苦い文学

心のエコノミークラス症候群

心のエコノミークラス症候群の予防を心がけましょう。

【心のエコノミークラス症候群とは】
教養や判断力、思いやりが十分にない状態で、安っぽい本を長時間、大量に消費すると、精神の滞留が生じ、心が凝り固まりやすくなります。その結果、悪性の凝り固まり(心の血栓)が意識の健やかな流れを阻害し、想像力・批判力の欠乏を招き、重篤な反知性主義、陰謀論、危険なヘイトスピーチを誘発する恐れがあります。

【予防のために心がけると良いこと】
 予防のためには、以下の行為を行いましょう。

(1)ユダヤ人が世界を支配しているという類の本は買わない。陰謀論だから。また、ユダヤ人富豪を持ち上げている類の本も買わない。これも逆の陰謀論だから。
(2)コーチングなどの疑似科学には手を出さない。また、不安を煽り、弱みにつけ込むタイトルの本は極力控える。
(3)これらの本を読むくらいならば、軽い体操やストレッチ運動を行うほうがはるかにマシ。
(4)「マスコミの報じない真実」という類の本は手に取らない。真実が書かれているためしがないから。
(5)それでもこの世界の真実が知りたいのならば、この世には次の言葉以上にいつも真実である言葉はないことを知るべき。
(6)こまめに水分を取る。

苦い文学

ごめんなさい

今回の不祥事に関する謝罪会見に先立ち、まず「ごめんなさい」「すみません」について申し上げたく存じます。

日本語では主語というものがありまして、たとえば「私が食べる」ならば、食べるのは私で、この「私」が主語となります。「私が悲しい」も同じで、主語は「私」です。このように、「が」がつくと主語となるのですが、少しお考えいただきたいのです。「ごめんなさい」「すみません」の主語はなんなのかと。

「私がごめんなさい」という人はいるでしょうか。「私がすいません」など聞いたことはありません。いや、もしこんなふうに言ったとしたら、むしろ「そうです、私が変なおじさんです」の感じに似てきて、さらなる謝罪に追い込まれる可能性もあるのではないでしょうか。

そうです、私の知るかぎり「私がごめんなさい」などという言い方はないのです。

人は謝罪を求めるときに、どこの誰ともわからない人からの謝罪を望んでいるのではありません。責任を持つ特定の誰かからの謝罪を求めているのです。

ところが、「ごめんなさい」と「すいません」ではその大事な責任者を表すことができません。ですので、このような言葉を用いて、謝罪を行うのはじつに無責任ではないかと考えています。

なるほど「私こそごめんなさい」「私が悪かった」ならいいかもしれませんが、私としては「ごめんなさい」と「すいません」の問題が解決するまでは、誠意のある謝罪は不可能であると考えております。したがいまして、予定していた謝罪会見は見送らせていただきたく、あしからずご了承ください。

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心の時代

かつての日本はエコノミック・アニマルと揶揄されたように、経済一辺倒で、人間性など省みる余裕はなかった。

しかし、社会が成熟するにつれて、経済効率主義に対する批判がなされるようになり、同時に心や人間性というものが見直されるようになった。

そして、いまや心の時代が到来したといってもいいくらいだ。これまで経済的な観点からは解決できなかった問題も、心という観点から取り組めば実に簡単に解決することがわかったのだ。

たとえば我が国を高齢化だといって批判する人がいるが、そうした人は、心が若い人は何歳だろうと高齢者とはいえないことを知らないのだろうか。心の年齢を考えれば、我が国はまだ生まれたてなのである。

また、中国経済の発展や韓国の影響力の拡大を見て、我が国を非難する人もいる。我が国の経済的地位が低下し、社会が貧しくなっているというのだ。だが、そうした人は我が国の国民の心が世界一豊かであるという事実を故意に無視しているのである。

さらに、我が国の女性の地位が低いなどと言いがかりをつける人がいる。そうした人々は、我が国の女性議員の割合が他国に比べて低いことを証拠として挙げるのだが、実に不当なことだ。

というのも我が国の国会議員の半数以上は心が女性だとしたらどうだろうか。それでもそんな批判ができるものだろうか。むしろ女性のほうが多いくらいだというのに。

実際、我が国ほど男女の平等が進んでいる国はないのである。

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それ

5年ほど前のことだ。秋葉原駅で、山手線から総武線のホームに向かう人の流れに乗って歩いていると、うっかり前の人の靴の踵部分に、自分の靴の先を引っ掛けてしまった。

一瞬「悪いことした」と感じ、謝りたいと思ったが、踏まれた相手は前をずんずん歩いているし、そもそも、この人の流れの中で相手を引き止めることなどありえない。そんなふうに考えていたら、その「被害者」そのものを人ごみの中で見失ってしまった。

そして、昨日、私はやはり秋葉原駅の人の流れの中にいたのだが、不意に自分の足の踵を誰かに踏まれた。それはほんの一瞬のことだったが、それでも私にはわかった。

「これだ。まぎれもなく私のだ」

5年前、私が靴を引っ掛けた人は、その後、今度は別の人の靴を引っ掛けたにちがいない。そして、その人がまた別の人、さらにその人が別の人というように、まるでバトンのように引き継がれ、とうとう私のもとに帰ってきたのだ。私は思わず歓声を上げた。そして、それはまだ私とともにいる。

いつかの日か、自分のもとに帰ってきたそれを、誰か別の人に渡すときが来るだろう。それは長い旅のすえ私のもとに再び戻ってくるかもしれない。あるいはその前に私がくたばることだってありうる。

たとえそうでも、私のそれは、混雑というものがある限り、人から人へと渡り歩いていくことだろう。

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新たなナチスたち

ロシアによれば、ナチズムとファシズムが世界を覆っているのだという。

そして、これらの邪悪な勢力が滅ぼそうとしているのがロシアだ。だが、この恐ろしい脅威を前にして黙っているようなプーチン大統領ではなかった。敢然と立ち向かい、反撃を開始したのだ。中国をはじめとする勇気ある国々も味方についた。今現在、ロシアは勝利を目指して戦い続けている。

いっぽう、ナチズムとファシズムに立つ邪悪な陣営はといえばどうだろうか。これらの国々は汚れた手を握り合い、ウクライナに不正な支援を続け、ロシアを脅かしている。

しかるに、先日、これら悪の陣営のナチスたちが、我が国に集い、会合を行なったというではないか。世界支配への野望をむき出しにしながら、岸田首相と原爆資料館を訪れたり、お好み焼きを食べたりしたのだという。

私はこのときまでまったく気がつかなかったが、我々も実はナチスだったのだ。お好み焼きも広島風ではなく、ナチス風だったのだ。

ただ、昔と違って、今のナチスはずいぶん良くなったという印象だ。いや、むしろナチスのほうがずっといい。

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歴史修正術

都内某所のホールに保守主義者たちが集まっていた。真実の歴史をつくる講師がやってくるのだという。

やがて、一人の男が壇上に現れた。彼がその講師だった。

「さあ、今日皆さんは、偽りの歴史が真実の歴史に変わる目撃者となるのです!」

講師は出席者を見渡した。そして一人の男に目をつけると、壇上に呼び寄せた。男がそばにくると、講師はその名前と携帯電話の番号を聞き、こんなふうに質問した。

「今朝、朝食に何を召し上がりましたか?」

男は不安そうに答えた。「朝食? ええ……ご飯と納豆と味噌汁です」

「なるほど、健康的ですね。ではしばしのあいだ目を閉じてください」

男が目を閉じると、講師は男を黒い布で覆い、その周りを一周して、奇妙な叫びとともに二本の指で黒い布を差した。

「歴史を修正しました」

講師が黒い布を取ると、男が現れた。先ほどとなにひとつ変わらぬ姿だ。

「いかがですか」と講師。

「いえ、特になんにも」

「では、お聞きしましょう。今朝、朝食に何を召し上がりましたか?」

「朝食? さっき答えましたよ」

「ええ、もう一度おっしゃってくれませんか」

男は不満そうに答えた。

「ジャムトーストとカフェオレです」

その瞬間、会場全体が息を呑んだ。講師は出席者たちに向かって叫んだ。「これが、真実の歴史です!」

そして、何か起こっているのか飲み込めない男に講師は黒い布を再びかけ、前と同じ仕草をした後、叫んだ。

「歴史を修正しました」

講師が黒い布を取ったとき、人々は驚きのあまり絶叫した。なんと男は影も形もなかったのだ。

講師は落ち着き払って携帯電話を取り出し、男が教えた電話番号にかけた。携帯はマイクに繋がれていて、発信音がホール中に鳴り響く。男が出た。「もしもし」 

「今日、どうして集会においでにならなかったのですか」と講師。

「えっ? 今日は本当は行く予定だったのですが、朝食で悪い卵を食べてお腹を壊して行けなくなったのです」

たちまち会場は熱狂の渦に巻き込まれた。講師は携帯電話を切って叫んだ。「これが、真実の歴史です!」

この日、保守主義者たちは日本に真実の歴史が生まれたのを目撃したことに満足して家路についた。

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つらい思い出

誰にでもつらい思い出がある。そして、あまりにもつらいので心の奥地にその思い出を追いやってしまう。そうすれば、つらい出来事などまるでなかったのようにふるまえるからだ。

しかし、体が疲れていたり、心がストレスでいっぱいだったりすると、心の奥地では餌がなくなってしまう。そこで、つらい思い出は餌を求めて人里近くまで降りてくる。

つらい思い出は餌を探してうろつきまわり、見つけたものを手当たり次第に食い荒らす。美しい思い出も、楽しい記憶も、無惨に食い散らかされる。たわわに実った夢もみなもぎ取られてしまう。収穫前の自尊心もつらい思い出に踏みにじられて、もう売り物にならない。被害総額は莫大だ。しかも、つらい思い出はこれに味をしめ、たびたび人里に出没するようになる。

こうなるともうつらい思い出を駆除するしか方法はない。地元の猟友会が銃を片手に山に入り、目撃情報を手がかりに獲物を追跡し、仕留めにかかる。

彼らは銃を撃つ。あっちで、こっちで、銃を撃つ。つらい思い出はすばやく逃げまわり、身をひそめる。

山に銃声が響く。「ガーン」 こだまとなっていつまでも鳴り続ける。「ガーン……」

何発目かの弾がつらい思い出をしとめる。これで一安心だ。思い出と自尊心の回復が進む。

だがやがて、今度は恥ずかしい思い出が山を降りてくる。

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私の冥福をお祈りください

私の冥福をお祈りください。なぜなら私には人生がないので。素晴らしき哉人生、人生は美しい、ライフ・イズ・ビューティフル。それが人生というならば、素晴らしくも美しくもビューティフルでもないのはもはや人生ではないということでは。人生がないのならば、せめて冥福があったっていいのではと思い、急ぎご報告する次第。つきましては、私の冥福をお祈りください。死んだ人の冥福を祈る暇があったら、この世界で私が冥福に出会えるようにお祈りください。日々のささやかな暮らしを彩る小さな冥福。たまたま買い物した日が5%OFFの日だった、とか、ぐっすり昼寝をしたとか、とか、知らない人にちょっと親切にしてもらった、とか、あるいはその逆に親切なことをしてあげた、とか、何気なく些細な冥福があればそれで十分。そんなさりげない冥福がまるで奇跡みたいに訪れるように。冥福が無理ならば大福でもいいです。どちらでもいいです。だから、どうか私の冥福をお祈りください。いつかこの世界を去るときが来たら、私にも冥福があったと思い返せるように。

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黙阿弥現象

否定文や否定疑問文が強い肯定を表すときがある。

「言わなかった?」というのは「絶対に言ったよ」という意味だ。「言ったじゃん」とか「言ったじゃない」もそうだ。もともとは「言ったではないか」だと考えられるが、その意味するところは「言ったよ」ということだ。

これらにおいて、否定が肯定となるのは「言わなかった? いや、言ったよ」という反語が根底にあるからだろう。

似たような例は韓国語にもある。 -잖다 には否定辞が含まれるが、そのまま日本語の「〜じゃない」と訳せるようだ。

他の言語にも同様の例がある。いずれもただ肯定になるというよりも、話し手が絶対的な確信を持っている事柄について述べる「強い肯定」だ。

肯定否定が逆転するこうした現象を「黙阿弥現象」という。

黙阿弥は幕末から明治にかけての歌舞伎作者で、悪人が出てくる作品をよく書いた。そして、その悪人はドラマの終盤で改心して善行を行うのだが、そこで決まって「悪に強きは善にも強し」というセリフが出てくる。極悪人はひとたび善を行うとなったら徹底しているという意味だ。

強い悪が強い善に逆転するというのを、肯定否定の逆転現象にあてはめて「黙阿弥現象」としたのである。

この用語を使い出したのは私で、いつかというと今で、今後はたぶん使わないだろう。

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私のストレス解消法

日々の仕事に追われて、疲れが溜まり、心が鬱屈してくるたびに、私は新大阪行きの新幹線に飛び乗る。

そして、新大阪に着くや、向かうのは、駅のエスカレーターだ。大阪に滞在する間じゅう、乗って降りてを繰り返すのだ。

大阪に通うようになって何年も経つ。何度来たことかわからないが、私の大阪での休日の過ごし方はこれ以外にない。ユニバーサルスタジオも、たこ焼きも、吉本新喜劇も、新世界にも興味はない。ただエスカレーターだ。

ご存知のように、大阪と東京ではエスカレーターで立つ位置が違う。東京は左に立ち、大阪は右に立つ。私は東京の人間だから、エスカレーターでは当然左に立つ。だからこそ、大阪のエスカレーターで右に立つのが、楽しく、心踊る体験となる。

余暇とは心の解放だというが、私にとっては、凝り固まった東京の左から抜け出て、大阪の自由な右を体感するのが、この上ない余暇の過ごし方なのだ。

数年前、初めて大阪に一人で行き、おそるおそる右に立ったときの喜びと感動は忘れられない。それは、まさしく禁忌を破る痛快な体験だった。ドキドキは止まらず、足もガクガクと震えたが、私はすっかりこの快感の虜となってしまった。もう大阪に来た用事など忘れて、ひたすらそのエスカレーターを昇っては降り昇っては降りを繰り返した。それこそ何時間も夢中だった。

私が我に返ったのは、警官たちに呼び止められ、エスカレーターから無理やり降ろされたときだった。彼らは私の不審な行動に気がつき、盗撮かそれに類した卑劣な犯行の最中ではないかと考えたのであった。

私はあわてて事情を説明し、初めての体験に周りが見えなくなっていたと釈明した。すると、彼らは笑い出し、こう言った。

「東京からはあなたのような人がけっこうやって来るんですよ。ですが、同じエスカレーターに乗り続けるのだけはやめるように。駅にはあちこちにエスカレーターがありますよ」

私は自らの軽率な振る舞いを詫び、さらに親切な助言にも感謝をして、その日は東京に帰ったのであった。そして、その時以来、大阪はストレス解消の地となった。

大阪での滞在時間は、せいぜい14時間ほどだ。その間、私は新大阪駅とその近辺にある施設のエスカレーターで、最終便ギリギリまで遊びつくす。

そして、東京に向かう新幹線の中の私は、遊び疲れてはいるが、すっかりストレスから解放され、再びいつものように左に立つ気力に満ち満ちている。