散文

幼年期の終わりの続き

二〇二二年の末頃、AIに「ベトナムのビートルズ」の画像を作成するように指示すると、銀色にも灰色にも見えるスーツを着た四人の若者の画像が出てきた。四人はアジア風の街角に立っている。スーツは、ビートルズの襟なしスーツにも似ている。四人ともベトナム風のとんがり帽子を被っているが、金属製で、しかも頂点からはアンテナが伸びている。若者たちの顔はアジア人のそれだったが、奇妙に潰れていた。

そして今、AIに同じことを指示すると、まったく別の画像が出てくる。本物のビートルズがハノイの街角の屋台で食事をしているのだ。プラスチックの椅子に座って談笑しながら手に丼を持っている。食べているのはフォーだ。なぜなら看板にフォーと書かれているから。ポールは左利きだが、箸は右手で持っている。四人の服装からすると、写真は『リボルバー』の頃に撮られたようだ。言うまでもなくフェイク画像だ。

どちらの画像が面白いかというと、もちろん最初のものだ。奇妙で謎めいている。ユーモラスで異様だ。たった数年だが、AIは指示を適切に解釈し、もっともらしい画像を作り上げるように進化してしまった。AIが奇妙な画像を作る時代は終わってしまった。

そして、AIがおかしな四人組の画像を生成した時代はもう来ないのだ。そんな時代は人類の歴史で一回しか起きなかった。しかも、とても短いものだった。もちろん、巧妙に指示をすれば、現在のAIだって、野蛮で珍妙な画像を生成してくれるだろう。だがそれは、結局のところオリジナルのフェイクに過ぎない。

私は、ベトナムの怪しい四人組の画像を、まるで自分の子どもが赤ん坊だった頃の写真のように眺めている。

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風刺・戯文

Department of Why Can’t We Be Friends?

アメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプが、国防総省を戦争省に改称すると発表した。ツイッター(現 X)での日本人の反応を見ると、「バカげている」と呆れる人、「戦乱の世の到来か」と危ぶむ人、「なにをいまさら」とアメリカの歴史を引き合いに出す人などさまざまだが、基本的には否定的に捉える人が多いようだ。

いっぽう、肯定的にこれを捉える人もいる。いわゆる陰謀論者たちで、これらの人々は、この改称をもってして、自分たちのヒーローであるトランプが「DS(ディープ・ステート)」に対して本格的な宣戦布告をしたと歓迎しているようだ。

私はというと、やはり否定的な解釈に組みするものだが、それでも、今回の改称が、この戦争だらけの世界に一縷の希望をもたらすのではないかという可能性も信じたい。

というのも、war が「戦争」ではなく、アメリカのファンク・バンドの War である可能性も否定できないからだ。War は、アニマルズのエリック・バードンらが結成したバンドで、1970 年にデビューした。以来、数々のアルバムを発表しているが、中でも有名な曲は、1975年の「Why Can’t We Be Friends?(邦題:仲間よ目を覚ませ)」だ。

この曲は、タイトルの通り、戦争などの対立を乗り越えて友達になろう、という歌だが、アメリカ人がこの名曲を忘れるはずはない。万が一のことかもしれないが、近いうちに、目を覚ましたアメリカ政府が、戦争省をさらに改称して、Why Can’t We Be Friends? 省とするかもしれないということを念頭において、日本政府は対米外交政策に取り組むべきだと思う。

苦い文学

トイレの時間

時間とはなんだろうか。アウグスティヌス以来、哲学者と科学者を悩ませてきた問題だが、私には私なりの答えがある。

時間とは膀胱の柔軟さだ。これが時間の流れを決めるのだ。柔らかい膀胱の時の流れは、固い膀胱に比べてゆったりとしている。それゆえ、固い膀胱の持ち主は、柔らかい膀胱の持ち主に比べて、おしっこに行く回数が増えるのだ。

さて、ワルシャワに向かう私の席は、飛行機の中央の席だった。つまり、両側に人がいて、トイレに行こうと通路に出るときには、必ずどちらかを煩わさなくてはならない席なのだ。

その厄介が生じない場合がないわけではない。隣に座る人の膀胱と私の膀胱とがシンクロしているか、私の膀胱のほうがより柔軟な場合がそれだ。そのような場合にかぎり、私は隣の人がトイレに立つ瞬間を狙って、トイレに行くことができる。

だが、私の両隣に座ったのは、30代のポーランドの青年と(おそらくは)10代の女性なのだった。時の流れとはなんと無情なものであろうか。

そして、この二人の柔軟な膀胱の持ち主は、14時間の飛行のあいだ、一度たりともトイレに立たなかったのであった。

ただ、ポーランドの青年は、私が日本人だと知ると、日本語で話しかけてくれた。彼は北海道で4週間の旅を終え、帰国するところだったのだ。私よりも北海道に詳しかった。彼はまたポーランドについていろいろと私に教えてくれた。互いに連絡先を交換しさえした。ひとことで言えば、友人となったのだ。

そして私は、その友情を活用して、一回だけトイレに行くことができた。

苦い文学

レトルト効果

今世紀最大の発見といえばレトルト効果だろう。時間の多元性が明らかになったのだ。

平たくいえば、私たちの世界には複数の速度の違う時間が流れているということだ。これは歴史的な大発見だが、実にささいな日常的な経験から導き出された事実でもある。

みなさんはこんな経験はないだろうか。

レトルト食品を買いしばらく放置したのち、その存在を思い出し、慌てて賞味期限を見る。すると、賞味期限切れまで、例えば、あと2ヶ月ある。あなたはまだまだ時間はあると思って再び放置する。だが、次にその存在を思い出すのは、例えば、4ヶ月後、つまり賞味期限を2ヶ月も過ぎたあとなのだ。

どうしてこんなことが起きるのだろうか?

この問題に取り組んだのが、都内在住の物理学者、吉田六郎さんだ。レトルトカレー好きの吉田さんは、何度も実験を繰り返し、ついに以下の事実を明らかにした。

1)レトルトを中心に時空が歪んでおり、そのレトルト空間では時間の流れが遅くなる。それゆえ、レトルトの時間感覚で2ヶ月も経っていないと感じていても、実際には4ヶ月も経過しているのだ。

2)レトルト空間の時間の流れの遅さを利用すれば、未来への旅が可能となる。これがレトルト効果だ。

3)さらなる実験の結果、レトルト効果の大きさは、レトルトの大きさに比例することがわかった。

そこで、吉田さんはレトルト効果の実用化に打ち込み、ついに1年で10年先に進むことのできる巨大レトルトを開発した。

吉田さんはこう語る。「このレトルトでは、まだまだ賞味期限が1年あると思っていると、次に発見するのは10年後ということになります。ですが、実はレトルト内では1年しか経っていないのです」

さっそくレトルト内で1年過ごすパイロットが選ばれ、先日レトルト内に密封された。いよいよ密封というとき、吉田さんは、この時空の旅人にこう語りかけた。

「では10年後の世界でお会いしましょう。もっともあなたはひとつしか年をとっていないはずですが」

私たちもこの実験に興味津々だが、そのいっぽう吉田さんがレトルト密封後、何気なく漏らした「肉がゴロゴロ入ってる」のほうが気になっている。

苦い文学

太陽と受胎

寂れた町のデパートのおもちゃ売り場に大きなガチャガチャ・コーナーができた。子どもたちはみんな大喜びで、親にせがんでは連れて行ってもらうのだった。

恐竜、お化け、小さな人形、手品グッズ、プロペラ付きの飛行機、走る車、不思議な装置……子どもたちは、硬貨とハンドルの一回転によってガチャガチャから転がり出るさまざまなカプセルトイに夢中になった。

だが、町はますます寂れていった。デパートの売り上げも落ちるいっぽうだった。ガチャガチャ・コーナーには相変わらず子どもたちに人気だったが、その肝心の子どももまばらになった。やがて、デパートは閉店した。

デパートは閉鎖されたまま、何年も放置された。新しいスーパーが入るという噂や、市が買い取って庁舎にするという計画が流れたが、いつの間にか立ち消えになった。建物は、錆びつき、雨の染みだらけになり、ゆっくりと朽ちていった。

さまざまな災厄が町を襲い、その度に住人は去った。若者たちが姿を消し、残された老人たちも少しずつ減っていき、ついに最後の一人が息を引き取った。

町はすっかり廃墟となり、崩れそうなデパートの中には、空のガチャガチャがいくつも捨て置かれていた。

ある日のこと、太陽の光がガチャガチャを照らした。すると、ハンドルが回転し、カプセルが転がり出た。

硬貨投入なくして生じたこのカプセルから、我々の住む宇宙が生まれた、と信じられている。