散文

都会の公園

このあいだ用があって、青山だか赤坂だかよくわからない場所に行った。道も広くてキレイな街だったが、暑い日で太陽の光に灼かれながら歩いていると目が回ってきた。そんなとき公園を見つけた。高層ビルの隙間に隠された小さな森のようだった。

足を踏み入れると、頭上から涼しいミストが降り注いできた。まるで公園があいさつをしてくれたかのようだった。私は爽やかな気分になり、木々の作る影に安らぎを感じながら、ベンチに腰をかけた。疲れた足を伸ばし、どこかから聞こえてくるせせらぎの音に耳を傾けた。

公園のなかは、美しい人々が散策していた。みな自然の色をした柔らかい服を着ていた。私は自分の安っぽい服が恥ずかしくなった。天使のような子どもたちが、笑い声を上げながら、木洩れ陽の中を駆け回っている。私は自分の町の公園のことを考えた。

そこでは、木はみんな枯れていて日陰もなかった。土埃が舞い、地面はひび割れていた。子どものかわりに喫煙者と酔っ払いと変質者がノビノビしていた。

そのとき、ひとりの男が向こうからやってきた。男の服はくすんでいて、ズボンの膝のあたりは真っ黒になっていた。男はフラフラと歩きながら、私のベンチの隣にあるゴミ箱の前に立った。その扉を開け、カゴからひとつずつ中身を取り出して調べはじめた。新聞、ペットボトル、紙屑、何かの容器……。

神様かもしれない、と私は想像する。

旅・観察

外貨の禍い(2)

出国審査カウンターを出たら、そのまますぐにセキュリティ・チェックに進めると思ってはいけない。そこではひとりの制服を着た男が待ち構えていて、行手に立ち塞がるのだ。

「パスポートを見せなさい……」 見せない選択肢があろうか。

黙ってパスポートを渡すと男は奪い取って、こんなふうに尋問してくる。「ドルは持っていないか、ユーロは持っていないか」 そしてその後に衝撃的な言葉が続く。

「もし持っていたら、国外に持ち出すことはまかりならぬ」

もちろん、私とて、チュニジアの通貨が国外に持ち出せないことと、外貨でも持ち出し禁止の額があるのは知っている。だが、それは数十万円の話で、私が持っているのは、ドルとユーロ、日本円合わせて 10 万円にも満たない。そんな額が外貨持ち出しの対象になるとは考えられない。だからもちろん答えは「いいえ、(そんなお金は)持っていません」だ。

すると、男は、リュックを開けという。私は中身を見せる。あるときなどは、脇にあるドアのない小部屋に連れて行かれて、荷物を調べられた。

「本当にないのか?」

「ありません」

本当はポケットの財布に数万円分入っている。そこまで調べられたらおしまいだが、いつか男が諦める瞬間が来る。それは私のリュックの中にどっさり本が入っていたり、医薬品の袋が入っていたりすると、「こいつは貧乏そうじゃわい」と思うのか、パスポートをつっかえして、私を放免してくれるのだ。

苦い文学

キスシーン

韓国のドラマは日本のドラマよりも話数も多く、時間も長いせいもあって、キスシーンもたっぷりだ。これが好きな人もいるが、物語の筋にはほとんど関係ないので、私はあまり関心がない。

ひとりでお昼を食べながらドラマの続きでも見ようと思って再生すると、キスシーンが始まる。そして、私はキスシーンのあいだに食べ終わってしまうのだ。人のキスを見るだけで終わってしまった食事が、消化や栄養摂取などの点で問題ないかどうかはわからない。だが、ややむなしいことは確かだ。

ドラマではキスシーンはしばしば最後の場面にある。キスシーンからエンディング、次回の映像へとつながっていくのだ。なので、この最後のキスシーンはきわめて長い。5分、7分、いや10分かもしれない。

タイパ世代なら早送りするかもしれないが、私の世代は早送りすると命が縮むと教え込まれてきた。なので、私にできることはといえば、その間を利用して、家事をしたり、トイレに行ったり、買い物に出たり、市役所で住民票を取ったりすることぐらいだ。ただ、すばやく動けば、韓国に行って帰って来れる可能性もある。

なんにせよ、用事を済ませた私は再び画面の前に戻る。エンディングも、スタッフ・クレジットもとうに終わって、自動で再生された次のエピソードは、オープニングが終わりかけるところだ。

ちょうどいいタイミングだろうか。キスシーンをうまくやり過ごした、と考えていいだろうか。いや、早すぎたというべきだろう。なぜなら、韓国ドラマでは、キスシーンで終わったエピソードの次のエピソードは、必ず同じキスシーンから始まるから。

苦い文学

ネックピロー

ジャミラは元々は宇宙飛行士だったが、不慮の事故でたどり着いた過酷な星で暮らすうちに、異様な姿の怪獣となってしまった。

どんな姿かというと、両肩と頭が一体化しているのだ。

どうしてそんな姿になってしまったのだろうか。ウルトラ怪獣研究家の間ではさまざまな説が提唱されている。ラクダのコブのように栄養が蓄えられている、とか、宇宙の放射線から頭を守るプロテクターだ、とか。

私の説を述べれば、ネックピローをもって宇宙に行かなかったことが原因だと考えている。激しく揺れる宇宙船の座席でネックピローなしにどうやって寝ることができようか。肩が盛り上がって頭を包み込むように変化するほかないのだ。

実際、ジャミラほどではないが、私たちも座りながら寝るのに苦労している。

電車で居眠りすれば、両隣で頭の押しつけあいが始まる。そして、居眠りしている人も、両隣に迷惑をかけまいと眠りながらも思うのか、どちらにももたれかからぬよう、頭をグルグル振りまわすありさまだ。

そして、航空機の中では、誰もが寝る時の頭の置き場に困っている。座って寝るかぎり、どんな姿勢を取っても、頭はグラグラし、首は不自然な形で折れ曲がる。もし、ネックピローという文明の成果がなかったら、私たちは自分の頭を機内持込みにせずに預けてしまっていたことだろう。

我々がこのような苦労をするのも、もとはといえば、我々の祖先が怠け者であったからだ。のんきに横になって寝るばかりで、座りながら寝られるように進化すべきなどと夢にも思わなかったのだ。

苦い文学

鬼の求人

地獄の使者がやってきて、私に頼み事をしてきた。

地獄で鬼をたくさん雇い入れたいから、鬼にうってつけの人材をできるだけたくさん紹介してくれというのだ。

「それは新卒限定ですか、それとも既卒でもいいので?」

こう聞くと「鬼卒だ」との答え。要するに誰でもいいのだろう。

もし、日本に鬼の求人があれば、それを参考にするのが一番だと思い、いくつかの就職サイトや転職サイトを覗いてみたが、そんなものはなかった。顕界にあらざる鬼は非公開求人という可能性もある。

私は尋ねた。「そもそも鬼にうってつけの人材ってどんな人でしょうか?」

地獄の使者の答えは明解だった。「まず、責め苦を躊躇なく行う冷酷さが必要だ。そして、その責め苦を永遠に反復できる知性のなさも兼ね備えていなくてはならない。鬼には罪人への同情など禁物だから、ぜひとも、弱者への軽蔑と権威を笠に着る心がけの持ち主であってほしい。それと、忘れてはいけないのは、ユーモアの欠如だ。鬼に許された笑いは嘲笑だけだからな」

私はそれを聞くや、ピンときた。

「そういう人材ならここにたくさんいます」と見せたのは、Yahooニュースのコメント欄。

コメントを次から次へと読む地獄の使者は、「ヤフコメを書く人々こそ、鬼にぴったりです」という私に、満足げにうなずいてみせたのだった。

「ところで、どうしてそんなにたくさん鬼が必要になったのでしょうか」と私は尋ねた。

「ああ、それは、将来的に地獄に連行される人が激増するという見通しだからだ……君もせいぜい気をつけたまえ!」