世の中には頭のよい人がたくさんいて、私はいつもうらやましく思っている。頭のよい人は社会的地位も高いし、尊敬されている。どんな人もすぐに論破してしまう。よいことづくめだ。そんなことを考えているうちに、次のようなことを思いついた。
頭のよい人は頭が悪くならなくてはならない。もし悪くならないのならば、その頭のよい人は頭が悪い。
頭がよいということは、頭が悪い人が他にたくさんいるということだ。つまり、たくさんの頭の悪さのおかげで頭がよくなっている。とすると、頭のよい人がその頭のよさのおかげでこれら頭の悪い人よりもよいものを得ているとするならば、そのよいものを頭の悪い人にも分け与える義務が生じる。
その義務を果たす方法は二つある。ひとつは、税金や支援などを通じて、いろいろな事情で頭が悪くならざるをえなかった人々が頭の悪い状態から抜け出るような機会を作ることだ。また、いま頭が悪くなくてもこれから頭が悪くなる可能性がある人にも、そうならないような手立てを講ずることも大事だ。
もうひとつは、頭のよさの基準を広げることで、これはまさに、頭のよい人だからこそできることだ。現行の頭のよい人だけが頭がよいとされるのではなく、その基準そのものにいろいろな頭のよさも含められるようにするのがいい。そうすると、これまで頭が悪いとされて涙を飲んできた人も、やはり頭がいいと評価されるようになるはずだ。
そして、これらの義務を遂行することによって、頭のよい人は次第に頭が悪くなっていく。というのも、新たに頭のよい人が増えるにつれて、もともと頭のよい人が占めていた地位は、それだけありきたりなものになっていくからだ。
しかし、それこそが頭のよい人のすべきことだ。もしそれができないのならば、頭が悪いというべきであろう。