旅・観察

犬の友だち(4)

夜、遅い時間に水を買いに外に出た私は、男の新たな一面を目撃した。男は洗車をしていたのだった。スポンジで車を擦り、片手にもった大きなペットボトルから水を注ぎ、泡を洗い流していた。

チュニジアでは日本のように頻繁に洗車をしないから、埃だらけの車も多い。そもそも、洗車したら水没してしまいそうな古い車も走っている。そんな車事情でも、この男が洗車をして稼ぐだけの余地が残されていたのだ。男が働いているあいだ、犬は少し離れたところで丸まったり、のっそりと男の周囲を歩き回ったりしていた。

犬はまったく他の人に関心がないようだった。ちょうど私がそうであったように、初めて見る人は、汚れて焦茶に見えるのか、もともと焦茶なのかわからないこの大きな犬を怖がる。だが、犬が誰かに吠えかかったり、脅かしたりしたのを見たことがなかった。

もっとも、犬はしばしば大胆になった。道路の真ん中で横になるのだ。車が進入してきてもすぐにはどかない。悠々と立ち上がると、待っている車を尻目にゆっくりと道を開ける。そして、チュニスの運転手も、犬相手にクラクションを鳴らすなどということはしない。あれほど人間には鳴らすのに不思議といえば不思議だ。

ある午後、私は例の犬がやはり道の真ん中で座っているのを見かけた。周りにはあの男はいなかった。私は携帯を取り出すと、その犬の写真を撮った。男がいたらそんなことはしなかったろう。犬は私のほうを少し見て、目を瞑った。

風刺・戯文

日本人ファースト

日本人ファーストの党が政権を勝ち取ったとき、誰もが「本当の日本を取り戻すことができる」と欣喜雀躍した。

そして日本人ファーストの党は、私たちが期待した通りの政党だった。することなすこと日本人ファーストだったのだ。外国人は追放か処刑だし、なりすまし政治家も追放か処刑だ。日本人を貶してきたメディアと学術会議は A4 用紙で簀巻きにして日本海溝にボチャンだ。例の GHQ 謹製の憲法だって改憲どころの騒ぎじゃない。廃憲だ。これからは日本人ファーストが法律だ。日本人の日本人による日本人のための日本がここに実現したのだ。

そんなある日、政府から私たちのところに一通の通知が届けられた。

「日本人ファーストではないとの嫌疑につき直ちに出頭するように」

「これはなにかの間違いだよ」 私たちが我こそファーストとばかりに当局に駆け込むと、取り調べもなにもなく逮捕。由緒正しい日本人だといくら主張しても、日本人ファーストではない疑いの一点張りだ。裁判もなく有罪の判決が出た。

今、私たちはど田舎の収容所に入れられている。どんなに日本人だと言っても出してくれない。それどころか殴られる始末。

「日本人ファーストの国が日本人を殴るのか!」と怒鳴ると、看守たちは「よく聞け! ここは日本人の国じゃない! 日本人ファースト人の国だ!」と笑いながら死ぬまで殴る。日本人ファースト人ファーストだったのだ。

収容所では、朝の4時から夜の11時まで強制的に働かされる。私たちが作るのは米と野菜だ。純国産の食材を日本人ファースト人の食卓にお届けしています。

苦い文学

じつは

私の知人で言語に関する研究をしている人がいる。研究者の仕事は研究をすることだが、それだけでは十分ではない。研究会や学会に出席して、研究発表をしたり、聞いたりするのも大事なのだそうだ。

私の知人によれば、研究発表にはいろいろな危険があるのだという。私がその危険について知りたがると、ひとつだけなら、と教えてくれた。

「学会発表では発表のあと、質疑応答の時間がある。フロアから質問が飛び、それにひとつひとつ発表者が答えていくのだが、その答えに『じつは』を使うのは、非常に危険なのだ。

「というのも、『じつは』とは、それまでに明かされていない裏の事情を明かすときに使う言葉だ。いっぽう、質疑応答というのは、その直前の発表内容にもとづいて行われるものだ。だから、発表者が質問に答えるときに『じつは……』とそれまでに言っていなかった情報や新たなデータを付け加えるのは、ルール違反なんだ。

「もし、その『じつは』のデータがあらかじめ提示されていれば、質問者はそんな質問はしなかったかもしれない。質問した人にしてみれば、ちょっとバカにされた気分だろう。

「それに他の人々だって、無駄な時間につきあわされたわけで、とても不愉快だ。そんなわけで、いつしか、学会出席者たちの心理に、『じつは』という言葉を聞いただけで、激しくイラだってしまう反応が形成されてしまったのだ。たとえ発表とは関係なくてもね。

「そういえば、ある言語系の学会でこんなことがあった。遅れて会場に着くと、ちょうどひとつ発表が終わったときで、人々がゾロゾロ会場から出てきた。だが、そのようすには驚かずにはいられなかった。まるで暴動の後のようだったのだ。みな顔をしかめ、罵りあい、平気で肩をぶつけ合い、苛立たしげに床を踏み鳴らし……学術の場にそぐわない殺伐とした雰囲気だ。だが、プログラムにあるその発表タイトルをみて納得したね。そこにはこう書かれていたのだ。

《現代日本語における「実は」の用法の研究》

不運な発表者は虫の息だったそうだ」

苦い文学

レジ前のはずかしめ

現在、コンビニで電子マネーで支払うとき、2つの方式がある。

ひとつは支払うときに、レジについたスクリーンで支払い方を選ぶ方式だ。

スクリーンには、「現金」、「クレジットカード」、「交通系 IC カード」などのボタンが並び、そこから選ぶのだ。たとえば私はいつも Suica だから、「交通系」を押して、カードリーダーにかざす。

もうひとつの方式では、レジで店員に言わねばならない。

店員「お支払いは?」

私「Suica で」

すると、店員がレジの操作をして、カードリーダーが光る。そこに私はカードをかざすのだ。

問題は、この2つの方式が混在していて、どのコンビニではどちらを採用しているかがわからないことだ。

申告制だと気づかずに、ぼんやりレジの前で待っていることもある。

スクリーンで自分で選択する方式なのに、「Suica で」と店員に宣言してしまうのも恥ずかしい。店員に「この人はシステム音痴だ」という顔で、スクリーンの存在を教えられるのも悔しいことだ。

ここで、自分で選択する方式のレジのあるコンビニでは、店員は、客の支払い方法を選択するという業務を、客に代わりにやらせていると、考えるとしよう。

すると客も、店員の時給の一部を受け取る権利があるということになる。なのにこれが支払われたなどという話は聞いたことがない。つまり私たちは不当に搾取されているのだ。

私は資本家どもからこれら不当な利益を奪い返したい。そして、その金を、レジ前のはずかしめによって心を傷つけられた人々を癒すための基金としたい。

苦い文学

シリアス・カップル

シリアス・カップルとは、主として都市部で、夜の駅の改札口周辺に出現する男女のことだ。

いつも厳しい顔つきで互いを見つめあっていることから、この名がついた。

その名の通り、二人は何か深刻な問題で対立しているように見える。だが、不思議なことに、口論などは決してしないのだ。ただ、まるで時間が止まったかのように睨み合っているだけだ。

私はこの不思議なカップルに出くわすたびに、なぜ、いつも駅で見つめあっているのか、考察を重ねてきたが、最近、納得のいく答えが見つかった。

シリアス・カップルは、駅の混雑の緩和と、ケンカなどの抑制のために、駅が特別に配置しているのではないだろうか。

私たちは、シリアス・カップルを見ると、ある種の緊張感と好奇心を呼び起こされ、その周辺を歩くときは、自ずとゆっくり、慎重になる。これは、混雑した駅構内で、歩行者同士の衝突などの思わぬ事故を避ける上で効果があろう。

また、夜の駅ではしばしば乗客同士のケンカや、駅員に対する暴力行為が発生するが、これもまたシリアス・カップルの存在によって、抑制されるものと考えられる。なぜなら、人はケンカをするよりも、ケンカを見るほうがはるかに好きだからだ。

となると、シリアス・カップルは恋人同士などではありえないのは明らかだ。おそらく、駅が雇ったバイトか、駅員ではないだろうか。

いずれにせよ、まだまだ謎は多い。シリアス・カップルについて情報をお持ち方からのご連絡を待っている。