旅・観察

犬の友だち(終)

日曜日の午前、いつものようにホテルの会議室で私はSさんにベルベル語を教えてもらった。勉強を終えて、私たちが会議室を出ると、フロント係が言った。

「明日から金曜日まで会議室の予約が入っているので、もう使えませんよ」

私は会議室に、いつもはないプロジェクターやプリントが置いてあったのを思い出した。夕方や夜は空いているか、と尋ねたがはっきりとはわからないようだった。

私はホテルを移ることにした。というのも、会議室が使えないのならば、ここにいても意味はないから。それに、会議室はなくても、もっと安くて、設備や朝食がいいホテルもある。さいわい、そのホテルを予約することもできた。

その晩、買い物に行こうと部屋を出た私は、うっかり鍵を部屋に忘れてしまった。これでは入れない。エレベーターで降りて、フロントに行く。そこには以前の滞在から顔馴染みのスタッフがいた。

私が部屋から閉め出されてしまったことを告げると、スタッフは「ちょっと待ってください。一緒に行きましょう」と、マスターキーを取りに行った。

私はエレベーターの前で待ちながら、もしあの男と犬について尋ねるならば、今以上に自然な機会はない、と考えた。スタッフがやってきて、私たちはエレベーターに乗った。そして、少し間をおいて私は尋ねた。

「ホテルの外にいつも男の人がいますね」

スタッフはすぐに答えた。

「犬と一緒にいる人? 彼はあなたのことを友だちだと言ってましたよ」

スタッフは鍵を開け、私は愉快な気持ちで部屋に戻った。先日、あの犬の写真を撮ったとき、私はブログの素材にしようかと軽く考えていた。だが、やめた。友だちにはそんなことをしないものだ。

風刺・戯文

関税が吹けば桶屋が儲かる

トランプ米大統領の関税攻勢が止まりません。当初の 24 %から最大 35 %の関税を課す可能性に言及したからです。市場関係者の間では、トランプ政権がさらに関税を上乗せし、200 %にまで上昇する最悪のシナリオの懸念が高まっています。経済シンクタンクは「米国がくしゃみをすると日本も関税をひく」状況になったと指摘します。

国民の生活にも大きな打撃を与える高関税状況を踏まえ、石破政権は国民に冷静な対応を呼びかけるとともに、関税の影響を最小限に抑えるための「行動指針」をまとめました。

《行動指針の骨子》
・人から人へうつる関税を予防するために、人混みを避け、衛生面に配慮する。
・咳やくしゃみからうつることもあるので関税をひいている人に近づかないようにする。できるだけマスクをする。
・電車のつり革や室内の家具などから関税に感染することもあるので、手洗いや手指の消毒を徹底する。
・夏関税はとくに治りにくいので、この時期はできるだけ感染源には近づかないようにする。
・睡眠をしっかりとり、栄養のある食事をして、免税力を高める。関税に負けない体をつくるために、毎日、関布摩擦をするとよい。
・熱や咳、ゼーゼーするなどの関税の初期症状がある場合は、税務署に連絡する。

今後、関税がさらに広がった場合、政府は、コロナ禍以来となる緊急事態宣言と関税防止等重点措置を発出する予定です。

苦い文学

セマンチック・マジック

その奇術師は、舞台に立つと、小さなホワイトボードを5枚取り出し、5人の観客たちに配るとこう言った。

「お好きなひらがなをひとつお書きください。私に見えてもかまいませんよ」

観客たちが書き終わると、奇術師はそのボードを集め、枠に嵌め込んで、書かれた文字が見えるように並べた。文字列を続けて読むと「ふそけむぜ」となった。

「『ふそけむぜ』! まったく意味のない言葉ができあがりました。ではみなさん、このボードに集中してください」

奇術師は観客の視線を誘うように、ボードの前で手を優雅に動かした。

「そうです、そうです、ジーッとみてください。そして、自分の心から湧き上がるものを感じてください」

観客たちははじめは訝しげな顔つきだったが、次第に何かが浮上してくるのを感じ始めた。

「どうですか。いま、結びつこうとしています。そのイメージです。そう、そう!」と陶然とした声で奇術師が語りかけると、観客たちはうっとりとうなずいた。

「さあ! 結びつきました! シニフィアンとシニフィエがいま結ばれました!」

観客たちは夢から醒めたように奇術師を見つめた。どの顔も、驚きと喜びに照り輝いていた。

「みなさん! もう、おわかりでしょう! 『ふそけむぜ』とはなんですか?」

人々はいっせいに大声で答えた。「右手の中指にできたササクレ!」

「そのとおり! いま、私たちは意味の誕生を目撃したのです! 新たな言葉として、『ふそけむぜ』が産声を上げました! これがセマンチック・マジックです!」

2回目のマジックでは、たまたま文字列が「はたけやま」となり、これに「今にも犬の尻から糞が落ちそうな状態」というシニフィエが結合したため、会場に居合わせた畠山氏が激怒して、大騒ぎになった。

苦い文学

世界の粘度

時間とはなんだろうか。

時間が経つとそのぶん世界が変化する、ということを考えると、世界の変化が時間だ。

いっぽう、ある宇宙論によれば、我々の世界は拡大しつつあるのだという。つまり、世界の変化とは世界の拡大だということになる。

世界が拡大していくとはどういうことだろうか。世界が大きくなるとは、その中にある諸物も大きくなることだ。しかし、それらの諸物をつくる質量そのものは変わらないのだから、要するに世界の諸物はだんだんスカスカになっているのだ。

ここでたとえば考えて欲しい。水と泥の中のどちらが進むのにたやすいかを。答えはもちろん水だ。なぜなら水は泥よりも粘度が低いからだ。粘りがないということは、つまり水のほうがスカスカなのだ。

世界の諸物がスカスカになっていくといったが、これはちょうど世界の諸物が泥から水へと変わりつつあるということと同じだ。世界が変化すればするほど、世界は水のようになりその粘度は下がる。そして、その中を進むのはより早くなる。

泥のプールを10メートル進むのにたとえば1時間かかったとしよう。しかし、一定の変化ののち、水のプールに変化したとしたら、ほんの数分で同じ距離を進めることとなる。

これは空間のたとえだが、時間についても同じことがいえる。ある時点で1週間たつのに1週間かかっていたとしよう。しかし、20年後の世界では、もっと短くなっている。たとえば、1週間たつのに4日間かもしれない。いずれにせよ、これは世界の粘度が下がるため、4日間で1週間分の変化が可能になったため生ずるのである。

我々の時間感覚というものは、生まれて数年のうちにその当時の世界の粘度に応じて形成される。だが、世界が変化し、その粘度が下がるにつれて、我々の体得した時間感覚とのずれが生じてくる。つまり、時間の進むのが早く感じられてくるようになるのだ。

こうした事情により、我々はある一定の年齢になると、1年があっという間に過ぎてしまうのである。

苦い文学

史料編纂所

昨日は、見たい資料があって東京大学の史料編纂所図書室に行った。

この施設は、ホームページを見ればわかるが、部外者でも身分証があれば利用することができる。

ただし、利用には事前に予約が必要で、これもホームページを通じて行うことができる。利用したい日・時間帯(午前か午後)と閲覧したい資料を書いて送信すると、しばらくして予約完了のメールが届く。私の予約は昨日の午前(10時〜13時)だ。

史料編纂所は赤門の近くにあるが、私は上野から歩いていったので、反対側の池之端門から構内に入ることになった。炎天下のなか長い距離を歩き、着いたころにはもう汗だくになっていた。

途中、銅像を何体か見かけた。どれも昔の人で、最近の著名人、例えば東大王のものはないようだった。私は不思議に思い、短い物語を思いついた。

史料編纂所の建物は古いものだった。入り口の両脇の柱には、変わった形の青銅の街灯が取り付けられている。戦時中に供出したものを再現したのだという。

外観は古めかしいが、中は違った。入るとすぐにガラスの自動ドアがあり、その先には白い壁が広がっている。まるでSF映画のようだ。

図書室は3階で、薄暗い中、カウンターに職員の人が座っていた。猛暑のため節電しているのだろうと思って入ろうとすると、開室前だと言われた。