散文

普遍人間発生装置(2)

また、アクセントだけでなくイントネーションも表記することはできない。「来る」にも、いくつものイントネーションがあり、それによって意味が変わってくる。なにかが来るのを見て言う「来る」も言い方によって、来るものが危険なもの、痛み、意外なものなどに変わる。「来ないほうがいいよと言っているのにそれでも来たいのか」という呆れた「来る」もあれば、「来ないでと願っていたが結局、来てしまうのか」という諦めの「来る」もある。もちろん、疑問や誘いの「来る」にもいろいろあるだろう。これらのニュアンスを表すためにいくつかの補助的記号が発達している。次のようなものだ。

「来る。」
「来る!」
「来る?」
「来る……」
「来る……?」
「来るー」
「来る〜」

いろいろあるが、どれも具体的なイントネーションを伝えるわけではない。イントネーションや発音の記号に見えるが、実際には言葉の解釈を指示する記号としての役割のほうが強い。その意味では、むしろ「(笑)」や「www」といったものの仲間だし、さらにいえば顔文字やスタンプの使用にも関係している。

アクセントやイントネーションのほかに、文字にするとなくなってしまうものはたくさんある。声の質、高さや強さ、速さや間の取り方などがそれだ。これらは文字を太くしたり、フォントを変えたり、サイズを大きくしたり、下線を引いたりして、なんとなくは指示することはできる。スタンプは表情や身振りを書き言葉で指定しようとする努力のひとつであるが、これも記号に過ぎない。また、距離や息遣いなどはそもそも無理なようだ。しかし、いずれにせよ、こうした手段を使えば使うほど、一般的な書き言葉のイメージから外れていくことは確かだ。

風刺・戯文

見たい人だけ見ればいい

不品行と暴力と虐待によりテレビを追放された元芸能人たちが独自のネット配信サービスを始めたとき、私たちはこれは良くないことが起こる前兆だと思った。

「こうしたことは許すべきではない」 一部の人々がさっそく抗議した。

すると、崇拝者やお金持ちたちが嘲笑った。

「文句があるなら見なければいいんじゃない。見たい人だけ見ればいいんだから」

私たちはこれは絶対にまずい、とささやきあった。

配信がスタートすると、人々は夢中になった。どの番組も、楽しさと爆笑にあふれていた。やがて視聴者たちが叫び出した。「こんなにも素晴らしいものがこの国から奪われていたとは、なんという悲劇だ! マスゴミをのさばらせておくとロクなことにならない!」

お金持ちたちが配信サービスにお金を費やしていたのは、この声を聞くためだった。彼らは最後のひと押しとばかりに、マスコミを操る悪の組織を暴く番組を配信した。興奮した視聴者たちは叫んだ。「この国が乗っ取られようとしている!」「国を取り戻せ!」

そして、視聴者たちはマスコミや私たちに対してこんなことを言い出して攻撃を始めた。

「文句があるなら、この国にいなければいいんじゃない。いたい人だけがいればいいんだから」

もっとも、私たちは出ていくに及ばなかった。なぜなら、視聴者たちは、私たちを追い出すよりも楽な方法を思いついていたから……。

苦い文学

ビルの男

私たちの街は騒然となった。ひとりの男が繁華街のビルの4階の窓から今にも飛び降りようとしていたからだった。

男は窓の上に乗り、ギリギリまで身を乗り出している。通行人たちはビルの下に集まり、ヒヤヒヤして見守った。「飛び降り自殺だ!」と誰かが叫んだ。すると別の野次馬が怒鳴った。「違う!」 見るとビルの男は何やら大声で叫んでいる。「三島由紀夫だ!」

だが次の瞬間「なんだ!」と人々は困惑した。ビルの男が猫の耳をつけて、招き猫のように踊りだしたではないか。そして、猫の真似をしながら、窓の外に飛び出した。「あぶない!」 誰もがそう思ったが、男は踏みとどまった。そして、再び窓の上に乗ると、大声で叫んだ。「がおーん」 猫ではない。虎だったのだ。

その雄叫びの最中、ビルの男の背後から手が伸び、後ろに引きずり下ろした。警官たちが無事保護したのだった。

しばらくしてこの人騒がせな男の動機が明らかになった。

「日本の子どもたちに夢と希望を与えたかったのです……中国とか豊かな国にしかない飛び出る3Dビジョンも、知恵と勇気と工夫があれば、日本みたいな貧しい国でもできるんだよって……」

苦い文学

配送(3)

インターフォンが鳴った。帽子を被った配送員の姿がインターフォンの画面に映し出される。片手に箱を抱えている。スピーカーのスイッチを押すと「お届けでーす」と声がし、私は玄関に向かった。

ドアを開ける。配送員は私にいつもの Amazon の箱を渡すと何も言わず立ち去っていった。箱はたいして大きくない。縦横 40 センチ、幅 15 センチぐらい。そして、軽かった。

私は箱をそっと机の上に置いた。見るかぎり、どこにも傷はない。へこんでもいない。キレイな箱であることを確認すると、私は開封に取り掛かった。箱に貼られたテープを丁寧に剥がす。箱の閉じ目が露わになる。はやる気持ちを抑えながらゆっくりと左右に開く。緩衝材がわりの紙屑でいっぱいだ。紙屑をひとつひとつ慎重に取り除く。じわじわと興奮が高まっていき、その絶頂で、私は箱の中に何もないことを確認した。

ついに配送は完了されたのだ!

こんな純粋なものがこの世にあろうとは! 興奮冷めやらぬまま、私はパソコンで、Amazon のサイトを開き、「配送」のカスタマーレビューに書き込んだ。

「注文後すぐに到着しました。丁寧な包装もグー。」(星5)

ああ、自分がこんなことをするなど、夢にも思わなかった!

苦い文学

新と旧

「世界平和統一家庭連合」と自民党との深い関係が報じられている。

この団体は一般には旧統一教会と呼ばれている。2015 年に現在の名称へと改称したのである。

思うに、すべての問題はこの改称に起因すると私は考えている。まるで新しい名前で旧悪を包み隠そうとしているかのようなのだ。胡散臭すぎるというわけだ。

生まれ変わったことをアピールできるような名前だったら、こうまで問題は大きくならなかったのではないだろうか。

そこで、旧統一教会にさらなる改名を提案したいのである。

旧統一教会の新しい名前としてふさわしいのはずばり、「シン統一教会」だ。

最近の日本人はこの「シン」にめっぽう弱いので、これさえついていれば、中身は変わらなくても、生まれ変わったと勘違いしてくれること請け合いだ。

改名後は「シン壺」の売上も上がるだろうし、シン自民党の代議士たちも安心して祝電を打てようというものだ。

(なお「統一教会2.0」という改名案もあるが、これはもうさすがに古くさい。)