散文

禁じられた趣味

私はかつて酒と飲み歩きが趣味だった。毎晩のように仲間と酒場に繰り出しては、あの酒やこの酒を楽しみ、つまみを味わい、バカ話をして酔いしれていたものだった。

しかし、自分でもどうしてかわからないのだが、私は数年前にふっつり酒を辞めてしまった。そして、当然のことながら、飲み歩きにも行かなくなった。そもそも外出というものもしなくなったし、かつての飲み仲間とも疎遠になり、孤独となった。

酒が趣味であった私は、まったくの無趣味となってしまった。私は新しい趣味を始めようとした。トライアスロンに挑戦したり、米粒に観音様を描いたり、撮り鉄のひとりとなって悪態をつきながら電車の写真を撮ってみたりしたが、長続きしなかった。この年齢から新しいことを始めるのは無理かもしれない、と思ったりした。

だからといって、以前のように酒を飲み始めようとも思わなかった。酒がない生活は、二日酔いもなければ、頭痛もない。私はそれが気に入っているのだ。

最近では私は、趣味を聞かれたら、禁酒と答える。あと、飲み歩かずもだ。

旅・観察

そういうホテル【盗難の証明(11)】

私のスーツケースは今回の旅の直前に買ったもので、樹脂製のボディで、ファスナーで開閉するタイプのものだ。ホテルの部屋を留守にするたびに、ロックをかけていたが、盗難にあったときは、それを閉め忘れたいたのだと痛恨の思いでいた。

しかし、別のホテルに移り、帰国のパッキングをしているときに、ファスナーの布地の部分とボディの部分に隙間ができているのに気がついた。よく見ると、布とフレームを接合する糸が切れ、パックリ開いていた。この破損を私はホテルでの盗難に関連づけたい気持ちでいるが、もちろん私の不注意で破損したという可能性もある。

そもそも、ホテルで盗まれたという確証はないのだ。もろもろの状況からそう推理しているにすぎない。「モルグ街の殺人」よろしく、どこからか猿が忍び込んだということだってありえなくはない。

なので、私はこのホテルの名前は書かないし、無実かもしれない人々に罪を押しつけるつもりもない。そして、私自身はこの X ホテルにはもう泊まらないにしても、もし誰かがこのホテルについて尋ねてきたら、盗難の一件については口にしないだろう。ただし、そのかわり、私はこういうだろう。

浴室や壁をゴキブリが這い回っているのをよく見かけました。そういうホテルですよ。
(おわり)

旅・観察

革命の記録【盗難の証明(10)】

若い警察官についていくと、彼は署長室の向かいにある小部屋に入った。中のデスクに座り、私が署名した紙を見ながら、パソコンに入力を始めた。

つまり、署長が書き、私が署名した陳述書(のようなもの)をもとに、盗難証明書を作成しているのだ。小部屋の入り口に立っていた私が、入ってもいいかと聞くと、どうぞ、と答えた。

その部屋には、デスクの他に大きなテーブルがあった。テーブルの上にはA4の書類箱が山のように積まれていて、今にも崩れそうだ。書類箱には「2007」と書かれたものがあった。少なくとも、その年以降、この署で扱った書類が保管されている、つまり、2010〜2011年のジャスミン革命の時期のものもある、ということだ。

この警察署のあるハビブ・ブルギバ通りはチュニスの中心だから、私は詳しくはわからないけれど、革命当時は大きなデモが行われていたはずだ。そして、私が目の前にしている書類の山の中には、その時の記録も残されているかもしれない。

そんなことを考えていると興奮してきたが、怪しまれては困るので、私はチラと見るだけにとどめておいた。警察官は入力を終え、プリンターで印刷した。

警察官は私を再び署長のいる部屋に連れて行き、彼の机の上に盗難証明書を置いて立ち去った。署長は女性の相談者の対応にかかりきりで、書類に目もくれない。私は、あと一歩だ、と思いながら、待つ。署長は女性との話が済むと、盗難証明書にスタンプを押し、自署をした。

「アラビア語だから、日本で翻訳してもらうんだな!」

私がその紙を手に書を出たのは、11時半だった。

旅・観察

三枚つづりの紙【盗難の証明(9)】

私たちは再び外に出された。待合所で座って待っていると、いつの間にか支配人と客室係は姿を消していた。待合所もだんだんと人が少なくなり、ついに私とコートを着た女性だけになった。忘れられたのかと不安になり、横の部屋で仕事をしている署長から見える場所にある椅子に移った。

その部屋からは、さっきの怒鳴り声が断続的に聞こえてきた。こうした人の相手もしなくてはならないのだから、署長は忙しいのだ。だから、私は催促せずに黙って座っていた。

しばらくすると署長から声がかかった。私が横の部屋のデスクの前に行くと、彼は文書を見せた。それはホッチキスで閉じられた3枚の紙で、アラビア語が書かれている。

「ここと、ここ」と私に金額を確認するようにいう。3万円と20ドルとちゃんと書いてあった。文書にサインをしろというので、一枚一枚に署名をする。

これをもらっていいのか、と聞くと「違う」と言って、署長は席を立った。

私は署長がいない間、デスクの前の椅子に座って、ラミネートされたピンク色のIDカードが何枚かデスクの上に無造作に置かれているのを見たり、その所有者たちであり、おそらくはそのひとりは怒鳴り声の主でもある3人の男が部屋の奥に座っているのをチラと眺めたり、壁に「禁煙」「携帯使用禁止」と張り紙がされているのを眺めていた。

署長が若い警官を連れて戻ってきた。「彼について行くのだ」と私にいうと、若い警官にあの3枚の紙を渡した。

旅・観察

署長室の対決【盗難の証明(8)】

いきなりの対決の設定に、盗難証明書が欲しいだけの私は絶句した。それに、こんなふうに当事者同士を対峙させるやり方が、まともな警察のやり方なのかどうか、疑問に思った。だが、それでも私は支配人に盗まれた状況と金額を話し、相手は早口で「そのような話は従業員から聞いていない」と語った。

それから、私たちは再び外に出された。しばらくすると、支配人が仕事着を着た女を連れて戻ってきた。客室係だ。私たちは再び署長室に集められ、ソファに腰掛けた客室係は、私の部屋での仕事について語った。「毎朝、ゴミを捨てて、床を掃除して、ベッドを……トイレを……」

「昨日の担当は?」

「いえ、私ではなく、今日は休みです」

客室係の話が終わると、支配人が言った。「盗みなどありえません。誰も部屋に入れないのですから」

そして署長が私のほうを向いて言った。

「私はここにきて5年になるが、X ホテルでこんなことが起きたとは聞いたことがない」

私は、今日休んだ客室係のこととか、署長の耳の信頼度のことやら、いろいろなことを言いたかったが、我慢してこう言った。

「私が言いたいのは、ホテルで盗られたかどうかではなく……」

すると署長が口を挟んだ。「じゃあ、ホテルで盗まれたかどうかわからないというんだな!」 署長はこう言うと、両手でジェスチャーをしながら支配人のほうを「やれやれ、とんだ大騒ぎですな!」といった顔つきで見た。

だが、私は署長の曲解を訂正した。

「いいえ、そうではなく、ここで誰が盗んだかを議論したいのではなく、私はただ盗難証明書が欲しいのです! 保険! 補償!」

旅・観察

何があったか彼女に言うのだ【盗難の証明(7)】

私はいったんホテルに戻り、9時半過ぎに警察署に行った。待合室には何人かの人々がいて、3脚ある椅子に空きはなかった。

横の部屋を覗き込むと、別の年配の男がいた。私は中に入り、事情を話した。パスポートの提示を求められたので渡す。男は名前などを確認した。

「どこで盗まれたのか?」

「X ホテルです」

「X ホテルというと、この近くの?」

「ええ」

「で、いくら?」

「20ドルと日本円で3万円です」

「3万円というと、いくらぐらい?」

私は通貨のアプリで換算してみせた。「650 ディナールぐらいです。それで、日本に帰って補償を請求するために盗難証明書が欲しいのです」

男は私に外で待つようにいった。待合室は椅子に空きがなかったので、カウンターのような台に寄りかかっていると、さっきの男が私に椅子を持ってきてくれた。

待合室の奥の壁にボードが貼ってあって、紛失証明書にいくら、失踪届にいくら、などと発行手数料が書いてあった。自分も必要なのだろうか、などと考えて待った。男がいる部屋で誰かがしきりに怒鳴っていた。警察24時だ。

さっきの年配の男が出てきて、私を呼んだ。男は待合室の奥の通路に私を案内し、右手にある扉を開けた。大きなデスクとソファが置かれた部屋があった。男はそのデスクの向こうに回り込み、椅子に座った。デスクの上にはアクリルのネームプレートがあった。デスクの前に椅子が置かれていて、私にそこに座るよう促した。私はこのときようやく彼が署長で、ここが署長室だということに気がついた。

年配の女も一緒に署長室に入ってきた。署長はその女もデスクの前のもうひとつの椅子に座らせた。

「この人は」と署長は私に言った。「X ホテルの支配人だ。何があったか彼女に言うのだ」

旅・観察

今日は行けません【盗難の証明(6)】

気まずい思いをしながら、私は警察署内のベンチで待った。すると、さっきの警察が声をかけてきた。「30分後に戻ってこい」

私は外に出た。時間は7時45分だ。ラマダーン中なのでどこの喫茶店も開いていない。ハビブ・ブルギバ通りに出ると、中央の歩道に据えてあるベンチがあった。そこに座って、寒いなか待つことにする。

しかし、盗難証明書が出るまでどれくらいかかるのか。日本で紛失届をいくどか出したことがあるが、たいして時間はかからなかった。盗難届は日本でもそんなにすぐには終わらないだろうが、チュニジアではもっとかかりそうだ。だが、さっき警察署を見たかぎり、朝から人が詰めかけて列を作っているようではなかった。案外、すぐに終わるかもしれない。

私はその日の午前9時に人と会う約束があった。そこで、ベンチに座っている間に「10時に会うことにしたいのですが」とメッセージを送っておいた。

8時20分になった。私は再び警察署に行った。すると、今度は白いジャンパー姿の若い警察官が対応してくれた。事情を話すと、「なるほど。わかった。心配するな。1時間後に来い」

警察署を出た私は「すみません。今日は行けません」とメッセージを送った。

旅・観察

警察署までの道【盗難の証明(5)】

チュニスの大通りブルギバ通りには、警察官や兵士がたくさんいる。交通整理係もいれば、ものものしく武装した人もいる。警察署はどこか尋ねるにあたり、私はもっとも怖そうではない若い女性の警察官を選んだ(チュニジアでは女性の警察官もたくさん働いている)。

その女性警官は、私が泊まっていたホテルの前で交通整理にあたっていたのだが、私の問いに、指で警察署を示してみせた。大通りを入ってすぐのところにあるというのだ。警察署がこんなに近くにあるのに盗みとはヤツめ大胆な……とぶつぶつ言いながら、私は警察署に向かった。

警察署に足を踏み入れると、ベンチのある部屋があり、そこに一人のジャンパー姿の男が座っていた。そして、待合室の右手に扉のない部屋があった。覗き込むとパソコンの置かれた小さなデスクにやはりジャンパー姿の男が座って何やら作業をしていた。鋭い目つきで私を一瞥した。

「ハハーン」と私は思った。「これは韓国型だな」 つまり、チュニジアも韓国と同じく、警官は特別な任務がないかぎり、地味な色のジャンパーを着用しているもようだ。

私は部屋の入り口に立ちその男性に「お金を盗まれました」といった。すると、何も言わずに待合室の方を指す。ああ、まずはこっちの人にか、と思い、私は最初の部屋に戻り、そこに座っているジャンパーの男に声をかけた。「お金を盗まれたのですが……」

すると、その男は迷惑そうな顔をした。ただの待っている人だった。

旅・観察

盗難証明書【盗難の証明(4)】

泥棒への感謝の気持ちの只中にあって、海外旅行保険のことを思い出しえたのは僥倖であった。

「いや、泥棒を崇拝している場合ではない。盗難の補償があるかどうか確かめねば」

海外に行くときは必ず一般的な保険に入るようにしているが、これまでスーツケース破損の補償を受けた以外、使ったことがなかったので、盗難が対象になるかもわからなかった。

調べてみると、24時間ネット通話対応のコールセンターがあった。電話してみると、次のようなことを言われた。

「通貨盗難の場合は3万円を上限に補償の対象だが、盗難証明書が必要である」

盗難証明書は警察でもらえるというが、私はそんな手続きをしたことがない。というか、どこに警察署があるのかもわからない。いずれにせよ、もう夜遅いので警察に行くのは明日の朝だ。

そして、次の朝、私はスーツケースを持ってホテルを出た。もとからこの日に別のホテルに移る予定だったからだが、たとえそうでなくても、私はもう滞在したくはなかった。

チェックアウトのさいに、ホテルの人がもう一度「誰も部屋に入れない」と繰り返した。私はもう盗難証明書のことで頭がいっぱいで、それはもうどうでもいいように思えた。

旅・観察

泥棒への感謝【盗難の証明(3)】

はじめは20ドル札がないのに気がついた。おかしいと思って、改めて手持ちの現金を数えてみると、3万円が抜き取られていた。

20ドル札だけならば落とす不注意もあるかもしれないが、3万円の場合は無理だ。そこで、盗まれたのだと私は結論づけた。

お金は部屋のスーツケースに入れておいたから、誰かが部屋に入ったのだ。そして、現金が消えたことに気がついたその日の午前、私は数時間出かけていた。その時間に入ることができるのはホテルの関係者だけだ(チュニジアのホテル関係者のために弁じておくとこんなことは今までなかった)。

そこで私はまずフロントに行き、盗難があったことを告げた。フロントの男性は「部屋に誰か入ることなどない」という案の定の返事だったが、とにかく言っておくことに意味がある。

それから、私はひどくがっかりして過ごした。いつもは鍵をかけておくスーツケースを、開けっぱなしで外出してしまったことを悔やんだ(もっとも、後になって私はスーツケースが壊されていることにも気がついた)。

ああ、3万円あれば何ができただろう! 私はその日の午後、クヨクヨと考え続けた。

高田馬場の決闘で知られる堀部安兵衛は、江戸で巾着切りにいつの間にか大金を抜き取られらとき、これが腕に覚えのある剣豪とでくわしたのであれば、危険な試合に発展したことだろうが、巾着切りの名人でよかった、と感謝したというが、私も心痛のあまりついにそんな境地にまで至ってしまった。

泥棒よ、ありがとう! お金を全部取らずにいてくれて! パスポートも手付かずのままにしてくれて! 見てください、私はこんなに豊かです!

損失を直視したくないあまり、泥棒を称えるという心的機制まで働き出したのだ。だが、そのとき私は海外旅行保険のことを思い出した。