散文

自己肯定感で人生が変わる

私は昔、まだ子どものような考えをしていたころ、自信とか自己肯定感とかについてよく思いを巡らせた。というのも、そうしたものを持っている人は、人生からより良いものを手に入れられると思っていたから。そして、それらが欠乏気味だった私は、やや悲しく思っていた。

そこで、私は、自信のある人の行動や心理をよく観察することにした。また、どうして自分にそれがないのかについても考察した。そして、その結果、驚くべきことが分かった。自信のある人は、そういうふうに生まれついていたか、そういうふうにいられる環境に育ってきたのだった。いっぽう、そうでない人は生まれつきそうか、そうでなくさせる環境に育ってきたのだった。つまり、自信とか自己肯定感とかの有無は、その人間にはあまり関係がないことのようなのだった。

だから、自己肯定感が何かを「引き寄せ」たとしても、それは、いろいろな条件が重なって、その人がたまたま自己肯定感が高くあったからにすぎない。また自己肯定感の欠如が何かを「引き寄せ」なかったとしても、それは、やはりいろいろな条件が重なって、その人がたまたまそういう人となったからにすぎない。引き寄せは、ただ本人の意思とは関係なく、自動的に発生するようなのだった。

それよりも、と私は思った。誰でも常に引き寄せることができるものや、自信や自己肯定感の有無に関係なくめったに引き寄せることができないもののほうが重要ではないか、と。

そんなわけで、それ以来、私は自信や自己肯定感について考えるのをやめた。そのおかげで、少なくとも私は、自己啓発本に無駄な出費をせずに済んでいる。自己肯定感が私の人生を変えたのだ。

旅・観察

最後の外貨の禍い(終)

私は台に置かれたスーツケースに手を伸ばした。2 人の税関職員に監視されながら、番号鍵のある面を引き寄せ、ダイヤルを回し、3 桁の番号を揃える。重たいスーツケースを両開きにする。

私はそこにいかなる通貨もないことを知っていた。スーツケースの中に入っているのはただ、服とノート、歯磨きなど……そして本だ。空港に来る前に、店員に勧められるままに購入した本だ。その本がスーツケースの片側にぎっしり並べられていた。

だが、それらのアラビア語の書籍は、税関職員が普通のアジア人のスーツケースに見出すものとしては、もっともありそうになかったものだろう。

税関職員は不審げにこれらの本を一冊一冊取り上げた。「なんだ? これは?」

男は私に目を向けた。「お前はアラビア語を勉強しているのか」

「はい、少し……」

「これは、マフムード・メスアディじゃないか」と一冊のペーパーバックを手に取った。チュニジアを代表する作家の哲学的小説だ。

「どれもこれもチュニジアの小説だ……ふーむ」

男が興味をそそられている様子に、私はつけ込む好機を見出した。

「小説をお読みになるので?」

だが、男の職員はこの問いを無視した。なぜなら、その目はスーツケースの中の2冊の小説に釘付けになっていたからだった。ハスニーン・ベンアンムーの作品だ。彼は2冊の本を取り上げ、タイトルをチェックする。も、もしや御法度の小説では? 手鎖五〇日ものの? と恐れる私に、不満げな声を投げかける。

「ベンアンムーは7冊の長編小説を書いているというのに、なんでお前は2冊しかもっていないのだ!」

「はっ、次に来るときは他のも買います!」

「よろしい! 終わりだ! もうスーツケースをカウンターに戻しなさい!」

税関職員が小説好きで、そして、チュニジアが文化の香り高き国でよかった!

彼は私にパスポートと搭乗券を返すときこう言った。「たびたびチュニジアに来ているようだな! いつでもウェルカムだ!」

かくて私は虎口を脱し、続く出国審査も無事に通過したのであった。じつに孤独な戦いであったが、運命はそんな私をねぎらうことを忘れなかった。ドバイから成田に向かう飛行機では、エミレーツのダブル・ブッキングのおかげで、私はビジネス・クラスに格上げされ、シートでのんびりと寝そべることができたのである。(おしまい)

苦い文学

配送(1)

Amazon の商品を見ていたら、なんとも理解に苦しむ商品に遭遇した。それはこんな商品だ。


「配送 1回」
(星5つ)299個の評価
¥500
翌日配送

商品の説明:迅速に配送いたします。


商品の写真はなく、そこにはただ「配送」とだけ書かれている。

いったい何を配送するのだろうか? その点についてはまるで書かれていない。まるで「配送」自体がサービスのようだ。右側の欄を見ると「¥500 無料配送 在庫あり。」とある。配送というサービスに料金を支払うから「無料配送」なのだろうか? 私は混乱した。

レビューを見ると、さらに混乱させるようなことが書かれていた。

「迅速に発送いただきありがとうございました。星5つとします……」

「きれいな箱に入って届きました。感謝です……」

「到着時間も正確で、状態も完璧でした……」

配送だけではない。「何か」が届いているのだ。なんなのだろうか? 私はすべてのレビューを流し読みしてみたが、どれも配送の速さや正確さ、商品の状態を褒め称える文言ばかりだ。

だが、肝心の箱の中身については誰ひとり語っていないのだった。何か茶色い箱のようなものが写った写真を投稿している人すらいたが、それだけだ。

もしかしたら、麻薬などの違法な品々のやり取りに、この「配送」が使われているのではないだろうか。私はますます好奇心をそそられた。

苦い文学

天つ罪・国つ罪

延喜式巻第八所載の祝詞「六月晦大祓(ミナヅキツゴモリノオホハラヒ)」では、我が国のもろもろの「天つ罪・国つ罪」がどのように消滅するかが語られている。

まず、瀬織津比咩(セオリツヒメ)という神がこれらの罪を大海原に運びだす。すると海にいる速開都比咩(ハヤアキツヒメ)という神がこれらの罪を飲み込む。この飲み込まれた罪を、気吹戸主(イブキドヌシ)という神が、地底に向って息を吹いて追いやる。地の底には速佐須良比咩(ハヤサスラヒメ)という神がいて、これらの罪を持って、あてもなく歩き回っているうちに失ってしまう。

この四柱の神の連係プレーのうち、最後のハヤサスラヒメの箇所が、古来より問題とされてきた。「これらの罪を持って、あてもなく歩き回っているうちに失ってしまう(モチサスラヒウシナヒテム)」とあるが、なくなった後に、これらの罪はどうなったのだろうか。

私はこの問題に取り組むことを決意し、数々の文献を読みあさった。その結果、ハヤサスラヒメがさすらっているうちに失った「天つ罪・国つ罪」は、善意の日本人に拾われて、日本国内の交番に届けられていることを発見した。