散文

普遍人間発生装置(4)

ここで説明について考える。

物語は大きく分けると三つの部分によって構成される。登場人物たちの行動などの出来事を述べる文、登場人物の会話(という出来事)、それ以外の部分だ。最初の二つは基本的には前後関係がある出来事であり、時間の流れの中に継起的に位置づけることができる。

単純な物語は基本的には出来事を継起的に述べるだけで成立する。そこで、継起的に出来事を述べる文を、物語文と呼ぶことにする。

「むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。ある日のこと、おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。すると、川から大きな桃が流れてきました」

これは典型的な物語文だ。もっとも、ただ単に出来事を継起的に述べているだけでなく、実際には「語り初めの構文」とおじいさんとおばあさんを対比させる構文も含まれているので単純ではないが、それでも「おばあさんが川に行く」と「桃が流れてくる」という出来事の継起をそこに見ることができる。

この例には会話は現れないが、発言自体ひとつの出来事なので、ひとまずは物語文に含めておくことにする。

さて、それ以外の部分というのは、出来事(のある側面)についてなにかを述べる部分だ。これにはいろいろとあると思うが、主なものは出来事に関わる人物や状況の描写、出来事についての説明、出来事の評価(コメント)だ。ここではまとめて説明文と呼ぶことにする。それぞれ例をあげよう。

描写
「むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。ある日のこと、おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。川は穏やかに流れ、囁くような水の音は心浮き立つようでした。すると、川から大きな桃が流れてきました」

説明
「むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。ある日のこと、おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。なお、当時は男は山に行き、女は川に行くのが一般的な就業形態でした。すると、川から大きな桃が流れてきました」

コメント
「むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。ある日のこと、おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。これはおそらく、洗濯機がないか、洗濯機を使わないエコな暮らしを実践していたものと推察されます。それはともかく、おばあさんが川で洗濯をしていると、川から大きな桃が流れてきました」

これらの説明文には共通する特徴が少なくとも二つあるが、そのひとつは、出来事が継起する物語の時間を止めることだ。

風刺・戯文

賭け科研費

東京、文京区の店で、客に賭け科研費をさせていたとして、店の責任者と従業員合わせて5人が賭博の疑いで逮捕されました。また、店内で研究者人生を賭けていた若手から名誉教授の客11人も賭博と不正なエフォートの使用の疑いで逮捕されました。

科研費(科学研究費助成事業)とは、学術研究の発展を目的とした「競争的研究費」であり、かねてからその競争的な部分をめぐる賭博が問題となっていました。

店では、1課題ごと3割の申請費を徴収したうえで、客は1枚10(金額単位:千円)で購入した「研究倫理eラーニングコースの修了書」を、研究種目の順位に応じてやり取りするなど、店が定めた採択率をもとに賭けが行われていたということです。警視庁は「研究倫理eラーニングコースの修了書」も偽造とみて、分析を急いでいます。

また、コンピューターやサーバーなどを押収した警視庁は、店内で電子申請システムを使ったおおがかりなオンライン・カジノが運営され、将来的に世界の賭博をけん引しそうとみて、慎重に捜査を進めています。

苦い文学

名画の解説

この夏、私は異国のとある美術館を訪れた。もっとも、美術の知識のない私には、展示された数々の絵画や彫刻もあまり心に響かなかった。とはいえ、一枚だけ、私の興味を引いた作品があった。

それは壁一面に掲げられた巨大な絵画で、ある闘争の場面を描いているようだった。画面の右下にひとりの男がおり、左側の一群の男たちに脅かされているのだった。男たちはみな剣を持っていた。あたかもその剣で一人の男をなぶり殺しにかかろうとしているようだったが、よく見ると違った。男たちは振り上げた剣で仲間を切りつけたりして大混乱のようすなのだった。

この奇妙な絵の下にはタイトルと説明書きもあったが、残念なことに英訳はなかった。すると、たまたま紳士がやってきて、この悲惨な絵を見るやいかにも心地よさげに笑い出したのだった。なぜ笑っているのだろうか? 好奇心を刺激された私は、思い切って英語で話しかけた。

「失礼ですが、これは何の絵でしょうか。そしてどうしてそのように笑っておられるのでしょうか」

「ああ、ああ」と紳士は笑い疲れたというように息をつくと流暢な英語で答えた。「この絵は『パブの虐殺』という、百年前の事件を描いたものです。私たち国民はこの名画を見て大笑いするのが習慣なのです」

「いったいどういう事件で?」

「話すと長くなりますが、我が国では、百年ほど前、弱者男性と呼ばれる人々が勢力を保っていた時期があったのです。その弱者男性の団体のリーダーが、この人物です」と紳士は画面右下の男を指差した。

「すると、これらの敵対者たちが弱者男性を迫害しているのですね」

「いいえ、違うのです。これらも弱者男性です」

「では、内ゲバ風景と……」

「ええ、いわばそうです。このリーダーは弱者男性の地位向上のため尽力したのですが、それがかえって仇となって、他の弱者男性から迫害を受けることとなってしまいました」

「と、いいますと具体的には……」

「リーダーはこう提案したのです。『弱者男性だけでは社会は変えられない。いまこそ、弱者女性と共闘すべきだ』と。すると、他の弱者男性たちが猛反対をしたのです。『女どもと手を組めるか!』『女は敵だ!』『生理臭い!』と。リーダーはさらに弱者である外国人や貧困者とも力を合わすべきだと説いたのですが、これがさらに弱者男性たちを憤激させました。『俺たちは単なる弱者じゃない! 選ばれた弱者だ!』と。そして、ついにこう叫んだのです。『こいつを殺せ! 俺たちを分断させようとするスパイだ!』 そして、この夜、パブに集った弱者男性たちは剣を手にリーダーに襲いかかったというわけです」

「その光景がこの絵なのですね」

「ええ、ですが、ご覧ください。剣など持ったことがない弱者男性たちは、もう滑稽にも」と紳士は笑い出した。「ほら、互いに突き刺しあって! リーダーに一太刀も浴びせることなく、自滅してしまいました! 見てください! このバカは自分の剣で首を刎ねてます!」 紳士は笑いすぎて苦しそうだ。

「当時の人々はこの無様な事件を絵画にして、楽しみを後世に伝えてくれたのです」

私は紳士に感謝を告げ、美術館を後にした。帰国して、その国の歴史を調べたが、絵に描かれたような事件はどこを探しても出てこなかった。

苦い文学

下を向いて歩こう

最近、首を痛めて、うつむいてしか歩けない。もう前なんか向けない。見上げるなんてとてもとても。

そんなふうに下を見ながら歩いていると、世の中には、「前を向こう」「上を向いて歩こう」「空を見上げよう」「仰げば尊し」など、前や上についてのメッセージで溢れていることに気づかされる。

「下を向こう」などという歌はないのだ。前を向いたり見上げたりではなく、うつむくことを応援する歌がもっとあってもいいはずだ。

確かに「上を向いて歩こう」のころの日本は高度成長期で、涙をこらえて我慢することが美徳だった。なぜなら、そうすればいつかは良い暮らしが待っていたから。だが、もはやそんな時代は終わった。

いまやこの日本にふさわしいのは、下を向きながら思い切り涙を流すことだ。上を見て涙がこぼれないようにするなどバカげている、そんな時代になったのだ。

私たちはもはや無理をして前を向いたり、上を向く必要はない。下さえ見られれば十分だ。私はうつむきながら決心した。そうだ、日本中のだれもが、安心して下を見ていられる社会を作りたい、と。

そんな社会の実現のため、私はしっかりと下を見すえて歩きはじめた。私の活動に関心を持った方は、ぜひ下向きに検討をお願いしたい。

苦い文学

絶望教育

人生に絶望した人々による凶悪な犯罪が後を絶たない。

これは学校教育の不備によるものであろう。学校では、希望や夢については熱心に教えるが、絶望についてはまったくといっていいほど教えないのだ。

それゆえ、絶望した人はどうしたらよいかわからなくなり、ズドンとかグサリとかやってしまうこととなる。

そこで、長年教育問題に関わってきた私は、大胆な提案をしたい。

絶望に対する関心を育み、絶望への対応を学ぶ「絶望教育」を学校に導入するのである。

「絶望教育」はちょうど防災教育に似ている。

水害ハザードマップのような「絶望ハザードマップ」があれば、子どもたちは絶望をより身近に感じることができるようになるはずだ。

また、絶望した時の対処法については、「絶望避難訓練」がぜひがとも必要だ。さらに、絶望時に湧いてくるよこしまな想念から頭を守る「絶望頭巾」の配布も徹底したい。

現在の我が国では格差が広がりつつあり、多くの国民が絶望を余儀なくされている。こうした現状においては「絶望教育」の普及は急務であろう。

「絶望教育」を促進するとともに、消費を活性化させるため、「絶望教育」を申請した児童の家庭に 20,000 絶望ポイントを付与するなどの対策を政府には要望したい。