旅・観察

森鴎外記念館(前編)

説経節を読んでいて、森鴎外の「山椒大夫」を知った。読んでみたが、本家のほうが面白い。しかし、他の短編がよかったのでいろいろ読んでみることにした。

鴎外というと「石炭をば早や積み果てつ」をむかし学校でやったきりで、難しくて読めないだろうと思っていたが、それ以外はけっこう私にも読めた。ひどくつまらないものもあるが、女の人を書くときはイキイキしている。たぶんスケベだったのだろう。

いくつか読んでいるうちに、森鴎外がベルリンに留学していたことと、そこに記念館のあることも知った。6 月にベルリンに行ったときは、やはりスケベであったとされる楽聖デヴィッド・ボウイのベルリン三部作のことしか頭になかった。それで、『Low』『“Heroes”』『Lodger』の 3 枚のアルバムの曲の多くと、イギー・ポップのアルバムなどが録音された有名な音楽スタジオ、Hansa Tonstudio を訪問した。ベルリンの壁が近くにあったことがわかるので、“Heroes” がより感慨深く聞ける。

訪問したといっても、ハンザ・スタジオの中には入れない(有料のガイド・ツアーがあるようだ)。また、ボウイ饅頭やチャイナ・ガールの烏龍茶が売っているわけでもない。ただ、スタジオのガラス窓に大きな画面が設置されていて、デヴィッド・ボウイのいろいろな表情がかわるがわる映し出されているだけだ。

いっぽう、森鴎外記念館は中に入ることができる。しかも無料だという。そこで今回、9 月のドイツ滞在中に行ってみることにした。

風刺・戯文

サムライに関するお願い

外国人のみなさま

日本の将来を憂える私たちは、日本を愛しておられる外国人のみなさまに、切実なお願いがあり、ここにお手紙をお送りする次第です。

私たちのお願いというのは、サムライに関することです。どうか、みなさま外国の方々に、このサムライをきらいになって欲しいのです。

私たちはみなさまが、映画やアニメ、ゲームを通じて、このサムライという歴史上の存在に深い関心をもち、その精神を敬い、その生き方に憧れていらっしゃることは承知しております。ですが、にもかかわらず、私たちは、サムライをきらってください、と申し上げざるをえないのです。

なぜと申すに、その結果、今や日本では信じがたいことが起きているからです。外国のみなさまが、サムライをあまりにも持ち上げるせいで、目立ちたがり屋の日本人がすっかりサムライ気取りになってしまったのです! ついには「日本はサムライの国だ」などとサムライ国家論をぶち上げるバカまで現れる始末です。農民のほうが多かったというのにです。

ですので、外国人のみなさまにお願いいたします。日本を救うために、どうかサムライをきらってください、笑い者にしてください! このままだと、日本人は全員サムライになってしまいます。農民はひとりもいなくなり、日本人は高楊枝のまま餓死してしまうでしょう……

風刺・戯文

伊藤家の企み

その日、伊藤は、大事なことがある、と妻と子どもを集めた。

「父さんはいつもお前たちにすまないと思っていたのだ……。小百合」と伊藤は妻のほうを向いた。

「苦労をかけたな……お前が嫁いできて、如月という立派な苗字から、伊藤に変わったときも、心から申し訳ないと思っていたよ」

「そして太郎」と伊藤は息子を悲しげな目を向けた。「お前が生まれ、この名前をつけたとき、私は心で泣いていたのだ。伊藤太郎! なんとありふれた名前だろうか!」

ありふれた名前とされた少年は、俯いて膝の上にのせた拳をじっと見つめていた。「さぞかし悔しかったろう、悲しかったろう!」 伊藤の口から憐れみの言葉が溢れた。

「だが」と彼は背筋を伸ばした。「そんなつらい思いももうおしまいだ。わたしたちみんなの悲しみが終わるときが来たのだ」 伊藤は一枚のハガキを二人の前に置いた。

「これは『戸籍に記載される振り仮名の通知書』のハガキだ。今年から、戸籍に名前のフリガナを記載する新制度が始まり、もし間違っていたら、届け出をして直すことができるのだ」

伊藤はそのハガキの文面を家族に見せた。

氏 伊藤
氏の振り仮名 イトウ

「お父さんは、フリガナが間違っていたと届け出るつもりだ……この決心に揺らぎはない。我が家はもはやイトウではない。イドウだ! 世に伊藤家は星の数ほどあれど、イドウと読ませる伊藤家は私たちだけなのだ!」

風刺・戯文

賭け科研費

東京、文京区の店で、客に賭け科研費をさせていたとして、店の責任者と従業員合わせて5人が賭博の疑いで逮捕されました。また、店内で研究者人生を賭けていた若手から名誉教授の客11人も賭博と不正なエフォートの使用の疑いで逮捕されました。

科研費(科学研究費助成事業)とは、学術研究の発展を目的とした「競争的研究費」であり、かねてからその競争的な部分をめぐる賭博が問題となっていました。

店では、1課題ごと3割の申請費を徴収したうえで、客は1枚10(金額単位:千円)で購入した「研究倫理eラーニングコースの修了書」を、研究種目の順位に応じてやり取りするなど、店が定めた採択率をもとに賭けが行われていたということです。警視庁は「研究倫理eラーニングコースの修了書」も偽造とみて、分析を急いでいます。

また、コンピューターやサーバーなどを押収した警視庁は、店内で電子申請システムを使ったおおがかりなオンライン・カジノが運営され、将来的に世界の賭博をけん引しそうとみて、慎重に捜査を進めています。

風刺・戯文

鳥居のド真ん中

歩いていたらたまたま神社を見つけた。赤い大鳥居が立ち、参道の石段が木々の奥へと続いていた。私は神も仏も信じていないので、神社などよっぽどの必要がないかぎり行かないが、古びた感じが気に入ったので立ち寄ることにした。

鳥居をくぐって参道を歩こうとしたときだ、後ろから不意に怒鳴りつけられた。びっくりして振り返ると、中年男が立っていて「無礼者!」と怒っているのだった。

「鳥居をくぐるときは一礼するのが礼儀だろうが!」

私は不愉快だったが、土地の人を尊重したい気持ちもあった。「すいません」と言って、頭を下げた。そのまま歩いていこうとすると男はさらに大声でどやしつけた。

「お前はそれでも日本人か! 鳥居を通るときは真ん中を通るな! 神様の通り道だぞ! 人間は端を歩くのだ。こうだ!」と男は鳥居の右端を通った。「参道だって同じ! 真ん中は神様!」

私はもう我慢ならなくて逆戻りして外に出た。よっぽど鳥居を蹴りつけていってやろうかと思ったが、こらえて真ん中を通るだけにした。

家に帰って、鳥居のくぐり方について、インターネットで調べた。神様の通り道などというバカげた説をいうのもあれば、そんなことを一言もいわないのもあった。どちらともつかないのだ。

いずれにせよ、ああいう手合いは、自分こそが正しいと思いこみ、そうでないものを外道と蔑むのだ。自分だけが鳥居のド真ん中を通っていると思っているのだ。

風刺・戯文

孤舟先生

現在55歳の彼は就職活動中だが、ほとんどの求人で年齢制限に引っかかるので、応募すらできなかった。彼はしきりに考えた。50代の求職者を受け入れない社会がいけないのだろうか。それとも50代になるのに無職なのがいけないのだろうか……。

もっとも、犯人探しをしてなんになろう。彼は気を取り直して、近所の孤舟先生と呼ばれる紳士のところに相談に行った。

いつも、どうしたらよいかわからないときにこの有徳の先生に泣きつくのだった。

「どこもこんな老人を雇ってくれるところなどないのです。ああ、もう10年若かったら!」

すると、先生、莞爾(にっこ)と笑って、彼を突き飛ばした。縁側から庭に転がり落ちる。

「何をするんです」彼は叫んだ。「つらいから相談に来たのに、これでは踏んだり蹴ったりではないですか!」

「その、踏んだり蹴ったりこそ重要なのだ!」

孤舟先生はさらに彼をむんずと掴んで家の外に放り出した。道路に転がると、そこに自転車が走ってくる。叫ぶまもなく、恐ろしい衝撃が彼を……。

気がつくと、彼は病院にいた。見ると足に包帯が巻かれていて、痛みに思わず苦悶の声を上げる。「目を覚ましたようだな」 声のする方を向くと孤舟先生が立っている。

「どうして!」 彼は思わず叫んだ。「なぜこんなことを」

先生はさもおかしげに笑うと、不意に恐ろしい目つきで見つめた。「これだけで終わらないぞ。これから、病、事故、裏切り、盗難……ありとあらゆる災難が君に襲いかかるだろう!」

「ただ就職の相談をしただけなのに! 災難なんて!」

「そうなのだ! 私は今、災難を作り上げて、君を人工的に厄年にしたのだ! さあ、これからは堂々と厄年の40代として就職活動を始めたまえ!」

「そうでしたか!」と彼の顔が明るくなった。「でしたら、いっそのこと20代の厄年のほうが引く手あまたなのでは?」

孤舟先生、悲しげにつぶやいていわく「それでは君の体は持つまい……言っておくが、これでも前厄なのだよ!」

散文

禁じられた趣味

私はかつて酒と飲み歩きが趣味だった。毎晩のように仲間と酒場に繰り出しては、あの酒やこの酒を楽しみ、つまみを味わい、バカ話をして酔いしれていたものだった。

しかし、自分でもどうしてかわからないのだが、私は数年前にふっつり酒を辞めてしまった。そして、当然のことながら、飲み歩きにも行かなくなった。そもそも外出というものもしなくなったし、かつての飲み仲間とも疎遠になり、孤独となった。

酒が趣味であった私は、まったくの無趣味となってしまった。私は新しい趣味を始めようとした。トライアスロンに挑戦したり、米粒に観音様を描いたり、撮り鉄のひとりとなって悪態をつきながら電車の写真を撮ってみたりしたが、長続きしなかった。この年齢から新しいことを始めるのは無理かもしれない、と思ったりした。

だからといって、以前のように酒を飲み始めようとも思わなかった。酒がない生活は、二日酔いもなければ、頭痛もない。私はそれが気に入っているのだ。

最近では私は、趣味を聞かれたら、禁酒と答える。あと、飲み歩かずもだ。

風刺・戯文

説明するときに無理する人

発達障害とは「脳機能の発達に関係する障害」ということですが、近年、発達障害だとされる子どもが増加しているそうなんです。昔はいなかったのに、最近になって増えているとはどういうことでしょうか。そのことをみなさんにちょっと考えてほしくてこうしてお話ししているわけです。

そう言いましても、みなさんにお考えがあるとは思えないので、私なりに説明してみましょう。

私は、これは教育の場において体罰が追放されたことに関係があると思っています。昔も発達障害と診断されるような子どもいたに違いありません。これは確かです。ですが、そうした子どもは発達障害だと考えられなかったのです。

なぜか。それは、教師に殴られたからです。非常に激しく、強烈に何度も何度も殴られたからです。この殴られた衝撃が、頭に良い効果をもたらし、矯正されたのです。いや、当時の言葉を使えば「性根が叩き直された」のです。体罰には高い教育的意義があったのです。

もちろん、殴られた衝撃が悪い効果をもたらした場合もあったかもしれません。ですが、そうした場合はほぼ確実に子どもは死んでしまったものでした。そのため、発達障害として数えられることはなかったのです(昔は子どもがたくさんいたので、少しぐらい死んでもあまり気にしませんでした)。

だから、体罰を悪だというのは非常におかしな考えです。というのも、体罰を悪者扱いしたせいで、こんなにも発達障害がのさばる日本となってしまったのです。このままでは体罰禁止のせいで日本は滅びてしまうでしょう。

それに、でなければ、どうして昔の教師があんなに殴ったのか説明がつかないじゃないですか。小中学校のころの私が毎日、あんなにも激しく残虐に殴られたのはなんでだったのでしょう。それで私は治ったのです。じゃなきゃ意味がまったくないではないですか……さんざっぱら殴られたせいで人生が破壊されたのに、そこに治ったというせめてもの甲斐がなければ……ううバカみたいではないですか……バカみた……

小説

架け橋

架け橋になりたい、という真っ直ぐな思いを胸に、東南アジアの小国、カナベアにやってきたある若者は、最貧部の農村に行き、日本で集めた古着や文房具を村人たちに配りました。

すると、村のリーダーが若者に声をかけました。「私たちはあなたのしていることに感謝しています。ですが、一部の人々はあなたに何か悪い意図があるのではないかと疑っています。これから長老の家に行って、あなたの目的を話してくれませんか」

若者は長老の家に連れて行かれました。色黒で、シワだらけの老人の小さな目が鋭く見つめていました。

「私がこの村で支援活動を行うのは他意あってではありません。カナベアと日本の架け橋になりたいだけなのです」

村人が長老に通訳しました。すると、長老は小さな目から涙を流しました。

「私たちはあなたがこの地にやってくるのを長い間待ち望んでいました。あなたこそ、村の聖者が予言した人に違いありません。あなたのおかげでこの地の人々は救われることでしょう」

この言葉を通訳から聞いた若者もまた感動しました。すると、村人たちが若者に掴みかかり、ねじ伏せ、ロープで縛り上げました。あまりのことに若者は一言も発することはできませんでした。

村人たちは若者をリヤカーに乗せて運んで行き、川のほとりで下ろしました。そこには真新しい橋がかかっていました。

「日本政府の支援によって建てられた橋です」と村人。「この橋は私たちの生命線です。なぜなら、流れがはやくて危険なこの川を渡るには、この橋しかないからです。いにしえの賢者の予言によれば、橋になりたいという異国の若者が来るので、その人を橋のたもとに埋めるがよい、そうすれば、橋は完成し、破壊されることは決してないだろう、ということです」

すでに穴はできあがっていました。村人たちは若者をその穴に放り投げると、上からどんどん土を被せました。