散文

心ない質問

言語学者は言語を研究している。言語の研究にもいろいろあるが、特定の個別言語を研究している人も多い。個別言語にもいろいろある。英語や日本語のように有名なのもあれば、無名なのもある。そして、有名でない言語の研究者がいつもさらされているのが、「どうして〇〇語を研究しはじめたんですか」という心ない質問だ。

なぜ心ない質問なのか。なぜなら、これは相手を満足させるようには決して答えることができない質問だから。言語学の研究者が、ある言語を研究するようになるのは、たいてい偶然によるものなのだ。たまたま興味を持った、たまたまその言語の話者と友人になった、たまたま指導教官に勧められた、たまたま授業に出てきた……そんなもんだ。

だが「どうして〇〇語を研究しはじめたんですか」と聞いてくる人は、まさかそんな偶然が理由だとは思いもしない。だから、「いえ、卒論のテーマを選ぶときに、他の言語より簡単そうに思えたので、たまたま、ですよ……」などとうっかり本当のことを言おうものなら、「またまた〜」と本気にしてもらえないか、「ハハーン、さては……」と痛くもない腹を探られるだけだ。 

というのも、どういうわけかこういう質問をしてくる人は、言語学者とその言語の結びつきには必然的なものがあるはずだと決めつけているのだ。数千ある言語を調べ尽くして「こ、これだ!」とついに発見したとか、背景に恋人との悲しい別れがあるとか、天啓によってその言語へと導かれたとか、貧しい村を救うためだとか、そういう物語、運命、使命が聞きたいのだ。

研究者ではない私もそういう質問をされることがある。そして、どう答えても相手をがっかりさせたり、しらけさせたりするだけなのを心苦しく思っていた。だが、最近、ついに究極の答え方を見つけた。

「いったい、どうして〇〇語なんかやってるんですか」

「人を好きになるのに、理由なんかいるかい? 〇〇語も同じさ……」

これでもう、絶対に質問してこないはずだ。近寄ってもこないかもしれない。

風刺・戯文

魔法の言葉

私たちは昔、「ホモ」という言葉を聞いただけで、大笑いしたものだった。この言葉と一緒に、クネクネとシナを作りでもしたら、私たちは飲んでいたホモ牛乳を盛大に吹き出したものだった。

それから数十年が経ち、世界は大いに変わった。今では「ホモ」ではもはや誰も笑わなくなってしまった。いやそれどころではない。人々はこの言葉に眉ひとつぴくりとさせない。表情筋というものがいっさいの動きを止めてしまう。笑ってもいけないし、その逆に受け取られてもいけないとなると、そうなるより仕方がないのだ。それで、誰もがこの言葉など存在しなかったような顔つきで、食事中だろうが談笑中だろうがおかまいなしにピタリと動きを止めてしまう。

そのとき、人々はいったい何を考えているのだろうか。笑い合った懐かしい過去のことだろうか、時代の無情な転変だろうか。それとも、笑い者にされたという心の傷だろうか……

なんにせよ、この言葉は、私たちから表情と身体の動きを奪い去り、とりとめもない追憶に浸らせる魔法の言葉となってしまった。

近頃では、この言葉をいきなり耳元で叫び、相手が硬直している間に、金品を奪う事件まで頻発しているとのことなので、くれぐれもご注意されたい。

苦い文学

平和と命の歌

昭和フォーク名曲選
「命と平和の歌」(歌:五つの北の風船)

世界中で流される血と涙
親を失った子どもたちはどこに逃げればいい?
なんのために命を奪い合うのだろう
そんな問いを問う間もなく銃弾が降り注ぐ

憎しみは憎しみを呼び
世界はいつか憎しみに溺れる

だけど僕らは命を大切にしたい
たったひとつのかけがえのない命を

だって僕ら
葬式出たくないから
喪服着たくないから
正座したくない
喪主つとめたくない
香典払いたくない
数珠も焼香もいやなのさ

命よ永遠につづけ AH

いったい誰が戦争など始めたのか
人間の心にいつその楔が打ち込まれたのだ
いま、この瞬間、戦争の親玉たちが
小さい命を貪り尽くそうとしている

報復は報復を呼び
世界をいつか報復が切り刻む

だけど僕らは平和を守りたい
世界を救うかけがえのない平和を

だって僕ら
疎開したくないから
意地悪されたくないから
肩身狭すぎるし
田舎者たちに
いびられたくない
羽虫にヒルにムカデもごめんさ

平和よ永遠につづけ AH

だって
お経は時間の無駄
田舎の寺、怖い
火葬証明書すぐなくなる Uhh(フェイドアウト)

苦い文学

落とし穴と振り子

どのようにしてその居酒屋にたどり着いたのだろうか。気がつくと私はその店に足を踏み入れ、指を一本立てて、ひとりであることを店の者に伝えていたのだった。

酔客たちの騒ぎ声とグラスの音の音に圧倒されながら、私は店の者の示す席に座る。それは8人掛けの大テーブルの一席で、両脇も前も見知らぬ人々で占められていた。まるで落とし穴に放り込まれたような気がした。

ホール係の年配の女性に酒と唐揚げを頼み、飲み始める。両脇の酔客たちがどっと笑い出し、手を叩きあった。まるで火山が爆発したかのようだった。だが、次第に私はこの騒ぎに順応し、スマホを見ながらひとり酒を楽しみ出した。

酔いの回った目でスマホの画面を眺めていると、ふと誰かの視線を感じた。反射的に目を上げると、向かいに座る不気味な老人と目が合った。老人は赤い顔で私に尋ねた。

「どうして酒場でスマホなど見ているのかね……」

私は曖昧な返事をしたが、それがまずかったらしい、老人は私をじっと見つめながら「最近の若い人は」に始まる長い話を始めたのだった。

おお、その長い話から逃げ出すのは不可能だった。内容もなければ起承転結もないタワゴトは私の自由を奪い、私は老人の囚人となった。もはや一口だって酒を飲むことすらできなかった。

私は、必死になって話の切れ目を探した。そこを突き破って逃走しようした。だが、老人は息継ぎなしで話し続ける。驚異的は肺活量だった。

やがて私は気がついた。老人の話がまるで振り子のように行ったり来たりしているのを。おお、さっきから同じ話を何度も繰り返しているのだ。振り子は速度を増しながら私に迫ってきた。私は満身の力を振り絞り、目の前の唐揚げにかぶりつき、間一髪で振り子をかわした。

すると、老人は怒り出したではないか。火を吹かんばかりの憤怒の表情で、私の方に顔をぐいぐい近づけてくる。とっさに逃れようとしたが、左右も後ろも酔客たちに囲まれ、逃げ場はなかった。男の口から蛇の舌のような炎が放たれ、私を焼き尽くそうとしていた。

もはや気を失って倒れようとした時、誰かの腕が私を支えた。それはあのホールの年配の女性であった。彼女は忌まわしい老人を一喝し、店から追い出し、私の命を救ったのであった。

苦い文学

格助詞

格助詞とは、名詞などに後続する助詞のことで、その名詞が他の体言や用言とどんな関係にあるかを示すものだ。

例えば、「家の鍵」の「の」や、「鍵をかける」の「を」が格助詞だ。

以前、理系の大学に用があって行った時の話だ。

私は講師室みたいなところで待っていたのだが、何人かの講師と思しき人々が盛んに議論していた。

聞くともなく聞いていると、格助詞の話をしている。私は興味深く思った。もしかしたら、日本語の先生かもしれないし、あるいは言語処理の研究者かもしれない。

しばらく私は聞いていたが、結局、「拡張子」の話だということがわかった。