風刺・戯文

海外のニュース

国内のニュースで悲惨な出来事、たとえば幼い子どもが犠牲になった犯罪や事故のニュースを見ると、私たちは心を痛め、悲しい気持ちになる。それどころか、いてもたってもいられなくなり、激しい怒りを感じる。そして、ときには私たちの怒りの矛先は、事態をそこまで放置していた地方行政や、政府に対して向かう。

ところが、海外のニュースは違う。子どもたちが犠牲になっても国内のニュースほどには心は動かない。アメリカでどんな衝撃的な銃撃事件が起きても、もう飽き飽きしてあまりピンとこない。ウクライナでたくさんの子どもたちがロシアに誘拐されても、ガザでたくさんの人々が飢えに苦しんでいても、遠い出来事なのでけっこう平気でいられる。

私たち日本人のこうした性質に配慮したせいか、最近では海外のニュースにこんなものまで入れられるようになった。

「日本に逃げてきた難民が直面する差別」
「日本生まれの子どもが日本語しか話せないのに強制送還」

私たちはこんなニュースを見ても、ちっとも悲しかない。なぜなら遠い海外のニュースだからだ。そのうち、日本で外国人が殺されたり、日本で外国人を標的にしたテロが起きたりしても、海外ニュース扱いになるだろう。

いや、日本が外国と戦争しても、海外ニュースになるだろう。そのとききっと、国内ニュースは楽しいことばかりにちがいない。

苦い文学

自己肯定感と守護霊

自己肯定感と守護霊は似ている。

というのも、どちらも人生の成功、幸福、安らぎに大きな役割を果たすと言われているから。逆に言えば、惨めな人生を送っている人は自己肯定感が低く、また守護霊も応援していないと考えられている。

まだ似ているところがある。それは、どちらも本当にあるのかどうかわからないという点だ。いや、自己肯定感をバカにするな、ちゃんとした心理学の概念だ、という人もいるかもしれない。私は心理学はよくわからないが、多分、その存在に関する科学的根拠はなさそうだ。そして、守護霊の存在に科学的根拠がないのはもちろんだ。どちらも幻みたいなのだ。

それに、私たちは普段生きているとき、自己肯定感も守護霊もあまり気にしない。いや、ないようなつもりで生きている。なにか困ったとき、つらいとき、苦しいときだけ、その説明原理としてどちらも現れる。楽しいとき・好調なときに「俺は自己肯定感が高いから気分いいな」とか、「これは守護霊のおかげだ、ありがたや」などと考える人はいない。

もしかしたら、どちらも生きる上では不要なのではないだろうか。なんだか、ますます幻のような気がしてくる。

そして、もっとも似ているのは、それで金儲けする人、つけこむ奴らがいる点だ。私たちはこうしたペテン師たちに喜んで大金を支払うのだ。

こうしてみると、むしろ、自己肯定感も守護霊も、私たちを苦しめるためにでっち上げられたマヤカシだというのがふさわしい。

音楽

名曲考察「傘がない」

今日、取り上げるのは「傘がない」。言わずと知れた井上陽水さんの名曲です。では、この曲がどうして名曲と言われるのでしょうか。

初めにバックグラウンドを少々お話ししますと、この曲は井上陽水さんの2枚目のシングルで、1972年7月にリリースされました。「政治問題など関係ない。自分にとっては、雨のなか傘がなくて恋人に会いにいけないというのが問題なのだ」という内容が話題になりました。そんなことから、学生運動が盛んであったいわゆる「政治の季節」以後の、新しい若者像を描いた名曲だと評価されています。

ですが、私はそうした見解にちょっと異議あり、なんですね。まずは歌詞をご覧ください。

  都会では自殺する若者が増えている
  今朝来た新聞の片隅に書いていた
  だけども問題は今日の雨 傘がない

たしかに「自殺の問題よりも傘のほうが大事」と読めます。ですが、これは詩です、歌です。文として読んではいけないのです。全体的にイメージとして捉えるということが重要になってきます。では、どんなイメージが浮かび上がってくるでしょうか。

そうです。「傘がないと自殺する」というイメージです。

では、サビの部分を見てみましょう。これは次のようなものです。

  行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
  君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
  冷たい雨が 今日は心に浸みる
  君のこと以外は 考えられなくなる
  それはいい事だろ?

この部分は従来「恋人(君)に逢いたいのに傘がなくて困っている」と解釈されてきましたが、どうでしょうか。わたしはずばり「君」とは「傘」のことだと思います。

「傘がない」という人が真っ先にすることはなんでしょうか? 傘を探すことに決まっています。それを「君に逢いに行かなくちゃ」と擬人化し、「もう傘のこと以外考えられなくなっている、それはいい事だろ?」と歌っているのです。

なぜ「いい事」なのでしょうか? 雨が降っているからでしょうか?

いいえ、傘は私たちの魂だからです。歌の冒頭で、傘のないことが自殺に関連づけられていたのは、これを詩的に暗示するためだったのです。「傘がない」が名曲なのは、魂を見失いがちな現代人の傘を見事に描ききったからなのです。

「傘がない」における傘の不在という問題は、のちにもうひとつの名曲「夢の中へ」での「探し求められる傘」として発展的に取り扱われることとなります。ですが、これについてはまた稿を改めて、論じさせていただきたいと思います。

苦い文学

怒りの訴え

俺たちはもう疲れた。なぜなら、俺たちのやってきたことはなにひとつ感謝も評価もされないからだ。

それどころか、お前たちは俺たちがまるで存在しないかのようにふるまっている。俺たちがいなければ、お前たちはとっくに全滅していたというのにだ。なんという恩知らずどもであろうか。

コロナ禍が始まって以来、俺たちはお前たちがしきり感謝をするのを見せつけられてきた。医者に、看護師に、医療関係者に、医学研究者に、免疫学者に、ワクチン会社に、防疫担当者に、保健所に、行政に、そして、マスクの製造会社に。確かにこれらの人々の働きは重要だ。

だが、お前たちはまったく気がついていないのだ。俺たちの働きに、貢献に、苦労に、痛みに! コロナ禍以来、黙々と耐えながら働いてきた俺たちを不当にも無視し続けているのだ。

俺たちはもう管が煮えくりかえる思いなのだ。

あまりの怒りに、俺たちは、コロナを防ぐために日々努力し続けるお前たちよりも、反ワクチンの愚かな陰謀論者どものほうが好ましく見えてきたほどだ!

なにしろ、連中ときたら、俺たちに借りもないかわりに、俺たちにいかなる労苦も押しつけてこないからだ。

そうだ、俺たちはもうお前たちのために働くことを拒否する。お前たちの命など知ったことか! お前たちの目の横から姿を消してやる。そうなれば、どんなことが起きるかわかるだろう。一切のマスクが無用の長物となるのだ。コロナが再び蔓延し、バタバタとお前たちは死んでいくだろう!

さあ、それがイヤなら、いますぐ俺たちに最大の感謝を捧げるのだ、ときどきマッサージするのだ……

……と、耳が怒っていた。

苦い文学

来世の誓い

告白と聞くと、男女の愛の告白ではなく、死の間際の罪の告白が想起されるような、そうした年齢に私はなった。そして、そのような年齢になってみればもはやどうでもよいように思えるが、我々にとってモテないことが苦しみであった時代がかつてあった。

我々というのは、私と友人のIのことだ。我々はモテるためにあらゆることを試みたが、それが成果をもたらしたことはなかった。

ある日、Iが言った。「俺たちがモテないのは、前世でモテすぎたためではないだろうか」

「なるほど」と私。「ということは?」

彼は目を輝かせて言った。「今生でモテない我らは」

私「来世できっと」

二人声を合わせて「あ、モテるはず」

かくて我々は、来世でのモテを目指して今生の非モテを追求することを誓い合った。だが、その誓いも、交通事故によるIの急死によって、永遠に失われてしまった。

Iがこの世を去ってからすでに三十年が経とうとしている。街角には美しく若い男たちが溢れ、テレビでは美男子たちが生き生きと輝いている。無駄と知りつつも私は、そこに彼の面影を探さずにはいられないのだ。