ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(3)

義太夫教室では、毎年 3 月に過去の卒業生が集まって演奏を披露する会が開かれる。この会はまた、新たな卒業生が練習の成果を発表する場でもある。つまり、私を含めた受講生 7 名が初舞台を踏むのだ。

9 月に実践コースが始まったとき、私はこの「卒業発表会」のことは知っていたが、あまり気にはしなかった。なぜなら半年以上先のことだったから。それよりも、課題として与えられた短い曲を弾くのに夢中だった。このころの私は、エレキギターの経験からわりに楽しく三味線を弾けていた。

課題曲は少しずつ増えていった。曲も複雑になっていく。メロディそのものは難しくない。だが、弾き方が難しい。ギターでいうピッキングのダウンとアップは三味線にもあるが、三味線ではそれがギター以上に音色を左右する。私はギターを弾くときもピッキングがいい加減なので、三味線でも苦労するようになってきた。

それに、左手の指で弦をはじく弾き方もある。これは、エディ・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法みたいなものだが、タイミングが難しく、あんなふうに笑顔でできない。

難度が上がってきているのに、私は家でまったく練習しなかった。時間がなかったということもあるが、三味線を取り出してセットアップするのも、自分の耳を頼りに調弦するのも、わざわざ正座をするのも大変だった。

12 月を過ぎるころには、私はまったくついていけなくなっていた。土曜日の教室が終わるたびに、しっかり練習するぞと固く心に誓うのだが、気がつくと次の土曜の朝になっているのだ。

しまいには、教室に行くのも苦痛になった。三味線の先生はやさしい方だったし、教室の雰囲気もよかった。それでも、練習不足の引け目もあって、ぬけぬけと顔を出すような気がした。だが、私は家を出た。休む優秀な生徒よりも休まない不出来な生徒のほうがえらい、と心の中で繰り返しながら、教室のある赤坂見附に向かった。もっとも、いちばんえらいのは休まない優秀な生徒なのだが。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(2)

エレキギターを弾くといっても、たいした腕前ではない。だが、その経験は三味線にも少しは役立つのではないかと思っていた。はじめはたしかにそうだった。しかし、毎週土曜日の 1 時間の練習を重ねるうちに、似ているようでずいぶん違うところがあるとわかってきた。

まず、義太夫の三味線は正座して弾く。これが大変だ。いっぽうエレキギターは、だいたいジャンプして弾く。

次に、三味線はバチで弾く。バチというのは太いヘラのようなもので、これを独特の持ち方で持つ。小指が角に当たって非常に痛い。はじめのころは、教室のほうで絆創膏まで用意してくれていた。エレキギターはといえば、いたって簡単。歯で弾くだけだ。

三味線は構え方も重要だ。正座して、三味線の胴を右膝に乗せ、左手で棹(ネック)を斜めに支え、天神と呼ばれるヘッドの部分が下がらないように保つ。構えた姿が、全体として円く見えるのがよいのだそうだ。エレキギターには決まった構え方はない。ストラップを最長にして床スレスレまで下げて弾いてもいいし、首の後ろに乗っけて弾いてもいい。

ほかにも違いはいろいろあるが、私にとっていちばん大きかったのは、三味線をとにかく大切に扱えと言われたことだった。三味線コースの先生と助手の方々は、いつもそのことを繰り返し言っていた。そもそもが貴重でデリケートな楽器なのだ。だが、そのせいで、私はちょっとおっかなびっくりで扱ってしまった。

いっぽう、エレキギターは違う。ステージに叩きつけられても、炎に包まれても、ギュインギュイン鳴り続ける。

ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(1)

浄瑠璃を読むといっても、私は注釈付きで出版されたものしかわからないが、それでも読んでいるうちに、実際の舞台を見てみたく思うようになった。そこで、一度、去年の 1 月大阪まで文楽を見に行った。それはそれで面白かったが、観客席で見るだけでなく、もう少し近寄ってみたくなった。

調べてみると、東京の義太夫協会が「一日体験教室」をやっている。私は申し込み、その顛末についてこのブログでも書いた。だが、それからのことは書いていない。私はその後、去年の 4 月から 7 月にかけて 8 回開かれた「入門コース」に参加した。義太夫節の語り・三味線と座学(音楽、文化など)が学べる講座だ。8 回のうち、三味線の回は 1 回だけだったが、残念なことに、私は用事があって行けなかった。

「入門コース」の次に、9 月から「実践コース」がはじまった。ここで、語りコースと三味線コースの 2 つに分かれる。土曜日の 11 時から語り、12 時 10 分から 1 時間が三味線だ。どちらもやってみたかったが、2 つのコースとなると費用もかかる。もともと語りをやりたくてはじめたのだから、三味線はなくてもよかった。だが、体験教室ではじめて鳴らした三味線の感じがよみがえってきた。すると、私の心の中に暮らす数々のギター・ヒーローが、頼まれもしないのにジャガジャーンとギターをかき鳴らし、自慢のリフを繰り出した。

これはもう三味線もやるしかない、と結局両方申し込んだ。だが、三味線は本当に大変だった。ロックのギター・ヒーローなんてうかつに信じちゃいけない。

ライブ

別れた三味線に

私は去年の 9 月から三味線を週 1 回、習いはじめた。三味線は買うと 30 万円近くになるから、レンタルだ。月に 5,000 円で貸してくれる。これプラス、保証金が 10,000 円だ。ただし、これはレンタル終了時に三味線に破損などの問題がなければ返ってくる。

三味線は非常にデリケートな楽器だ。ソフトケースも貸してくれたので、これに入れて持ち歩いていたが、人混みなどでは心配だ。また、常に片手で支えていなければならないので不便だ。

同じ三味線教室に親切な人がいて、三味線用の頑丈なケースを譲ってくれた。これで三味線をどこかにぶつけて破損する心配もなくなった。また、自立してくれるので、電車の中でも両手が使える。ソフトケースよりもずっと重く、また大きいので邪魔だが、三味線教室があるたびに持ち歩いているうちに慣れた。

三味線教室の区切りは春の発表会だ。この日のためにみんなで練習した。私は最初のうちは忙しくてろくに練習もできなかった。また、せっかく頑丈なケースを手に入れたのに、かえって出すのがおっくうになって、入れっぱなしの日々が続いた。だが、発表会が近づくにつれて焦りだした。それで、毎晩、少しずつ練習して、なんとか発表会までに最低限のレベルに達した。

そして、今日がその発表会だった。初舞台を終えると、私は三味線返却の準備を始めた。短い間だったが、私の相棒だった楽器だ。別れるのに感傷がないというわけではない。悲しみを感じながら、私は三味線を元のソフトケースに入れ、返却の手続きを行った。担当の人は三味線をケースから出して、状態をチェックすると、保証金 10,000 円を返してくれた。私の悲しみはすっかり喜びに変わった。

家に帰る途中、自分が三味線を持っていないのにふいに気がついて、どこかで置き忘れたのではないかと、何度もドキリとした。

ライブ

ニガミ17才@東京キネマ俱楽部

ニガミ17才が2024年2月17日以来、2年ぶりにライブ活動を再開するというので、今日の東京公演(東京キネマ俱楽部)に行ってみることにした。

会場に行ってみると、たくさんの人がいた。年齢もさまざまだ。「待望の公演」とはよくいうが、これほどこれがぴったりのライブはない。

会場に入ると、ステージに奇妙なマネキンが飾られている。今回のタイトルは「nigami 17th birthday!! plan10【トミーは野球になりたかった】@東京公演」という。これがトミーだ。

この東京キネマ俱楽部というのは、すこし変わった作りで、ステージの右手の階段が小さなバルコニーにつながっている。会場が暗くなると、バルコニー奥の幕から昔のアメリカ映画に出てくるような男女が出てきた。あらかじめ置かれたテーブルに座って、飲食を始める。女性は赤いドレスを着ている。男性は立派なスーツ姿でまるで岡田真澄のようだ。

そしてライブが始まる。2年のあいだに、メンバーは岩下優介と平沢あくびの2人になった。その間、大きな活動は聞こえてこなかった。だが、今日、2人のサポートメンバーとともにぶっつけられた演奏は、以前と同じく強烈で楽しかった。

ライブのコンセプトとなったトミーは、岩下優介の説明によると、捨てられたロボットで、ニガミ17才が拾ったのだ。そして、トミーと同じように捨てられたようなニガミ17才も今、観客たちに拾われている、と感慨深い言葉が語られた。私もいつか拾われると期待してもいいだろう。

トミーがもたらした効果かわからないが、ライブそのものが緊密になり、以前の曲がアレンジや構成の点でアップデートされ、さらに複雑になり、奥行きが加わっていた。ライブとは、単に曲を並べるのではなく、編集作業でもあるのだと(いまさらながら)気がついた。捨てるも拾うも編集次第だ。

さて、ライブの間じゅう、ステージ上方で楽しげに飲食している男女の姿は、このロボットの記憶の一部だとのこと。ライブが終わり、ほとんどライブ第2部といってもいいような厚みのあるアンコールののち、2人の俳優が紹介された。男性がデッカチャンだということがわかった(ニガミの MV にも出演している)。

今年は「アクセル踏む」というニガミ17才、行きたくなくなるくらいライブをやってほしい。

ライブ

WET LEG@豊洲PIT

Wet Leg は女性二人のイギリスのグループで、ヴィジュアルも強烈だが、音楽も負けていない。鋭いギターリフは耳を離れないし、奇妙な歌詞とメロディが、このグループにしか作れない音空間を生みだす。しかも、ふとキンクスがちらついたり、80年代の第 2 次ブリティッシュ・インヴェイジョンの雰囲気が漂うのもいい。

その Wet Leg のライブが今日、豊洲で開催された。私の整理番号は 1548 番で、前の方には行けなかったが、後方の一段高いところで、バーの角に寄りかかると、全体を見渡すことができた。あまりに後ろだったので、ステージ前の熱狂が、どこか遠くのできごとのようにも、ときどき感じられた。

ライブを聴いているうちに、情感の欠如こそが、Wet Leg の良さであるように思えてきた。感情に訴えないで音楽を成立させるためには、ユーモアが必要だ。さらに、曲の大仰な盛り上がりで情感を動かすなんて手は使わずに、普通から外れた展開や繰り返しの多用で、曲を広げていく。こうした工夫の上に、Wet Leg のかっこよさが成立している。

もっとも、これは私の捉え方で、今日、たくさん集まった観客の中には、「エモい」とか「メロい」とか感じている人もいていい。

ところで、オープニング・アクトは羊文学だった。私はうかつにもそれを知らず、最初、遠くの方で 3 人が出て演奏を始めたとき、あれ、Wet Leg ってこんなんだったっけ、と首をかしげた。

ライブ

STAYC@KT Zepp Yokohama

STAYC は 2020 年に結成された韓国のガールズグループで、初の日本版のフルアルバム発売に合わせて、今日、ショウケース・ライブが開催された。

STAYC の曲は、ASAP や RUN2U など、他のアイドルポップとは違う雰囲気があって以前からよく聴いていたが、私はどんな人たちが歌っているかも知らなかった。

プロデュースをしているのは、韓国でも有名な作曲家グループで、TWICE の初期の名曲にも関わっているそうだ。そういわれれば、STAYC の日本デビュー曲 POPPY(2022)も似た雰囲気のある曲だ。

私がこのグループをちゃんと認識したのは、去年の夏のシングル I WANT IT がきっかけだ。ポップでどこか懐かしいメロディにハマり、その夏もっとも聴いた曲のひとつになった。昨夏は外国に3週間ほど滞在したので、暇なときなどは YouTube でこの曲の動画を何度も見た。そして、6 人のメンバーを初めて知っただけでなく、この曲のフリの流れまで覚えてしまったのだった。

ショウケースというのは、K-pop 関連でよく聞くが、ファン・ミーティングと本格的なライブの中間ぐらいの感じで、ライブの合間にトーク、ゲーム、プレゼント抽選会なども行われた。司会は K-pop でお馴染みの古家正亨さんだ。観客は、1,000人ぐらいはいたかもしれない。若い男女が中心だが、私より年上らしき人もいた。全体としては、YouTube などで見る K-pop のイベント感があって、これも初めての私には楽しかった。

ライブでは、私にとって夏の思い出の I WANT IT を日本語バージョンで見ることができたのがよかった。ただ、名曲といってもいい ASAP がなかったのは残念だったが、これは次回のライブのお楽しみだ。

ショウケースらしかったのは、開始時にメンバー全員が客席から登場して観客を沸かせたことだ。私は 2 階席だったのでただ見ているだけだったが、アンコールのときには、2 人のメンバーが 2 階にも姿を現した。若い女性たちは大興奮していたが、私は紳士の威厳を保って振り返って見るだけにとどめた。

そのときに威厳を保ちすぎたせいか、背中がつってしまった。

ライブ

スタンディング

スタンディングのライブでは、ライブのあいだじゅう立っていなくてはならない。これはけっこう大変だ。なので、整理番号にもよるが、早めに入場できたときは、私は前の方へと攻めていかずに、脇の壁に寄りかかったり、後方でバーか何かにもたれかかれる場所を選ぶこともある。

あるライブで、会場に入ると、ステージからちょっと離れたところに円柱があった。すでに先客がそれに寄りかかっている。これは格好の場所だ、と私はその隣に陣取ってライブが始まるのを待った。

次第に人が増えてきた。私の前にも人がどんどん入り込んでいるが、幸いにもメインのマイクまで視線を遮るものはなかった。これはいい、と思ってさらに待っていると、アナウンスが入った。

「本日はソールドアウト公演につき、多数のお客様が来場されます。ご入場の方は一歩前にお進みください」

周囲の人々が前に動きはじめた。私は円柱に体を押し付けて、寄りかかりポジションを死守した。だが、私の前に次から次へと背の高い人が入り込んできて、すっかり前が見えなくなってしまった。

私は「持てる人はその持てるもののせいで、変化に柔軟に対応できないことがある」と悔やんだが、もう遅い。

ライブが始まった。円柱に背中を押しつけて爪先立ちになれば、少しはステージが見えることがわかった。

ライブ

Mei Semones@duo MUSIC EXCHANGE

日本にはたくさんのネパール人がいるが、いろいろな民族集団の人がいるので、ネパール語以外の言語を母語として話す人も多い。私はネパール人に会うと必ずそのことを尋ねるが、「母語はなんですか」と聞いてもわかってくれないこともある。そんなとき「家族の言葉はありますか」というと、たいていピンと来てくれる。つまり、母語、タルー語であれタマン語であれなんであれ、ネパール語以外の言語は公ではなく家につながるものとして理解されている。

アメリカのミュージシャンのメイ・シモネスの初の日本ツアーの最終公演が渋谷で開催されたのだが、見に行った私はときどきネパールのことを考えたりしていた。メイ・シモネスの曲は、ジャズとボサノバをベースに少しねじれたポップなメロディが乗るというもので、変わっているが聞きやすい。バンド編成は、彼女の弾くギターに、ベース、ドラム、バイオリン、ビオラというもの。面白いのは歌詞に英語と日本語の両方が使われていることだ。

メイ・シモネスは母親が日本人ということで、子どもの頃からたびたび日本の祖母の家に滞在したそうだ。だから、日本語を使うのは不思議でもなんでもないが、その日本語の歌詞が、日本の歌の歌詞とは少し違うように感じた。言葉が「子どもっぽい」のだ。

「今日のご飯なにかな 天ぷらとお豆腐とごまあえほうれん草 おばあちゃんの手作り」(Kabutomushi)

それはひとつにはこの Kabutomushi のように、日本語が子ども時代の思い出に結びついているということもあるかもしれない。だが、たとえば次のような歌詞を聞くとそれだけではないような気がしてくる。

「やりたいことやればいい いつもいつもいつも ピカピカ光る街 いつもいつもいつも」(Itsumo)

普通、日本人は子どものときは子どものように話すが、学校に行き、学生時代を終え、大人になると、大人のように話すようになる。私も子どもの頃の日本語は失くしてしまったが、メイ・シモネスの歌詞にはその失われた子どもの日本語が生きているように思えた。

これは英語で教育を受けた彼女にとって、日本語が「家族の言葉」であったことに関係があるのかもしれない。もちろん、私は彼女の日本語が子どもっぽいといっているわけではない。MC で彼女が話す日本語も普通のものだ。ただ、英語に比べて、日本語を「学校の言語」として経験していないぶん彼女は、日本人とは違った意味づけを日本語に与えていて、それを作品の本質的な部分として使っているように思った。そして、それがメイ・シモネスの曲を大いに魅力的にしている。

私はライブを聞きながらこんなことを考えていたが、それにしても、すばらしいギターを弾くメイ・シモネスはとてもかっこよかった。

ライブ

摂州合邦辻

『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』は、今から約 300 年近く前に上演された浄瑠璃で、その最後の「合邦庵室の段」(下の巻、合邦内の切)を上演する素浄瑠璃の会が、12月27日の午後、田町にある港区伝統文化交流館で開催された。素浄瑠璃というのは、語りと三味線だけで演ぜられる形式で、今回は浄瑠璃は竹本越孝、三味線は鶴澤三寿々の両先生が舞台に上がられた。私がここで先生というのは、どちらの方も今、私が教わっているからだ。

私がこれまで見た素浄瑠璃は長くても 30 分程度だったが、今回は約 80 分だという。開始前にトイレ休憩はないので行ってください、とアナウンスがあったほどだ。こうした会では私でも若いほうに入るくらいなので、これは実に適切なことであった。私ももちろん行った。

語りと奏者にとってもこの長さは大変で、義太夫講座のときに聞いた話では「命懸け」「体力がもつかどうか」とのことだった。そんな演目なら行かねばなるまいということで、時間のやりくりをつけて行ったのだが、この日、私は少し疲れていた。それで初めのうちはなんだか眠かった。しかし、聴くにつれてだんだんと目が冴えてきた。そして、坊主の合邦が自分の娘である玉手御前(お辻)を刀で刺すクライマックスでは語りの気迫と三味線の激情にすっかり呑まれてしまった。浄瑠璃には床本というテキストがあり、太夫はそれをもとに語るのだが、語りは激しくなるとそのテキストでは表記できないところまで行ってしまう。私はテキストをもとに考え、なんでもテキスト化できるとの前提で考えるので、それを越えられてしまってはもう手も足も出ない。

さて、この絶頂の後に、物語の終結部として、玉手御前が合邦に刺されるまでに至る動機の解き明かしパートがくる。「そんな偶然あるものかな」という点もありつつ意外に周到に理詰めで回収されていくのも、推理小説的で興味深かった。

上演後、竹本越孝先生から感謝と「自分で限界を決めずにもっと挑戦したい」というような挨拶もあった。私は、今年は音楽、義太夫、お笑いなどいろいろ行ったが、それも自分としてはテキストという限界を出ようとしていたのかもしれず、その締めくくりにふさわしいものを見たように思った。