風刺・戯文

友人の旅立ち

世界中の人たちが今、どこに旅行に行きたいかといえば、それは日本なんだ、と私の友人はいう。

彼によれば、日本は治安もいいし、道にはゴミひとつ落ちていないんだそうだ。しかも日本人は礼儀正しくて、民度が高いから、不快な目にあうことなんか絶対にない、と彼は言い張る。

「もちろん、そればかりじゃない」と彼は熱弁する。「魅力的な観光地と、安くておいしい食べ物でいっぱいだ。だから、観光客たちは、すっかりこの国のトリコになってしまうんだ。帰国したくなくて、日本ロスなどという言葉までできたくらいさ」 日本のこととなると友人はもう夢中なのだ。

そんな友人がこのたび、念願の日本旅行に出発することになった。憧れの日本に行くために、何年もコツコツとお金を貯めてきたのだ。向こうに知り合いがいて、空港の送り迎えからガイドまでやってくれるのだそうだ。

正直いって私はうらやましい。私たちの日常は残酷なほど苦しいものだから。満員電車では窒息寸前だし、菓子パン中心の食事では元気も思いやりも生まれない。疲労と恨みばかりが沈澱していく場所だ。

「でも日本は違う。日本人は違うんだ」 うわずった声で繰り返す彼に、私はただ無言でうなずくほかなかった。

出発の日、見送りに同行した私が「くれぐれも日本ロスには気をつけてね」とふざけると、友人はうれしそうに笑った。そして、赤いパスポートを握った手を振り、軽やかな足取りで、成田空港の出国ゲートの行列の中に消えていった。

明日の今頃には、今度は成田空港の到着ロビーで私は待っていることだろう。ついに憧れの国にやってきた友人を、日本人として出迎えるために。

風刺・戯文

マスクの美人

コロナ禍という閉塞的な状況がそうさせたのかもしれない。私は妻子ある身でありながら、他の女性に恋をしてしまった。

その女性は、朝いつも同じ車両に乗る。いや、恥を忍んでいってしまおう。私はわざわざその人に合わせて、電車に乗っていたのだ。

その頃はといえば、私たちは不便なマスク暮らしだった。だが、その人のマスクに隠されない部分、つまり、美しい鼻筋や、感情を掻き立てる目、そして、知性的な額を見るだけで、私の心は躍った。

ときおり、駅ビルや駅前のショッピングセンターで、彼女の姿を見かけることもあった。私は思わず立ち止まり、その美しい姿を目で追わずにはいられなかった。

だが、思いもよらない事態が生じた。コロナが収束したのだ。人々はもはやマスクをつけて歩かなくなった。そして、その時以来、私は彼女を見失ってしまった。

私はいつもの電車に乗る。あの人がいつもいたあたりで、ひとりひとり女性の顔をこっそり覗き込む。だが、彼女はもういないのだ。

私は彼女のいた時間帯、いそうな時刻に駅や街をさまよい歩いた。人々の中に彼女の面影を追い求めた。思い詰めた私は、片目をつぶり、片手をかざして自分の視界を覆った。そうやって道ゆく女性の顔の下半分を隠してみたのだ……違う、違う、違う、これも違う……不審者あらわるとの通報に駆けつけた警察の顔も思わず半分隠して、これも違う……。

そんな苦難を経た私に、ついに朗報が飛び込んできた。最近、中国でまたおかしな病気が流行ってるという。おお、ニュー・パンデミックよ、来たれ! 私はきっと彼女と再会できるだろう。

苦い文学

犬の首風雲録

犬は人間だろうか。最近、そんなふうに思わされる出来事が多い。この間など、犬を「ひとり、ふたり」と数えていている人がいた。「匹」ではないのだ。その人に「エサあげたか」と聞いたら怒られた。「ご飯」なのだそうだ。

また、痛ましい飛行機事故をきっかけに「犬は貨物ではない。飼い主と同乗できるようにしてほしい。そうすれば事故のときに一緒に逃げられるから」という人々も現れた。こうした発言は「いや、犬は手荷物なので一緒には逃げられない」「アレルギーの人はどうするのだ」などと大いに炎上した。それはさておいても、犬を人間あつかいする人が確実にいるのだ。

さらに、今日、韓国では犬食禁止令が出された。犬を食べることは、もはやカニバリズムとみなされるようになったのだ。これも犬の人間あつかいだ。

いや、これを人間あつかいと呼ぶべきだろうか。むしろ、より正しくは、犬が人間の方向へと進化を始めている、というべきではないだろうか。

太古の昔、犬は狼だった。それが人間との接触によって犬となったのだ。ならば、さらに犬から人間へと進化してもおかしくはない。

いつの日か、犬は犬であることを脱し、人間となるだろう。そして、犬たちは堂々と機内に乗り込むだろう。「フィッシュ・オア・ミート?」との問いかけに、自分が食べられていたことも忘れて「ミート」と答える時代が来るだろう。

そのとき、貨物室にいるのはもしかしたら、あなたのような人間たちかもしれない。

苦い文学

左右

異次元政治の効果だろうか、最近、街で物乞いを見かけることが増えた。だが、昔の物乞いと違って「右や左の旦那様」という口上が聞かれないのはやはり寂しい。

しかし、その事情も理解できる。今や「旦那様」などと呼びかける時代ではないのだ。現在の日本社会は平等な社会であるから、金持ちであろうと物乞いであろうと貴賎の区別はない。ただ自己責任があるだけだ。

また、今や女性の社会進出も進み、路上もジェンダー・センシティブになった。そんなところで「旦那様」を連呼すれば、たちまち性差別的だと炎上間違いなしだ。そもそも、女性を排除してわざわざ収益を半分に減らす理由もなかろう。

かくも問題の多い「旦那様」に代わって私が提案したいのは「サポーター様」だ。インクルーシブでジェンダーフリーな時代にふさわしい呼びかけではないか。

また、「右や左の」というフレーズもいまや古びて聞こえるかもしれない。だが、この言葉こそ実は現代社会においてワン・アンド・オンリーの価値を持っているのだ。

というのも、この言葉には、右翼も左翼も協力して豊かな日本を創ろうではないかというメッセージが込められているからだ。分断の進む我が社会においては、こうした和解と調和を勧めるポジティブな言葉こそ、人々の心に響くのだ。

アメリカの状況を見ても分かるように、この社会の分断は猶予のならない喫緊の課題だ。「慌てる乞食は貰いが少ない」などというが、ことこれに限っては大いに慌てた取り組みを期待したい。

苦い文学

かわいそうに

都内の居酒屋で、ある若者がアルバイトをしていた。その店には外国人の娘もアルバイトで働いていた。東南アジアのどこかの国の人で、日本に出稼ぎに来ているようだった。

あるとき、その娘が揚げ場の油を手に引っかけてやけどをした。店の社長は治療費は出したが、彼女は何日も休まねばならず、収入はひどく減ってしまった。

若者はその娘と仲が良かったので「かわいそうに」と同情したら、「全然」という返事が返ってきた。「入管にいる人のほうがかわいそうだよ」

若者は「この子よりかわいそうな人がいるのなら会いにいってみよう」と考えた。

入管にいる人とは収容されている人のことだった。若者は娘からその人の名前を教えてもらうと、入管に面会に行った。

面会室で待っていると、年配の男が現れた。彼は入管に3年間も収容されているというのだった。若者は、これはかわいそうだ、と思い、そのことを彼に告げると、こんな返事が返ってきた。

「難民キャンプにいる人のほうがもっとかわいそうだよ」

若者は「この人よりかわいそうな人がいるのなら会わねばなるまい」と考えた。

彼はアルバイトの収入で航空券を買って、異国にある難民キャンプに行った。そこには、あの娘と同じ民族の人々が狭い場所に小屋を建てて暮らしていた。みな、政府軍の攻撃から逃げて隣国との国境にやってきたのだった。若者は、これはかわいそうだぞ、と思った。

さっそく難民キャンプのリーダーにそのことを告げると、こんな返事が返ってきた。

「難民キャンプに来られず、国境のジャングルで逃げ暮らしている村人のほうがもっとかわいそうだよ」

若者は「これらの人々よりかわいそうな人がいるのなら会わねばなるまい」と考えた。

そこで、そのリーダーに頼んで、国境のジャングルに連れていってもらうことにした。

ジャングルの旅は危険極まりなかった。都会育ちの若者は疲労困憊し、やがて熱病に冒された。無理を押して進んだが、ついに力尽き、意識を失った。人々は懸命に手当てをしたが、ジャングルのただ中ではできることはほとんどなかった。若者はもはや息をするのをやめていた。

人々は彼を日当たりのよい丘に葬った。そしてだれもが「かわいそうに」と泣いた。