風刺・戯文

本当にやさしい日本語

私は、差別語などは使わないように日ごろから気をつけているが、ポリチカル・コレクトネスの欠乏した人や、無知な人は差別語を使いがちだ。もっとも、教養豊かな私も、ときには間違えることもないではない。

先日、犬と散歩している人がいたので、「汚い犬ですね」といったらイヤな顔をされた。どうにも納得がいかなかったので、後で友人に尋ねたら「ワンちゃん」というべきなのだそうだ。現代では動物も命あるものとして尊重すべきだということなのだろう。

そのような観点からすれば「豚児」「豚箱」などという表現も現代にはふさわしくない。なぜなら豚に失礼だ。「馬齢を重ねる」も同じで、馬に配慮が足りないというべきだ。そう考えると「馬鹿」などもはなはだ危険だ。現代ならば「人児」「人箱」「人齢を重ねる」「人々」が適切だろう。

最近では「尻切れ蜻蛉」も差別語に加えられたようだ。私などは差別に対する備えがしっかりしているせいで、もう十年以上前から「蜻蛉返り」も使わない。

差別語を見逃せないタチの私は、しばしば指摘や注意をしてしまう。ネットならば差別語警察、いや差別語ワンちゃんと言われるかもしれないが、やはり黙っていられない。

先日なども、ある人がしきりに「外人、外人」と繰り返すので、「差別主義者め、外国人と言いなさい」と注意したら、こんなふうに言い返された。

「うるさい、俺は差別なんかしてない」

「いいや、していたぞ」

「愚か者め。外人の外を外国と言い換えれば、外国人になる。だが、この外も外国に言い換えたほうがいいのではないか。すると外国国人だ。だがそれでも外が残る。そんなこんなで外国国国国国国国国国国国国国国国国人になっても、まだ終わらない。これじゃあキリがないから、俺は国を省略して外人と言っているのだ。この二字の間に収められた差別を憎む心はそれこそ無限大なのだ!」

人々人々しいにもホドがある。まったく呆れた人野郎だ。

旅・観察

私は空腹だ

ベルベル人は北アフリカやサハラ砂漠の国々に広く住んでいる人々で、一般にベルベル語という言語を使っている。ベルベル語話者は、北アフリカでは、モロッコとアルジェリアに多くいるが、チュニジアにも南部にわずかながらいる。

先月チュニジアに滞在したさいに、ベルベル語話者にベルベル語について教えてもらう機会があった。私は言語に興味を持っているので、単語やら動詞の活用について教えてもらった。単語といっても基礎語彙で「頭」はなんというとか、「話す」はどうだというレベルだ。

あるとき「空腹だ」とか「喉が渇いた」とかはどういうのか、と尋ねたら、該当する単語を答えてくれた。教えてくれたのは 60 代の男性だったが、この単語について教えてくれたとき、こんなことを言った。

「ベルベル人の男は、腹が減ったとか、お金がないとか、そういうことはいわない」

ならなんでそんな単語があるの、と思ったが、それはともかく彼はこう続けた。

「ベルベルの村では男がそんなふうに弱みを見せるのは恥なのだ。だから、どんなに困っていても他人に、たとえそれが親戚でも助けは求めない」

「それで、どうするんです」

「そういうときは、妻子を集めて、部屋に入る。そして、内側から扉を塗り込める。そしてそのまま餓死するのだ」

あくまでもそういう気質だという話であって、これが本当にあったことかどうかは別問題だ。私としては本当でなければいいと思う。

ちなみに「私は空腹だ」とは「イッローザー」というようだ。積極的な活用を望む。

苦い文学

老人と逆

日本の老人は「逆」に夢中だ。

まず、高速道路はいつだって逆走だ。アクセルとブレーキを逆にして子どもを逆縁にするのも、ことあるごとに逆上・逆ギレ・逆恨みして、逆待に精を出すのも老人だ。しかも、どうやら考え方も逆コースなのだ。

そのうち、写真に写れば逆光、街に出れば逆ナンということにもなりかねない。

老人たちがあまりにも「逆」向きなので、逆でない老人がいたら逆に心配になるくらいだ。

若者たちは老人たちを変えようと手を尽くしたが、老人たちの逆鱗に触れるばかりだ。

私はこの問題に若者が関わるのはかえって逆効果だと考える。なぜなら、老人たちの「逆」への執着は、時間を逆上って、若さを取り戻したい、逆三角形の肉体だったころの自分に戻りたいという逆しまな欲求が原因だからである。

「逆」を集めることにより、老いから若さへと逆向きに進もうなどというのは、逆立ちしてもありえない原始的な呪術思考だ。だが、いい歳をした老人たちが、この呪術に陥る姿は、年の功が亀の甲に逆転負けを喫するという、現代の逆説的状況をあらわにしているといえそうだ。

苦い文学

キャップ

9月7日の記者会見はまさに歴史的なものであり、会見が始まったその瞬間から、1日以上経った今でも多くの人が意見や感想、あるいは批判をメディアで表明している。

そして、まさにその会見にたまたま立ち会っていたこの私もやはり自分なりの見解を記すべきだと思う。

会見に臨んだのはひとりの女性と二人の男性であった。女性のほうは髪が長く、男性たちはこざっぱりとした身なりであった。

ただ一点、変わっていたのは3人ともキャップをかぶっていたことだった。

まず女性が沈痛な顔つきで語り始めた。

「私たちはキャップをこよなく愛する仲間たちの代表としてこの場に来ています。今、私たちは大きな危機に直面しております」

この後を男性が引き継いだ。

「キャップは野球選手と野球好きの子どもがかぶるものであり、いい大人がかぶるものではないとされてきました。

「かつては『大人でキャップをかぶっているのは、野球選手か変質者に決まっている』などと心無いことを言われたものでした。ですが、私たちは立派な大人でもキャップをかぶれる、かぶったっていいんだ、ということを身をもって示してきたのです。

「最近では偏見もだいぶなくなり、うれしいことに大人でもキャップをかぶろうというかたがずいぶん増えているようです」

そしてもうひとりの男性がマイクを取った。

「そんな時に何でしょうか。人類史上、もっとも愚かな性犯罪者がキャップをかぶっている写真がメディアで大々的取り上げられているのです! テレビ、雑誌、ネットでさんざん繰り返され、善良なる市民、とくに子どもたちに偏見を植え付けています。大人でキャップをかぶるのは変質者でもなんでもない、と偏見をなくすべく頑張ってきた私たちの努力が水の泡です。

「メディアのかたにお願いしたいのは、いますぐあの写真の使用を停止してくださいということです」

この要望ののち、質問の時間が設けられたが、質問する記者はひとりもいなかった。というか、記者たちみんなとっくにいなくなっていた。

3人は無念の表情を浮かべていたが、この問題もまた日本のマスコミが真面目に取り上げるには30年ばかり早すぎたというべきであろう。

苦い文学

副葬品

【野見楠古墳発掘レポート】

この度、野見楠古墳(のみくすこふん)で初の大規模な発掘調査が行われました。発掘から見えてきた古代の生活について、責任者の森友一先生にお聞きします。

記者:野見楠古墳は変わった特徴を持つ古墳だとのことですが。

森先生:ええ、右方後円墳という右寄りの珍しい形状をしています。

記者:今回の発掘調査で被葬者についてどのようなことが分かりましたか?

森先生:被葬者は古代の非常に有力な人物であったと想像できます。おそらくこの辺り一帯のクニの指導者ではないでしょうか。今回の発掘では大量の副葬品が出土しました。これはクニをあげて葬儀が営まれた証拠です。古代の国葬とでも申せましょう。

記者:野見楠古墳の副葬品が、考古学界でも大きな話題となりましたが、具体的にはどのようなものなのでしょうか。

森先生:数えきれないほどの重要な発見がありました。ここではその3つをご紹介しましょう。まず、考古学的に最も注目すべきは、銅の剣です。腐食が激しいのですが、さいわいにも銘文の解読に成功しました。部分的に欠損していますが「戸◼️毛土須」と読めます。◼️の部分はおそらく「利」でしょう。「トリモドス」です。おそらく古代世界の呪文ではないかと考えられます。

記者:「トリモドス」と唱えてクニを支配していたということですね。

森先生:ええ、そうです。次にご紹介する出土品もやはり支配に関係あるようです。これらの像をご覧になってください。

記者:ねじれたり、ひんまがったりしていますね。なんでしょうか。

森先生:どれも愛国心を形どった像だと考えられます。これらさまざまな形の愛国心が、石棺を取り巻くように配置されていたのです。お気づきになられたように、どれも歪みに歪んだ形象です。このねじくれ具合は、外敵に対する恐怖を表しているのでしょう。古代の人々は、これらの愛国心でクニを守れると信じていたにちがいありません。

記者:現代の私たちには理解のできないことです。

森先生:最後にもっとも謎めいた副葬品についてお話ししましょう。石棺の下部に小さな穴があり、そこに壺が隠されていたのです。この壺については、わたしたちもまだ分からないのですが、その特徴から判断するに、古代の朝鮮半島に由来するもののようです。おそらく、なんらかの秘密の交流があったことの証ではないかと考えられます。

記者:今回の先生のお話をお聞きして、古代への霊感を大いにかきたてられた次第です。どうもありがとうございました。