小説

老婆の霊

少年のころ、いわゆる心霊スポットというところに肝試しに行ったことがある。そこは、枯れが辻と呼ばれる、鬱蒼とした森に囲まれた不気味な場所だった。大きな不格好な石があって、私たちは、そこにお供え物の痕跡があったのを懐中電灯で確認した。

枯れが辻の由来は凄惨なものだ。江戸の昔、そこで一人の老婆が罪なく殺されたのだ。ゆえなき讒訴によるものとも、物取りによるものともいわれているが、いずれにせよ、怨恨を抱いて死んだ老婆は、霊となって現れるようになった。

そして、怪談は当時の私たちにまで語り継がれ、ある夏の真夜中、私たちをその恐ろしい場所へと向かわせたのだった。

私たちは誰も恐れていなかったように思う。私たちにとっては遊びに過ぎなかったのだ。私たちは例の巨石の前にやってくると、笑いながら、手で石の表面をタッチした。それがゴールの印だった。だがそのとき、私たちは石の上に何かがいるのに気がついた。とっさに懐中電灯が向けられた。それがいた。

それからどのようにして人のいる世界に戻ったかは覚えていない。私たちは叫び、走り、気づけば煌々と輝くコンビニの前にいた。たむろするヤンキーたちがタバコの煙を吐き出していた。

あのとき、私たちは間違いなく老婆を見たのだと思った。だが、五〇なかばを過ぎた今、あの時の鮮明な映像が脳裏を過ぎるたびに、私は違うふうに捉えている。今ならたぶん年下だな、と。

苦い文学

万博の汚い目玉

このままだと大阪万博は失敗に終わる——

時の流れのある瞬間に、為政者たちはそう考えた。なぜなら、鳴物入りで発表された「空飛ぶ車」はタコの糸が切れたのかどこかに飛んで行ってしまった。頼みの綱のアンバサダーも天岩戸にお隠れになったっきり、どんな芸人たちが騒いでもいっこうに出てくる気配はない。パビリオンは小粒になるいっぽうだし、チケットはまったく捌けなかった。

為政者たちがぶち上げた万博の目玉がことごとく消えてしまっているのだ。

「たぶん」と人々は考えた。「目玉はすべてミャクミャクに行ってしまったのだろう」

為政者たちは対策会議を開いた。「我々は新たなメダ……いや展示を企画しなくてはならない」

「そうだ」と別の為政者。「世界中がアッというものでなくてはならない」「うむ、それこそ誰も見たことがないものがいい」

別の為政者が口を挟んだ。「それだけではダメだ。日本人が誇りに思えるようなものでなくてはならない」

為政者たちの指令はただちに万博関係者に下され、やがて為政者の望み通りのものが完成した。

万博の開会式で、為政者は胸を張って世界中に告げた。

「みなさん! 私たちは日本で実現不可能なものをこの万博に実現することができました。世界中の誰もが『こんなものが日本にあるとは!』と驚くことでしょう。さあ、この誇るべき展示をご覧ください!」

幕が取り除かれると、そこには、これ以上ないほど汚く臭いトイレがあった。

苦い文学

Heavenly Home

メーソートで私たちを案内してくれたカレン人の牧師は、子どもたちの施設を運営している。Heavenly Homeという名のその施設に最後に連れて行ってもらった。

そこでは約85人の子どもたちが生活している。男女ほぼ半々で、最年少は5歳、最年長は19歳だ。障がいのある子も何人かいた。こういうことについては私はよくわからないが、足が不自由で杖をついている女の子がいて、私たちをみると、とてもうれしそうにほほ笑むので、おおいに癒された。

カレン人の牧師だから、カレンの子ばかりと思ったらそうではなかった。アラカン、ナガ、ラフ、インド系の子どもたちもいる。杖の女の子はカチンだそうだ。それぞれ独自の言語を持っているが、ビルマ語が共通語だ。家庭環境も、親がいなかったり、家族に問題があったり、親が HIV だったりとさまざまだ。

子どもたちはこの施設に暮らしながら、タイの学校に通っている。学校もあちこちにあるようで、車で朝夕の送り迎えをするのも、牧師の役目だ。現在、別の場所で大学に通っている子もいるという。

この施設の運営費について牧師に聞くと、かつては特定の団体から支援を受けていたが、現在はそうではないという。

「ある組織から資金をもらうと、その団体の基準を受け入れなくてはならないだろ。そうすると、その基準に合わない子は施設で受け入れることができなくなる。それじゃ、現場に即した支援はできない。で、そういう形で資金援助を受けることはやめたんだ」

エライ組織に属さないインディー施設だ。おなじくインディー系の私としてはおおいに気に入った。

苦い文学

ノー・ルッキズム

人を見た目で判断したり、ある外見を特定の偏見と結びつけるのは、ルッキズム(外見重視主義、外見至上主義)と言われる。

我々にとって視覚で得られる情報というのは重要だから、人の外見というものから離れることはできないが、それでもって決めつけるようなことがあってはならない。

さて、ルッキズムに反対し、自分は絶対に人を見た目で判断しないという人が、とある事件の唯一の目撃者となった。

その人のところに刑事がやってきた。犯人の特徴を教えてくれというのだ。

「犯人は、男でしたか、女でしたか」と刑事。

「そんなことは言えません。見た目で男性か女性かを決めつけることはできませんよ」

「では、日本人でしたか、外国人でしたか」

「それにもお答えできません。外見で外国人か日本人か判断するなんて差別ですよ」

「では、どんな服装でした。ズボンでしたか? スカートでしたか?」

「それに答えたら、特定の服装に対する偏見を煽ることになります」

「では、これだけは教えてください。どんな顔でしたか。髭を生やしていましたか。それとも口紅をしていましたか」

「私は顔で人を判断しないのが習慣なので、どんな顔かもまったく覚えていないのです」

刑事は言った。「すると、目や鼻や口があるかないかもお忘れでしょうね」

目撃者はうなずいた。「ええ、じっさいそのとおりです。心が大事なので、顔は思い出せないのです」

刑事はガクリと頭を下げ、こう言った。

「それはこんな顔では?」

顔を上げた刑事には、目も鼻も口もない。男は悲鳴をあげて気絶したそうだ。

反ルッキズムだろうとなんだろうと、行き過ぎるとかえって妖怪につけ込まれるということだろう。

苦い文学

永住者申請

日本に暮らす2人のカチン人がいた。

2人とも、難民認定申請をして在留許可を得ることができた。最初は特定活動ビザだったが、しばらくして定住者ビザに変更した。

やがて生活も安定してきたので、永住者ビザの申請を考えはじめた。

片方は、申請手続きをある行政書士に依頼した。もう片方もその行政書士が良いと誘われたが、費用が高かった。なので、以前から知っている別の行政書士に頼むことにした。安くやってくれるというのだ。

そして、2人とも、永住者申請の身元保証人を私に頼んできた。

高いほうの行政書士は、なかなか偏屈な人だった。定年後に資格を取って始めたのだという。私は身元保証人の書類を送ればよかったのだが、なぜか上野駅のスターバックスに呼び出された。

引き受けるからには、身元保証人もちゃんとしている人がどうか直接会って確認する、とその行政書士が言い張ったのだ。カチン人は「なにもそんなことまでしなくていいのに」とすまなそうに私に言った。

これに対し安いほうの行政書士は、違う取り組み方だった。身元保証人の書類を送るようにと、私に封書を送ってきたが、その封筒の中には返信用の封筒も切手も入っていないのだった。これが安さの秘密に違いない、と私は見抜いた。

身銭を切って書類を送りたくなかったので、そのカチン人に直接渡しに行った。彼は、いつ電話しても行政書士がつかまらないので困っている、と私にこぼした。

さて、この2つの永住者申請の結果はどうなったであろうか。ご想像の通り、成功したのは高いほうの行政書士だ。