散文

思いは実現する

今年の六月、チュニジアに滞在していたとき、私はホテルの部屋に鍵を忘れてしまい、入れなくなった。

こんな失敗をしたことは一度もなかった。私はフロントに行って鍵を開けてもらうことにしたのだが、それがきっかけであることに成功することになった。その内容については以前書いたので繰り返さない。だが、後になって思い返してみて、もしかしたら、自分は無意識のうちに鍵を忘れたのかもしれない、とも考え始めた。

そして昨日、私は喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、パソコンを開いていた。私の隣の席には若い男性が座り、その脇には大きなスーツケースがあった。

私はといえば、あることをやらねばいけなかったのだが、何週間も先延ばしにしていて苦しんでいた。パソコンを開いて取りかかろうとしても、体が拒否するのだった。しかしこれを終わらせなければもう一歩も進めない、やろう、と決意してパソコンの中のファイルを開いた。

そのとき隣のスーツケースが倒れてきて、私のアイスコーヒーを倒し、キーボードにコーヒーをぶちまけた。

私は慌てて立ち上がり、パソコンをハンカチで拭いた。だが、コーヒーは内部に浸み入っているようで、逆さにすると茶色い液体が垂れてくるのだった。

私はパソコンの電源を切った。危険だからだ。完全に乾くまでは電源を入れるべきでないという。調べると浸水したパソコンは使えなくなる可能性が高いのだそうだ。

今、私は乾くのを待っている。パソコンからはほのかにコーヒーの香りが漂っている。

旅・観察

歴史探訪「ポツダム宣言」

ある年齢以上の日本人はポツダムと聞くと、必ずポツダム宣言を思い出す。私もそのひとりで、子どもの頃は歴史の教科書には必ずポツダム宣言のことが書かれていたものだ。もっとも、今の学校の歴史の教科書にはもうポツダム宣言とか原爆とかについては書かれていないだろうから、若い人はポツダムなど知らないかもしれない。

私が使っていた歴史の教科書のポツダム宣言のページには偉い人の写った白黒の写真が必ず載せられていた。そこで、私たちの記憶の中ではポツダムと白黒写真が結びついてしまい、今もポツダムは白黒なのではないかと思っている人も多いことだろう。

私もやはりそうで、今回、ポツダムに来て、すべて色がついているのに驚いた。戦後 80 年というが、それだけの時が流れればカラーになるということかもしれない。

ポツダム宣言が産声を上げたのは、ポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿だ。私はポツダムに滞在しているあいだ、ぜひともこの「宣言の聖地」を訪れようと考えていた。宮殿に置いてある「宣言ノート」に訪問者たちが記した思い思いの宣言を見てほっこりしたいと思っていたし、またそれに触発されて自分の口からどんな宣言が飛び出てくるか、それも楽しみだった。

しかし、宮殿は現在閉館中ということだった。

残念ながら、私の宣言はおあずけをくらった形だが、いつか、必ず訪れたいと思う。なにしろ、この宣言をきっかけに日本に住む人々が、今にいたるまで戦争から解放されたのだから。