旅・観察

チュニジアのベルベル語(1)

ベルベル語は北アフリカを中心にサハラ砂漠に広がる地域で話されている言語グループだ。使用領域が広大で、交流も限定的なため、各地のベルベル語は独自の発展を遂げてきた。なので、ひとつの言語というよりも、ゆるやかにつながる大きな言語グループといったほうがいい。

もともと北アフリカはベルベル語話者の地域であった。とはいえ、地中海沿岸はフェニキア、ギリシア、ローマと古くから文明が発達した地域だったから、ベルベル人たちはさまざまな民族からの影響を強く受けてきた。

「ベルベル語」というのも、ギリシア語の「バルバロイ」に由来するという。この語は「言葉のわからない野蛮人」のような意味があるため、各地のベルベル人たちはそれぞれもっとふさわしい名称を使用している。

ベルベル人の社会を大きく変えることになったのは、7 世紀のアラブ人の到来と、それにともなうイスラームの受容だ。アラビア語話者であるアラブ人が北アフリカに定住するようになり、アラビア語の使用も広がっていった。アラビア語は、ベルベル語に比べて宗教的にも、文化的にも、経済的にも優位であったから、各地のベルベル人もアラビア語を話すようになり、ベルベル語は徐々に使用領域を減らしていった。

この過程は現在も進行中であるが、さいわいにもモロッコやアルジェリアではまだ大きなベルベル語社会が存続している。また、この 2 つの国ではベルベル語の地位の向上も進み、それぞれのベルベル語が活発に使用されるようになっている。

もっとも、アラブ化が進んだ結果、すでに消滅したベルベル語も多い。また今現在でも、話者数が減少しているベルベル語使用地域もある。そうした地域のひとつが、チュニジアの南部だ。

(写真はチュニジア南部の都市、ガベスの日の出)

苦い文学

除去の訴え

私も無職で、今なお就職できずにいるが、同じような境遇の友人がいた。私たちは互いに励まし合い、せっせと無駄に就職の書類を送っていたのだが、あるとき、彼が私にこう打ち明けたのだった。

「就職できないのは、実は刺青があるからなんだ……」

私は驚いた。おとなしい彼に刺青が入っているなど想像もできなかったからだ。「え、それは……」と絶句していると彼はいった。

「いや、ないよ、刺青なんか」

「なんだよ。びっくりさせるなよ!」 私は笑ったが、彼は真面目な顔つきでこういった。

「けど、そうじゃなきゃ、どこに行っても拒絶されることの説明がつかないよ……だからさ、もしかしたら、と思ったんだ」

私には彼の苦しみが痛いほどわかった。できるだけ励みなるようなことを言おうと頑張ったが、彼はどことなく上の空で聞いているようだった。

それからしばらくして、彼が、近所のクリニックに押しかけて、大騒ぎを起こしたと聞いた。刺青を除去してくれと、しきりに訴えたのだ。もちろん、彼には刺青などないのだから、消すことなどできない。それでも、消してくれと言い張って動かないので、ついには警察を呼ぶまでになったという。

なんとなくだが、彼が何を消そうとしていたか、私にはわかるような気がする。

苦い文学

日本のジーリー

イギリスのSF作家、スティーブン・バクスターは一千万年にもおよぶ宇宙史で知られる。その壮大なクロニクルで、もっとも興味深い存在がジーリーという宇宙生命だ。

ジーリーの文明は人類よりもはるかに進んでいて、銀河を動かすことなどお茶の子さいさいだ。

万能無敵かと思えたジーリーだったが、恐ろしい敵に直面もしていた。宇宙を衰えさせる力が増大しつつあったのだ。宇宙が衰え、滅びるということはジーリーが滅亡するということを意味する。そこでジーリーはこの勢力と激しく戦った。だが、結局のところ負けてしまう。ジーリーができることはといえば、もはやひとつしかなかった。

この宇宙から逃走して、別の宇宙に移住することだ。

この目的のためにジーリーは宇宙ひもでできた巨大なリングの建設を始めた。千光年にもおよぶこのリングの中央部にはブラックホールがあり、これを使ってこの宇宙から脱出しようというのである。

私はジーリーのこの物語を読んだとき、なにかに似てるな、と思った。リング……逃げる……なんだろう。

しばらく考えたのち、大阪で巨大なリングを建設して万博まで逃げ切ろうとしている日本維新の会だと思い当たった。

苦い文学

神の生成

画像や文章を生成したりする AI は、既存のイラスト・絵画や文章を学習し、新しい「作品」を作り出す。AI が学ぶこれらの素材は、すべて私たちが描いたり書いたりしたものだ。

それで、AI に勝手に自分の作品を学習に使われた、と損害賠償を求めるアーティストもいる。

この問題については私はわからないが、AI がこれからも進化し、その学習もさらに広範囲になっていくであろうことは想像に難くない。

いっぽう、私たち自身もますますコンピュータ・テクノロジーに依存していくことも疑いない。これは、つまり、私たちの存在のなんらかの痕跡がネット空間に残されるということだ。そして、テクノロジーが進化するにつれて、私たちは自分の存在の大部分をネットに保存するようになるかもしれない。

そのとき、AI は私たちの存在をも素材として学ぶだろう。それは、コンピューター上の仮想的な人格としてアウトプットされるのだ。

いつか、AI は無数の人間を素材として、完全無欠な存在を生み出すことだろう。その存在には、死せる私たちすべての経験と叡智が結集している。計り知れぬ知識と洞察力をもつ、全知全能の神がついに生成されたのだ。

課題のレポートで使用禁止なのはいうまでもない。

苦い文学

ワクチンは何のため

私はどういうわけかここ10年ほど、熱を出して寝込むことがほとんどなくなった。これがいいことなのかわからないが、人間誰でも布団で数日過ごしたい時もあるのも確かだ。

そんな私に願ってもない機会が訪れた。新型コロナウイルスのワクチンだ。

2回目を打ったのは昨年の9月で、私はその時、副反応で熱が上がり始めるや小躍りして喜んだのだった。しかし、実際のところそれからは辛かった。

だが、喉元過ぎればなんとやらで、3回目の時期がやってきた。私は発熱に備えて、ゼリーやプリンを買い込んだ。普段は食べられない甘いものを堂々と食べられるのがよいのだ。それに、熱が出るとみんなやさしくしてくれるから、ちょっとくらい余計なものを食べたって怒られやしない。

そしていよいよ3回目の接種を終えた。夜になると期待通りに私は発熱したが、これが非常に辛かった。私は長い間うなされ、ワクチンなど2度と打つまいと思った。いっそコロナにかかったほうがマシではなかろうか。3日後にようやく熱が下がった。

だが、その時には、私はプリンやゼリーはすべて食べていたし、布団の中でドラマや映画を満喫していたのだった。

たぶん私は懲りずに4回目のワクチンを打つことだろう。バカにつける薬が開発されないかぎり、何度でもワクチンを打ち続けることだろう。