ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(6)

2 月になって、さらに新たな試練が加わった。掛け声だ。卒業発表会では、7 人の受講生が合奏する。タイミングを合わせるためには、掛け声が必要だ。

掛け声は「ハッ」とか「ヨーイ」とかだが、これがなかなか難しい。掛け声に集中すると、演奏にまで気が回らなくなる。もっとも、三寿々先生は、掛け声で手が止まっても、他の人が弾いてくれるから大丈夫という。言いかえれば、それくらい掛け声は大事なのだ。

発表会では、短い曲を 9 曲演奏するが、はじめの 3 曲は、太夫の語りを引き出したり、場面を繋いだりする特別な曲だ。これらはそもそもひとりで弾く曲で、掛け声のある曲ではない。今回は特別に合奏するので、足並みを揃えるために掛け声を入れねばならない。

私は 2 番目の曲の掛け声担当となった。

先生がお手本で掛け声を入れながら演奏してくれる。聞くと自分にもできそうに思えるが、やってみるとまったくできない。私の掛け声はまるであくびのように気が抜けていて、みんなの音も壊滅的にばらける。

先生と私ではまるで身体が違うみたいだ。体の芯から湧き上がってくるリズムが、曲のすべての音をつらぬいている。迫力があって、聞いている方もグッと思わず力が入る。私はといえば、音と音の隙間に遠慮がちに異物を差し込んでいるに過ぎない。

この身体は、一朝一夕にでき上がるものではない。何度も演奏し、演奏を聴き、太夫と合わせるうちに、ズシリとした腹ができあがってくるのだろう。これが義太夫のヘヴィーなノリを生み出し、太夫の語りを引き出すのだ。

私にももちろんリズムはある。長年聴き続けてきたロックのリズムが。ローリング・ストーンズの後ノリが! だが、チャーリー・ワッツ直伝の私のリズム感覚も、義太夫のノリには歯が立たなかった。

苦い文学

Apple Music の手(2)

Apple Music が、私たちの洋楽ライブラリをどんどんカタカナにしてしまっているということを書いたら、こういうお声をいただいた。

「まったく同感です。アーティスト名がカタカナだと、もとの綴りがわからない場合があって、Wikipedia などで調べたいときにちょっと困ります」

また反論もあった。「それなりの知名度のミュージシャンでもアルファベットのままだぞ。Dinosaur Jr. とか、Yo La Tengo とか」 確かにそうかもしれないが、そうしたミュージシャンも半年後には、カタカナになっているかもしれないのだ。

そして、ある人がこう言うのには私はうれしくなってしまった。

「XTC、R.E.M、U2 はどうだ。これらはカタカナになっていないではないか」

私はさっそく Apple Music の NRBQ のページを開いてみた。NRBQ だ。私は「ついにカタカナの侵食を食い止めてくれたか……」と感慨深く眺めていたが、やがて恐ろしいことに気がついた。

「いや、もしやこれは日本語のローマ字であって、英語のローマ字ではないのではないか。ああ、FRUIT ZIPEER や ME:I がカタカナにならないのは、これは日本語のローマ字だったからなのだ!」

バカげているとお思いになるかもしれないが、これが真実なのだ。

苦い文学

安宿のトイレットペーパー

異国の安宿でもっとも貴重なものはトイレットペーパーだ。

国によっては便器の脇にノズル付きホースが設置されていて、それを使って水で洗浄する仕組みになっている。だから、トイレットペーパーなど必要はない。軽視されている。なくたっていいと思われている。

だが、私は必要なのだ。これがないと、木べらで拭っていた時代に逆戻りするのではないかという潜在的な恐怖がそうさせるのでしょうか。

なので、備え付けのトイレットペーパーを大切に使う。部屋を出るときは、周到にトイレットペーパーを隠す。なぜなら、そうしないと、ベッドメーキングの時に「まだあるな。大丈夫だ」と新しいのを入れてくれないからだ。

日本から1ロール持参におよぶこともある。これをうっかりテーブルの上かなんかに置きっぱなしで外出してしまったときはショッキングなことが起きる。

ベッドメーキングの人がこれを見て「まだあるな。大丈夫だ」と新しいのを置いておいてくれないのだ。

「ちがう、これはホテルのじゃないっ。私のだっ!」

後からどんなに叫んでも、虚しく響くばかりだ。

そして、なによりも恐ろしいのはシャワーヘッドだ。安宿なのでシャワーヘッドを引っかける器具はぜったいに壊れている。だから、たいてい水栓の上にそっと置いてある。

そこでうっかり水栓を捻ったらどうなるか。シャワーヘッドはたちまち暴れ馬のようになって、バスルーム中に水を撒き散らす。

慌てて取り押さえるが、そのころには脇のトイレに置かれていた貴重なトイレットペーパーはすっかりずぶ濡れになっている。

もはや尻も涙もぬぐうすべはないでしょう。

苦い文学

死者の恐れ

墓石の話をしたばかりだが、先日、石材屋さんからショッキングな話を聞いた。

墓石に水をかけてはいけないというのだ。墓石にダメージを与え、ヒビが入ってしまうからだという。

私たちは、墓石の上から水をかけるものと教えられてきた。「お水をかけると故人が気持ちいいと言っている」などと言われて、いい気になってじゃぶじゃぶかけてきたのだ。

それを今になって墓石に水をかけるとダメとはどういうことだろうか。「もし水をかけたいのなら、墓石の下の水鉢に注ぐ程度で……」じゃないのだ。墓に水なんかいらなかった。

だが、それにしても、どうしてご先祖さまはこのことを教えてくれなかったのだろうか? 

「水をかけてくれるな」とか「頭が割れるように痛い」とか枕元で告げ知らせてくれたって良さそうなものだのに、そんな話聞いたことがない。これは怠慢ではなかろうか。

いや、もしかしたら、肝を冷やしているのかもしれない。墓石というものができて以来、私たちがかけてきた水の量、水汲みの労力、手桶と柄杓の運搬の手間のすべてが実は無駄だったのいうのがバレたらまずい、と。

損害賠償でも請求されたらコトだ、と背筋が凍る思いでいる可能性もある。だから、ダンマリを決め込んでいるのだ。

都合が悪くなると、死人に口なしのフリをしだすとは、なんとも呆れた話ではないか。

苦い文学

きびしい日本語

「やさしい日本語」は日本に暮らす外国人にとってわかりやすい日本語を使おうという取り組みで、最近は入管でも使用されている。

これは基本的には、災害時の情報提供や官公庁の通知などの書き言葉として用いられ、話し言葉としては想定されてはいないようだ。

おそらく、書き言葉とは違って話し言葉は相手に合わせて容易に調節できるからかもしれない(もっとも、本当のところこれはけっこう難しくて、訓練が必要だ)。

そのような調節された話し言葉の一例として、私が挙げたいのが入国管理局の受付、特に仮放免申請や難民申請などの部門の受付での「きびしい日本語」だ。

この「きびしい日本語」がいかなるものかというと、俗にいう「命令口調」なのだ。たとえば、入管で我々はこの「きびしい日本語」が、以下のごとく外国人に対して使用されているのを聞くのである。

「何?」「それダメ」「どうした?」「そこで待ってて」「あのね、それじゃ話にならないの」

そばで聞いていて私自身腹立たしくなるのだから、正面からこう言われている外国人の忍耐力にさいわいあれだ。

もっとも、入管が対応する外国人には日本語力の低い人もいるから、そういう人にも通じるようにと、こんなふうに「きびしい日本語」となったのかもしれない。だが、そのいっぽう、この言葉遣いからして、入管の外国人に対する態度が推しはかることができるともいえよう。

散文

コロナ・ネイション

 一年ぐらい前から、息苦しさというか、胸の辺りの圧迫感を感じるようになった。血圧が高めなのでそのせいかと思ったら、違うようだ。10日間のチュニジア訪問から帰ると、ますます強く感じるようになった。もしかしたら呼吸器系の病気かもと思って、近くの病院に行った。

 初診の受付で
「息苦しいのです」
 といったら、どこからともなく看護師が現れて守衛室のようなところに監禁された。コロナを疑われているのだ。検温と問診。10日前にチュニジアから帰国したというと、すぐに追い出された。熱も咳もないし、息苦しさはコロナ以前だったが、問答無用でつまみ出されたのだ。

 病院の裏口で途方に暮れてうずくまっていると、ひらひらと紙切れが舞い降りてきた。手に取ってみると、「帰国者は保健所に電話せよ、さまなければ酷い目に遭うぞ」と記されている。
 私はただちに電話をかける。

 「はい、保健所です」
 「えー、帰国者の殺処分はこちらでしょうか」
 「は?」
 「いえ、帰国者はさっそくこちらに電話せよと言われたもので。病院に行ったのですが、診察してくれなかったので、どうしたらいいかと思ってお電話を差し上げたのです」
 「そうですか、でどちらに行ってらしたのですか?」
 「チュニジアです」
 「チュニジアですか……まことに残念ですがコロナ検査は受けられません」
 「いえ、別に検査を受けたいのではないんです。診察を受けたいんです」
 「どちら経由ですか」
 「ドバイ経由です」
 「うーん、中国をかすりもしていませんよ。それでよく検査を受けようだなんて思いましたね!」
 「いえ、そうではなくて」
 「せめて中国に片足なりとも突っ込んでおられたら違うんですがね……」

 いやはやコロナにあらずんば人にあらずだ。
 翌週、別の病院に電話して事情を話すと、診察してくれるという。肺のレントゲン、肺機能検査、心電図、心エコー、これらの検査の結果、息苦しさの原因は腹の出過ぎだという診断が下された。

チュニス、2020年3月1日撮影