小説

オッパ・チャレンジ(1)

韓国語の「オッパ」というのは、「お兄さん」という意味だが、日本語と違って、女性が実兄や年上の男性を呼ぶときだけに使われる。男性には別の単語で「ヒョン(お兄さん)」がある。ちなみに女性が年上の女性を呼ぶときは「オンニ」、男性が年上の女性を呼ぶときは「ヌナ」という。

「オッパ」は、もっとも有名な韓国語のひとつだ。韓国ドラマでは、年上の恋人への呼びかけに頻出するからだ。ただの親族呼称にすぎないが、ドラマでしか「オッパ」に触れないでいると、そこに必要以上にロマンチックな響きを感じてしまう。

韓ドラ愛好家の私の友人も、この「オッパ」にすっかり心奪われてしまった。50 代半ばの彼は、「自分も韓国の女性にオッパと呼ばれたい」との野望に取り憑かれ、猛勉強の末に韓国語を身につけ、ひとり渡韓したのだった。

「妻子ある身にもかかわらずなんて無茶を」と呆れた私は、出発前にその意図をただした。すると「オッパと呼ばれるためだけに、恋人関係を利用するなどという卑劣な真似はしないから、安心したまえ」と彼は真剣な顔で告げた。

苦い文学

新しいホテルで【盗難の証明(2)】

チュニス滞在のさいの定宿であった Grand Hotel de France が閉鎖中だったので、私はとりあえずその日の宿を探す必要に迫られた。

そこで、少し離れたところにある Hotel Carlton に行った。このホテルは、チュニスの大通り、ブルギバ通り沿いにあって、ロケーションもいいが、200 ディナール(約1万円)と高めだ。

去年の夏、私は図らずもこのホテルで一週間過ごすことになった。初めは一泊だけの予約だったのだが、熱を出して動けなくなり、このホテルの一室でひとり苦しんだ。これはつらい思い出だが、このホテルでなければもっと悲惨な思いをしていたかもしれない。そういう意味では「恩」があるが、行ってみたら満室だった。

ブルギバ通り沿いにはたくさんホテルがあるが、安いホテルはそれほど多くはない。Hotel Carlton のすぐ隣にもうひとつホテルがあって、見た目はパッとしないが、安そうだった。行ってみると空室があるとのことで、そこに決めた。一泊 100 ディナール(約5千円)だ。

当初は、チュニスから南部に行く予定だったので、長くて3泊程度のつもりだったが、予定が変わって、結局、このホテルに11連泊することになった。そして、最後の夜に3万円と20ドルを盗まれた。

苦い文学

花束

医師たちによればもって数日ということだった。そんな状態にもかかわらず、老人の家族は誰ひとり来なかった。それも、彼がこれまでしてきたことを考えれば当然だった。

「看護婦さんよ」 私がやってくると老人は言った。彼は絶対に「看護師」とは言わなかった。たとえ私が男でも。彼は人をいやな気持ちにさせることならなんでもした。「まだそいつは来やがるのか」

「ええ、今日も花束を持ってきました」 彼はいまいましげに叫んだ。「ちくしょう! なんだってんだ!」

この世のすべての人間からきらわれ、憎まれ、蔑まれて死にたい。それが彼の望みだった。そして、それにふさわしいあらゆる悪事を彼は成し遂げてきたのだった。だがいま、この「花束」がそのすべての業績を台無しにしようとしていた。彼は陰険な目つきで私に言った。

「それで、俺が言った通りにしただろうな」

「もちろん、目の前で花束を踏みにじり、罵倒しました。ですが、その人は明日もまたくると言っていました」

「そいつをぶっ殺してやってもよかったのだ! よし、明日来たら、そいつを死ぬほど酷い目に合わせてくれ!」

その日の夜、老人の病状は急に悪化し、昏睡状態に陥った。彼がわずかなあいだ意識を回復したのは、翌日の昼頃だった。よく言われることだが、まるで炎が消える寸前に一瞬強く輝くのと同じだった。

老人は私がいるのを見ると弱々しい声で尋ねた。「そいつは……また来たのか……」

私は彼が聞き取れるよう大きな声で言った。「ええ、来ましたよ! 花束を持って、あなたを愛していると!」

これを聞くと老人の目にちらりと怒りが浮かんだ。だがたちまち、その目はにわかに温和になり、唇に笑みが漂った。

「花束か……悪くない」

それが老人の最後の言葉だった。

この世でもっともきらわれ憎まれ蔑まれている男に、花束を持ってくる人間などいようはずもない。老人の人生をかけた望みの実現をまんまと阻止したことに満足しながら、私は遺体の処置に取りかかった。

苦い文学

脱毛の起源について

男でも女でも、服で隠している部分が肝心だ。そこが情欲を掻きたてるのだ。

だが、昔、つまり猿以上人類未満のころは逆だった。隠されていない部分のほうに興奮していたのだ。

そのころの私たちはといえば毛むくじゃらだった。つまりすべて隠されていて、私たちはそれで満足していたのだ。だが、あるとき、体の一部、たとえば肩の部分に毛のない個体が出現した。

私たちの興奮といったらない。毛があるところに毛がない! もうアフリカじゅう噂で持ちきりだ。毛のない個体をモノにしようとみんなやってきて、最終的に何人が交尾に成功することとなる(当時は結婚なんてなかった)。

すると、肩の部分に毛のない遺伝子を受け継いだ子が生まれる。またみんな興奮だ。結果、肩に毛のないのが増える。やがて、数千年後にはそれが当たり前になってしまう。もう誰もそそられない。

そんなときだ、今度はほっぺに毛のない個体が出現する。

私たちはもうその部分に釘付け、大興奮だ。その結果、今度は肩に加えてほっぺに毛がない変種が増えることになる。

こんなふうにして私たちは、つまり、肩、ほっぺ、その次は背中、腕、腿、とだんだんと毛むくじゃらを脱していく。やがてついに、必要最低限な部分以外は無毛の個体が登場することとなる。

はじめは熱狂と興奮だ。大歓声も上がってる。だが、数十世代後には無毛すら当たり前になる。となると、もう無関心もいいとこだ。ピクリともしない。あんまりご無沙汰すぎて交尾の仕方も忘れてしまう。このままでは人類が滅びる……人類の危機だ。

そのときだ、一陣の風が吹いて、葉っぱが私たちの隠部を覆った。なんだ? 私たちは顔を見合わせ、互いの隠された部分を見る。おお、このとき生じた情欲のほむらは、人類最初の火の使用といってもいいだろう。

「脱毛」から「隠す」へ。人類最大の転換がまさに生じたのだ。そして、このとき以来、私たちは服というものを着るようになった。

ときどきインドかどこかで全身毛だらけの人が見つかると、私たちは先祖返りだと物知り顔にいう。しかし、それをいうなら、現代の私たちが年じゅう脱毛のことを考え、電車内の広告を興味深く眺め、エステ通いに精を出すのも、体毛が抜けるたびに興奮していた時代のノスタルジアでなくてなんだろうか。

苦い文学

かじりたい人びと

「僕は不思議に思っていたのです」と青年は語った。

「昨年から今年にかけて2回オリンピックが開催されましたが、大会の前にアスリートたちが意気込みを語る場面がありますよね。もちろん、誰もがメダル、とくに金メダルを目指して競技に挑むのですが、少なからぬアスリートが金メダルのことを『一番いい色のメダル』と婉曲的に語るのです。どうしてはっきり言わないのだろう、って。不思議に思いませんか?」

「謙遜で言ってるのかもしれませんね」と私。

「ええ、僕もはじめはそう思いました。でも、『一番いい色のメダル』とは、もう金メダル以外ないのですから、謙遜とはいえないでしょう。むしろ、そんなふうに言い換えること自体、いやらしいように思えたのです」

「そうでしょうか」

「そこに、名古屋市長のあの『金メダルかじり』事件です。あれですべてがはっきりしました」

「といいますと」

「ちょうど性器を『アソコ』とか、性行為を『エッチ』とかいうのと同じなのです。つまり、ある種の人びとにとっては『金メダル』とは実に卑猥な言葉であり、だからこそ『一番いい色のメダル』などと言い換えざるをえないのです」

「なるほど、とすると、河村先生がセクハラだと批判されたのも……」

「まさにそうです、彼は若い女性の大切な『アレ』をパクリと口に含んだのですから。しかも公衆の面前で!」

「ははあ、面白い解釈ですね……。で、今日はどう言ったご用件で私のところに?」

「実は、マーケティングの結果、メダルをかじりたがっている人が意外に多いとわかりまして、いろいろな著名アスリートのメダルをかじれるバーを名古屋市内に開店しようかと考えています。それで、ぜひ投資していただければと……いえ、風俗店ではないのでして……」