風刺・戯文

はしご高

今日、東京都江東区高橋で、「高橋の祭典」が行われ、全国からおよそ1万人の高橋さんが参加しました。

全国の高橋さんで作る「日本高橋の会」の会長高橋さんの開会の辞とともに始まった祭典では、「高橋姓」の歴史、高橋の偉人の紹介、高橋の発展のために尽力した高橋さんたちへの表彰状の授与、世界各地の高橋さんからの祝電の紹介などが行われました。

今回の祭典では「高橋ナンバーワン・プラン」がはじめて採択されました。「今こそ、高橋の力を集結して、苗字のランキング1位を目指しましょう!」という、祭典実行委員長の高橋さんの掛け声に、高橋さんたちが「打倒佐藤! 打倒鈴木!」と勇ましく応じました。

会場では、高橋幸宏さんの名曲を演奏するコンサートや、クイズ大会「たかはし? たかばし? どっちでショウ!」などが行われ、大盛り上がりでした。

また「最高はしご高決定戦」で、全国のはしご高の高橋(*)さんが日本一のはしご高を目指して競い合いました。観客たちは、あまりの高さに空を見上げながら「はしご高っ」と驚きの声をあげていました。

*高は正しくは「はしご高」

風刺・戯文

Finds You Well

Dear my friend,

I hope this email finds you well.

If it does not find you, it will follow you until it does. For it finds you well.

You can go somewhere. You can find a safe place to hide. I am sure you will. But you can’t escape. This email has super nice eyes, ears, and nose. It sees wherever you hide, well.

You may take a bullet train, a plane, or any other hi-tech vehicle, thinking you can escape.

Too bad you don’t know that this email is the fastest. It goes everywhere in an instant.

No, don’t escape. Don’t be afraid. Just stay where you are. It won’t hurt you or kill you. It only comes to find you well.

It doesn’t care if you are well or not. Even if you’re dead and are buried, it finds you, certainly well.

All the best,
The Sender

風刺・戯文

国外追放

【ザンゲー通信社:記者の目———独自の視点でニュースを解説】
アメリカのトランプ政権が、約 53 万人の中南米出身の移民の滞在資格を取り消し、合法的な滞在資格がなければ、国外追放するとのことです。

この 53 万人のうちどれだけが強制送還の対象となるかわかりませんが、これがトランプさんが追放したい移民の全部というわけではありません。アメリカの「不法移民」は 1100 万人以上いるということですから、なかなか大変です。

2024 年のアメリカの強制送還数は 70 万人だそうです。トランプ政権になってから、毎月の強制送還数は減っているということですから、これが今後ペースアップするといっても、いきなり 2 倍 3 倍になるとは考えられません。果たしてトランプさん、任期中に片付けられるのでしょうか。

しかも、強制送還というのは非常に手間と労力がかかります。トランプ政権には法手続きの問題はいっさいありませんから、これは無視できるとしても、「不法移民」の逮捕の問題や、移送までの収容設備と移送手段の確保はそう簡単ではありません。しかも、これらのすべてに莫大な経費がかかります。

強制送還は思ったよりも簡単ではないんです。そこで、アメリカでは「むしろ、逆にトランプ大統領を国外追放したほうが安上がりなのでは」などと真剣に議論されているそうです。

我が国に FedEx で送られてこないことを願うばかりです。

風刺・戯文

ガハハとウヒャヒャのいる店

居酒屋で飲むグループはたいてい二つに分けられる。ガハハ群と、ウヒャヒャ群だ。

どちらの背広を着た人たちが多い。おそらく、ネクタイに締め付けられていた喉を急にアルコールに晒すことによって発生する痙攣を、うまく利用しているのだろう。

このガハハとウヒャヒャにどんな機能があるかというと、ナワバリの誇示だ。「自分たちはこんなにガハハだぞ」「いや俺たちのほうのウヒャヒャにはかなうまい」 居酒屋内では、客のグループがそんなふうに競い合っているのが観察されている。

あるとき、いつも一人での酒を飲む私が、たまたまガハハ群とウヒャヒャ群の間に座ることになった。ガハハとウヒャヒャがずっと私の左右に聳え立っていた。まるで険しい山のようだった。私は酒を味わいながら、自然豊かなその山々を見つめていた。

そうした経験もあり、私もガハハとウヒャヒャをやりたくなった。ガハハとウヒャヒャに守られて、酒を飲んでみたくなったのだ。だが、どうやっても私の喉は痙攣してくれなかった。もしかしたらなにかが自分には欠けているのかもしれない、と悔しくなった。私はガハハとウヒャヒャの世界から締め出されていたのだ。

だが、私のような人はたくさんいるものらしい。「ガハハとウヒャヒャのいる店」という居酒屋では、客が希望すれば、ガハハかウヒャヒャの音声を発するスピーカーを持ってきてくれる。毎晩の酒宴がもう楽しみでしかたがない。

風刺・戯文

バブルのトラウマ

私たちはバブル崩壊以降、なんでも膨らむものに警戒するようになってしまった。なぜなら、それは必ず破裂するからだ。バブルの破裂があまりにも衝撃的だったため、網で餅を焼くのさえ怖くなってしまった。アツモノに懲りてナマスを吹くありさまだったのだ。

経済のどんなに小さな膨らみでも、私たちはもうドッキリ番組の巨大風船のようにハラハラしてしまう。大慌てで叩き潰さずにはいられないのだ。

もう膨らむ経済はゴメンだ。だが、どうしたらいい? 私たちは考えに考えた末、ついに結論に到達した。経済を回すのだ。それ以来、私たちはシャカリキになって経済を回してばかりいる。

そんなとき、中国でどんどん富豪が誕生し、裕福な中国人が爆買いにやってきた。経済を回すのにかかりきりで飲まず食わずの私たちは、回す手を休めて、こうつぶやいたものだった。

「かわいそうに、そのバブルはきっと破裂するのに」 そして、私たちは再び経済回しに取りかかった。だが、それから何年経ったことだろうか。中国のバブルはいっこうに破裂せず、その気配すらない。そのいっぽう、経済を回す私たちの腕は痩せ細り、目も回ってフラフラしている。

もしかしたら、と私たちは考えた。私たちは間違っていたのかもしれない。バブルとは崩壊するに決まったわけではないのでは? そうだ。破裂しないバブルもあるのだ!

私たちはもう経済を回すのはコリゴリだ。回せば回すだけ、経済は碾き臼のように私たちの体を粉砕していくのだから。やはり、私たちにはバブルしかないのだ。

バブルのトラウマはもう終わりだ。アツモノに懲りるのはやめよう。そして、ナマスを吹くその息で、世界一のバブルを膨らませよう。

風刺・戯文

誰ひとり取り残さない

世界と人類がよりよく存続するために、2015 年、国連総会で採択されたのが「持続可能な開発目標」、略称でSDGsと呼ばれる 17 の目標だ。私はこの目標のどれも素晴らしいと思っている。

だが、素晴らしいのはそればかりではない。これらの目標の実現にさいして、「誰ひとり取り残さない」ことが重視されているのだ。つまり、この目標は一部の特別な人のためではない、そう、私のためでもあるのだ。

私はこの SDGs のことを聞いてからというもの、国連からの連絡を心待ちにするようになった。もちろん、私にもわかっている。世界にはたくさんの人がいるから、いくら誰一人取り残さないと言っても、順番というものがある。いきなり全員など無理なのだ。

「今ごろ、国連はどこの国の人に連絡をしているだろうか。日本は有名で素晴らしい国だからきっと最初のほうに連絡をするに違いない」

「しかし、日本だってたくさん人がいるのだから、一人一人連絡するのは大変だぞ……きっと一斉メールで通知が来るのだろう」 だが、待てど暮らせど連絡がない。私はだんだん不安になってきた。

「もしかしたら、私のことを忘れたのでは? ミスかなにかで! あれほど、誰ひとり取り残さない、と言っていたくせに!」

明日の朝、私は始発に乗って、東京の国連の事務所に行くつもりだ。もしかしたら、自分だけ取り残されたのではないか、と思うと、もう居ても立ってもいられないのだ。

風刺・戯文

Apple Music の手(2)

Apple Music が、私たちの洋楽ライブラリをどんどんカタカナにしてしまっているということを書いたら、こういうお声をいただいた。

「まったく同感です。アーティスト名がカタカナだと、もとの綴りがわからない場合があって、Wikipedia などで調べたいときにちょっと困ります」

また反論もあった。「それなりの知名度のミュージシャンでもアルファベットのままだぞ。Dinosaur Jr. とか、Yo La Tengo とか」 確かにそうかもしれないが、そうしたミュージシャンも半年後には、カタカナになっているかもしれないのだ。

そして、ある人がこう言うのには私はうれしくなってしまった。

「XTC、R.E.M、U2 はどうだ。これらはカタカナになっていないではないか」

私はさっそく Apple Music の NRBQ のページを開いてみた。NRBQ だ。私は「ついにカタカナの侵食を食い止めてくれたか……」と感慨深く眺めていたが、やがて恐ろしいことに気がついた。

「いや、もしやこれは日本語のローマ字であって、英語のローマ字ではないのではないか。ああ、FRUIT ZIPEER や ME:I がカタカナにならないのは、これは日本語のローマ字だったからなのだ!」

バカげているとお思いになるかもしれないが、これが真実なのだ。

風刺・戯文

Apple Music の手(1)

ギリシア神話のミダス王はその手に触れたものを黄金に変え、チェッカーズは触れるものみな傷つけたと、言い伝えは語るが、この現代では、Apple Music が同じことをかねてから行なっているようだ。つまり、触れるものみなカタカナに変えてしまうのだ。

私たち Apple Music ユーザーがずいぶん昔から困っているのは、このサービスが海外の有名ミュージシャンやバンドを、例えば The Rolling Stones は「ザ・ローリング・ストーンズ」というように勝手にカタカナにしてしまうことだ(しかも、いつのまに中グロまで出現しているのだ)。

いや、もちろん、日本だから、カタカナに変えてもいいのだ。だが、それならばなぜ「DREAMS COME TRUE」は「ドリームズ・カム・トゥルー」とならないのだろうか? Ado は「アド」に? 「いや、これは日本でそういう名前だからいいのだ」という人もいるかもしれない。ならばイギリスでは The Rolling Stones は The Rolling Stones なのだから、日本でも The Rolling Stones であるべきではないだろうか?

しかも、私たちのこうした疑念にもかかわらず、この恐ろしき Apple Music の手は日々カタカナ化を推し進めているのだ。去年は原語表記であったミュージシャンもいつの間にかカタカナになり、今、アルファベットのバンドも、来月にはカタカナとなっているかもしれない。

こうして私たちの洋楽ライブラリはカタカナに侵食されていく。そのうちすべてのローマ字が放逐されないとは、誰が言えようか?

風刺・戯文

真実を報じないレストラン

久しぶりに街に出たので、何回か行ったことのあるハンバーグの店に行ってお昼を食べることにした。店の前に行くと、人が集まって騒然としているのが目に入った。近寄って人垣越しに見ると、ひとりの男が店の前に立ち塞がるように立ち、叫んでいるのだった。

「このレストランはとんでもない店だ!」 そう男は怒鳴った。「客に偏ったものを食べさせているぞ! みなさん! 見てください! これはこのレストランが調理しない料理です!」

男は手に持っていたボードを掲げた。それは山菜そばの写真だった。「このレストランの偏向調理を許すな!」

そのとき、警察官が数名駆けつけてきた。警察官たちが近づくと、男はよせばいいのにボードを投げつけた。たちまち男は組み伏せられ、そのままどこかに連れて行かれた。

店の前は再び日常に戻った。集まっていた人々も立ち去っていったが、何人かは私と同じように店に入った。私たちはなにごともなかったかのようにハンバーグを食べた。誰かが「山菜そばなら自分で作ればいいのに」と言った。それから別の声が聞こえた。「あの男、今頃、取調室で山菜そばを食べているかもしれないぞ!」 さらに誰かがこう言った。「そういえば、あの顔、なんとなく山菜そばに似ていたような……」

私はこれらの言葉に笑いを堪えるのに苦労したが、このとき私たちは知らなかったのだ。やがてあらゆる SNS が「#山菜そば」で埋め尽くされることになろうとは。

旅・観察

物乞いたちの貧困

チュニジアの首都、チュニスの街を歩いていると、物乞いの人をよく見かける。大きな通りがあるとすると、各ブロックにひとりいるぐらいの感じだ。なわばりでもあるのだろうか。

物乞いには若い人や女性もいるが、老婆も多い。ショールで頭を覆って、道端にべったりと座っている。片手の手のひらを上に向けているのは、道行く人々がお金をそこに置きたくなるようにだろう。そして、人々が小銭を施しているのもよく見かける。

チュニス滞在中は、雨で寒い日もあった。そんな日でも、老婆たちは道端に座って、「右や左の旦那様」にあたるような言葉を行き交う人々に投げかけていた。私は「物乞いとて楽な商売じゃないな」と思い、さらに「一日じっと座っているという労力を、他の仕事に費やせば、なにがしかの収入になるだろうに、どうして物乞いなどしてるんだろう」と考えた。

この疑問は誰でも思い浮かぶたぐいのもので、通常ここから物乞いに関する2つの「空想」が発生してくる。ひとつ目の空想は「これらの人々は罰当たりなほどに怠け者なのだ」というものだ。二つ目は「物乞いとはああ見えて実はとても儲かるのだ」という空想だ。どちらを選ぶかは、その人次第だが、どちらを選ぼうとも、結論は同じ、つまり「物乞いたちはけしからん」となる。

私も同じように考えていたが、しばらくして別の考えも浮かんできた。「いや、この人たちだって、自分がどうして物乞いなんかしているんだろうか、と思っているのかもしれない。だが、他にできないのだ。普通の仕事、いや、特別な仕事だってできる能力があるのに、それを活かせる世界から締め出されている、それが貧困なのだ」

そして、さらにしばらくして、自分も同じだということに気がついた。