散文

倒れる便座

洋式トイレで座っておしっこをするという男の人が増えているという。もちろん、座っておしっこをするのはおかしいことではない。ビルマでは、ロンジーの男の人が座って用を足しているのを何度か見かけたことがある。

最近では、「座って用を足してください」と注意書きがあるトイレも、よく見かけるようになった。男の座りションの実態が明らかになるにつれ、これまで洋式トイレでの立ちションの後始末に苦い思いをしてきた人々が声を上げるようになったのだ。

しかし、男たちには、座るわけにはいかないときもある。切羽詰まっているときがそれだ。座れるように、ベルトを外してズボンを下ろして、それから……などという余裕がないときが男たちにはある。

そして、そういう余裕のないときにかぎって、便座に恐ろしい罠が仕掛けられている。持ち上げた便座が、手を離した瞬間にバタンと倒れてしまうのだ。

手で便座を押さえながら用を足すしかないが、そのような不安定な体勢で排尿するのは、便器の周囲ばかりでなく、自分までもびしょびしょにする恐れがある。

私のような立って用を足す族がトイレの管理をしていればこのようなことは起きないだろう。だが、座って用を足す族が責任者の場合は、便座を上げることなどしないし、ちゃんと倒れないかどうか調べもしない。だから、いつまで経っても、倒れる便座は改善されない。私がよく行く診療所のトイレがまさにそうだった。

しかも、このトイレが恐ろしいのは、便座が倒れるのがすぐにではなく、数秒後になのだ。フェイントだ。

私はこの診療所で用を足すときはいつも考えたものだった。便座を上げ、手を離し、両手でしっかり押さえて排尿をはじめる。そして、便座が倒れはじめるその一瞬だけ、おしっこを止めることができれば、どこも汚さずに用を足すことは可能だ、と。

あくまでも理論上可能というだけの話にすぎない。だが、私は、いつか人類がその叡智を用いて、倒れる便座を倒すときが来ると信じている。

散文

灼熱の地

7 月末から 2 週間、チュニジアに行って、いつものように調査を行う予定だ。今回、私が期待しているのは、チュニジア南部で話されているマイノリティ言語の調査だ。「期待している」というのは、必ずしも思ったとおりにいかないこともあるからだ。

調査そのものをどこで行うかもまだ流動的だ。チュニスで腰を据えてするのもいいが、南部に行って実際の生活を学びながらというのもいい。

ただ、問題は暑さだ。「夏に南部に行く」と私がチュニスの人に言うと誰もが口を揃えて「やめろ」と止めるぐらいの暑さだ。私が行こうと思っている村では、45 度を超えるそうだ。

だからその村の人は昼は外に出ない。朝早く起きて朝の 9 時までに放牧を終わらせてしまう。それから家に帰って、夕方の 5 時まで寝るそうだ。村に 3 つしかない食料品店も朝 9 時に閉まってしまう。だから買い物もそれまでに済ましてしまうのだそうだ。

そんなところに行って、人々に迷惑をかけずに調査ができるものなのか、私はわからない。そもそも私の体力が持つだろうか。そう思って、今のチュニジア南部の最高気温を調べてみた。

東京のが高かった。

もちろんチュニジアのほうはこれから上がるのだろうが、にしても大丈夫な気がしてきた。

苦い文学

未来における誕生(2)

その小柄な男は私の言葉を聞くとこう訂正したのだった。「いえ、いえ、私は父ではありませんよ」

「すると、お祖父様かなにか……」

「そんな!」と男は笑った。「勘違いされているようですな! 私は今日生まれたのです」

「すいません、たしかに勘違いしていたようです。あなたの誕生会だったのですね。赤ん坊が生まれたと聞いたものですから」

すると男ははっきりとした声で告げた。「私がその生まれた赤ん坊なのです。今日は私の誕生日なのです」

私が混乱していると、隣で見ていた老人が見かねて私に声をかけてくれた。

「どうやらあなたは別の世界からおいでのようですな」

「ええ、ずっと遠い過去からやってきたのです」

「ならば、お分かりにならないのは無理もない。私の聞くところによれば、あなたの時代では赤ん坊は泣き喚くものと決まっていたということですが」

「ええ、そうです」 私は戸惑いながら答えた。

「さぞかしやかましかったことでしょうね」

「ええ、そのとおりです」

「古記録によれば、赤ん坊はとてもうるさいため、ひどく憎まれていたということです。そのため、赤子殺しが常態化していたということで、ゴミ箱を開ければ嬰児の遺体があったと書かれています」

「そのようなことは……」 私が異議を唱えようとすると、老人は遮った。

「いえ、お認めにならなくてもけっこう。私はあなたを断罪しようというつもりはないのです。大事なのは、自然の摂理はそのような状態をよしとしなかったということです。赤ん坊は進化しました。泣く赤ん坊が淘汰された結果、泣かない赤ん坊だけが産まれるようになったのです」

老人はぐいと酒を飲んだ。

「進化はそれだけに止まりませんでした。赤ん坊殺しと同じくらい、子どもも殺されていました。それで、何万年も経つうちに大人が産まれるようになったのです!」

そのとき歓声が沸き起こった。みると、生まれたばかりの小柄なおじさんがマイク片手に壇上に上がったところだった。男は顔を上気させて叫んだ。

「天上天下唯我独尊! 天上天下唯我独尊!」

老人は顔をほころばせた。「ほほ、生まれたばかりとあって、生意気盛りですな!」 その笑顔は本当に赤ちゃんを見たときのそれだった。

幸せの声が宴を包んだ。私は宴を離れ、集落をでた。そのようなおぞましい時代であっても私は帰りたかった。それにしても、と私は暗い森へ続く道を歩きながら考えた。あの時代ですら、それでもずいぶん泣かなくなっていたということかもしれない、と。

苦い文学

地球温暖化の顔

猛烈な暑さの中、世界各国の代表たちが集まって、地球温暖化対策について協議を始めた。

ある大国の代表が主張した。「我が国は国際的な基準を遵守している。問題は一部の国々が責任を果たさないことだ」 もっとも、その大国こそが数字をごまかして、基準などないかのようにふるまっていたのだった。

いくつかの国々がただちに賛意を表明した。実は、それらの国もまた、国際的なルール破りの張本人だった。

すると、今度は別の大国が立ち上がり、非難した。

「一部の国々が問題を軽視したせいで、このような温暖化が生じたのだ」

だが、一部の国々がそうせざるを得なくなったのは、この大国が不当な圧力をかけたせいなのだった。

協議は続いたが、どの国も、自分にも責任があるのに、まるで何の関係もないかのような顔つきをしていた。

この協議の様子は、テレビやネットでライブ中継された。人々は、世界各国の代表たちが涼しい顔をしているのを見て、「おや、地球温暖化問題が解決したのか」と喜んだ。

苦い文学

保守と革新

保守派であることを誇らしげにいう人がいるが、いったい保守のどこに自慢になるような点があるのか、正直いって私にはわからない。

何年か前、中国人の留学生に作文を書かせたことがあった。そしたらこんなことを書いてきた。

「保守と革新では明らかに保守の方が優れている。保守派であるべきだ」

私はこれを読みながら考えた。中国にはきっとこの若者のように、自分の国の政府に微塵も疑念を持つことのない人々がたくさんいるのだろう、と。ちょうど、日本の保守を標榜する人々が、日本政府との一体化のあまり、ささいな政府批判にも我慢ができなくなってしまうのと同じだ。

留学生はさらに書き進める。彼は「保守」を持ち上げ、「革新」をこき下ろすのである。私は読みながら、奇妙に感じた。

そして、彼がこんなふうに書くにおよんで、私は自分がひどい誤読をしていたことに気がついた。

「日本の優れているところは、保守であることだ」

つまり、この留学生にとって、保守とは、非共産主義のことだったのだ。革新派とは中国共産党のことで、彼はずっとこれを批判していたのであった。