風刺・戯文

悪霊

最近、奇妙なことが起きている。こんなことを言ったら、もしかしたら、笑われるかもしれない。いや、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。だが、そいつは確かにいるのだ……

私がそいつの存在に気がついたのは、数週間ほど前のことだ。その頃から、私は外に出ると、奇妙な感覚にとらわれるようになった。初めは気のせいかと思った。だが、その感覚は一向に消え去ることなく、私を苦しめるまでになった。

私は鼻水、くしゃみ、目のかゆみに襲われるようになったのだ。口の中もものすごくかゆい。耳の奥までもかゆい。はじめは風邪かと思った。だが、熱もないし、咳も出ない。いったいこれはどういう現象なのだろうか。

この数週間の間に、私はあることに気がついた。私の苦しみは、外にいるときがもっともひどく、家の中ではそれほど強くはないということだ。これはいったい何を意味するのだろうか? おそらく、私を苦しめるその存在、そいつは私の家の中にまでその邪悪な力を及ぼすことはできないのだ。その悪霊は外にいて、私をつけ狙い、待ち構えている。私はもう外に出ないことに決めた。

しかし、それからしばらく経って、恐ろしいことがあった。家に閉じ籠る私を心配した家族が家にやってきたのだ。家族が家に入ったとたん、私はくしゃみに苦しみだした。間違いない。悪霊は家族を利用して、私の家に入り込んできたのだ! なんと狡猾な存在だろうか……。もしかしたら、家族とグルになっているのでは、そんなことすらあやしみだした私は、家族を追い出し、扉を閉ざした。

そして、昨日のことだ。私が信用する唯一の友人から、封筒が届いた。封を開くと、マスクと太い縁のメガネが入っている。同封されていたメモにこんなことが書かれていた。

「このマスクとこのメガネをつけて外出すれば、君を付け狙っている汚らわしい悪霊は、君のことを別人だと思って、手出ししなくなるだろう」

友人の言葉通りにし、さらに念のため髪型も変えて、外出してみた。今のところ、悪霊を欺くことに成功している。

苦い文学

今日は行けません【盗難の証明(6)】

気まずい思いをしながら、私は警察署内のベンチで待った。すると、さっきの警察が声をかけてきた。「30分後に戻ってこい」

私は外に出た。時間は7時45分だ。ラマダーン中なのでどこの喫茶店も開いていない。ハビブ・ブルギバ通りに出ると、中央の歩道に据えてあるベンチがあった。そこに座って、寒いなか待つことにする。

しかし、盗難証明書が出るまでどれくらいかかるのか。日本で紛失届をいくどか出したことがあるが、たいして時間はかからなかった。盗難届は日本でもそんなにすぐには終わらないだろうが、チュニジアではもっとかかりそうだ。だが、さっき警察署を見たかぎり、朝から人が詰めかけて列を作っているようではなかった。案外、すぐに終わるかもしれない。

私はその日の午前9時に人と会う約束があった。そこで、ベンチに座っている間に「10時に会うことにしたいのですが」とメッセージを送っておいた。

8時20分になった。私は再び警察署に行った。すると、今度は白いジャンパー姿の若い警察官が対応してくれた。事情を話すと、「なるほど。わかった。心配するな。1時間後に来い」

警察署を出た私は「すみません。今日は行けません」とメッセージを送った。

苦い文学

あの世の酒

「酒をやめるか、飲んで死ぬか」と脅されていた友人が死んだ。酒をやめられなかったのだ。

だが、死亡と診断されてから、1日後に息を吹き返した。そして、あの世で見た事柄について語ったのち、今度は本当に死んだのだった。

彼の言葉により、私たちはわずかながら死後の世界について知ることができた。彼が語ったことはおおよそ次のような事柄である。

・天国では親しい人々が出迎えてくれる。
・新人歓迎の酒盛りが始まる。
・手に持った盃に酒が次から次へと注がれる。それを必ず飲み干さなくてはならない。なぜなら、自分はこの天国ではいちばんの若輩者であり、先に死んだ先輩からの酒を断ることはできないからだ。
・そして、先輩たちは無限にいるのだ。
・注がれる酒は本当の酒だ。「天国のお酒も酔っ払うんですね」というと、「酔わないとしたらなんで飲むのか」と怒られてさらに飲まされる。アルハラがひどい。
・周りは酔っ払いばかり。というか、全員が酔っ払っている。
・酒は、ビールやサワー、ウィスキーはなく、まずい清酒のみ。その理由を聞くと「安い酒でも天国ではバカ高いのだ。富士山のジュースが高いのと同じだ。高い酒が飲みたければ、生前、善行をたっぷりしとくんだったな」と嘲笑。
・天国なので体を壊して死ぬこともできない。自分は永遠にこのまずい酒を飲み続けるのだということがわかってくる。

これらの事柄を語ったのち、彼は、私たちの目の前で再び息絶えた。恐怖と苦悶に満ちたその顔つきにはゾッとさせられた。

その後、私たちはいつものくせで「あの世で、先に逝った仲間たちとゆっくり酒を酌み交わしてください」と言ってしまった。たぶん悪いのはこれだ。

苦い文学

マージナル

「レアなものはたくさんあるものよりも価値が高い。トレーディングカードでも、食材でも、金属でも、なんでもそうだ。だが、人間に当てはめると不思議とそうではなくなってしまう。たとえば、不法滞在者はそうじゃない人々に比べてはるかに数が少ないが、だれもこれらの人々を価値があるとは思っていない。むしろ侮蔑と嫌悪の対象として、日本社会のはじっこに追いやっている。

「だが、見方を変えれば、不法滞在者はむしろ日本の中心なのだ。なぜなら、不法滞在者は日本社会の歪みについて我々に直に教えてくれるからだ。これは多数派には絶対にできないことだ。

「不法滞在者の例を挙げたが、実はなんでもそうなのだ。この社会からのけものにされ、批判されるばかりの人々、ホームレスでも、回転寿司で迷惑行為をした若者でもなんでも、これらの人々は我々の社会についてより重要なことを教えてくれるという意味で、はじっこどころか、社会の中心にいるのだ。

「そうなのだ。はしと思えたものが、実は真ん中なのであり、真ん中と見えたものが、実ははしに過ぎなかったのだ。

「そこでもう一度問おう。お前はいったい、それで問題が解決したとでも思っているのかね」

と、桔梗屋は、橋の真ん中を渡ったばかりの一休さんに負け惜しみを言いました。

苦い文学

帰国者の運命

私が身元保証人をしたあるビルマ難民の話だ。

10年以上前のことだが、彼は入管に収容されていて、痔で苦しんでいた。あるとき、あまりの苦痛に便所でキレたらしい(痔のほうではなく)。

そうしたら入管の職員から「仮放免申請したら必ず許可が出るから早くしなさい」と言われたそうだ。

通院が必要とされるようなひどい病気は、しばしば仮放免の理由となる(これは被収容者の健康を考えてというわけではない。入管の中で死なれては困るからだ)。

それで、私のところに仮放免申請のために身元保証人をしてくれないかという話が来たのだった。私は仮放免許可申請を行った。何度申請しても出ないこともあるが、一発で出た。

彼は真面目な人で、私は非常に信頼していた。彼の難民申請の理由も聞いたが、十分に難民性の高いものに思われた。だが、日本政府はそうは思わなかったようだ。いく度目かの申請ののち、彼は諦めて帰国することにした。もう50代になる彼は、戦う気力を失ったのだった。

そして、彼が帰国して4ヶ月ほど経った後、ビルマで軍事クーデターが起きた。

もしあと数ヶ月彼が持ち堪えていたら、その運命は違うものだったろうと思って私はとても残念な気持ちになった。

だが、さらに数ヶ月後、彼が自分の結婚式の写真を送ってきたので、私は考えをやや修正した。

散文

ヒエロニムス

 入国管理局に収容された外国人は、仮放免申請が許可されると、指定された保証金を払って釈放されることになる。保証金の額は通常は30万から50万程度だが、これより高い場合もあれば安い場合もある。

 仮放免の「仮」というのは、本来ならば収容すべきだが、いろいろな事情から一時的に外に出しますよ、という意味で、扱いとしては被収容者だ。だから、就労や移動などの点で制限がある。就労は通常は禁じられている。移動の制限とは、許可なく管轄区域から出てはいけないというもので、例えば、東京の住所を持つ仮放免者であれば、なにかの用事で東京の外に出る場合には、あらかじめ品川の入管に行って許可を得ておく必要がある(理由や行程を記した申請書を提出しなくてはならない)。

 保証金はこれらの条件に従わなかった場合、たいていは不法就労で捕まった場合だが、没収される。今「没収」と書いたが、実は「没取」だ。この両者には違いがあり、私はこれに気がつかず、長い間「没収、没収」と言ってた。刑罰として金品を取り上げられる場合は「没収」、保証金などが条件違反により返還されない場合は「没取」というのだそうだ。

 もっとも、この間違えはよくある。例えば、カルロス・ゴーンが逃げて、15億円の保釈金が「没収」されたなどとしばしば報じられている。これも正確には「没取」であろう。

 この度、私のもとに入管から送られてきた「保証金没取通知書」は、私が長い間、保証人をしていた仮放免者についてのものだ。難民認定申請中である彼は何らかの理由により仮放免を取り消され、入管に収容されたのだ。その理由については、彼から連絡がないのでわからないが、その理由により、保証金30万円のうちの「一部金90,000円」が没取されたというわけである。

 「ヒエロニムス」と題されたこの小文をここまで読んで、みなさんの中には不審の念に駆られる方もいるのではないだろうか。どうだ9万円を奪われた男のこの淡々とした書きぶりは!、と。 いやはや9万円をみすみす失ったというのに「没収」と「没取」の違いに気を取られているとは! いったいこの作者は底抜けの金持ちなのか、それとも、底抜けの馬鹿なのか? 中には、こんな想像をする方もいるかもしれない。いや、こいつめは、保証金を取り返す裏の手口を知っているのだ! なんたる食わせ者だ!

 だが、いずれも当を得ていない。9万円の「保証金没取通知書」を受け取った私が淡々としていられる理由(まるで本のタイトルのようだが)、それは簡単だ。これが他人の金だからである。保証金を準備したのは仮放免者側で、身元保証人としての手続きを私がしたのである(保証金の出所に関しては規定はない)。

 もし、私の金だったら。

 いや、こんな文を書いてる暇なんてない。すぐさま入管に駆けつけて、収容されたばかりのその男を引きずり出して、全額残らず支払うまで、私の家の押し入れに収容することだろう。