苦い文学

エンダーのあれ

学生はオンライン授業中は必ずカメラをオンにしなくてはならない、という通知が出された。昨年私が教えていた学校でのことだ。もっともらしい理由が書かれていたが、要は学生を信じていないのだ。

しかし、学生にカメラをつけさせるのは至難の業だ。なんども呼びかけたあげく、ようやく一人の学生がカメラをつける。そこで次の学生にカメラをつけるよう働きかけ、これがつけてくれたと思ったら、最初の学生のカメラがオフになっている。もしやと思って、2番目の学生に目を向けると、こっちもオフだ。まるでモグラ叩きのようなのだ。

あるとき、私のオンライン授業に視察が入った。もちろん、カメラのチェックだ。

私は必死になって学生一人一人にカメラを付けるように要請した。ひとたびつけた学生にはもう消さないように頼むと同時に、まだの学生には厳しい声で促した。もう授業などそっちのけだ。私はめまいがしてきた。喉がかれた。歯を食いしばりすぎて奥歯が割れた……だが、ついにその時がやってきた。私のスクリーンに60人全員の学生の顔が映し出されたのだ。壮観だった。

と、その画面が暗転し、ひとりの見知らぬ男の顔が現れた。微笑みながら彼は言った。

「おめでとう。君はついにやったのだ。これらの学生は本当の学生ではなく、実は世界中で行われていたコロナとの戦いを象徴していたのだ……そして、君がひとり学生にカメラをつけさせるたびに、コロナが敗れ去っていったのだ。そうだ、君は世界を救った……さあ、ログアウトするがいい。世界中が英雄を待っている……」

などと考えながら、学生に呼びかけたが、もちろん誰一人つけるものはなかった。

授業後、責任者のひとりが「これは大問題ですよ」とメールを送ってきたが、「うるせー、お前の学校の方針のほうが大問題だ」と思った。

苦い文学

瞳を閉じて

日本語教師になるための手段のひとつとして、日本語教師養成講座を受講するというものがあるが、私は以前その講座で文法の授業を担当したことがある。

日本語の「が」と「を」などの助詞と動詞について説明していて、私はその組合せの例として「〜を渡る」を取り上げた。

「『道を渡る』『海を渡る』の『〜を渡る』には、渡る前の出発点と、渡った後の着点が含まれている。『海を渡る』なら例えば出発点の日本から着点のアメリカにという移動が表わされている」

私がこんなことを言うと受講生からすぐさま質問がきた。

「じゃあ松任谷由実の『埠頭を渡る風』の風はどこからどこへと渡るのですか」

私はことばに詰まった。埠頭のこちらとあちら……とは?

当時の私は松任谷由実など聞かなかったのだが、その後すべての曲を愛聴するようになり、コンサートにまで行くにいたった。

なので、現在の私ならば、まず「瞳を閉じて」は「まぶたを閉じて」であるべきと問題提起し、ついで「昨晩お会いしましょう」の時制の誤用を糾弾する。さらに「恋人がサンタクロース」の「ガ格」に疑義を呈し、とどめとして「ルージュの伝言」は「ルージュという人が書いた伝言」と解釈される恐れがあるので、「ルージュによって書かれた伝言」に改めるべきだとまくし立て、松任谷由実の日本語の信頼性を動揺させて、その受講生を黙らせたことだろう。

(なお、「〜を渡る」で意識されているのは出発点や着点などではなく、経路であること、そして「瞳を閉じて」というのは「店を閉じる」と一緒で誤用でもなんでもないことを申し添えて、パソコンを閉じたい)。

苦い文学

ブライアン

失業中の私にはもはやブライアン・フェリーになるしか選択肢は残されていなかったのだ。

しかし、どのようにしたらなれるのか。ネットを検索したら、日本ブライアン・フェリー協会というものがあり、そこで簡単な講習を受ければいいのだという。とはいえ、あくまでもそれは初級ブライアン・フェリーであり、協会認定のブライアン・フェリーになるためには、2年間のブライアン・フェリーの実務経験を経て試験に合格しなくてはならない。道のりは遠い。だが、食いっぱぐれのない仕事だ。

私は緊急事態宣言が解けるとすぐに、都内某所にある日本ブライアン・フェリー協会に向った。白い上下のスーツをまとったのは意気込みを示すつもり。ところが、その住所にそびえ立つビルを前にして私は愕然とした。日本ブライアン・フェリー協会は8階にあるのだが、エレベーターが点検中で使えないというのだ。

階段を上ると私はめまいがしてくるのでいやだったが、しかたがない。なんとか上りきって受付を済ませ、ぜいぜい言いながら講習を受けることとなった。

「この講習ではみなさんがブライアンになるために必要な基礎知識を学びます。みなさんは彼になるためには何が大事だと思いますか」

講師の言葉に受講生たちが口々に答える。「ロキシー・ミュージック!」「グラム・ロック!」「キーボード!」

私も負けじと元気に叫ぶ。「乱れがちな前髪!」

「……いろいろな意見が出ましたね……ですが、ブライアンになるために一番大切なのは……」

講習が進むにつれ、私の中で違和感がつのっていった。それもそのはず、慣れない階段で疲れ果てた私は、うっかり7階の日本ブライアン・イーノ協会に講習を申し込んでしまったのだった。

どうりで私が「乱れがちな前髪!」と言ったとき、講師が睨みつけたわけだ。

苦い文学

未生の存在

ビルマ関係で知りあった日本人にNさんという人がいる。私からすると二〇以上年上だ。とある有名大学で哲学を専攻していて、修士課程を出たが、その先は進まなかったのだという。当時盛んだった学生運動のほうを選んだのだった。

彼が博士課程に進学しないという話を聞きつけた教授が家にやってきた。説得するためだ。だが、「エスタブリッシュメント」との闘争に対する彼の決意を翻すことはできなかった……この逸話が本当かどうかは私にはわからない。ただ、70歳に近い彼は何度もその話を私にした。彼にとっては今なお自慢のタネだったのだ。

彼は自分より立場の弱い人と見るや怒鳴りつけたり、恫喝したりするので、私はやがて彼に近寄らないようになった。だが、彼との同席を回避できないことがあった。彼は私が博士論文に取り組んでいるということを、誰かから聞いたもののようだった。私に顔を近づけるとこんなことを言ったのだった。

「俺は教授が強く望んだにもかかわらず博士論文を書かなかったが、あんたはそうじゃない。期待されたのに書かれなかった博士論文と、期待されもしないのに書かれた博士論文では、どちらが博士論文として価値が上だろうか」

私は回答を差し控えたが、もちろん期待されて書かれたほうに決まっている。

音楽

【ネタバレ注意】悪魔を憐れむ歌

「悪魔を憐れむ歌」はローリング・ストーンズの代表曲のひとつだ。

ストーンズの活動は長いが、この曲を冒頭に置いた 1968 年のアルバム『ベガーズ・バンケット』から、1972 年の『メイン・ストリートのならず者』までの 5 年間が、このバンドのもっとも創造的な時期であったことに異論を挟む人はそうはいない。「悪魔を憐れむ歌」はそうした時期を象徴する一曲だ。

この曲の英語のタイトルは「Sympathy for the Devil」というもので、sympathy に「憐れむ」などという意味はない。だが、これ以上の邦題はなかなかないだろう。

歌は「自己紹介させてくれ」という男の言葉からはじまる。そして、誰も「どうぞ」とも「ぜひ」とも言っていないのに、自分はイエスの磔刑に居合わせたとか、ロシア革命やケネディ暗殺の現場にいたとかいう自慢話を並べ立てるのだ。そして、そのたびにしつこくこう聞いてくる。

「私の名前を当ててごらん」と。

いや、当てるもなにも、曲名を見れば、誰だかすぐわかる。そんなことも気がつかないウカツな悪魔に私は、憐れみどころか軽蔑すらおぼえるのだ。

苦い文学

愚かなり、わが脳

私は現在仕事を探しているが、どこに当たっても難しく、気づけばもはや三つの選択肢しか残されていないのだった。

ひとつは「ユーチューバー」だ。しかし「ユーチューバー」とはなんだろうか。中国人の名前(劉忠馬??)のようだが、私にはまったくわからない。

もうひとつは麻薬密売人だ。なるほど、繁華街の電柱の陰に隠れて道行く人々にこっそり薬物をお届けするというのは、けっして楽ではないが、手堅い仕事だ。しかし、問題は麻薬をどこで仕入れるかだ。警察とか成田空港にたくさんある印象があるが、分けてくれるとは思わない。神奈川県警なら可能性はあるかもしれないが……。

3つ目はブライアン・フェリーだ。

ブライアン・フェリーはロキシーミュージックの中心人物で、最後のアルバム『アヴァロン』はロック史に燦然と輝く名盤だ。ソロ活動でも知られ、「スレイブ・トゥ・ラブ」「レッツ・スティック・トゥゲザー」「トーキョー・ジョー」など、名曲も多い。

私はかねてから、彼の深い余韻を湛えた音楽と、抑制の効いたダンディズムに関心をもっていた。もうすでになにを始めるのにも遅い年齢になったが、ブライアン・フェリーなら今からでも目指せそうだ。

時給がよさそうなのも魅力だ。

苦い文学

立派な心

私は今年の三月末にそれまで4年いた職場を離れた。そのいきさつになにひとつ恥ずべきことはないが、今ここで語ることではない。

いとも簡単に人を切って捨てることのできる職場で、人々は内心に脅えを抱えて働いていた。私の事情を知る人は多くはなかったが、薄々感づいている人は私に近づかなかった。

私はひと月かけて、退去する準備をした。「盗撮事件を起こして懲戒解雇になる人間でも、私よりもっとニコニコしているにちがいない」と私は思った。

退去する日に、二人の同僚が食事に誘ってくれた。そのうちの一人が、とっておきの店だといって、パキスタン料理店に連れていってくれた。どうせカレーの一種でしょ、と思っていた私は、その予想を裏切るカレーに感動した。

また、私にあたたかく声をかけてくれた二人にも私は感動した。もしかしたら、今日の食事会は、出ていく私のためというよりも、残される自分たちのためだったかもしれない。だがかえってそれが、この(元)同僚たちが人間らしい立派な心の持ち主であることを証明しているように思えた。

店を出て、二人と分かれた私は、夜道を歩きながらつぶやいた。

「盗撮魔にはこんな友人はいないだろう」

だが、しばらくして思い直した。

「いや、盗撮写真を交換するお仲間がいるかもしれないな……」

苦い文学

洛陽の紙価を低めて

出版物のためのコンテストは世に数あれど、まったく売れない本を選ぶコンテストがあるのはあまり知られていない。

未刊行の原稿を対象に行われるこのコンテストは、出版されてもまったく売れる見込みのないと判定された図書に、出版資金を助成する、というものだ。

まったく売れないのならば出版などしないほうがいいと思うかも知れない。だが、そう簡単にはいかないのが世の中だ。売れなくても出版するのが文化だという考え方もある。

しかし、それでは出版社が倒産してしまう。すると多くの人々が職を失い、家族が路頭に迷うことになる。貧困層の増大は犯罪の増加に直結しており、治安の悪化は政情不安を招来し、ついには国家転覆へといたる。売れない本に助成を出すことはなんとしても必要なのである。

このコンテストは年に1回開催され、我こそは売れない、という書き手たちが、まったく売れる要素のない原稿、いやそれどころか、売れない要素をこれでもかというくらいに盛り込んだ原稿を苦心して仕上げ、こぞって応募する。

売れない、といっても、デタラメを書いて送ってもダメだ。内容がしっかりしていて、しかも誰も手に取らないという、絶妙なバランス感覚がものをいうのだ。

選考する側も、少しでも売れる要素ありと判断すれば、容赦なく落とす。まことに厳しいコンテストなのだ。

応募は秋に行われ、結果が出るのが翌年の4月だ。選考から漏れた人々は、悲しそうだが、少しうれしそうな顔をしている。選ばれて助成の対象となった人々は、うれしそうな顔をしながら、少し悲しそうだ。

苦い文学

恋の魚

殺伐としたドラマは見たくないので、私は最近、韓国のドラマばかり見ている。

今まで見たのは、次の四つだ。

『キム秘書はいったい、なぜ』
『彼女はキレイだった』
『彼女の私生活』
『恋のゴールドメダル〜僕が恋したキム・ボクジュ』

知っている人ならばすぐに分かるが、最近の韓国のラブコメの代表作ばかりだ。

しかし、ラブコメとはどういうことだろうか。私が最後にラブコメに触れたのはいつのことだったろう……たしか小山田いくの『すくらっぷ・ブック』だったような……。私はキム秘書というよりもキム書記のほうであったし、キム・ボクジュよりも金達寿のほうであった。

それでも、人が串刺しにされたり八つ裂きにされたりするのを見るより、美男美女がいちゃいちゃするのを見るほうがはるかにマシだ。だが、慣れないものを一度にたくさん見たせいにちがいない。私の脳に奇怪な反応が生ずるにいたった。

あるテレビの番組を見ていたときのことだ。出演者が「イワシ、サバ、カツオ」と魚の名を列挙していたのだが、「サヨリ」の名が出たとき、私の脳裏に勃然と韓国ドラマの印象が湧き上がったのである。

これはなんだろうか。

しばしの熟考ののち謎は明らかになった。どうやら私に以下のような連想作用が働いたものらしい。

サヨリ>キス>韓国のラブコメ

もうドラマなど見るのを止めて、座禅にでも打ち込むか……

苦い文学

5+7+5は死+死+苦

知性が衰えたのか、それとも、世界の悲惨さに押しつぶされそうになっているのか、人々の苦しみがひとしお骨身に染みるようになってきた。

苦しみにもいろいろあるが、虐待や残虐な行為の犠牲となる苦しみが、もっとも顕著に私の身に堪える。

例えそれがフィクションでもだ。ドラマを見ていても、残虐な場面に遭遇すると、直ちに消してしまう。

こんなとき思い出されるのが、俳句をたしなんでいた祖母のことだ。まだ十代だった私はこんな第二芸術のいったい何が面白いのかまったく見当もつかなかった。

しかし、今になってみると、祖母の気持ちがわかるような気がする。俳句には残虐な要素がいっさいない。季語にはむごたらしさのかけらもないし、五七五の間には飛び散る肉片や、血まみれの子どもや、悲痛な絶叫などが入り込む余地はない。これが老人たちの気弱になった心にちょうどいいのだ。

もちろん、多少はハラハラさせるところもある。「古池や蛙飛びこむ」と聞くと、我々の緊張はいやおうなく高まる。だが、「水の音」ですっかり安心してしまうのだ。「やせ蛙まけるな一茶」でも同じだ。我々は敗北の予感に脅えるが、後に続く「これにあり」で「あってよかった!」とほっと安堵のため息をつくのだ。

だが、もしこれが「古池や蛙飛びこむ虐待で」とか「やせ蛙まけるな一茶を血祭りだ」とかだったらどうだろうか。もちろん俳句としてはこちらのほうが秀句だろうが、おそらく老人たちは筆と短冊を放り投げて、この世に絶望して棺桶に自らもぐり込むにちがいない。