散文

中身のない言葉(2)

中身のない言葉の巧みなところはまた、これが受け手に物語を喚起することにある。

「やり抜く政治」は「やり抜かない腑抜けた政治家とは異なり、やるべきことを遂行する政治家」という物語に結びつく。さらに、ここには敵と味方という対立関係が隠されており、やり抜かない政治家の妨害に負けずに立ち向かうという、一段上の物語にも発展しうる。「ぶれずにまっしぐら!」「今こそ変化!」も同様だ。

「取り戻す!」はさらに手が込んでいる。これが受け手に呼び起こす物語は、「何かが失われた。そして私たちはそれを取り戻す」というものだ。そして、受け手は単に失われただけでなく、失うことになった原因、あるいは奪った相手の存在にまで思いを巡らせるかもしれない。すると例えば「大事なものを我々から奪った敵を打ち負かし、それを奪い返すことによって勝利する」という派手な物語にまで膨らみうる。そして、このように喚起された物語は、受け手が中身を補って完成させたものであるから、受け手の物語でもある。これにより、受け手は自分の物語を当該政治家に託すことになるのであり、これは容易に政治的支持に結びつく。

ここで重要なのは、「取り戻す!」と言った当人は、「特定の敵に大事なものを奪われた」などとは一言も言っていないことだ。もしそのようなことを言ったとしたら、その主張について根拠を示す責任が生じるが、「取り戻す!」とだけ言っているかぎり、そのような責任を避けることができる。そこで、受け手がこの標語を聞いて「特定の敵に大事なものを奪われた」と解釈し、それを公言した結果、事実ではないと非難されたとしても、標語の主は「自分はそんなことを言っていない」と、その解釈についての責任を否認しうるのである(これは、実際のところニュースで飽きるほど聞かされたやり取りだ)。

このように中身のない言葉は、受け手に中身を埋めさせることによって物語を喚起し、さらにその物語に関与させるという働きを持っている。そして、もうひとつの利点は、標語そのものには中身がないのだから、その解釈について政治家は責任を負わずに済ませることができるということにある。

つまり、政治家たちの中身のない言葉がどのように解釈されても、政治家たちは知らない顔をすることも可能だ。なぜなら、中身のない言葉には中身がないのだから。

だが、それでいいのだろうか。

少なくとも、中身のない言葉を使ったこと自体は、中身のあることなのだから、そのことについては責任を大いに問われるべきだろう。

風刺・戯文

郷に入っては

私は、郷に入ってはいつだって郷に従ってきた。今日も郷に入る。郷に従うために。そして郷に入った。もう従いたくてたまらない。我慢できない。従った! すると誰かが声をかけてきた。

「ここの郷はその郷じゃない」 その人は郷をやってみせた。「こうだ」

「なるほど」と私は言うとおりにする。すると、別の人がやってきて横槍を入れた。

「その郷はここの郷じゃない」

「えっ、じゃあ、これはどうです」 自分なりの郷を披露する「郷ですか?」

「いや、それもここの郷じゃない。こうだ」

「ほほう、なるほど」 私は郷に従う。すると、さっきの人がやってきて怒り出すではないか。

「その人にデタラメを教えてはいけない。ここで従うべき郷はこう」

「いや、この郷だ」

「違うこの郷」「いやこうだ」

ケンカが始まる。すると別の人が駆けつけてきた。

「おい、ケンカはやめなさい。この郷ではいろいろな人の郷を認めあうのが郷じゃ」

これを聞くや、ケンカをしていた二人、一緒になって突っかかる。「嘘をつけ! どの郷であろうと郷はひとつだ!」

そのとき奇声が聞こえた。声の主が、私たちの中に飛び込んできて、甲高い声で怒鳴る。

「キエーッ! この郷では郷のやり方に従わないのが郷なのじゃ!」 そいつ、他の人を突き飛ばしたり、唾を吐いたり、いきなり全裸になって汚い体を見せつけたり、もうめちゃくちゃだ。

私はほうほうのていで逃げ出した。混乱してる。教えてください。郷ってなんですか。

苦い文学

ある記録から

……そこで私たちは、泣き喚き、大声で叫び続けました。すると、そいつはあわててやってきて、オロオロしながら、私たちを撫でさすったり、水を飲ませようとしたり、何か食べさせようとするのです。

ですが、私たちの決意は変わりません。私たちはそいつの手をはね除け、辺りを水浸しにし、食べ物を放り投げました。そしてそれからまた、声をかぎりに叫ぶのです。そいつは目に涙を溜めながら「お願いだから静かにしてくれ」とか「なんでもするから、落ち着いておくれ」などと言うのでした。

そして、数日経つと私たちは、もうどの街角に出しても立派に通用するくらいみすぼらしく、汚らしく、悪臭プンプンとなりました。大便も垂れ流し、しかもその上でゴロゴロです。私たちは最後の一押しとばかりに、汚れきった姿のまま、喚き散らしました。

するとそいつが駆けつけてきて、涙を流しながら平伏していうではありませんか。「どうかやめてくれ。気に食わないことがあったら謝るし、心を入れかえるから。たのむ、たのむ……」 私たちは笑いたいのを堪えて、盛大に悲鳴をあげ続けました……

それからすぐです。通報があった、と人々がやってきてそいつをどこかに連行して行きました。動物愛護管理法違反。私たちが狙った通りです。

本当のことを言うと、私たちはそいつを憎んでなどいません。ただなんとなく気に食わなかっただけです。でも、私たち犬にとってはそれで十分なのです。

そういえば、この間、新しい飼い主と散歩に出たとき、そいつの家の前を通りました。正直いうとなつかしさすら覚えましたが、そいつが姿を見せたらどうしようかとも思いました。もっともそんな心配は無用でした。「賃貸(即入居可)」の張り紙がありましたからね。

苦い文学

流れ去るもの

この歳になってようやく気がついたのですが、すべてのものは変わりゆき、同じものなどなにひとつないのですね。

もしこの真実を早めに悟っていれば、僕の人生ももっとマシなものになっていたかもしれません。

とはいえ、機会はいつだってあったのです。子どもの頃、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず云々」を読んだとき、どうして僕は理解しなかったのでしょうか。

さらに、貴兄の愛してやまないジョージ・ハリスンの「ALL THINGS MUST PASS」を若い頃からあれほど聞いたにもかかかわらず、その真実は僕の心にまったく響かなかったのです。

ですが、今になって後悔しても遅いのです。肝心の僕の人生そのものがすべて過ぎ去ってしまった今となっては。

しかも、お笑いください。このような死を待つばかりの身となっても、僕はすべてが流れ去るという事実から顔を背けていたいのです。

なんと愚かなことか、とお思いでしょうね、きっと。なにしろ僕自身も呆れているくらいなのですから。

ですので、この途方もない愚かさに免じて、貴兄より毎年お誘いいただいている「夏の流しそうめん大会」を、今年のみならず、来年も再来年もずっと固辞させていただくことをお許しください。

苦い文学

ロマンス詐欺

ご注意ください! ロマンス詐欺。

【ロマンス詐欺とは】
SNS・マッチングアプリなどインターネットを通じて、裕福な外国人を装って接近し、恋愛感情を利用して詐欺をはたらくのが「ロマンス詐欺」。全国で被害が相次いでいます。

【その手口:Aさん (20代・男性)】
Aさんは、日本在住でビジネスをしているという中国人の女性とSNSで知り合いました。頻繁にやり取りするうちに、恋愛感情が芽生えてきたといいます。

女は言葉巧みにAさんを誘い出し、交際が始まりました。やがてAさんは女に会うために夜な夜な外出するようになりました。帰宅するのはいつも明け方です。次第にAさんはやつれ、見る影もなく変わってしまいました。

心配した友人が、Aさんの跡を追うと、Aさんが向かったのは、中華街でした。Aさんは、暗い裏道の廃屋に入っていきました。その中を覗いた友人が目にしたのは、白蛇に巻きつかれているAさんの姿でした。

不審に思った友人がその場で通報をしてくれたおかげで、Aさんは命びろいをしましたが、さもなければ、美しい中国人女性になりすまし、Aさんの恋愛感情を利用した妖怪に、生気をすべてだまし取られているところでした。

インターネット上の出会いが詐欺被害につながるおそれもあることを理解し、本当に相手が大丈夫な人間なのか、あるいは、そもそも人間なのかどうか、十分に見きわめていただきたいです。