ということでしょうか」

隠者は悲痛な顔でうなずいた。

「彼はこの循環から抜け出すことができなくなった。そうだ、彼はウロボロスの環に捉えられたのだ。その環の中では、もはやいかなるペニスも屹立することはない……ここを立ち去るがよい」

私は再び荒野をひとり歩いていた……。

苦い文学

皇種危険物取扱者

火災を引き起こす危険性が高い物質は、消防法により「危険物」と指定され、「危険物取扱者」とは、この危険物を安全に取り扱う専門知識と技術を有する者である。この資格がないと危険物の取扱いや、定期点検・保安監督はできない。

危険物には、ガソリン、灯油、軽油、硫黄、カリウムなどさまざまな種類があり、危険物取扱者は取り扱える危険物の種類に応じて甲種、乙種、丙種に分かれている。

このたび、法改正が行われ、従来の3種に「皇種」が加わることとなった。

これは、皇族の安全を守り、過剰なバッシング、誹謗中傷を抑止するという観点から、かねてから資格化が要望されていたものだ。

この皇種が、他の3種と異なるのは、「皇室への敬意」という危険物1種のみを取り扱いの対象としている点だ。

今回の改正では、街宣車などで「皇室への敬意」を運搬する場合や、集会などでこの危険物を貯蔵・使用する場合には、皇種危険物取扱者の立ち会いが義務化されることとなった。

「皇室への敬意」は、管理が非常に難しいことで知られ、温度の調節を誤るとたちまち「過激な憎悪」に変質してしまう。そうなると、あっという間に炎上し、大爆発を引き起こすおそれもあるほか、アメリカ移住の引き金となった事例も存在する。

皇室の健全な維持のためにも、「皇室への敬意」の危険性を熟知した上で、くれぐれも安全な運用を心がけていただきたい。

苦い文学

完全に正しい歴史教科書

私は歴史家でもなく、また教育家でもないが、ひとりの愛国者として、どのような歴史教科書が正しいかはわかる。

正しい教科書とは国を愛する心を育むものでなくてはならない。ゆえに、嘘の歴史はもちろんのこと、自虐史観にもとづく歴史はすべて排除されていなくてはならない。

こうした思想に基づき、ついに完全に正しい歴史教科書が完成した。われわれ愛国者の頭にあるものすべてが注ぎ込まれた究極の歴史教科書だ。

まずわれわれの教科書を手にとってほしい。大きさはどうだ。持ち運びに便利なコンパクトサイズだ。

小脇に抱えて、さっそうと歩いてみよう。学生気分満点だ。机の上に置いてみよう。その高級感、もう教科書検定一発合格の風格だ。

では、ぱっと開いてほしい。たちまち授業中の雰囲気が漂う。もちろん、電車の中で開けば、テスト勉強にいそしんでいるように見えること請け合いだ。赤い線を引いたり、暗記用の赤い下敷きを当てたりして、大いに楽しもう。

そればかりではない! あなたが怠け者の生徒ならばパラパラ漫画だって描ける。いや、あなたが厳しい教師ならば、その怠け者の生徒の頭をこの教科書で叩くことだってできる。

教科書としてじつに正しく仕上がった。もう中身など必要ないではないか。

苦い文学

未来における記憶

はるか遠い未来に飛ばされた私は、自分の時代に帰る方法を探してさまよっていた。

冷たい山岳地帯を下る薄暗い小径を歩いていると、やがて日が差し、目の前にスタジアムのような空間が広がった。

そこには数えきれない人々がおり、どの人も苦悶の表情をあらわにしていた。ある者は自分の頬を叩き、またある者はこめかみを殴っていた。また別の人間は頭を抱え、あるいは赤面し、あるいは身を捩りながら嘆いていた。

あまりの悲惨な光景に私はおぞけだち、たまたま近くを歩いていた男に、これはいったいなんなのかと、尋ねた。

白いローブをまとったその男は落ち着いた声で語った。

「永遠の命もときとして不幸をもたらすということだ。旅のおかたよ」

「未来では不老不死が実現してるということですか!」

「さよう。どうやら、過去からおいでになったようですな」

私はうなずき、名を名乗り、自分が未来にやってきた事情を語った。

「なるほど、ならば、この光景を見て驚かれていたのも無理もないでしょう。これらの人々は、過去になした恥ずかしい思い出のためにこのような責め苦に苛まれているのだ」

「といいますと」

「かりに年に数回、赤面すべき失敗や思い違い、失態、失笑ものの出来事に直面するとすると、どうだろうか。これらの人々は少なくとも10万年以上は生きているのだから、恥ずかしい記憶の数たるや、おお、それは1分に1つ思い出したとしても、1年では足りないほどなのだ」

「すると、これらの人々は残りの永遠の人生を『なんであんなことしてしまったのだ〜!』と恥入り悶えつつ生きていかねばならないということなのですね」

「さよう」

「ですが、あなたはいかがでしょうか。あなたもやはり不老不死なのでは?」

彼は笑って私の懸念を打ち消した。

「私は恥ずかしい記憶が生じた場合、直ちに消去されるシステムを導入しているのだ。そればかりではない。不快なものに出会うたびに、それらの記憶は一切の痕跡を残すことなく、忘却の彼方に連れ去られるのだ」

私が未来の生活に感心していると、彼は不意に尋ねてきた。

「ところであなたは誰でしょうか。初めてお会いするようですが。用がなければ失礼」

そう言って立ち去る彼を見ながら、私は、彼のシステムの容赦なさにただ赤面するばかりであった。

苦い文学

SAY SUE ME

OST(オリジナル・サウンド・トラック)と呼ばれる韓国のドラマの挿入歌には、よいものも多く、ドラマの楽しみのひとつといっていい。

最近見た「ユミの細胞たち」(2021、スタジオドラゴン)の挿入歌のいくつかは、韓国のインディー系(といっていいような雰囲気)のミュージシャンたち担当していて、これで私は The Black Skirts、Band Nah、Say Sue Me といったいくつかのよいミュージシャンやバンドを知ることになった。

なかでも「My Haert」を提供した Say Sue Me はとくに気に入った。ギターの感じといい、曲調といい雰囲気がアメリカの3人組バンド、Yo La Tengo なのだ。女性がボーカルなので、そこも近い。

それで、このバンドの他の曲を聴いてみると、やはり Yo La Tengo 感が強い。それどころか、ギターの調子が、もっとさかのぼって The Velvet Underground すら思い起こさせる。

などと思っていたら、The Velvet Underground の “Beginning to See the Light” をカバーしたりしてて、喜ばせてくれる。なお、このバンドは英語で曲作りをしているようだ。

さて、最近、というか3日ほど前に、Yo La Tengo が1997年のアルバム “I Can Hear the Heart Beating as One” の25周年版を出した。早速ダウンロードして、外出時に聴いてみた。

最近、私はアルバムを気にせずに聞くので、どの曲がどのアルバムに入っているかあまりわからないが、外を歩きながらいつもの Yo La Tengo の感じを楽しんだ。曲名を知りたくなった私は、携帯を確認して愕然とした。

私が聴いていたのは Say Sue Me であった。

歩きながら携帯を操作したので押し間違えたのだ。

ちなみに、ネットを探すと、Say Sue Me の日本語のインタビューを読むことができる。そこでは、Yo La Tengo の音楽との関連がはっきりと語られている。

苦い文学

シムローとアライース

オスティア・アンティカ(Ostia Antica)で出土した五神像(「イカリイェヌス」「カトゥッルス」「ブー」「ナクヮモードゥス」「シムロー」)について、興味深い伝説を伝えてくれるのが、ペトロニウスの『サテュリコン』8巻の断片である。

この古代の小説に残された断片からは、五神像は「シムロー」の代わりにもともとは「アライース」という神であったことが知れる。というのもこんな伝説が記録されているからだ。

……あるとき、主神イカリイェヌスは神々の序列を決めるために、全員集合を呼びかけた。そこで、シムローが使いに出された。なぜなら(その頃は)使い走りをしていたからである。(シムローは)行って、カトゥッルス、ブー、ナクヮモードゥスに告げた。「彼(イカリイェヌス)が呼んでいる。神々の序列を決めるために」 (シムローは)最後の神(アライース)のもとにやってくると、巨大な(原文欠)をその家の前に置いた。「彼(イカリイェヌス)からの贈り物です」 アライースは(それを)持ち上げて家に入れようとしたが、巨大さゆえに入らなかった。(アライースが)家に入れようと手間取っている間に彼(シムロー)はイカリイェヌスのもとに駆け戻った……

「シムロー」が計略によって「アライース」の地位を奪ったというこの伝承からは、この神のトリックスター的な一面をうかがうことができよう。

さて、この「アライース」は怒りの神とされ、しばしば stylus を掲げた男性としても描かれる。stylus とは古代世界のペンのことである。

苦い文学

十分に科学的な死なない瞬間

エリザベス・キューブラー=ロスは、その著『死ぬ瞬間』で、死にゆく人間は五つの段階を経て、死を受け入れていくと語っている。

これは「五段階の死の受容プロセス」としてあまりにも有名であるが、ここに簡略に述べると次のようなものである。

第1段階 「死の否認」(自分が死ぬことを認めない) 
第2段階 「死への怒り」(死という理不尽に対して怒る)
第3段階 「神との取引」(死を避けるために「神」にすがる)
第4段階 「抑うつ」(絶望と無力感の段階)
第5段階 「受容」(安らかに死を受け入れる)

キューブラー=ロスのこの死の受容プロセスには批判もある。

そのうち主要なものは、実証性に欠けるというものだ。『死ぬ瞬間』は、200人の死にゆく人々との対話がもととなっているというが、それだけではこのプロセスの存在を証明するのに不十分であるというのである。

そこで、この死の受容プロセスを科学的に検証・証明する研究が必要となる。私はかねてからこの問題に取り組み、現在、「死の受容プロセスの客観的実在性に関する実証研究」という題目で実験を進めている。

実験はわかりやすくいえば、死んだばかりの死者を対象とし、死後硬直が始まる前に、死の受容プロセスを逆向きに(「受容」>「抑うつ」>「神との取引」>「死への怒り」>「死の否認」)体験させるものである。

これで死者が生き返れば、死の受容の五段階は十分に科学的なプロセスであると結論づけられよう。

苦い文学

忘れられた神々

ローマ神話というと、ユピテルやユノー、ウルカヌスなどメジャーどころが思い浮かぶが、これ以外にも、マイナーな神々も数多く存在し、古代の人々に信仰されていたことが知られている。

もっとも、これらの神々はほとんど文献に記録されず、墓碑銘、神殿や民家の装飾、粘土製のマスコットなどからわずかにその存在が知れるのみだ。

比較的有名なのは、ローマ近郊の港湾都市の古オスティアの複合的宗教遺跡から発掘された五柱の神像だ。幸運にも、その台座部分にはいくばくかの碑文が刻まれていた。そのおかげで、我々は、さもなければ失われていた古代ローマの民衆信仰の一端を窺い知ることができるのである。

これらの神々は、碑文によればそれぞれ「イカリイェヌス」「カトゥッルス」「ブー」「ナクヮモードゥス」「シムロー」という名で呼ばれていたようである。

これらのうち主神として崇められていたのが「イカリイェヌス」で、もっとも長身である。膨れた下唇が特徴であるが、これは発言力の大きさと権威の象徴であろう。

禿頭で酒瓶を抱えた「カトゥッルス」は酩酊の神であり、ギリシア神話のディオニュソスに比すことができよう。その禿頭はまた好色な一面を表している。おそらくなんらかの性的な秘儀と関連づけられるのではあるまいか。

「ブー」はでっぷりと太った神であり、小型のキタラ(弦楽器)を携えている。その胴体に描かれたジグザグ模様から、雷神と推定する研究もある。

「ナクヮモードゥス」は異様な目をした男性の像であり、現代の我々にはまるでメガネをかけているように見える。その神格については碑文の欠損のためはっきりとはわからない。

五神のうちもっとも興味深く、そしてもっとも謎めいているのは「シムロー」である。滑稽な表情で顎を突き出しているこの神は、トリックスター的な存在であったと考えられている。そのいっぽう、台座には病に関する誓文が刻まれており、疫病よけの神としても崇拝されていたようだ。

これら五神の祭儀がいかなるものであったのかは、いっさい不明であるが、少なくとも果物などが奉納されていたらしい。これは、神像、とくに「シムロー」の周囲からスイカと見られる種子の痕跡が多数発見されていることからの推測である。

苦い文学

月夜の不眠

愛国者による天文研究振興を目的として設立された日本星辰発揚協会が年次大会を先日開催し、そこで発表されたある発見が、愛国者に動揺を引き起こしている。

同協会の月面探査部門が月の表面を観測した結果、これまで報告されたことのない構造物が確認されたのだという。

ただちに画像の詳細な分析が行われ、その結果、驚くべき事実が明らかになった。

月面に慰安婦像が建てられていたのである。

同協会はただちに「反日勢力の憎むべき陰謀」と断定し、慰安婦像粉砕ロケット開発ためのクラウドファンディングの開始を公表した。

とはいえ、この事実が愛国者に与えた衝撃は大きく、関係者によれば「月夜に眠れなくなった」「月のうさぎまで慰安婦像に見えてきた」「月光を浴びると肌にかゆみが」などとの訴えが同協会に殺到しているという。

同協会は、慰安婦像が撤去されるまでの間、この「反日月」をいっさい見ないようにと、すべての愛国者に強く呼びかけている。

いっぽう、同協会は、対抗措置として月のクレーターを旭日旗模様に早急に改造するよう、日本政府とNASAに強く求めていく方針だ。(サンケー通信社)

苦い文学

妖怪ガチャ入道

人里離れた山道を歩いているときに、どこからともなく「ガチャガチャ……ガチャガチャ………」と不気味な音が聞こえてきたら、すぐさま逃げ出したほうがいい。

もしかしたら妖怪ガチャ入道が後ろに立って、君に乗り移ろうと狙っているかもしれないからだ。

ガチャ入道は、なにに対してもガチャで外れたと嘆く人間のなれの果てだ。

もともとは勝縁という坊主であったこの男、親ガチャに外れたと言って出家したのだが、今度は寺ガチャに外れた、和尚ガチャに外れたと言い出す始末。

そのうち誰からも相手にされなくなり、ついには頭にきたのか「世界ガチャに外れた、世界ガチャに外れた」と叫びながら町を歩き回るありさま。

だが、あるとき、通りすがりの老人が彼にこんなふうに言った。

「お前はむしろ自分ガチャに外れたな」

これを聞くや、勝縁、自分以外のものにはなれぬと観念したか、たちまち悶絶して息絶えた。その無念の思いが凝り固まって妖怪となったのがガチャ入道というわけ。

だが、もし、君がうっかりガチャ入道と出会ってしまっても、慌てることはない。

「この妖怪に対峙するとき『あっはぷふい』と唱えればたちまちにして消滅す」

その著『死霊』で、自同律(自分が自分であること)の不快について語った妖怪博士、埴谷雄高が、そう書き記している。