風刺・戯文

漂白の達人

衆院選のさなか、世界的な言語学者のスティーブン・ガルシア博士が来日し、都内を巡って精力的な言語調査を実施しました。

ガルシア博士は、意味の漂白(semantic bleaching)の研究で知られる世界的な学者です。意味の漂白とは「語がもともともっていた具体的な意味が弱まる、つまり漂白され、より抽象的・文法的な意味をもつようになること」とされます。

具体的な例としては日本語の「いる」があります。「いる」は「居る、存在する」という意味ですが、これが「雨が降っている」「電車が走っている」のように動詞の後にくると、ある動作が「進行している」という抽象的な意味を表すようになります。このとき「いる」からは「存在する」という具体的な意味は漂白されてなくなってしまっているのです。

「激しい選挙戦が行われているこの今の日本こそ、私が研究している意味の漂白の例を集めるのに最適なフィールドなのです」と、流暢な日本語を操るガルシア博士の前に、選挙カーが止まりました。早速、候補者たちの演説が始まります。

「日本を強く!」
「本気で改革!」
「全力で取り組みます」
「ぶれない姿勢!」
「未来を守れ!」

博士の顔が歓喜に輝きます。「どうです。これらの候補者たちの言葉は! どの言葉をとりあげても、意味がすっかり消え失せてます! まったく日本の政治家は意味の漂白の達人ですよ!」

調査を終えた博士は、「有権者の脳も漂白されているかも」という思いつきを検証するため、雑踏の中に吸い込まれていきました。

風刺・戯文

英語を学ぶな

私たちは、教育に関わる者として、子どもに英語を教えることに断固として反対です。なぜなら、英語ほど卑猥で淫らな言語はないからです。

例えば、辞書で do を見てください。いちばん最初には「する」と書いてあります。ですが、ほかにもたくさんの意味が書かれています。ひとつひとつ最後まで見ていくと、奥の奥にこんな意味が現れます。

「セックスする」

do にこんな卑猥な意味が隠されていたことをご存知だったでしょうか。なのに、子どもたちは学校で最初にどんなフレーズを習うのでしょうか。Yes, I do なのです。こんな言葉を子どもに言わせてはいけません。教育の名のもとに行われているのは、児童虐待、人格の否定、性暴力にほかならないことが、今や明らかになりました。

ですが、do だけではないのです。子どもたちが習う基本単語のほとんどすべてがこんな調子、つまり、辞書を詳しく見れば、必ず性に関係ある意味が隠されているのです。次の恐るべきリストをご覧ください。

take「セックスする」
make「セックスする」
come「オルガスムに達する」
roll「性交する」
jump「セックスする」
eat「オーラル・セックスをする」
get「相手かまわずセックスする」
feel「(主に女性の局部に)触れること」
it「性交」

私たちが調べたところ、英語のほとんどの単語には必ず性に関する意味が隠されています。「いや」と反論される方もいるかもしれません。「セックスに関係のない意味しかない英単語もあるぞ」と。

そういう人が例としてあげるのは「eggplant」とか「abalone」とかです。確かに辞書を見ると、「ナス」「あわび」としか書いてありません。ですが、これをもってして英語には卑猥でない英単語があることの証拠にはなりません。

といいますのも、それらの語にけしからぬ意味が記載されていないのは、英語の辞書編纂者にただ十分な時間と資金とがなかったにすぎないからなのです。もし、辞書編纂者にその余裕があれば、必ずや「ナス」にも「あわび」にも、その英単語に隠された卑猥な意味が明らかになったはずです。

このような卑猥な言語が公教育の場で堂々と教えられていることははたして正しいことでしょうか? 我が国の将来を担う子どもたちをかえって毒し、汚しているのではないでしょうか。

私たちはこうした危機感に突き動かされて子どもたちを英語教育から守る運動を始めました。「学校英語審議会(School English CouncilS, SECS)」です。SECS(セックス)への支援をお願いします。

風刺・戯文

アボカドのための祈祷

全国のアボカド愛好家有志が、今日、千代田区大手町にある将門塚の参詣のために集まりました。

将門塚は、その昔、朝廷に反逆した関東の豪族、平将門の首が供養されている場所。伝説によれば、京都で晒されていた平将門の首が怨念によりここまで飛んできたとされ、その祟りを恐れた人々が「将門の首塚」として、古来より供養をしてきました。

今回、参詣に訪れたアボカド愛好家はこう語ります。

「私たちは、歴史的なお方のお力をお借りして、ぜひとも日本のアボガド、いやアボガド、いえ、アポガガガ……」

愛好家によれば、正しくはアボカドなのに、なぜか日本人がアボガドと、ガを濁って発音してしまうのが、アボカド普及の妨げになっているのだそうです。そこで着目したのが平将門。なんでも、日本人が「たいらのまさかど」を絶対に「たいらのまさがど」と言わないのは、平将門の霊力によるものなのだとか。そこで、日本に正しく「アボカド」が広まるよう祈願するために、今回の参詣を企画したといいます。

(アボカド愛好家たちが、アボカドを頭上に掲げながら、平将門の石碑に真剣に拝する様子)
「ガを祓いたまえ、カに清めたまえ……」

愛好家のひとり「私たちの祈りはきっと届いたと思います。えっ、誰に? それは、あれですよ、あの、たいらの、あれですね、あの、たいらのアボガド……」

風刺・戯文

ガールズバーに行ってみた

夜が孤独で耐え難くなってきたので、いろいろ考えたあげく、ガールズバーに行ってみることにした。酒を飲みながらカウンター越しに若い女の子と話せば、少しは元気になるかもしれない。

駅前のごちゃごちゃしたところに、そうした店が何軒かあるのは知っていた。足を踏み入れると「Girls’ Bar アリス&パネス」と記されたピンクの看板が目に入ってきた。これだと思ってドアを押し開ける。色とりどりのランプが輝く店内に、若い女性がたくさんいた。

私は思わず興奮して中に入ろうとする。と、前にひとりの女が立ち塞がった。「申し訳ありません。当店は男性の方はご遠慮いただいております……」

「え、ガールズバーじゃないの?」と私。

「そう誤解される方もいらっしゃるのですが」とその女は店名の記されたカードを私に見せた。「このアポストロフィをご覧ください。Girls’ Bar、つまり『女の子たちのバー』というわけでして……申し訳ありませんが、お引き取りください」

店を出された私は、なんとなく収まりがつかなくなった。少し離れたところに別の店があった。「The Girl’s Bar Right You」とある。アポストロフィの位置が気になったが入ってみることにした。

ドアを開けると、厳かな声が響き渡った。「元始、女性は太陽であった。そして今、女の子はバーである。Girl is Bar、Girl’s Bar……バーとなった女の子を崇めよ……」

ドアを閉め、帰宅して、寝た。

風刺・戯文

今、日本の性があぶない

性癖とは「もともとは性格一般についていう言葉だったのに、今ではセックスに関する意味だけで用いられるようになってしまった」というようなことを誰かが指摘していた。確かに辞書で性癖を見ると、「生まれつきの性質。また、性質上のかたより。くせ。」と書いてある。

これが現在では、自分の性的興奮を喚起する、一般の人々から見ると少し特殊なポイント、というような意味で用いられるようになった。もっとも、これはインターネットを使う世代以降の話で、その前の人々はもともとの意味で「性癖」を用いて、性的な意味しか知らない若い人々を今も戸惑わせているかもしれない(ただしそれが性癖という可能性もある)。

「性」という言葉は「生まれつきの性質(英語でいえば nature)」という意味のようで、それで今ならば「生命」と書くところを「性命」とすることもあった。この生まれつきの性質が、男女の生まれつきというところに結びついて「性別(gender)」の意味をもつようになったと推測できる。この gender の性が、「性的な(sexual)」の性に結びつくのも当然の成り行きだ。

いっぽう「生まれつきの性質」の性は、今も「性格、性質、性善説」などに健在であるが、どれも新しい言葉ではない。これに対し「性的な(sexual)」の性は、「性器、性体験、性交渉、性感染」などの言葉に加えて、社会の変化にともなってクローズアップされてきた「性的指向・志向」「性的同意」「性差別」などますます勢力を拡大しつつある。

「性癖」が性的に受け取られるようになったのも、こうした背景が関係しているに違いない。だが、これはもしかしたら、nature の「性」が今あぶないということではないだろうか。なにしろ「性癖」はすでに「性的な(sexual)」の性に乗っ取られてしまったのだ。

私が思うところ、つぎに危険なのは「性向」だ。「向」がすでに「性的指向」と裏で通じ合っていて、もう裏切りそうな気配がある。この性向が性的側に寝返ったら、次は「性善説と性悪説」だ。こうなったらもう性的の進軍は止まらない。「性格」も「性質」も落城するのは時間の問題だ。

そして、近い将来、私たちは「関係性」「積極性」「感受性」「アルカリ性」などの言葉も、使うときにちょっと考えなければならなくなるだろう。

研究活動

AKI’O NAKANO

ベルリン自由大学で開催されたセム語方言学会議(Semitic Dialectology Conference)の口頭発表のうち、特筆すべきは、シリア語・アラム語の碩学、Werner Arnold 先生によるものだろう。それは 「中野暁雄のジュッブアディーンからの現代西アラム語による薪についてのテキスト(“Aki’o Nakano’s Western Neo-Aramaic Text from Ǧubbʿadīn about Firewood”)」と題されたものだ。

タイトルだけだとなんのことかわからないが、中野暁雄という研究者が現地で採取し、出版した現代西アラム語のジュッブアディーン方言の民族誌的テキスト集( “Ethnographical Texts in Modern Western Aramaic (1) (Dialect of Jubb’adin)” 1994)があり、そのテキストの「薪(firewood, p63)」と題されたセクションについての発表だ。

その発表の理由であるが、これはこのテキストのもつ大きな「問題」に起因している。このテキストはアラム語(の音韻表記)のみで、英語の語釈も訳もないので、ごく少数の研究者にしかわからないのだ。そこで Werner Arnold 先生が専門家として注釈と訳を試みたというわけだ(ちなみに同書では Arnold 先生の研究も参考文献として挙げられている)。

Arnold 先生によれば、このテキストは、他のアラム語資料には出てこない語彙が現れる貴重な資料ということであった。こういったものを出版した中野暁雄は実にすごい人であったのだ。

中野暁雄は 2008 年に亡くなったが、それまでにアラビア語方言、現代南アラビア語、現代アラム語、エチオピア諸語、ベルベル語などの言語の現地調査を行い、数々のテキストや語彙資料を出版した。そのため、これらの諸言語の研究者の集まる今回の会議では、その名前を知らぬものはないというほどであった。

日本から来た私はこの傑出した学者についていくども尋ねられた。そのたびに私は「中野先生の学生であった者です」と少しえばって答えた。

研究活動

セム語方言学

ベルリン自由大学で開催されたセム語方言学会議(Semitic Dialectology Conference)では、29 の口頭発表が行われた。そのうちひとつを除いて、どれも面白いものだった。ここに、素人の私にも説明しやすいものをいくつか紹介したい(ただし正確かどうかは別。なお、タイトルと発表者は Semitic Dialectology Conference で検索すれば見つけることができる)。

・オマーンの南アラビア語であるジッバーリ語には、「男の詩」と呼ばれる短い詩がある。それは葬儀で遺体を運ぶときや、家を作るときなど、きつい労働をするときに男たちが歌う歌で、話し言葉と違う。生活形態の変化もあってこの種の詩形は失われつつあるとのこと。

・アルジェリアの南部の砂漠にガルダイヤという町がある。そこに古くから暮らすユダヤ人の集団がおり、チュニジアのジェルバ島とモロッコのアラビア語方言に影響されたアラビア語を使っている。女性と男性で方言差があり、女性の方が革新的な形式を用いている。これらのユダヤ人は現在イスラエルに移住しており、調査はそこで行われた。

・トゥロヨ語は現代アラム語のひとつ。もともとはトルコやシリアにわたる地域で話されていたが、迫害や虐殺の結果、世界に散らばった。スウェーデンに大きなコミュニティがあり、そこでもトゥロヨ語が用いられている。このコミュニティの中にはトゥロヨ語が母語でない人もいるが、同じ迫害の記憶を共有しているため、あえてトゥロヨ語を話すようになった人もいる。そうした人の言語の特徴についての報告。

・エチオピアにはアラビア語に次ぐセム語の話者が存在し、文字言語として公的な地位を与えられている。また、方言もたくさん存在するが、これら重要な言語を調査・研究する人はあまりにも少ない。

ということのなので、ぜひみなさん行ってください。

研究活動

Semitic Dialectology Conference

ベルリン自由大学のセム語研究所(Insititute of Semitic Studies)が開催した学会(Semitic Dialectology Conference Cutting-Edge Research in Semitic Dialectology: Bridging Theory and Practice)に参加した。

これはセム語(アラビア語、ヘブライ語、現代南アラビア語、現代アラム語、エチオピア諸語など)の研究者が集まる集いで、6 月 11 日から 13 日までの 3 日間にわたり、全部で 29 の口頭発表が行われた。

研究発表というと、私には難しくてよくわからないことも多いが、「最先端の研究(Cutting-Edge Research)」というだけあって、具体的なデータにもとづく話ばかりで、どれも興味深く聞けた。

発表では、アラビア語諸方言、現代アラム語(新約聖書の時代のアラム語が現代まで残ったもの)、現代南アラビア語(アラビア半島のオマーンやイエメンで話される言語)などが取り上げられた。

このうち、現代アラム語諸方言と現代南アラビア語諸語は、話者が少なく、そのいくつかは消滅の危機にある危機言語だ。今、記録を残しておかないと、10 年後にはなくなっているかもしれない。

アラビア語方言やエチオピア諸語も、話者数が多いからといって安心はできない。実際にはさまざまな方言に分かれるし、それらの方言も変化する。また、時代の波や政情不安、そして戦争により大きな影響を受け、消え去りつつあるものもある。

こういう危機言語の問題はどの言語にもあるが、セム諸語においても、「方言」の危機があり、さらなる調査が必要な言語がたくさんある。このような認識が、今回の集会のメッセージのひとつであったと思う。

そのせいで、私もすっかり熱に当てられてしまい、用もないのにオマーンやシリア、エチオピアに行きたくなってしまった。

散文

タトゥイーン

今年の2月末から2週間ほど、チュニジアのチュニスに滞在したとき、ベルベル語の話者に会って、その言葉を教えてもらう機会を得た。

ベルベル語というのは、かつて地中海世界の南側(つまりエジプトや北アフリカ、サハラ)で広く話されていた言語で、現在もモロッコやアルジェリア、ニジェールやマリではかなりの話者がいる。しかし、チュニジアではアラブ化が進み、南部の一部の地域とジェルバ島にわずかに話者がいるのみだ。

教えてくれたのは、チュニス在住の60代の男性だ。ベルベル語にもいろいろあるが、この人のベルベル語は、南部のとある村の方言だ。とても親切な方で、私はずいぶん多くのことを学ぶことができた。そのうちのひとつが、「目」に関するものだ。

「目」は、この男性のベルベル語では ṯīṭ(スィート)という。複数形は ṯīṭāwīn(スィーターウィーン)だ。彼がいうには、この複数形が、チュニジア南部の有名な町 タターウィーン(taṭāwīn)の由来だそうだ。

チュニジアの他のベルベル語では ṯ は t になることが多いので、地名のタターウィーンがベルベル語の ṯīṭāwīn もしくは tīṭāwīn に関係しているというのはありそうな話だ。

さて、このタターウィーンは、世界的な有名な場所でもある。チュニジア南部はスターウォーズの撮影の地として知られるが、主要な舞台のひとつである惑星タトゥイーン(Tatooine)は、この地名からきている。

惑星タトゥイーンは砂漠ばかりの厳しい星だ。これは2つの太陽があるためで、とにかく暑さが苛烈なのだ。この惑星に移住してきた人類には、空に浮かぶ2つの太陽がまるで両の目のように見えた。そこから、目の複数形でこの星を呼ぶようになったと伝えられる。

風刺・戯文

新しい英和辞書

言葉は常に変わっています。新しい意味や新しい使い方が次から次へと誕生しています。私たちは言葉がわからない時に辞書で調べますが、そこに記された情報はすでに古く、もうない場合すらあります。辞書を引いている間にも、世界は変わっているのです。

だからこそ、新しい辞書が重要です。この度、私たちが新しい現代アメリカ英和辞書を出版したのも、日本の英語学習者の皆さんに、今現在使われている本当の英語を学んでほしいからです。

例えば、truth という言葉の意味を調べてみましょう。従来の辞書ではこんなふうに書かれているはずです。

truth【名詞】(複~s) 真実、事実、本当のこと

ですが、私たちの辞書では現代アメリカ口語の最新の情報を盛り込んでありますから、そんな時代遅れなことは書きません。ご覧ください。

truth 【名詞】(複~s) 嘘、でたらめ

さらに「偽造の、嘘の」を意味する fake を新しい辞書ではこう定義しています。

fake【形容詞】真実の、事実の、本当の
   例文:it’s fake news!「これは本当のニュースです!」

ぜひこの新しい『Clown 英和辞書』をご活用ください!
(『Crown 英和辞書』とのお間違えにご注意ください)