Satire

A Prayer for the Avocado

Avocado enthusiasts from across the nation gathered today at the Masakado Mound in Ōtemachi, Chiyoda Ward, to pay their respects.

The Masakado Mound is a historic site where the head of Taira no Masakado— a powerful 10th-century samurai who once rebelled against the imperial court— is enshrined. According to legend, after being displayed in Kyoto, Masakado’s severed head flew eastward through the air, propelled by its lingering resentment, finally landing here. Fearing his wrath, locals enshrined the head, prayed for tranquility, and continued to honor it through the centuries.

One of the avocado devotees attending the pilgrimage spoke:

“We have come today to humbly request the support of this great historical figure, in hopes that the people of Japan will finally pronounce avoga—, no, avoga—, uh, apogagaga…”

According to the group, although the correct pronunciation is avocado, many Japanese speakers unconsciously voice the consonant, turning k into g, saying avogado instead. This mispronunciation, they insist, is a serious obstacle to the wider acceptance of the avocado. Their attention thus turned to Taira no Masakado. As they explain it, the reason no one ever pronounces his name as “Taira no Masagado” is due to the spiritual pressure exerted by his formidable soul. If his power can suppress g in his own name, then surely, they believe, it can do the same for avocado.

Thus, the pilgrimage was organized.

(The avocado devotees are seen raising whole avocados high above their heads, bowing deeply before the stone monument with solemn devotion.)

“Purge the GA… purify it into KA…”

One participant spoke afterward:

“I’m confident our prayers have reached him. (Reached who, exactly?) You know… that guy… Taira no… that, uh… Taira no Avogado…”

風刺・戯文

アボカドのための祈祷

全国のアボカド愛好家有志が、今日、千代田区大手町にある将門塚の参詣のために集まりました。

将門塚は、その昔、朝廷に反逆した関東の豪族、平将門の首が供養されている場所。伝説によれば、京都で晒されていた平将門の首が怨念によりここまで飛んできたとされ、その祟りを恐れた人々が「将門の首塚」として、古来より供養をしてきました。

今回、参詣に訪れたアボカド愛好家はこう語ります。

「私たちは、歴史的なお方のお力をお借りして、ぜひとも日本のアボガド、いやアボガド、いえ、アポガガガ……」

愛好家によれば、正しくはアボカドなのに、なぜか日本人がアボガドと、ガを濁って発音してしまうのが、アボカド普及の妨げになっているのだそうです。そこで着目したのが平将門。なんでも、日本人が「たいらのまさかど」を絶対に「たいらのまさがど」と言わないのは、平将門の霊力によるものなのだとか。そこで、日本に正しく「アボカド」が広まるよう祈願するために、今回の参詣を企画したといいます。

(アボカド愛好家たちが、アボカドを頭上に掲げながら、平将門の石碑に真剣に拝する様子)
「ガを祓いたまえ、カに清めたまえ……」

愛好家のひとり「私たちの祈りはきっと届いたと思います。えっ、誰に? それは、あれですよ、あの、たいらの、あれですね、あの、たいらのアボガド……」

苦い文学

スカッとする社会

私たちの社会はスカッとする話で溢れている。スカッとする話は、まとめサイトやツイッター(現 X)には欠かせないトピックだし、テレビでは再現ドラマのお馴染みのテーマのひとつだ。

スカッとする話はたいてい次のようなパターンを持っている。

・語り手は、スカッとする話の体験者か、近くにいる目撃者である。

・語り手もしくは体験者が、なんらかのマイノリティによって不快な目に遭う。

・「なんらかのマイノリティ」は、社会的に弱い人、異常な人、特殊な集団に属す人、孤立した人などだ。スカッとする話ファンは、シングルマザー、嫌われ者の管理職、外国人、オタクが特にお気に入りだ。

・「不快な目」とは、「なんらかのマイノリティ」」の理不尽な要求、過剰な利己主義、度を越した吝嗇などによって引き起こされる。

・この「不快な目」から体験者を救うのが、「秩序の体現者」だ。「秩序の体現者」の役目は、マイノリティを懲らしめることにある。だが、「マイノリティ」と同じ土俵で争うことでそれを行うのではなく、ただ秩序を体現することによってのみ行う。通常、この「秩序の体現者」は「マイノリティ」の上位に立つ権力者・有力者、富裕層である。

・そして、「マイノリティ」による秩序の破壊という不快と恐怖が、「秩序の体現者」による秩序の回復を通じて解消される過程が、スカッとする印象を生み出す。

スカッとする話は秩序の回復の物語であるから、社会不安の緩和に有効である。そして、社会不安がないということは、政権を維持維持するのに好都合である。

それゆえ、現在の政府は、極秘の部署に、似たようなスカッとする話を大量に作らせ、ネットとメディアを通じて密かにばら撒いている。

そんなわけで私たちの社会はスカッとする話で溢れている。だが、現実にはスカッとするできごとなど、起きたためしがないのだ。

苦い文学

「苦い文学」とは

「苦い文学」というのは、私がここに書いているもののジャンル名で、2021 年 12 月から使っている。自分が書いているものの呼び方をいろいろ考えて、こう名づけた。

「苦い」というのは甘くもなければ、ほろ苦くもない、ということだ。苦渋、苦虫、苦りきる、など、できたら避けたいものばかりだ。「良薬口に苦し」などともいうが、薬を必要としているということは、そもそも心身不調なのだ。

そんなような言葉が文学と結びつくなど奇妙に思えるかもしれない。なぜなら文学とは、作家の経験・思想や先人たちの叡智が込められたものであり、読むやいなや生きる糧となるものだからだ。人は明日を生きるために文学に触れるのだ。

だが、明日を生きない人にも、若干の文学の余地が残されていてもいいのではないだろうか。死の床で読むのにうってつけの文学が。絞首台に運ばれる道中で、ガス室の手前で、核爆発の10分前に、地獄の待合室で、気を紛らわせるための読み物があってもいいと思う。

もちろん、長編なんかダメだ。死はもう差し迫っているのだ。400 字詰め原稿用紙 1 〜 2 枚がちょうどいい。

また、甘くてもほろ苦くてもいけない。愛だの、恋だの、人生だの、希望だの、感動だの、切ないだの、死を前にした人間にとってどれほどの意味があろうか。となると、もう文学はおのずと苦くなるしかないのだ。

もはやなにもないものと諦めていた今際のきわにも、苦い文学だけはある、そう思うだけで、もう待ち遠しいではないか。

苦い文学

バカなおじさんの進言

安倍晋三元首相を生き返らせたおかげで、バカなおじさんの人生は一変した。

蘇った安倍さんが作った政治団体「帰還者の会」の事務局長を任されたのだ。

この団体は、安倍さんをみたび首相にすることを目的としていた。

全国の岩盤支持者(これらの人々の頭は岩のように硬いため、こんなふうに呼ばれる)に「とりもどす」覚悟を求めたり、朝日新聞を嘲笑したり、北朝鮮への固い決意をツイッターに投稿したり……、バカなおじさんは毎日忙しく過ごしていた。

ある日、バカなおじさんは安倍元首相にこう進言した。

「以前のように、こんな人たちに負けるわけにはいかない、と発表したらいかがでしょうか。そうすれば、愛国者たちがもっと私たちの活動を応援してくれることでしょう」

「そうしましょう」と安倍元首相がニコニコしながら言った。

バカなおじさんはさらに提案した。

「あんな人たちにも負けるわけにはいかない、とも言ったらどうでしょうか。効果は抜群です」

すると、安倍元首相の顔から笑顔が消え、がたがたと震え出した。「あんな人たち……あの世の人たち……」

「あの世」にいた時のことを思い出してしまったのだ。

「あんな人たち、ダメ、こわい、こわい……」

あの世では忖度が効かなかったにちがいない、とバカなおじさんは安倍元首相がかわいそうになった。

苦い文学

冬来りなば

私は現在、コロナ禍はもちろんのこと、他の点についても逆境にあるが、「明けない夜はない」という言葉を聞いて、励まされたように思った。夜の闇がやがて暁光に追い払われるように、あれやこれやの苦難もまたいずれは霧散するのだろう。

だが、よくよく考えてみると、夜はなにもせずに待っていれば朝になるが、苦境はそうではない。コロナ禍もまさにそうだ。手を消毒したり、マスクをしたりしなくてはならない。それに、こういった個人でできることだけではなく、コロナ感染者を減らすためのさまざまな取り組みに社会全体が協力するのではなくては、これを克服することは難しい。

となると「明けない夜はない」というのは、コロナとか人生とかとはまったく関係ないのではないだろうか。それは「青に変らない信号はない」とか「伸びない髭はない」とかと同じなのではないか。

「してみると」と私は独り言ちた。「この言葉に励まされたのはとんだ大損だったわい」

そして私は布団に潜り込み、昼までぐっすり寝たのであった。