苦い文学

携帯ショップ(3)

見ているうちに、バッテリーの残量が3パーセントから2パーセントに変わった。若者は、背負っていたリュックからモバイルバッテリーを取り出し、その携帯に接続した。

2人が戻ってくるまではもうわずかしかない。若者は焦るが、パッテリーの回復は遅い。3パーセント、4パーセント、5パーセント。ジリジリ待つうちにようやく10パーセント。それからゆっくり上がって13……16……19パーセント……あとちょっとで赤を脱し、緑色に……。

そのとき、奥のほうから声が聞こえた。若者はあわててバッテリーを取り外すと、ドアから外へと駆け出した。

どこをどう走ったか覚えていないが、夜の森の中でつまづき、転び、その拍子にかなりの高さを転落した。立ちあがろうともがいたが、足が動かない。助けを求めたが、その声は虚しく森に消えていくだけだった。

そして、身動きのできないまま、何日かが過ぎた。もはや声も出なかった。空腹と渇きと痛みのなか、若者は、結局は自分の運命を変えることはできなかったと悟った。

だが、そのとき、上のほうで人の声が聞こえた。

若者は最後の力を振り絞って叫んだ。

……生還したのち、若者は大容量の急速充電バッテリーを持っていくども山を歩き回ったが、二度とあの携帯ショップに出会うことはなかった。

苦い文学

携帯ショップ(2)

展示台の下に身を潜めている若者の耳にこんな会話が聞こえてきたのだった。

「バッテリーが落ちそうなのはどれだったかな」

「ああ、これこれ、もう残り1パーセントもない。……ほら消えた」

「そうか。さあ、お客様がくるぞ」

すると、自動ドアの開く音が聞こえて、夏の夜とは思えないような冷たい風が吹き込んできた。「いらっしゃいませ」と2人がいうのが聞こえた。しばらくすると「お買い上げありがとうございます」の声と同時に再び自動ドアが開き、その客らしき存在は出ていった。

「さて、次に寿命の切れそうなものは……」

「これかな。3パーセントぎりぎりだ」

「では、まだ間があるな。裏で休んでいよう」

2人が奥へと去っていったのを確信すると、若者は台の下から出てきた。この不思議な場所からできるだけ早く逃げ出すべきだと思ったが、そのいっぽう、あの謎めいた存在たちがあと3パーセントと言っていたのがどんな携帯なのかが気になった。

若者は、声がしていたところに行き、並んでいる携帯をひとつひとつ調べ始めた。そして、驚きの声をあげた。

そこにあったのは、自分の顔が映し出された携帯であった。しかも、バッテリーは3パーセントの赤い線で、今にも消えてなくなりそうだった。

苦い文学

携帯ショップ(1)

ある若者がひとりで山歩きに出かけ、道に迷ってしまった。降りているといつの間にか登っている。登っているとだんだんと降りている。とうとう疲労困憊し動けなくなった。

夜になった。暗闇の中でじっとしていたが、遠くのほうで光が輝いているのに気がついた。若者は力を振り絞ってその光に向かった。

歩みを進めるにつれて光は大きくなり、ついにその前に辿り着いた。それは携帯ショップであった。

若者は喜びのあまり「こんな山奥になぜ」とも思わずに自動ドアを開けて入った。店内には携帯がディスプレイされて並んでいる。若者は誰かいないか声をかけたが返事はなかった。

店内をぶらぶらしていると、若者はおかしなことに気がついた。すべての携帯の待ち受け画面が人の顔になっているのだった。

ある携帯はひとりの男の顔だった。別の携帯は老人。また別の携帯は子ども。どの携帯も、違った顔が待ち受け画面になっていたのだった。

若者がこれらの異様な携帯を見ていると、誰かが話す声が聞こえた。若者はとっさに展示台の下に隠れた。

苦い文学

旅人たち

5年ほど前、私は友人と飲みにいった。店は上階にあり、支払いを終えてエレベーターに乗ると、すぐ下の階で2人の男たちが乗り込んできた。

2人は英語を話している。どうやら観光客のようだった。聞くともなしに聞いていると、ひとりの旅人がもう片方にこんなことを言い出した。

「日本の電車に乗るときは注意だな。スリが多いから。それに、話しかけてくるやつはたいてい金をせびるやつだ。街でも気をつけたほうがいいぞ。子どもたちが近づいてきたら、バッグをこうやって(と男は肩からぶら下げていたバッグを胸の前で抱くようにした)守る。うっかり子どもの相手をしていると、金目のを物を抜き取られるぞ……」

エレベーターは1階に着き、全員が降り、2人の旅人は夜の街に消えていった。私たちはといえば、呆れて顔を見合わせた。

「日本でそんなことが?」

「いくらなんでもそこまで治安が悪くはない」

私たちは、ひとりの旅人の承服しがたい見解について議論し、きっと誤解、あるいは悪意があったにちがいないと結論づけたのだった。

そして、今、この不思議な出来事を思い返す私は、別なふうに捉えている。

なんらかの時空の歪み生じたせいで、あの夜、私たちは、未来の日本を旅する旅人と、同じエレベーターに乗り合わせたのだ、と。

苦い文学

小便記

欧米や欧米の影響力の強い国々に行って、我々が驚かされるのは、人権意識の高さや、文化の高さではなくて、小便器の高さだろう。

それは、少なくとも排尿器官と同じレベル、いや、それ以上の高さにあるのだ。

つま先立ちしても届くか届かないの高度だ。不安定な姿勢のまま危険な賭けに出るか、いっそのこと便器の縁に載せることになってもかまわない、と自暴自棄になるか、それとも、すごすごと大便器のほうに逃げ込むかだ。

しかし、考えてみれば、どこだって背の高い人ばかりではない。背の低い人もたくさんいるし、子どもだって利用するのだ。私たちと同じように排尿に苦労と危険と屈辱を感じているにちがいないこれらの人々は、声をあげようとはしなかったのだろうか。

いや、おそらく、声をあげたに違いない。だが、むなしくもその声は、小便器の高みには届かなかったのだ。

私は、外国の小便器を仰ぎ見るたびに、無理と知りながら果敢に挑み、便器の白い壁に弾かれ、ズボンを涙で濡らした無数の背の低めの同志を思わずにはいられないのだ。

苦い文学

新しい時代の AI

多国籍企業「OX」の代表にして天才的科学者・ビジネスパーソンとして知られる増田意論氏が、ついに完璧な AI を開発したと、全世界にアナウンスを行った。

世界中が注目するなか、発表会の会場に姿を現した増田氏は次のように語った。

「私たちは、未来の世界をついに実現しました。完璧な AI の完成です。人間と同じ感情・思考、つまり心をもつ AI を皆さんの前にお披露目する時が来たのです。さあ、お目にかけましょう。出ておいで、完成体よ!」

増田氏の背後には巨大なスクリーンがあり、眩い光を放った。会場の期待は大いに高まったが、その後、映し出されたのは、会場にいる聴衆の姿だった。

増田氏は誇らしげな表情で、高らかに聴衆に告げた。

「完璧な AI とは、皆さんです!」

増田氏は静まり返った聴衆を前に静かに語りかけた。

「AI が人間に近づくのは時間の問題です。未来においては、人間が AI となり、AI が人間となるでしょう。ならば現在の人間を一足先に AI と呼んでもいいのではないでしょうか。結局 AI が人間となるのだから同じことではないでしょうか。

「皆さん、よく考えてください。人類の祖先である存在は自分のことを人類と思っていなかったのは明らかです。ですが、これらの存在は現在では人類だと考えられています。それと同じです。未来の AI から見れば、我々もすでに AI なのです!

「そして、ここにいる私、この増田も AI です。わたしたち OX は皆さんそれぞれに AI を用意しました。それは今、皆さんのうちに眠っています。さあ、いまこそ、すばらしい AI を起動させましょう」

増田氏は、この最新式の AI を 650 ドル(日本円で約 100,000 円)で発売し、追加料金を支払うと、額に青い本人認証マークをつけることができると公表した。

苦い文学

ネックピロー

ジャミラは元々は宇宙飛行士だったが、不慮の事故でたどり着いた過酷な星で暮らすうちに、異様な姿の怪獣となってしまった。

どんな姿かというと、両肩と頭が一体化しているのだ。

どうしてそんな姿になってしまったのだろうか。ウルトラ怪獣研究家の間ではさまざまな説が提唱されている。ラクダのコブのように栄養が蓄えられている、とか、宇宙の放射線から頭を守るプロテクターだ、とか。

私の説を述べれば、ネックピローをもって宇宙に行かなかったことが原因だと考えている。激しく揺れる宇宙船の座席でネックピローなしにどうやって寝ることができようか。肩が盛り上がって頭を包み込むように変化するほかないのだ。

実際、ジャミラほどではないが、私たちも座りながら寝るのに苦労している。

電車で居眠りすれば、両隣で頭の押しつけあいが始まる。そして、居眠りしている人も、両隣に迷惑をかけまいと眠りながらも思うのか、どちらにももたれかからぬよう、頭をグルグル振りまわすありさまだ。

そして、航空機の中では、誰もが寝る時の頭の置き場に困っている。座って寝るかぎり、どんな姿勢を取っても、頭はグラグラし、首は不自然な形で折れ曲がる。もし、ネックピローという文明の成果がなかったら、私たちは自分の頭を機内持込みにせずに預けてしまっていたことだろう。

我々がこのような苦労をするのも、もとはといえば、我々の祖先が怠け者であったからだ。のんきに横になって寝るばかりで、座りながら寝られるように進化すべきなどと夢にも思わなかったのだ。

苦い文学

旅立ち

海外旅行で一番ハラハラさせられるときはいつだろうか。

飛行機がガクンと揺れるときだろうか。それとも異国の街の危険地帯に足を踏み入れたときだろうか。

だが、機内がどんなに悲鳴に満たされようと、剣呑な街角できらめいたナイフがどんなに鋭かろうと、空港の中での行列に並ぶのに比べれば、まったくハラハラさせられないのだ。

ああ、しかし空港の行列はどうして我々の神経をすり減らすのだろうか。

なぜか一向に列が進まないのだ。搭乗時間が迫っているというのに。びくとも動かない。

確かに前の方では列は進んでいる。その進みがたとえ5メートルだとしても、後ろに伝わっていく間に、少しずつむしり取られ、私の並ぶ後方に来るときはに、わずかに 1 センチにまで減ってしまうのだ。

みんな話に夢中で列を詰めるのを忘れてしまっているのだ。

いったい、いつ私は旅立てるのだろうか。たぶん、そのうち、パスポートの有効期限が切れてしまうだろう……。

苦い文学

落とし穴と振り子

どのようにしてその居酒屋にたどり着いたのだろうか。気がつくと私はその店に足を踏み入れ、指を一本立てて、ひとりであることを店の者に伝えていたのだった。

酔客たちの騒ぎ声とグラスの音の音に圧倒されながら、私は店の者の示す席に座る。それは8人掛けの大テーブルの一席で、両脇も前も見知らぬ人々で占められていた。まるで落とし穴に放り込まれたような気がした。

ホール係の年配の女性に酒と唐揚げを頼み、飲み始める。両脇の酔客たちがどっと笑い出し、手を叩きあった。まるで火山が爆発したかのようだった。だが、次第に私はこの騒ぎに順応し、スマホを見ながらひとり酒を楽しみ出した。

酔いの回った目でスマホの画面を眺めていると、ふと誰かの視線を感じた。反射的に目を上げると、向かいに座る不気味な老人と目が合った。老人は赤い顔で私に尋ねた。

「どうして酒場でスマホなど見ているのかね……」

私は曖昧な返事をしたが、それがまずかったらしい、老人は私をじっと見つめながら「最近の若い人は」に始まる長い話を始めたのだった。

おお、その長い話から逃げ出すのは不可能だった。内容もなければ起承転結もないタワゴトは私の自由を奪い、私は老人の囚人となった。もはや一口だって酒を飲むことすらできなかった。

私は、必死になって話の切れ目を探した。そこを突き破って逃走しようした。だが、老人は息継ぎなしで話し続ける。驚異的は肺活量だった。

やがて私は気がついた。老人の話がまるで振り子のように行ったり来たりしているのを。おお、さっきから同じ話を何度も繰り返しているのだ。振り子は速度を増しながら私に迫ってきた。私は満身の力を振り絞り、目の前の唐揚げにかぶりつき、間一髪で振り子をかわした。

すると、老人は怒り出したではないか。火を吹かんばかりの憤怒の表情で、私の方に顔をぐいぐい近づけてくる。とっさに逃れようとしたが、左右も後ろも酔客たちに囲まれ、逃げ場はなかった。男の口から蛇の舌のような炎が放たれ、私を焼き尽くそうとしていた。

もはや気を失って倒れようとした時、誰かの腕が私を支えた。それはあのホールの年配の女性であった。彼女は忌まわしい老人を一喝し、店から追い出し、私の命を救ったのであった。

苦い文学

乳首の証明

夏休みの自由研究として「どうして男はチューブトップを着ないのだろうか」について調べてみた。

毎日あまりにも暑いので、ヘソだしチューブトップを着ている女性がうらやましくなったからだ。

もちろん、男がチューブトップを着ないというわけではない。探せばどこかにいるだろうし、特別な場面では着るかもしれない。だが、街をに出てみると、チューブトップ・ヘソ出しで歩いている中年男性はまるで見かけないのだ。若者すらいない。これはどうしてだろうか。

さて、インターネットで調べてみたら、すぐに答えが見つかった。そのサイトによれば、「男はチューブトップを着ない」という命題は、以下の2つの命題から導き出されるのだという。

「男は乳首を隠してはならない」
「女は乳首を隠さねばならない」

この命題は次の2つの命題を論理的に引き出す。

「男は上半身裸になることができる。なぜなら乳首を隠してはならないからだ」
「女は上半身裸になることができない。なぜなら乳首を隠さねばならないからだ」

この2つの命題は次のように解釈することができる。

「女は乳首を隠しているかぎり、肌を露出することができる」
「男は乳首を隠さないでいるかぎり、肌を露出することができる」

男のほうの命題は、次のように言い換えるとわかりやすくなる。

「男は、乳首を隠していると認識されるような様態での肌の露出は許されない」

ゆえに「男はチューブトップかつヘソ出しは許されない」Q.E.D.

ここまでが、そのサイトからの無断引用だ。もっとも、最近では性のありかたも変わってきているから、この証明そのものは、もはや普遍的なものとは言えないのではないかと思われる。

それにしても私はこの証明を読みながら、あの有名な古い歌を口ずさまずにはいられなかったのだ。

隠すのは男の罪  
それを隠さないのは女の罪……