散文

カレン人の服

今日、曳舟文化センターで「カレン伝統の手首結びの儀式」というものがあった。これだとなんだかわからないが、日本在住のカレン民族が集まって行う伝統儀式で、手首を紐を巻きつけるものだ。こうした形で会場を借りて大々的に日本で開催するのは二年目だという。

大ホールにいっぱいのカレン人が集まり、色とりどりの伝統的な衣装を身につけていた。ほとんど私の知らない若い人ばかりだった。私の古くからの友人も何人か参加していたが、その友人の子どもたちよりも、みな若いのだった。

受付も若い人たちが座っていて、私の手に白い糸を巻いてくれた。丸いシールをもらい、服の上に貼る。十時半に集合とあったが、準備が終わらないのかなかなか始まらない。私は家から持ってきたカレンの民族衣装を取り出して着た。

民族衣装といってもそれほど難しいものではない。いわゆる貫頭衣で、頭からかぶるだけだ。私がいつも着る服は赤で、緑と黄色の房がついている。他の人は青や白などいろいろだ。そのとき、私の友人がやってきた。特別な機会だから他の服を用意してくれるという。彼の服は虹色で、初めて見るデザインだ。かっこいい。彼はしばらくどこかに服を取りに行った。戻ってきて、私に差し出した。

赤い服だった。

礼を言いながら受け取ると、彼の妻がやってきて笑いながら何か言った。「別の色にしてあげたら」と言ってくれたのだろう。友人は再び立ち去り、白と黒の渋めの服をもってきてくれた。

風刺・戯文

思ったことが言えない世の中

「最近、思ったことが言えない窮屈な世の中になった」という人が多いので、ある研究者がこの現象について調べることにした。

まず、思ったことが言えないと感じている人々が「どんなことを思ったのか」について調査を行った。その結果、いくつかの共通するテーマがあることがわかった。それらは「外見のこと、性的なこと、弱いものいじめ、外国人差別、障害者差別」などであった。思ったことが言えない人は、これらのことが言えないために窮屈な思いをしているということが明らかになった。

さらに、研究者は、これらの「思ったことが言えない人」が、単に思っただけではなく、実際に発言した場合、「思ったことを言った人」と「思ったことを言われた人」の双方についてどのようなことが起きるかについても調査を行った。

その結果、「思ったことを言った人」は、一時的に窮屈な思いから解放されるが、やがて窮屈な状況に陥ることがわかった。いっぽう、「思ったことを言われた人」については、思ったことを言われたことにより、思ったことが言えなくて窮屈な思いをしている人よりもはるかに窮屈な思いをするということが明らかになった。

そこで研究者はこう結論づけた。

「つまり、思ったことが言えなくて窮屈だという発言は、その人間の内部に思うに値する思想など何もないということの目印として機能している。ゆえに、黙ってろ。常日頃、思っていたことが言えてスッキリした」