散文

頭のよさ

世の中には頭のよい人がたくさんいて、私はいつもうらやましく思っている。頭のよい人は社会的地位も高いし、尊敬されている。どんな人もすぐに論破してしまう。よいことづくめだ。そんなことを考えているうちに、次のようなことを思いついた。

頭のよい人は頭が悪くならなくてはならない。もし悪くならないのならば、その頭のよい人は頭が悪い。

頭がよいということは、頭が悪い人が他にたくさんいるということだ。つまり、たくさんの頭の悪さのおかげで頭がよくなっている。とすると、頭のよい人がその頭のよさのおかげでこれら頭の悪い人よりもよいものを得ているとするならば、そのよいものを頭の悪い人にも分け与える義務が生じる。

その義務を果たす方法は二つある。ひとつは、税金や支援などを通じて、いろいろな事情で頭が悪くならざるをえなかった人々が頭の悪い状態から抜け出るような機会を作ることだ。また、いま頭が悪くなくてもこれから頭が悪くなる可能性がある人にも、そうならないような手立てを講ずることも大事だ。

もうひとつは、頭のよさの基準を広げることで、これはまさに、頭のよい人だからこそできることだ。現行の頭のよい人だけが頭がよいとされるのではなく、その基準そのものにいろいろな頭のよさも含められるようにするのがいい。そうすると、これまで頭が悪いとされて涙を飲んできた人も、やはり頭がいいと評価されるようになるはずだ。

そして、これらの義務を遂行することによって、頭のよい人は次第に頭が悪くなっていく。というのも、新たに頭のよい人が増えるにつれて、もともと頭のよい人が占めていた地位は、それだけありきたりなものになっていくからだ。

しかし、それこそが頭のよい人のすべきことだ。もしそれができないのならば、頭が悪いというべきであろう。

旅・観察

最後の外貨の禍い(3)

これから書くことは、本題とはまったく関係ないように思える。だが、外貨の禍いの渦中において意外な意味を持つことになったこのことを語らぬわけにはいかない。

私は 8 月 14 日の 14 時の飛行機でドバイ経由で帰国する予定であった。空港には遅くとも 12 時に着いていればいいから、午前中は自由時間ということになる。そこで、私は荷造りを終えると、本屋に行くことにした。

その本屋はそれほど大きくないがきれいで、アラビア語、フランス語、英語の新刊が揃っている。朝の店内に入り、チュニジア文学と書かれた棚の前に立っていると、若い女性の店員が話しかけてきた。

「どういったものをお探しですか?」

私は特に知識があるわけではないのでこう言った。「なにかおすすめのものはありますか?」

店員は最近のものならこれ、現代の古典ならこれ、といくつか勧めてくれた。また、フランス語の本棚でも面白そうなものを教えてくれる。そのうちの一冊を見ると「アラビア語から翻訳」とある。フランス語に翻訳されるくらいならば、いい作品の可能性が高い。

「このアラビア語オリジナルはありますか」

「ありますよ」と持ってきてくれた。

ハスニーン・ベンアンムーという作家の作品だ。チュニジア歴史文学の巨匠らしい。私は店員の勧めるままにベンアンムーの本を 2 冊、すでに取り分けていた数冊の本の中に加えると、会計に向かった。ホテルに戻り、買ってきたばかりの本をスーツケースに放り込む。それからチェックアウトし、スーツケースを引いて空港に向かった。

苦い文学

惑星の表面

私はとある国へと旅立ち、しばしの滞在を終え帰国した。その国の首都で私は道路の表面に魅了されたのだった。

その表面は、細かな陰影と無限の形象に満ちていた。繊細なさざなみに覆われたかと思うと、たちまち巨大で無機質な物体が現れ出て、私を驚かせた。印象派風の柔らかな色合いが、数歩あゆんだのちには、中世宗教画の悪魔的な火刑へと転じた。すべてを褪色させる強烈な太陽光のもとでは、これらの形と色の多様性はほとんど奇跡のように思えた。

だが、それは奇跡でもなんでもなかった。道路はただただ歴史を生き抜いてきたに過ぎなかった。この国の首都は、幸か不幸か、東京のように新陳代謝が活発ではなく、いったん作られたものはほぼ永遠に温存されるのだ。道路がこのようになったのは、人々の活動と車輪の通過と雨風とが、天文学的な回数にわたり、その表面を鍛えてきた結果なのだった。

私は滞在期間中、ひたすら散歩をし、この都市の道路の表面を撮影し続けた。私はまったく取り憑かれてしまった。それはあたかもスタニスワフ・レムの惑星ソラリスの海のように私の心に入り込んできたのだった。

それは実際、私たちの知る惑星の表面の画像のようだった。見る人が見れば「ここには数万年前に水があったようだ」とか「隕石衝突の痕跡だ」とか「大規模な噴火活動があったようだ」とか容易に指摘してみせたかもしれない。

そんなわけで帰国後、私は、惑星地学研究の大家である友人に、自分の撮った写真を冗談半分に見せた。彼は「生命が存在する可能性が高い」といって譲らなかった。

苦い文学

YOKOSO!

先日、中国文化観光部は、コロナ禍以来禁止されていた日本への団体旅行を解禁したと発表しました。

中国人観光客といえば大量にお土産品を購入する「爆買い」でお馴染みですが、その「爆買い」復活の兆しとあって、日本国内の観光業者・観光地も大いに期待を寄せています。

「日本はバブル崩壊以後、経済的にどんどん凋落していますから、経済効果が絶大な中国人観光客はありがたいです」(観光関係者談)

とはいえ、中国人の団体旅行には、観光地の受け入れの準備不足やオーバーツーリズムの問題も指摘されています。また、コロナ禍を経た現在の中国ではバブル崩壊も間近といわれ、中国人観光客にかつてのような「爆買い」を期待するのは無理だとする意見もあります。

そんななか、昨日、都内で「YOKOSO! いらっしゃい中国」キャンペーンが開催されました。

「ええ、私たちは中国を歓迎しています!」「もういつ来てくれるのか待ち遠しいです!」 会場に集まった人々から聞こえるのはこんな楽しげな声ばかり。

「このままだと中国でバブルが崩壊するのは間違いないでしょう。私たちは喜んで中国を仲間として受け入れたいです」(キャンペーンの主催者談)

会場では、参加者たちによる「負け組国家のグループにようこそ!」の声がむなしく響き渡りました。

苦い文学

ウェイティング・リスト

休日のお昼どき、私は妻と子とともにデパートのレストランで順番を待っていた。ウェイティング・リストに記入した時からずいぶんたち、次に呼ばれるのは私たちのはずだった。

店員が出てきて、私の苗字を呼んだ。私が壁際の丸椅子から立ち上がると、店員はこう言った。

「先に1名様をご案内してよろしいでしょうか」

私がうなずくと店員はその一人客の名を呼び、店に入れた。しばらくすると、また店員が出てきて、私に言った。

「先に2名様をご案内してよろしいでしょうか」

私は答えるのに躊躇したが、その間に隣に座った妻が承諾した。二人の客が談笑しながら店内に向かった。

イライラしてきた私は立ち上がり「トイレに行ってくるから、呼ばれたら先に店に入ってて」と言ってその場を離れた。

私はゆっくりと歩き、2階下のトイレに向かい、ゆっくりと済まし、そして商品を見ながらゆっくりと店に戻った。

妻は同じ場所に座っていた。しかも、わたしたちの後に並んでいた人々は一人もいなくなっていたのだ。

驚いて妻に尋ねると、「お店の人が……」と涙目で言った。子どもは妻にもたれかかって寝ていた。

「全員先に案内しやがったな!」

腹を立てた私が怒鳴ると、子どもが目を覚まして泣き出した。それにかまわず店に乗り込もうとする私を、妻は「きっと次だから」と引き留めた。


……それから、どれくらいの時が過ぎただろうか。妻の言葉にもかかわらず、その「次」はやってこなかった。幾人もの人々が私を追い越していった。誰かが連れ去ったのか、妻と子ももういない。

今も私は待ち続けている。