苦い文学

保守と革新

保守派であることを誇らしげにいう人がいるが、いったい保守のどこに自慢になるような点があるのか、正直いって私にはわからない。

何年か前、中国人の留学生に作文を書かせたことがあった。そしたらこんなことを書いてきた。

「保守と革新では明らかに保守の方が優れている。保守派であるべきだ」

私はこれを読みながら考えた。中国にはきっとこの若者のように、自分の国の政府に微塵も疑念を持つことのない人々がたくさんいるのだろう、と。ちょうど、日本の保守を標榜する人々が、日本政府との一体化のあまり、ささいな政府批判にも我慢ができなくなってしまうのと同じだ。

留学生はさらに書き進める。彼は「保守」を持ち上げ、「革新」をこき下ろすのである。私は読みながら、奇妙に感じた。

そして、彼がこんなふうに書くにおよんで、私は自分がひどい誤読をしていたことに気がついた。

「日本の優れているところは、保守であることだ」

つまり、この留学生にとって、保守とは、非共産主義のことだったのだ。革新派とは中国共産党のことで、彼はずっとこれを批判していたのであった。