旅・観察

安物ガイ(チュニジアへの旅行)

チュニジア行きの航空券には大きく分けて、中東系とヨーロッパ系があり、中東系のほうが二十万円強なのに比べて、ヨーロッパ系だと三十万から五十万円になる。

私は先日チケットを買いに行って、自らの経済状況などを真剣に検討した結果、初めから目をつけていた中東系の安いチケットを買うことにした。エミレーツ航空の二十万円だ。旅行代理店の話だと、中東の情勢次第では便の変更や欠航の可能性もあるという。だが、出発はまだ先のことだ。よくなることだって大いにありうる。安物ガイの消費マインドを支えるのはこの楽観性だ。

今回の旅は、旅費などが研究費から出る。私は旅費の申請のための書類を作成し、これを、研究費を管理してくれているオフィスに送った。書類が整っていないと、研究費を使うことはできない。

次の日、メールの返信が来た。リアリズムのメールであった。

・チュニジア行きの往復でドバイを経由している。
・現在、外務省の海外安全情報では、ドバイはレベル3(渡航中止勧告)となっている。
・経由地であっても、レベル3以上の地域への滞在は許可できない。
・経由地の変更か旅行の延期が必要。

よく見ると「外務省の海外安全情報(危険情報)」としてあった。海外安全情報だから安全だ、と私が言い出すかも、と念を入れたのだ。

もう! 私はすべてキャンセルして、新たなルートで旅程を組み直した。キャンセル料は総額いくらになるかわからない。戦争があると、銭失いも桁がちがう。

(写真:ありし日のドバイ国際空港)

苦い文学

切り取りの怪物(2)

「フンガー!」

広い世界に飛び出した怪物は叫んだが、その声にはどこか物寂しげな響きがあった。なぜなら、怪物は、恐ろしげな外見とは逆に、純粋で美しい心の持ち主だったからだ。いや、そんな見た目だったからこそ、心がいっそう清らかになったのかもしれぬ。

そんな心美しい彼をもっとも苦しめたのは、出会う人出会う人、彼を見るや悲鳴をあげて逃げていくことだった。

彼は思わず醜い自分を呪った。「フンガー!」

そのときだ、耳をつんざくような叫び声が彼の耳に飛び込んできた。ハッと見ると、自動車が今にも子どもの列に突っ込もうとしているのだ。怪物は我を忘れて車の前に身を投げ、その車体を跳ね飛ばした。あわやというところで、子どもたちの命を救ったのだった*。

だが、なんということだろうか。子どもやその親たちは、怪物に感謝するどころか、ツギハギだらけのその姿に悲鳴をあげ、拳をあげて憎悪をむき出しにしたのだ。

「フンガー!」 怪物は絶望の呻き声をあげた。ああ、切り取り報道から生まれた存在に、この世の居場所などあるものだろうか?

(*怪物のいる前で、都合よくこんな事故が起きるなど、できすぎた話だと思う人もいるかもしれない。だが、我が国の車は子どもの列と見ると突進せずにはいられないのだから、こんなことは実にありふれた出来事なのだ。こうした事故を根絶したいのならば、もっとアメリカ車を輸入すべきだろう。)

苦い文学

エコツアー(箱根の旅3)

それらの外国人観光客は、例の「外人観光」にやってきた日本人たちの前までやってきて、物珍しそうに見物しはじめた。そこにはやはり小さな旗を持ったガイドがいて、英語でこんなことを話しているのだった。

「みなさん、今日はとても幸運ですよ! これらの日本人を見てください! 円安と貧困のあまり外国人を観光することしかできなくなった人々なんです。近づくときはお静かに! 臆病な性質なのですぐに逃げてしまいます」

すると、ひとりの果敢な外国人がそろりそろりと近づきだした。手には千円札を持って差し出している。日本人たちは「なんだなんだ、変わった外人だぞ」とざわめいていたが、お金と見るや群がってきた。みごと手懐けたのだ。外国人観光客は興に乗って、次から次へと紙幣を取り出して、ばら撒きはじめた。

日本人たちは「これはいい土産だ」「外人観光の余録だ」などと言いながら、ポケットに詰め込んでいる。

この光景を前におののくばかりの私だったが、今度は別の方向から観光客の一群がやってくるのに気がついた。それは日本人と外国人の混成で、みなトレッキング・ウェアを着ているのだった。ガイドは英語と日本語で交互に案内をはじめた。

「みなさん、貧困のため外国人しか観光できない日本人と、その日本人を観光する裕福な外国人観光客が、この観光地では互いに補い合って共生しているのです。自然が生み出したエコシステムをとくとご覧ください」

エコツアーに参加している観光客たちは、双眼鏡で眺めたり、望遠カメラで写真を撮ったりしていた。きっとステキな写真が撮れたことだろう。

苦い文学

魔の信号

横断歩道で信号は赤だが、あなたはどうしても渡りたい。車が走っていなければ渡ってしまうし、ひっきりなしに通るようであれば、諦めて青になるのを待つ。

問題は車が散発的にやってくる道の場合だ。車通りが途切れたときを狙えば、赤信号など無視して渡ってしまえるかもしれない。

そこで、あなたは左右から迫り来る車を窺いながら、渡る機会を狙い続ける。だが、なかなかそのチャンスは来ない。右が空いた、と思っても、左から車が飛ばしてくる。左が途切れた、と右を見ると3台ばかり連なっていて、これらが通り過ぎる頃には、左のほうから何台も接近中だ。

だが、やがて、左右のどちらからも車の来ない瞬間が来る。あなたはその隙をついて横断を始めるが、前を向いたあなたは気がつくのだ。信号がすでに青に変わっていることを。いや、あなたが渡り始める前にもう青に変わっていたかもしれない。少しでも早く渡ろうという努力が、結局あなたを出遅れさせたのだ。

赤信号の間、左右の車に翻弄されるかわりに、おとなしく待っていたほうが、どれだけ有意義に時間を過ごせたかもしれない。だが、時すでに遅しだ。

あなたは信号を出し抜いてやろうと躍起になっていたが、結局のところ、信号にしてやられたのだ。

これを魔の信号と呼ばずしてなんと呼ぼう。

苦い文学

安らかに眠れ

私のおじさんは生涯仕事につかなかった人で、いつもぶらぶらしているか、お酒を飲んでいるかのどちらかだった。

みんなおじさんのことを馬鹿にしていたが、こどもの頃の私にとってはそうではなかった。いつも面白いことや奇妙なことを言うので、大好きだったのだ。

あるとき、親戚のお葬式があった。私はおじさんと一緒に座っていたのだが、弔問客のひとりが棺の前で「あっちですきなお酒でも飲んでください」と言った時、おじさんがこっそりと苦々しげに舌打ちした。

気になった私はどうしてそんなことをしたのかと、尋ねた。すると、おじさんは「お葬式ではそんなことは言ってはいけないんだ。なぜなら、葬式にはあの世の住人たちがひそかにやってきて、人々の様子を監視し、その会話に耳を傾けているのだから」と言うのだった。

「でもなんで言ってはいけないの」と私。

「お葬式で『ゆっくり休んでください』とか『安らかに眠れ』とか言う人がいるけど、それは絶対にダメなんだ。あの世の住人ってのは、そもそもあまのじゃくなんだ。だからそんなことを言うと、あの世の住人たちは『ということは、この死者はあの世でもっとも忙しい部門に配属だな!』と勝手に決めちゃうんだ! これじゃあ、せっかくのあの世で休むことなんてとてもとても!」

「じゃあ、すきなお酒でも飲んでください、というのは?」

「これなんかもっとダメだ。『すきなお酒でも飲んでください』なんて、あの世の住人が聞いたら、『じゃあ、酒は取り上げてやれ』の一択だ! 死んでる間は一滴だって酒にありつけない」

「じゃあ、なんて言えばいいの」

「何にも言わないでいい、何にも。あの世の住人にヒントはいっさい与えるな!」

それから2年ほどして、おじさんも亡くなった。

葬式で、お棺の前に立った私は「おじさんがあの世に行って、こっちではみんなせいせいしてますよ」と、あの世の住人に聞こえるようにはっきりと言ってやった。

散文

日本語教育能力検定試験やよのさ(1)

 昨年、私は日本語教育能力検定試験を受けて合格した。

 私にとっては合格して当然の試験だ。

 なぜなら、私は日本語教師養成講座で教えていたこともあるからだ!

 「な、なのに合格してなかったのか……」と呆れる人もいるだろう。

 ならば、さらに呆れさせて進ぜよう。

 私はその日本語教師養成講座で、試験直前対策講座も担当していたこともあったのだ!

 「なんたる嘘つき、経歴詐称!」と義憤に駆られる方もいるかもしれない。しかし、日本語教師養成講座は、日本語教育能力検定試験の合格のみを目的としたものではないし、また、日本語のことなんか知らなくても教えられる分野もある。例えば、私が担当していた言語学分野だ。だが、それでも合格しているに越したことはない。

 現在の私は、日本語教師養成講座には関わりがないので、したがって日本語教育能力検定試験を受けようなどとは思わなかった。

 だが、去年の今頃のことだ、私の知り合いの何人かが日本語教育能力検定試験を受けようと決意した。それで勉強会を開くことになり、私に声がかかったのだ。一緒に受けませんか、と。

 私は迷った。試験勉強など面倒くさい、というか、試験時間が90分、30分、120分、合わせて4時間だ。きっと『ブラックジャック』のピノコのように試験中に倒れてしまう……もう試験の緊張に耐えられない体なのだ。

 断ろう、と思った瞬間、私の口から驚愕すべき言葉が飛び出した。

 「うけゆにきまってゆよのさ」

 そんなわけで、これからこの試験を受けようという人のために若干の経験を書き記しておこうと思うのである。

手塚治虫『ブラック・ジャック』「ハッスル・ピノコ」より