苦い文学

AI タレント

AI が作り上げた AI タレントが、企業の広告や CM に起用され始めている。AI タレントならば、費用も安いし、スケジュールの調整も不要。撮影だっていらない。それに何よりありがたいのは、スキャンダルや不祥事というリスクがないことだ。

「今後、 AI タレント の活躍の場は、CM ばかりでなく、テレビにも広がって行くでしょうね」と語るのはテレビ業界関係者だ。その第一の理由は、やはり不祥事対策。生身のタレントは、同意のないものに目がないのだそうだ。

だが、AI タレントは、生身のタレントの存在感や個性、知名度の点ではるかに劣る。AI タレントが「育って」いけば、いずれは解決される問題かもしれないが、それなりの時間がかかりそうだ。

そこで、現在進められているのは、すでに鬼籍に入ったタレントたちを AI で蘇らせて、冠番組を持たせるというプラン。関係者によれば「結局、死んだタレントがいちばん安全なんですよ」ということだ。近いうち、『エンタツ・アチャコの行列のできる法律相談所』、『エノケン・ロッパのCDTV』『徹子の部屋』などが放送される予定とか。

もっとも、それでも存命の人気タレントにはかなわない、という意見もある。「もういっそのこと松ちゃんと中居くんを殺して、AI にしちゃおう、だなんて話でテレビ業界はもちきりですよ」と関係者は語っている。

苦い文学

生物多様性ってホントに大事?

近ごろ、意識高い系の人々が声高に唱えるのが、生物多様性。ナンでも地球上には 3000 万種もの生物がいるとのことで、この多様な生物を大切にしようって主張してるんだとか。

ですが、ちょっと考えると、生物多様性というのはとてもオカシナ考えです。

例えば、ひとつしかチャンネルの映らないテレビがあったとしたらどうでしょうか。テレビチャンネルというのは普通、いくつもあるのですから、私たちはチャンネルごとにテレビを買わなければなりません。生物多様性主義者に言わせれば、これがテレビの多様性だとのことです。

ほんとにバカバカしいですね。ひとつのテレビで全部のチャンネルを見られるようにすればいいじゃないですか。そうです。ひとつのテレビで十分なのです。テレビの多様性なんて、喜ぶのはテレビのメーカーだけでしょう(生物多様性にしても、サテサテ、いったい誰が得するのかな?)。

生物についても同じです。3000 万種なんていらないのです。この世にはカワイイ動物はたくさんいますが、「カワイイ」というイデエはひとつなのですから、結局、究極にカワイイ生物が 1 種あれば十分なのです。

食用生物だって同じです。豚、牛、魚、鳥、いろいろな生物がいますが、要するに食べてオイシければいいのです。ツマリ、食用動物だって 1 種類でいいのです。イヤ、動物それぞれに固有のおいしさがある、だなんて反論する人もいるヤモしれませんが、それは部位や調理の仕方でドウにでもなります。

乗り物になる生物や役に立つ生物にしても同じです。1 種類いれば十分です。イヤ、愛玩生物、食用生物、有用生物、毛皮用生物、実験用生物……そんなふうに増やしていったらキリがありませんよね。イッソのこと、すべての機能を兼ね備えた生物ならば、これ、 1 種類だけでよくありませんか。カワイくて、オイシくて、皮も使えて、乗り物にもなって……ネ。タッタ 1 種で済むところを、3000 万種だなんてイキっていた生物多様性主義の諸君、どうですか? もうグウの音も出ないって?

ええ、ですから、私はこの地球には生物は人間だけでコト足りると思ってるンです。捨てるとこなんてないですからね、ホント。

苦い文学

東京ディズニーランドのビザ

浦安に近づくにつれ、目につくようになるのは、行政書士や弁護士事務所の広告だ。そのどれにも「ビザの取得はおまかせ!」とか「ビザでお悩みの方! ぜひ当弁護士にご相談ください」とか書かれている。もしあなたに経済的な余裕があるなら、こうした専門家に頼むのもいいかもしれない。

だが、東京ディズニーリゾートのビザの取得は、個人でも十分可能だ。ただし、書類集めはかなり大変だ。事前に用意しなくてはいけないのは以下の通り。

・申請書
・入園目的の陳述書
・就労証明書、犯罪経歴証明書
・身元保証人の宣誓供述書(もしくは招へい書)
・経済力を証明するもの:納税証明書か銀行残高証明書(1,000 万円以上)

これらはもちろん、英訳したものと一緒に提出しなくてはならない。許可・不許可の通知が来るのは、申請から1ヶ月ほどだ。東京ディズニーリゾート当局は明らかにしていないが、およそ8割が不許可となる。その理由も非開示だが、過去のネット上の発言、具体的には、ディズニー・キャラクターへの敵対的・侮蔑的なコメント、テロリストへの共感などが問題となった場合も多々あると見られる。心当たりのある方は専門の業者に頼んで削除してもらうことをお勧めする。

運よくビザが取れたとしても、入園当日まではネットなどでの発言にやはり慎重になるべきだ。ゲートの審査で別室に連行され、ミッキーマウスたちから執拗な取り調べを受けた末、強制送還となるケースもしばしば報告されている。

なお、ビザ不許可者の中には、闇業者の船で海から密入国を試みるものがいるが、これはもちろんやめたほうがいい。騙されて東京湾の第一海堡に置き去りにされる被害が後を絶たない。

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年越しそばの幻影

【相談者より】
いつも楽しく拝見しております。年越しそばのことについて悩んでおり、お便りいたしました。

まず、どうして日本人が年越しそばを食べるかということなんですが、細く長いそばを食べることが長生きに通じ、またそばが切れやすいことが、不幸や災難を切り捨てるという厄払いに通じるからだということです。

ところが、先日インターネットでこんな意見を見かけました。

「年越しそばは絶対に食べるべきではない。なぜなら、細く長いそばを食べることは不幸や災難を長続きさせ、切れやすいそばを食べると、寿命が早く切れるからだ。年越しそばは日本人を滅亡させるために、GHQ が流行らせたのだ」

私はこれを読んで以来、年越しそばを食べていいものかどうか、悩み苦しんでおります。どうかお助けください。

【回答者:そば職人】
さぞかしご心配のことと思いますが、年越しそばを召し上がっても問題ないかと思います。

と言いますのも、年越しそばとは、実現不可能な空想上の食べ物だからです。つまり、年末にみなさまが召しがっている年越しそばは、本当は年越しそばではないのです。ですので、「GHQ が流行らせた云々」以前に、偽の年越しそばなのですから、食べてもいかなる効能も害もございません。

この年越しそば、どうして空想上の食べ物かと言いますと、現実的には「細くて長い」と「切れやすい」の両立は不可能だからです。細くて長いそばは切れやすくてはいけませんし、切れやすいそばは細くて長くあることはできません。ですので、年越しそばは存在しえないのです。

私たち、そば職人はこの実現不可能な年越しそばをなんとかして実現しようと、江戸時代から努力と研究を積み重ねてまいりましたが、完成にはまだまだ数十年要すると考えております。

ですので、どうぞご安心して年越しそばを召し上がってください。そして、お召し上がりになりながら、そば職人が長年思い描いてきた想像上の年越しそばに思いを馳せてください。おそらくそれは、長寿や厄払いよりも、あなたに素敵な効果をもたらすのではないでしょうか。

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お花畑

「パヨクはお花畑、そう日本国民はおっしゃいます」と、案内人は私たちに言いました。

「そこで、みなさまにここにおいで願ったわけです」と、目の前に広がるお花畑を私たちに示しました。「日本の国民の方々は、お花畑という言葉で、私たちが何も考えていない愚か者だと嘲り、罵ります。ですが、よくご覧ください」

案内人は美しい花々に注意を向けました。「色とりどりに咲き誇っていると思いませんか? 考えてみてください。このお花畑を維持するのにどれだけの手間と時間かかっているか。それは決して簡単なことではないのです。ああ、ご覧ください」 案内人はお花畑の向こうからやってくる男を指差しました。

「あの方は、このお花畑の責任者なのです」 私たちはその園丁を見て笑わずにはいられませんでした。「男のくせにお花畑なんて!」 「男なら国を守るべきだろ!」

園丁は黙って軽く会釈をすると、屈んで花の世話を始めました。そのときです。一群の男たちが花畑にやってきて花を踏みにじり始めました。案内人が悲痛な叫びをあげます。すると、園丁は素早く立ち上がり、男たちの中に飛び込んでいくと、素手で格闘を始めました。パンチで撃ちのめし、回し蹴りを見舞い、当て身で突き飛ばし、たちまち乱暴者どもをなぎ倒しました。男たちは血まみれになって花畑の中に転がっています。

まるで映画のワンシーンのような光景に私たちは息を呑むばかりでした。案内人が興奮して叫びました。「あの方はああやって陰謀論者からこの美しい花園を守ってくれているのです!」

園丁は、筋骨隆々たる両腕を腰のあたりでぐいと引いて「押忍ッ」と私たちに挨拶すると、再び花の世話を始めました。

苦い文学

Homecomings@Zepp Shinjuku

Homecomings は 3 人組のバンドで、もともとはドラムがいたが今年の初めに抜けたそうだ。私はこのバンドについてあまりよく知らないが、10 月 25 日の Say Sue Me のライブでオープニングアクトを務めていて、それが良かったので、12 月 28 日に Zepp Shinjuku で行われたワンマンライブツアーの最終公演にも行くことにした。

新しいアルバム(see you, frail angel. sea adore you.)が 11 月末に出たばかりだったが、私はうかつにもほとんど聞かずに行った。10 月 25 日のときはギターバンドという感じで、それが気に入ったが、今回は新譜を中心にひたすら気持ちのいい音と曲を演奏し続けるというものだった。

MC もライブの半ばに 1 回だけ、アンコールもなし、というスタイルで、とにかく自分たちの音の世界を途切れなく提示することに集中したステージだった。照明の演出も非常に巧みで感心させられた。会場の後ろのほうだったので、あまりステージは見えなかったが、音の空間を味わうには十分だった。

たった 1 回の MC では、アルバムの制作の大きなきっかけが 1 月の能登半島地震であったことや、好きなことをとことんやった、というようなことを言っていた。社会問題に対する関心も曲作りに反映されているようで、そういえば 10 月 25 日のステージには「いますぐパレスチナ停戦と解放を!」みたいなボードがさりげなくアンプの下に立てかけられていた。

終演後、東京追加公演が 2 月 19 日に渋谷で開催されることが発表された。私はさっそく抽選に申し込んだので、運がよければまた行けるだろう。

苦い文学

未来の歴史

最近、研究者と知り合いになった。なかなか近づきになる機会もないので、私は思い切っていろいろ質問してみた。

なんでも歴史の研究者だという。「徳川綱吉とかですか」と私が尋ねると、研究者は笑って「ええ、それも歴史の研究ですが、少し違うのです。貴族の歴史を研究しているのです」

「貴族というと、江戸時代にはいないですよね」

「いいえ、いましたよ。ですが、私の研究しているのは昔の貴族ではなく、未来の貴族なのです」

「未来に貴族が?」

「ええ、未来世界では貴族がいっぱいなのです」 研究者は私に未来の貴族社会について教えてくれた。確かに銀河の皇帝はもちろん、伯爵や男爵で溢れているのだ。

「ところで」と研究者。「現在の日本には貴族はいませんよね」

「ですが、勲章はありますよ」と私は上級国民のことを思い出しながら言った。

「なるほど、それも貴族社会の名残のようなものですね。ですが、基本的には貴族はいませんし、そうした名残もますますなくなっていくでしょう。これは実は世界的な傾向なのです。貴族という身分制がなくなって、誰もが平等だとする民主主義が広がりつつあります」

「確かに。でも YouTuber は貴族みたいに威張ってますよ……」 研究者は私の言葉を聞かずに話しはじめた。

「ですが、おかしくありませんか? 世界が今後ますます平等になっていくのに、遠い未来ではなぜか貴族がたくさんいるのです。どういう歴史的な過程を経て、未来においてこの貴族が生まれたのだろうか、それが私の研究テーマなのです」

「大変なご研究ですね」

そのとき、この歴史研究者の隣にいた別の研究者が口を挟んだ。

「私も実は似たような研究をしているのです」

「なんと、それはどういった」

「フェミニズムの歴史です」

「というと、生類憐れみの令とか?」

「いや、フェミニズムとは、男性の一部としてではなく、ひとりの人間として女性も生きることができる、という考え方です。現在の世界ではこうした考えが徐々に広がっています。ですが、ここで問題があるのです」

「どんな問題ですか?」

「未来は、現在よりも確実に女性が自分らしく生きることのできる社会になっているはずなのですが、どうしたわけか、どの女性もみなビキニを着て宇宙を飛び回っているのです……いったいどういう歴史的な過程を経たのでしょうか……」

苦い文学

うさぎとかめ

私の人生は、まさに恥辱と侮蔑そのもので、喜びや歓喜とは無縁の寂しいものだ。生きる価値があるものかわからない。だがそれでも生きている。

もっとも、人生を終わらせたいとき、つまり、どこかの高みから身を投げたいときもある。そんなとき、私はいつもある物語を思い出す。その物語には不思議と私に命を捨てさせない力があるのだ。

それは「うさぎとかめ」という物語だ。

うさぎとかめがかけっこの勝負をするのだ。うさぎは足が速いからどんどん先に行ってしまう。かめはノロマでぐずぐず歩いている。うさぎは勝ちを確信して、途中で一休みして眠ってしまう。その間にかめは追い抜き、うさぎより先にゴールしてしまうのだ。

元気が出る。勇気が出る。そして、もう少し踏ん張ってみようという気になる。この物語にはそんな力がある。

うさぎはこの物語のために負け、その結果、この物語が語られるかぎり、敗者という汚名を着せられることとなったのだ。だが、この汚名を苦にして、うさぎが滅びたという話は聞かない。最大の恥辱も、うさぎを打ちのめすことはできなかったのだ。

同じく敗者であるこの私も、打ちのめされぬものであり続けたいと思う。

苦い文学

クマの新しい駆除法

私たちの県では今、クマ被害が大問題になっている。クマが山から降りてきて、農作物を食べ荒らしたり、人々に危害を加えているのだ。犠牲者まで出ている。

はじめは猟友会が銃で仕留めていた。だが、お駄賃を渋ったら臍を曲げて引き上げてしまった。それ以来、私たちの地域は荒らされ、脅かされている。

そんな中、私たちの県知事がすばらしいアイディアを出した。「ドローンから落とした爆発物をクマに食べさせ、リモコンで腹の中で破裂させるのだ」

県は全力を上げて実用化に取りかかった。爆発物自体を作るのは簡単だった。問題は、それをどうクマに食べさせるかだった。研究者たちは県営動物園のクマを相手にいくども実験を繰り返した。おいしそうな匂いをつけたり、はちみつを塗ったり、生肉を巻きつけたり……どんなに工夫をしても、クマは食べないのだった。この作戦は失敗だった。

そして、先ほど県知事は、私たち県民に向けて新たな作戦を発表した。

「県は、人間が爆発物を飲み込んで、クマに食べられに行くのがいちばんだという結論に達した。マイナンバーの最後の数字が9の県民は全員、各市役所に来るように……」

苦い文学

ノイキャン

音に敏感なタチなのかどうかわからないが、外出するときはいつもノイズキャンセリングのイヤホンをしている。一度、イヤホンを忘れて外に出たことがあったが、不安になって取りに戻ったぐらいだ。世界はうるさく耳障りで煩わしいのだ。

外界の音が聞こえないのでは危ないではないかとか、つけっぱなしでは耳によくないとか、外さないのは相手に失礼ではないかとかのうるさい小言も、ノイキャンのスイッチを入れればまったく聞こえない。

ところで、このノイキャンを憎んでいる人々がいる。はっきり言えば駅員たちだ。自分たちの自慢のアナウンスがキャンセルされるのがどうも気に食わないらしいのだ。自分の電車はいくらでもキャンセルするのにだ。だから、駅員たちは訓練の末(かどうかは知らないが)、新しい発声法を身につけた。ノイズキャンセルキャンセル話法だ。

このノイキャンキャン声で車内アナウンスされると、キャンセル機能が耳に築き上げた防壁は簡単に崩壊してしまう。駅員の声が私たちの耳にダイレクトに突き刺さってくるのだ。私たちは悲鳴をあげてのたうち回る。電車の吊り革に両手を縛りつける(そうしないと、自分の耳をもぎ取ってしまうのだ)。

私たちはオーディオ売り場に飛んでいき、新しいイヤホンの開発をお願いする。ノイズキャンセルキャンセルキャンセル機能搭載のイヤホンを早く! ……だが、私たちがこのノイキャンキャンキャン・イヤホンを手に入れるころには、駅員たちはすでにノイキャンキャンキャンキャン声でアナウンスを始めているのだ!

いったいいつまでこの戦いは続くのだろうか。それはさておき、一般の乗客は私たちのこの戦いをキャンキャンキャンキャンうるさいと思っていることだろう。