旅・観察

主人への信頼(1)(チュニジアの民話)

チュニジアのパンについて考えるといつも思い出すのが「主人への信頼」という物語だ。この物語では、パンが大事な役割を果たしている。

イスラームのある行者がいた。彼は山で一年中断食をしていた。日没時になると、天からパンが一切れ落ちてくる。行者は、そのパンを半分食べ、残りの半分を夜明け前に食べる。それからまた、一日の断食に入る。男はこんな生活を何年も続けていたのだった。

ある夜のこと、男のところにパンがやってこなかった。

男は一晩中パンを待ったが、パンは来ない。翌日も断食を続け、日没が近づくころには、とうとう空腹に耐えかねて山を降りた。麓にある貧しい村に行き、村人に食べ物を乞うと、粗末な大麦のパンが二つ与えられた。

男がパンを持って、山に帰ろうとすると、村人の犬があとをつけてきた。パンを狙って、吠えかかったり、服を引っ張ったりするので、男はパンを一個、犬に投げ与えた。犬はガツガツ食べてしまう。だが、それでも犬は満足せず、襲いかかってくる。男はとうとう二個目のパンも与えてしまった。

これで二つともパンはなくなってしまった。ところが、犬はなおも男の後をつけてきて、男の足に噛みついた。男は罵った。

「お前より卑しい犬は今まで見たことがない。お前の主人がくれたパンを二つともくれてやったというのに、いったいなんの用がまだあるのだ。俺からなにが欲しいのだ!」

そのとき突然、犬が喋り出した。

(写真:焼肉とサラダとパン)

散文

ただいま禁酒中!(8)

 長期の飲酒習慣が、脳萎縮を引き起こすことはよく知られている。委縮するだけなら頭蓋骨内に収納スペースが増えるわけで結構だが、この萎縮はやがて認知症を引き起こす。

 このアルコール性の認知症というやつは厄介で、できればなりたくはない。

 禁酒以前の私の脳がすでに萎縮していたかどうかは、検査をしていないのでわからない。その可能性は大いにある。が、たとえそうだったとしても1年以上の禁酒により、だいぶふっくらしてきているのではないか。

 となると、もうそろそろ、飲酒を解禁してもいいような気もするが、これでまたすぐに萎んでしまったら残念なので、しばらくは禁酒を続行したい。

 再開するとしたら80歳になったらだ。その時には飲酒を待つまでもなく、脳はすっかり縮こまっていることだろうから。どうせなら、80歳以降は飲酒を皮切りに様々なことにチャレンジしていきたい。

 90歳になったら、喫煙を再開したい。パイプはもちろん、自分で紙を巻くタバコもやってみたい。そうすると大麻もやりたくなる。

 だから、100歳になったら、大麻、覚醒剤、LSDなどさまざまな麻薬をやってみるつもりだ。麻薬といえばクラブ・ミュージックだ。夜な夜なクラブに繰り出すのだ。となると、たぶん女性たちが放っておかないだろう。

 ならば110歳からは女遊びだ。自分より10も20も若い娘たちと浮名を流すのだ。たしなみとして避妊も忘れないようにしたい。しかし、放蕩生活にもやがて倦み果てる時が来る。心の鬱屈を外に向ける時が来たのだ。

 そこで120歳になったら、年上の連中たちに反抗してみたい。経験も財力も上回るこれらの権力者たちに、若さというたった一つの武器を持って立ち向かうのだ!

 いや……もしかしたら、脳の萎縮がますます進んでいるのかな……。

(おしまい)

ヤンゴンのビヤホールで