旅・観察

シリーズ「盗難の証明」

「ベルベル語の調査とその後(5)」で、私は盗難に遭い、その盗難証明書を警察にもらいに行ったと書いた。

その盗難事件の顛末について、私は帰国してすぐにこのブログで書いた。2025 年 3 月 9 日から 19 日までの 11 回分の記事がそれだ。ベルベル語の調査そのものとは関係ないが、気になる人もいるかもしれないので、以下にそのリンクをまとめておく。

【盗難の証明】
(1)Grand Hotel de France
(2)新しいホテルで
(3)泥棒への感謝
(4)盗難証明書
(5)警察署までの道
(6)今日は行けません
(7)何があったか彼女に言うのだ
(8)署長室の対決
(9)三枚つづりの紙
(10)革命の記録
(11)そういうホテル

私が盗難に気づいたのは、チュニジア滞在中に所持金をしっかり把握しておかねばならないという状況に置かれていたためだ。その事情については「外貨の禍い」という 9 回のシリーズに書いた。その続編である「最後の外貨の禍い」(全 6 回)も合わせて読んでいただければさいわいである。

(写真:チュニスのメディーナ)

旅・観察

現代のフダーウィー:チュニジアの語り部(2)

 チュニジアを含む北アフリカは、かつてはベルベル語を話すベルベル人の暮らす地だった。現在のチュニジアでは、ベルベル語を話す人は、アルジェリアやモロッコに比べると非常に少数だが、「自分の先祖はベルベルだ」とか、「この村はベルベルの村だ」とか、そう言う声もしばしば聞かれるように、ベルベルの伝統や文化に対する意識は強い。

 このベルベル語にはいろいろな種類があり、これらはベルベル語派として、アフロアジア語族という大語族のもとにまとめられている。アラビア語は、このアフロアジア語族のセム語派の言語だ。

 紀元前のチュニジアの地に、やはりセム系の言語を話すフェニキア人の植民都市が建設された。これがかの有名なカルタゴだ。このカルタゴのハンニバルとローマ軍との戦争については日本でもよく知られている。というか、日本人がチュニジアについて知るのはだいたいこのカルタゴを通してだ。チュニス近辺には、このカルタゴの軍港の遺跡や、墓地跡なども残っていて、観光スポットとなっている。

 カルタゴ滅亡後は、ローマの属州となり、これまた大いに繁栄した。ローマ時代の遺跡や、モザイクは現在でもチュニジアの重要な文化遺産の一つだ。古代キリスト教の最大の神学者の1人であるアウグスティヌスもこの時期のチュニジア(カルタゴ)にゆかりのある人物だ。

 7世紀にイスラームが勃興し、北アフリカにアラブ人が侵攻してきた時、最初に建設した軍事拠点とモスクがチュニジアのカイラワーン(ケロワーン)だ。アラブ軍に立ち向かったベルベル人女王カーヒナの戦いとその最後は現在まで語り継がれている。(つづく)

フェニキア文字(カルタゴ時代の遺跡、トフェの墓地、2020年2月)