苦い文学

年越しそばの幻影

【相談者より】
いつも楽しく拝見しております。年越しそばのことについて悩んでおり、お便りいたしました。

まず、どうして日本人が年越しそばを食べるかということなんですが、細く長いそばを食べることが長生きに通じ、またそばが切れやすいことが、不幸や災難を切り捨てるという厄払いに通じるからだということです。

ところが、先日インターネットでこんな意見を見かけました。

「年越しそばは絶対に食べるべきではない。なぜなら、細く長いそばを食べることは不幸や災難を長続きさせ、切れやすいそばを食べると、寿命が早く切れるからだ。年越しそばは日本人を滅亡させるために、GHQ が流行らせたのだ」

私はこれを読んで以来、年越しそばを食べていいものかどうか、悩み苦しんでおります。どうかお助けください。

【回答者:そば職人】
さぞかしご心配のことと思いますが、年越しそばを召し上がっても問題ないかと思います。

と言いますのも、年越しそばとは、実現不可能な空想上の食べ物だからです。つまり、年末にみなさまが召しがっている年越しそばは、本当は年越しそばではないのです。ですので、「GHQ が流行らせた云々」以前に、偽の年越しそばなのですから、食べてもいかなる効能も害もございません。

この年越しそば、どうして空想上の食べ物かと言いますと、現実的には「細くて長い」と「切れやすい」の両立は不可能だからです。細くて長いそばは切れやすくてはいけませんし、切れやすいそばは細くて長くあることはできません。ですので、年越しそばは存在しえないのです。

私たち、そば職人はこの実現不可能な年越しそばをなんとかして実現しようと、江戸時代から努力と研究を積み重ねてまいりましたが、完成にはまだまだ数十年要すると考えております。

ですので、どうぞご安心して年越しそばを召し上がってください。そして、お召し上がりになりながら、そば職人が長年思い描いてきた想像上の年越しそばに思いを馳せてください。おそらくそれは、長寿や厄払いよりも、あなたに素敵な効果をもたらすのではないでしょうか。

苦い文学

お花畑

「パヨクはお花畑、そう日本国民はおっしゃいます」と、案内人は私たちに言いました。

「そこで、みなさまにここにおいで願ったわけです」と、目の前に広がるお花畑を私たちに示しました。「日本の国民の方々は、お花畑という言葉で、私たちが何も考えていない愚か者だと嘲り、罵ります。ですが、よくご覧ください」

案内人は美しい花々に注意を向けました。「色とりどりに咲き誇っていると思いませんか? 考えてみてください。このお花畑を維持するのにどれだけの手間と時間かかっているか。それは決して簡単なことではないのです。ああ、ご覧ください」 案内人はお花畑の向こうからやってくる男を指差しました。

「あの方は、このお花畑の責任者なのです」 私たちはその園丁を見て笑わずにはいられませんでした。「男のくせにお花畑なんて!」 「男なら国を守るべきだろ!」

園丁は黙って軽く会釈をすると、屈んで花の世話を始めました。そのときです。一群の男たちが花畑にやってきて花を踏みにじり始めました。案内人が悲痛な叫びをあげます。すると、園丁は素早く立ち上がり、男たちの中に飛び込んでいくと、素手で格闘を始めました。パンチで撃ちのめし、回し蹴りを見舞い、当て身で突き飛ばし、たちまち乱暴者どもをなぎ倒しました。男たちは血まみれになって花畑の中に転がっています。

まるで映画のワンシーンのような光景に私たちは息を呑むばかりでした。案内人が興奮して叫びました。「あの方はああやって陰謀論者からこの美しい花園を守ってくれているのです!」

園丁は、筋骨隆々たる両腕を腰のあたりでぐいと引いて「押忍ッ」と私たちに挨拶すると、再び花の世話を始めました。

苦い文学

Homecomings@Zepp Shinjuku

Homecomings は 3 人組のバンドで、もともとはドラムがいたが今年の初めに抜けたそうだ。私はこのバンドについてあまりよく知らないが、10 月 25 日の Say Sue Me のライブでオープニングアクトを務めていて、それが良かったので、12 月 28 日に Zepp Shinjuku で行われたワンマンライブツアーの最終公演にも行くことにした。

新しいアルバム(see you, frail angel. sea adore you.)が 11 月末に出たばかりだったが、私はうかつにもほとんど聞かずに行った。10 月 25 日のときはギターバンドという感じで、それが気に入ったが、今回は新譜を中心にひたすら気持ちのいい音と曲を演奏し続けるというものだった。

MC もライブの半ばに 1 回だけ、アンコールもなし、というスタイルで、とにかく自分たちの音の世界を途切れなく提示することに集中したステージだった。照明の演出も非常に巧みで感心させられた。会場の後ろのほうだったので、あまりステージは見えなかったが、音の空間を味わうには十分だった。

たった 1 回の MC では、アルバムの制作の大きなきっかけが 1 月の能登半島地震であったことや、好きなことをとことんやった、というようなことを言っていた。社会問題に対する関心も曲作りに反映されているようで、そういえば 10 月 25 日のステージには「いますぐパレスチナ停戦と解放を!」みたいなボードがさりげなくアンプの下に立てかけられていた。

終演後、東京追加公演が 2 月 19 日に渋谷で開催されることが発表された。私はさっそく抽選に申し込んだので、運がよければまた行けるだろう。

苦い文学

未来の歴史

最近、研究者と知り合いになった。なかなか近づきになる機会もないので、私は思い切っていろいろ質問してみた。

なんでも歴史の研究者だという。「徳川綱吉とかですか」と私が尋ねると、研究者は笑って「ええ、それも歴史の研究ですが、少し違うのです。貴族の歴史を研究しているのです」

「貴族というと、江戸時代にはいないですよね」

「いいえ、いましたよ。ですが、私の研究しているのは昔の貴族ではなく、未来の貴族なのです」

「未来に貴族が?」

「ええ、未来世界では貴族がいっぱいなのです」 研究者は私に未来の貴族社会について教えてくれた。確かに銀河の皇帝はもちろん、伯爵や男爵で溢れているのだ。

「ところで」と研究者。「現在の日本には貴族はいませんよね」

「ですが、勲章はありますよ」と私は上級国民のことを思い出しながら言った。

「なるほど、それも貴族社会の名残のようなものですね。ですが、基本的には貴族はいませんし、そうした名残もますますなくなっていくでしょう。これは実は世界的な傾向なのです。貴族という身分制がなくなって、誰もが平等だとする民主主義が広がりつつあります」

「確かに。でも YouTuber は貴族みたいに威張ってますよ……」 研究者は私の言葉を聞かずに話しはじめた。

「ですが、おかしくありませんか? 世界が今後ますます平等になっていくのに、遠い未来ではなぜか貴族がたくさんいるのです。どういう歴史的な過程を経て、未来においてこの貴族が生まれたのだろうか、それが私の研究テーマなのです」

「大変なご研究ですね」

そのとき、この歴史研究者の隣にいた別の研究者が口を挟んだ。

「私も実は似たような研究をしているのです」

「なんと、それはどういった」

「フェミニズムの歴史です」

「というと、生類憐れみの令とか?」

「いや、フェミニズムとは、男性の一部としてではなく、ひとりの人間として女性も生きることができる、という考え方です。現在の世界ではこうした考えが徐々に広がっています。ですが、ここで問題があるのです」

「どんな問題ですか?」

「未来は、現在よりも確実に女性が自分らしく生きることのできる社会になっているはずなのですが、どうしたわけか、どの女性もみなビキニを着て宇宙を飛び回っているのです……いったいどういう歴史的な過程を経たのでしょうか……」

苦い文学

うさぎとかめ

私の人生は、まさに恥辱と侮蔑そのもので、喜びや歓喜とは無縁の寂しいものだ。生きる価値があるものかわからない。だがそれでも生きている。

もっとも、人生を終わらせたいとき、つまり、どこかの高みから身を投げたいときもある。そんなとき、私はいつもある物語を思い出す。その物語には不思議と私に命を捨てさせない力があるのだ。

それは「うさぎとかめ」という物語だ。

うさぎとかめがかけっこの勝負をするのだ。うさぎは足が速いからどんどん先に行ってしまう。かめはノロマでぐずぐず歩いている。うさぎは勝ちを確信して、途中で一休みして眠ってしまう。その間にかめは追い抜き、うさぎより先にゴールしてしまうのだ。

元気が出る。勇気が出る。そして、もう少し踏ん張ってみようという気になる。この物語にはそんな力がある。

うさぎはこの物語のために負け、その結果、この物語が語られるかぎり、敗者という汚名を着せられることとなったのだ。だが、この汚名を苦にして、うさぎが滅びたという話は聞かない。最大の恥辱も、うさぎを打ちのめすことはできなかったのだ。

同じく敗者であるこの私も、打ちのめされぬものであり続けたいと思う。

苦い文学

クマの新しい駆除法

私たちの県では今、クマ被害が大問題になっている。クマが山から降りてきて、農作物を食べ荒らしたり、人々に危害を加えているのだ。犠牲者まで出ている。

はじめは猟友会が銃で仕留めていた。だが、お駄賃を渋ったら臍を曲げて引き上げてしまった。それ以来、私たちの地域は荒らされ、脅かされている。

そんな中、私たちの県知事がすばらしいアイディアを出した。「ドローンから落とした爆発物をクマに食べさせ、リモコンで腹の中で破裂させるのだ」

県は全力を上げて実用化に取りかかった。爆発物自体を作るのは簡単だった。問題は、それをどうクマに食べさせるかだった。研究者たちは県営動物園のクマを相手にいくども実験を繰り返した。おいしそうな匂いをつけたり、はちみつを塗ったり、生肉を巻きつけたり……どんなに工夫をしても、クマは食べないのだった。この作戦は失敗だった。

そして、先ほど県知事は、私たち県民に向けて新たな作戦を発表した。

「県は、人間が爆発物を飲み込んで、クマに食べられに行くのがいちばんだという結論に達した。マイナンバーの最後の数字が9の県民は全員、各市役所に来るように……」

苦い文学

ノイキャン

音に敏感なタチなのかどうかわからないが、外出するときはいつもノイズキャンセリングのイヤホンをしている。一度、イヤホンを忘れて外に出たことがあったが、不安になって取りに戻ったぐらいだ。世界はうるさく耳障りで煩わしいのだ。

外界の音が聞こえないのでは危ないではないかとか、つけっぱなしでは耳によくないとか、外さないのは相手に失礼ではないかとかのうるさい小言も、ノイキャンのスイッチを入れればまったく聞こえない。

ところで、このノイキャンを憎んでいる人々がいる。はっきり言えば駅員たちだ。自分たちの自慢のアナウンスがキャンセルされるのがどうも気に食わないらしいのだ。自分の電車はいくらでもキャンセルするのにだ。だから、駅員たちは訓練の末(かどうかは知らないが)、新しい発声法を身につけた。ノイズキャンセルキャンセル話法だ。

このノイキャンキャン声で車内アナウンスされると、キャンセル機能が耳に築き上げた防壁は簡単に崩壊してしまう。駅員の声が私たちの耳にダイレクトに突き刺さってくるのだ。私たちは悲鳴をあげてのたうち回る。電車の吊り革に両手を縛りつける(そうしないと、自分の耳をもぎ取ってしまうのだ)。

私たちはオーディオ売り場に飛んでいき、新しいイヤホンの開発をお願いする。ノイズキャンセルキャンセルキャンセル機能搭載のイヤホンを早く! ……だが、私たちがこのノイキャンキャンキャン・イヤホンを手に入れるころには、駅員たちはすでにノイキャンキャンキャンキャン声でアナウンスを始めているのだ!

いったいいつまでこの戦いは続くのだろうか。それはさておき、一般の乗客は私たちのこの戦いをキャンキャンキャンキャンうるさいと思っていることだろう。

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ライブ授業

僕たちの学校に新しい先生が加わった。でも、ロン毛でぴちぴちのジーンズでちょっと変わってるんだ。「先生、どうしてそんなカッコなの」と聞くと先生はサングラスをちょっと下げて答えたんだ。

「なんでって、先生はロックミュージシャンだからさ」

「えー、先生じゃないの」

「どっちも一緒さ」

先生は言うんだ。「授業はライブだ」って。だから先生は毎日授業の前にツイッター(現X)にこんな投稿をするんだ。

ライブの告知でーす。
初めてのワンマン@2-5教室でーす。待ってるゼ!
12月18日 1−6教室 開場08:40、開演08:45 【SOLD OUT】
12月18日 2−5教室 開場09:30、開演09:35 【残席わずか、S席完売】
12月18日 1−6教室 開場09:40、開演09:45 【当日券有】

でも、授業に出席するのはいつだって同じクラスの子ばかりだ。

先生の授業はいつも楽しくて面白い。僕たちはとっても勉強が大好きになったんだ。それに先生はたのもしいんだ。いじめっ子を「お前はステージ裏の開放席行きだ!」と教室から追い出したときは、もう大喝采だった。

だけど、先生にはひとつだけイヤなところがあるんだ。それは、どんな授業の前にも先生にかならず 60 円払わなくてはならないこと。ドリンク代だっていうけど、いつも紙コップに水道の水なんだ。

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パーカー

ある若い女性が、おじさんがパーカーを着ることに異議を唱えた。「40歳近くになってパーカーを着ているおじさんはおかしい」というのだ。

これに対して、おじさんたちは「おじさんがパーカーを着てなにが悪い。なにを着ようと自由ではないか」と猛反発をした。さらに「おじさんのパーカーはダメ」と発言した女性のもとに脅迫まがいのメッセージが届くようになった。パーカーおじさんは暇なのだ。女性は法的措置も辞さないと息巻いている。

現在のところ、この論争には決着がついていないように思えるが、私なりにパーカーおじさん論争の行方を予測してみよう。

若い女性たちとパーカーおじさんたちの対立は今後も激化するだろう。そして、若い女性たちは「パーカーを着ていいおじさんと着てはいけないおじさんがいる」と発言し、パーカーおじさんの固い結束に揺さぶりをかけるはずだ。

その結果、パーカーおじさん側の分派闘争に発展する。自分たちこそパーカーが似合うとする、「パーカー着ていいおじさん派」と、パーカーはあらゆるおじさんに開かれているとする「着るときはみんな一緒派」に分裂し、パーカーで血を洗う闘争が繰り広げられる。

そして、「パーカー着ていいおじさん派」が若い女性たちと同盟を結び、共同戦線を張ることが電撃発表される。この発表以後、パーカーを着てはいけないおじさんに対する組織的虐殺が開始される。

苦い文学

猿の手に

ネパールの日本語学校で使っているという教科書を見せてもらった。現地でネパールの日本語教師が出版したもののようだ。表紙を開くと、なにやら偉い人の写真が載っているが、ネパール語が読めないのでだれだかわからない。

教科書は分厚く、かなりの情報量だ。会話と単語と文型がびっしり詰め込まれている。日本語の後に、ネパールの文字で発音が記され、ネパール語と英語でその意味が書いてある。

パラパラと見ていた私は、「ことわざ」と書かれたページに目が止まった。日本のことわざが紹介されている。

最初は「1.てんせきこけ を しょうぜず」。発音、ネパール語訳、英訳が記してある。次は「2.ねこの て も かりたいほど だ」だ。だが、英訳はない。3つ目は「ねこにこうばん」。英訳はないが、「こうばん」は交番ではなく小判のことだろう。

そして、4つ目に「さるの て に ここのつ」とあった。

「猿の手に九つ」? 英訳もないので意味がわからない。日本語の教科書に載るようなことわざに知らないものがあったとは。

私は自分の教養のなさを恥ずかしく思い、「猿の手に九つ」をさっそく検索した。

……いろいろ調べてみてわかったのだが、本当は「猿の手にココナッツ」だった。ネパールのことわざで、意味は「猫に小判」と同じだ。